戌歴九九八年・初夏(一)
〇〇〇
おおよそひと月ぶりに西方霊堂へ戻ってきたカイとラウラは、周辺の変わりように驚きを隠せなかった。
「すげえ人!店もこんなにあったっけ?今日お祭りとかなの?」
「いえ……特にそういうわけでは……」
ラウラはカイと一緒になって馬車の座席から身を乗り出した。
霊堂の正面口へまっすぐ続く通りには、以前より幕屋の移動商店や宿場が軒を連ねていた。
それらは霊堂に通う技師たちのためのもので、数もさほど多くはなかった。
しかし現在ではちょっとした町といっていいほどその数を増やし、行き交う人も、馬の数も、以前の三倍は数えることができた。
「明日には候補生の受け入れが始まるから、ここにいる多くはその見送りの人たちじゃないかな。――――ほらよく見て、言い方は悪いけど、お上りさんみたいな人ばかりだ」
同じ馬車に乗るシェルティの言葉を受けて、ラウラは人びとをつぶさに観察する。
すると確かに、旅の格好をした者が多く、大抵は候補生らしい若者をひとり連れている。
「なるほど。ですがお店は……?」
ラウラは人出の理由には納得したが、それに合わせたような出店の増加は腑に落ちなかった。
「招集日を公に布告しているわけでもないのに、この短期間でこんなにも集まるなんて……」
店のほとんどは町村の間を渡り歩く移動商店だった。
なにを扱う店であるか示すために、幕屋はのぼり旗や垂れ幕で覆われている。
広告を下げた係留気球までそよいでいる。
店頭で競いあって呼び込みをかける宿場。天幕の壁をほとんど取り払い、大鍋を振るう様子やその香りで人びとを誘う食事処。まるで一芸を披露するかのように、霊具の性能を実演する雑貨屋。
夕暮れ時ということも相まって、その喧騒はカイの言うように祭り同然であった。
「彼ら商人は鼻が利くし耳もいい。五十余名の候補生に加えて、彼らの面倒を見る官吏と技師、使用人、それに見送りの親族や付き添い人も合わせると、五百人近い人の移動が見込まれるだろう。そんな商機をみすみす逃したりしないさ」
「それでは修練の始まる明後日にはどこも引き払っているんでしょうか?」
「いくらかは減るだろうけど、ほとんどの店はしばらく滞留するんじゃないかな?見送り人は去っても、候補生たちは残るし、そのうち第二陣、三陣の候補生たちもやってくるだろう?霊堂周辺の人口が保障されている限り、商売相手に困ることもないからね」
「そうですか……」
ラウラが浮かない顔をするので、カイは心配する。
「こういう騒がしいの、あんまり好きじゃなかった?」
「そういうわけではないのですが……訓練の妨げにならなければいいと思って。近くにこういう場所があると、どうしても遊びたくなってしまうでしょうから……」
西方霊堂でラウラは、カイの補佐だけでなく候補生への指導官も務めるよう命じられていた。
候補生は二十代半ばまでの若者がほとんどで、一番若いものでラウラと同年齢だが、ほとんどは年上になる。
指導をきちんと行えるかどうかだけでも不安があるのに、さらに規律の維持にまで気を回さなければいけないかもしれない。
ラウラははやくも心労を抱えてしまっていた。
「真面目だなあ」
カイはそんなラウラとは反対に、悠々と構えている。
「大丈夫だよ。だってみんな災嵐から世界を守るためって意気込みで集まってるんだろ?そんな遊んで怠けるような真似するやつはいないって」
「そうだといいのですが……」
「むしろ息抜きできる場所があった方が、めりはりが出ていいじゃん。――――あっ、ほら見て、あの子」
カイは馬車ですれ違った親子を指す。
旅装束の三人連れだった。
彼らは店先を通るたびに呼び込み人に声をかけられる。
しかし父母も、候補生も、一顧だにしない。
霊操で水球をつくりお手玉をする芸人を素通りする。
賭け盤双六を囲う人だかりを迷惑そうに避ける。
練られたばかりの棒飴を差し出されると、においが鼻につくとでもいったように顔を背ける。
親子は周囲の喧騒などまるでないものとし、神妙な面持ちで霊堂に向かってまっすぐ歩いて行く。
「僕たちは遊びでここにきたわけじゃありません、ってかんじだろ?」
ラウラは本当ですね、と同意した。
「まだ若いのに、これだけの誘惑に一切駆られないなんて――――素晴らしい心意気です」
カイは人混みに紛れて見えなくなった三人連れから、ラウラに視線を移す。
「それいったら君だってまだ若いんだけどね」
「私には大事な務めがありますから」
「ほんとどういう育ち方したら十三歳でそこまで大人になれるんだよ……」
ラウラはかすかに眉尻を下げる。
「私は、大人なんかじゃありませんよ。むしろ子供です。それもとても我がままな」
「そういう謙遜できちゃうところがさあ――――うわっ、見てあれ!」
カイはまた荷台から身を乗り出し、外を指さした。
一際大きな幕屋の前で、扇子を振り回す噺家と、獅子の覆面をした芸人の二人組が口演を披露していた。
ラウラが視線を向けたとき、ちょうど芸人が霊操で羽毛を巻き上げ、空中にケタリングを形作って見せたところだった。
噺家はそれに合わせて、声を高める。
「そうこれは私が東南の僻地を旅していたとき目にしたものです。嘘じゃあありませんよ。純白の羽をもった美しいケタリングが、その背に人を乗せて飛び上がるところを、私は目にしたのです!」
