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その嘘はたしかに救いだった

そしてカイは、最後の秘密を明かした。

あの日、谷底で、マヨルカとディンゴが去ったあとになにがあったのか、カイはまだマヨルカに詳細を伝えていなかった。同席するサミーにさえ、いったいどのようにしてカイが移魂するに至ったのか、明かしてはいなかった。

カイは嘘偽りなく、当時のことを話した。

ディンゴはマヨルカと共にノヴァのことも連れて空に飛ぼうとしたが、ノヴァがそれを拒否したこと。ブリアードの懺悔に聞き入るカイに、ノヴァが降魂術をかけたこと。カイはこの不毛な戦いに終止符をうつため、それを受け入れたことを。

朝廷にノヴァとして潜りこんでからのことは、サミーが引き継いだ。

カイにノヴァの代わりをさせたのは自分だから、とサミーは自ら口を開いた。

サミーとて父親とノヴァの最期を聞いたのは初めてだった。降雨がどちらのケタリングを犠牲に降らされたものなのかも、予想はついていたが、確信を得たのは今日が初めてだった。

サミーは明かされた真実に多少なりとも心は乱されていたはずだが、表には出すことはなく、気丈に経緯を説明した。

今日までマヨルカを騙してきた責任を、彼女はとろうとしていた。

「ノヴァ様がいなければ、あなたはここで独りになってしまう。それは耐えがたいことだろうと思ったんです。大怪我を負って、記憶もなくて、見知らぬ場所で見知らぬ人に介抱されるなんて、そんなの大人だって不安です。見くびっているわけではありませんけどね、すみません、正直、十歳のあなたが、孤独の中で過去と向かい合えるとは私には思えませんでした。例え偽物でも、拠り所になる人が必要だと思ったんです。だから彼に嘘をついてもらいました。あなたの傷が癒えるまで、あなたが過去を取り戻すまでノヴァ様として振舞ってくださいと、私が彼にお願いしたんです」

すみませんでした、とサミーは深く頭を下げた。

「したくてしたわけじゃない。サミーはきみを助けたかっただけだ」

悪いのはすべて自分だ、と暗にカイは言った。

恨むなら自分だけにしてくれ、と。

「嘘……」

マヨルカはしばらく茫然といていたが、やがて寝台から身を起こし、立ち上がった。

それから部屋の中を見回した。

夏まではノヴァの私室として、秋以降はマヨルカの居室として使われる小部屋は、整然としているようで、ものであふれかえっていた。

三方の壁はすべて天井まで書架となっていたが、そこに納まりきらないほどたくさんの書が部屋には置かれている。

部屋の壁と床を埋める書は、すべて複製品だ。瓦礫から掘り出した書物をノヴァが手ずから複写し、足りないところは記憶を頼りに、あるいは推測で補った、重要書物の数々だった。

部屋にある家具は、寝台と書き物机、椅子だけだった。その上にはマヨルカの治療具や生活用品が整然と並べられている。他には押し花や置物、絵といった、ノヴァが民衆から献上された贈り物や、ノヴァが修理しようとしていたとみられる霊具の山が、床に積まれた本を土台に築かれていた。

部屋というより倉庫のようだった。

体裁を整えただけで、なにも片付いてはいない。

物に対して、収納が足りていない。

窮屈で息苦しい部屋だったが、ノヴァは気に留めず寝起きしていたし、マヨルカもまた、この部屋に対して不満を抱いたことはなかった。むしろ居心地がいいとさえ思っていた。

ほんの少し手を伸ばせば、なにかに触れることができる。

それは軟膏の詰まった壺であり、ノヴァの写した書であり、子供たちがノヴァに贈った花冠が萎れたものだった。干されたばかりの上掛けであり、接ぎ木された杖であり、かすかな煙をあげる香炉だった。

どれも人の営みを感じられる品だった。

マヨルカは機能回復訓練の一環として、寝台の周囲にあるものにいつも手を伸ばしていた。部屋の中にあるものに触れることは、彼にとって人との繋がりを確かめる行為で、歩き回れるようになった今も、身体が軋む雨の日や、不安に苛まれ眠れない夜に、よく周囲のものに手を伸ばしていた。

手を伸ばせばいつでも届く場所になにかがあるこの部屋は、マヨルカにとって、窮屈どころか広々とさえ感じられた。

また部屋はものであふれていたが少しも暗くはなかった。

壁の高いところにひとつだけある丸窓が、よく光を取り込むからだ。

丸窓はそれほど大きくなかったが、日差しも月明りも逃さず部屋の中に届けた。

それも眩い一筋の光ではなく、全体を照らす、優しい光だった。

早朝で日の低い現在も、窓からは白い光が降り注いでいた。

立ち上がったマヨルカは部屋中を見回し、最後に丸窓に目を止めた。

目を細めることもなく、降り注ぐ光を直視していた。

「……目を傷めますよ」

サミーが言うと、そうですね、とマヨルカはかすれた声で答えた。

それから自分の隣に立つサミーを、部屋の扉に背をもたせかけるシェルティを、寝台に腰かけるカイを、順番に眺めた。

誰もが神妙な面持ちで、マヨルカを見つめていた。

「――――本当なんですね」

「ああ」

「嘘じゃないんですね」

「うん」

マヨルカは俯いた。

「嘘でよかったのに」




彼の脳裏には、ノヴァと過ごしたこの四か月が走馬灯のように浮かんでいた。

カイとマヨルカは毎日顔を合わせ、話をした。

そのほとんどは、他愛ないおしゃべりだった。

ノヴァの知識の共有、歴史や社会の勉強に割いた時間は、全体の三割にも満たない。

まだマヨルカが寝たきりであった時分、カイはその日あった出来事や、外の様子などを話して聞かせた。

山間が紅葉で色づきはじめたこと。麦が豊作で、粉引きが不足していること。優秀な子供たちを技師として育成するための学舎を新設することになったこと。霊具の工房ができたので、マヨルカのために霊杖を特注していること。