噺家がそういうと、芸人は仙人を模した人形を羽毛のケタリングの上に乗せ、聴衆の頭上を旋回させる。聴衆は歓声をあげ、馬車からのぞくカイも、興奮して拍手をする。
「凶暴で獰猛な害獣が、人をその背に乗せるなんてありえないとみなさんの多くはお考えでしょう!しかしかつて、東方の大地にはケタリングを手懐けた一族がいたのです!強大な力を手にした一族は、不敬にも当時の皇帝に立て付き、その座を乗っ取ろうと企てます。皇帝と朝廷、そして民衆の怒りを買った一族はすぐにも滅ぼされましたが、その生き残りが山奥へと逃げのび、今もひっそりと、ケタリングを使役して生きているのです!!」
芸人は聴衆の頭上で羽毛の霊操を解く。
羽毛がまるで雪のように聴衆に降り注ぐ。
また大きな歓声が沸く。
口演自体はこの世界で近頃流行している、ありふれたものだったが、芸人の手腕が見事なもので、聴衆は拍手と共に見物料を惜しみなく投げ払った。
馬車まで舞ってきた羽を一枚つかみ取り、それをしげしげと眺めた。
「ほんと面白いな、霊操って。手品みたいだ」
ラウラも関心して同意する。
「とても器用でしたね」
「君ならもっとすごいことができるんじゃない?」
「いいえ、とても。わたしなどは普段、実用的な霊操の修練ばかり行っているので、ああいう専門の芸人さんには歯が立ちません」
ラウラは熱烈な視線を芸人に贈った。
獅子の覆面をした芸人は、動物の毛皮を繋いで作ったような奇妙な格好をしている。衣装は芸人には大きすぎるようで、足先も両の手も長すぎる袖裾に隠れてしまっている。狗鷲の羽でつくられた長いたてがみが頭部から首までも覆われていたため、動かずにいれば人形のようにも見えた。
重たく、視界もほとんどないような装いだったが、芸人はこともなげに妙技を披露していた。
「羽毛は軽いから扱いやすいですが、あの量を動かすとなると、大変繊細な技術をお持ちか、それともなにか仕掛けがあったのか――――気になりますね」
興奮も露わに、ラウラは言った。
芸人は、大きな衣装をまとっているが、どう見ても子どもだった。
並べばラウラとそう背丈の変わらない、歳の近い少年だった。
こと霊操においては当代随一と持て囃されてきたラウラである。例えその一芸だけだったとしても、市井に自分の及ばない霊操技術を持った人間がいることに、驚きを隠せなかった。
それも相手は自分と同世代である。
もっとよく見たい。
話かけてみたい。
色めき立つラウラを見て、カイはしめた、とばかりに顔を輝かせる。
「じゃあちょっと降りて見に行こうよ」
「え?今からですか?」
「うん。だって明日からはまた忙しくなるだろ。その前に息抜きってことでさ」
「ですが……二日間馬車で移動してきたわけですし、お疲れでは?」
「おれは全然!むしろ座りっぱなしだったからちょっと歩きたいくらいだ」
カイは明らかにこのお祭り騒ぎに興じたがっている。
本音を言えば、ラウラも、遊び歩きたい気持ちがあった。
芸だけではなく、出店を見て回ってみたかった。
しかしカイの提案に乗ることは出来ない。
なぜならノヴァから、カイがこれ以上厄介事を持ち込まないよう、市井には極力出さないようにと厳命を受けているのだ。
「本当にどっちが子どもかわからないね」
シェルティはカイの手から羽を取り上げ、馬車の外に投げ捨てる。
「あ、なにすんだよ!」
「君がまったく凝りていないようだからさ」
シェルティはそういって、ラウラに片目をつぶって見せた。
「つい先日僕を口説き落としたばかりだっていうのに、もう別の人を漁りに行くつもりかい?ひどいなあ」
「口説いてないし漁りにいくつもりもねえよ!ちょっと遊びたいだけだって」
「……遊び?」
シェルティは両手で顔を覆い、わざとらしい泣き真似をする。
「しくしく……。ぼくというものがいながら、平然とよそのやつと遊ぶだなんて……」
「ほんとお前のそのノリなんなの!?」
「明日にはさっきの芸人あたりと懇ろになってるんだろう?ぼくは悲しいよ」
シェルティは肩を震わせる。カイはシェルティの手首をつかみ、その顔から手をどかせる。
彼は唇を噛んで笑いをこらえていた。
「それが悲しんでる顔か?」
シェルティはたまらず吹きだす。
「だって君があんまりに節操ないこと言うもんだから」
「言ってないわ!お前の曲解だからそれ!」
二人のやり取りを見ていたラウラも、思わず笑いだす。
「仲良しですね、ほんとうに」
「どこか!?もう、やだ!こいつやっぱクビにしよう!」
「ふふふ、だめですよ、閣下。いいですか、伴侶は大事にしなきゃいけないんですよ。外に他の相手を作ったり、そうやって簡単に離縁を責まってはいけないんですよ」
「伴侶じゃないよ!?っていうか君までそういうこというの!?」
ラウラとシェルティは顔を見合わせる。そして声を揃えて笑い合った。
ただ、お互いに、その笑みは心からのものではなかった。
シェルティの笑みは作りもののように完璧で無駄がなく、ラウラはまぶたをかすかに震わせていた。
このひと月、共にカイの補佐をすることになったふたりは、表面上では気安く話し、ときには冗談を言い合えるような仲になっていた。
けれど距離は開いたままだった。
ラウラは未だに、シェルティ・ラサという人物をつかめずにいた。
「お前らいつの間にそんなに結託してたんだ……?おれの味方はどこにもいないのか……?」
そんな二人の間柄を知ってか知らずか、カイはただ、呑気に嘆くばかりだった。