視力は落ちたが、なぜか色だけは以前よりくっきり見えるようになったこと。切り落とされた左手の小指と薬指に、義肢を入れるか悩んでいること。夜が冷えるようになってから、狼狗が布団に入ってくれるようになり、ついつい朝寝坊をするようになってしまったこと。

なにも話さず、ただ寄り添うだけの日もあった。

雨の日は傷の痛みが酷く、一日中もだえ苦しんだが、カイはずっとそばについていてくれた。痛みは耐えがたいものだったが、カイと二人で雨打つ丸窓を見上げるひとときが、マヨルカは好きだった。

体調が回復してからは、マヨルカがカイに話をすることもあった。教えを受けた内容に関して質問をすることもあれば、思い出の場所の現状を訊ねることもあった。

マヨルカはこの四か月、痛みと不安に絶えず苛まれていた。

それは一人では到底乗り越えることのできなかった苦難の日々だった。

マヨルカを支えたのはカイだけではない。サミーや他の若い官吏たち、交代で治療にあたり、忙しい合間をぬって見舞いに訪れてくれた彼らに、マヨルカは深く感謝していた。

けれどやはり、カイの存在は格別だった。

カイがいなければ、マヨルカの心はどこかで折れていた。苦しい治療に耐えることはできなかった。


「――――あなたが異界人なんて知りたくなかった」

どうして嘘をつき続けてくれなかったんですか、とマヨルカは言った。

「他の人の前では、これからもノヴァ様としてあり続けるんでしょう?どうして、おれに対しても、そうしてくれなかったんですか?」

マヨルカはその場に膝をつき、目の前にあった複写本の山に縋りついた。

「おれはあなたを……憎まなきゃいけないじゃないですか……」

弱弱しい声だったが、涙はなかった。

マヨルカはただ途方に暮れていた。

怒りも悲しみもないまま、そうすることで切れてしまった糸を繋ごうとしているかのように、カイを責めた。

「おれの復讐は終わったのに……おれはあなたを許すことができないのに……どうして……!」

「記憶を取り戻したきみの前で、ノヴァのまま居続けることなんてできない」

思い出したんだろう、とカイは言った。

「きみの知っているノヴァと、おれが演じたノヴァは、まるで別物だっただろう?おれの嘘は、ノヴァをよく知っている人には絶対に通じない。ディンゴもきっとすぐに見抜く。――――きみは、気づかないふり続けることができたか?本当に、この先もおれにノヴァであってほしかったか?」

マヨルカは複写本の山から顔をあげ、小さく首をふった。

そして複写本の表紙を、硬く几帳面なノヴァの字を見つめながら言った。

「……カイ・ミワタリ」

うん、とカイは頷いた。

「ノヴァ様は……本当に死んだのか?」

うん、とカイは答える。

「ノヴァは死んだ。命をかけて、ラウラの身体からおれを離したんだ。――――ノヴァはラウラの身体でおれが生き続けることを許せなかったんだ。それがカーリーとの約束を守る最後の手段だったから。そうしなければ、あいつはカーリーとの約束をなにひとつ守れなかったことになってしまうからと、そう思い込んで――――」

カイはそこで言葉を切り、胸元に手を置いた。

上衣越しに、ふたつの小さな円環に触れる。

首紐に通されたそれは、カーリーが作った指輪だった。

それをはめていたノヴァの指はもう失われている。例え指が残っていたとしても、カイがそれをはめることは決してない。

「――――ラウラの幸せをなによりも願っていたんだ」

カイは指輪から手を離し、欠けた左手の指の輪郭をなぞった。

「それだけじゃない。エレヴァンの復興だって、心から願ってた。サミーたちを本当に頼もしく思っていたし、マヨルカとディンゴと共に、未来を生きたいと思ってた。二人と一緒にラウラに会って、全部を受け止めて、前に進もうとしていたんだ。――――そこにいたのがラウラじゃなくておれだって気づくまでは、たしかに――――」

カイは左手を包むように、両手を握りしめた。

「あなたにそれがわかるんですか」

マヨルカはカイに背を向けたまま訊く。

「わかるよ」

カイは握った己の手を凝視して答える。

「おれはノヴァの記憶を暴いたんだ」

「……え?」

「は!?」

マヨルカと同時に、サミーが驚きの声をあげる。

「移魂した身体で再現術を行使すると、魂じゃなくて身体の記憶が再現されるんだ」

カイはかまわずに続けた。

「おれはノヴァのすべてを見た。たったいまきみが六年の過去を覗いたように」

「ノヴァ様のこれまでを、全部……?」

「ああ、知ってる」

サミーは愕然としてその場にへたりこんだ。

「な、な、なんですかそれ……?じゃあノヴァ様の遺書なんて、なんの取引材料にもならなくなってたってことですか?っていうか全部を知っているということは、わたしとのやり取りなんかも全部……?」

サミーは顔を青くしたり赤くしたりしながら、頭を抱えた。

「記憶を見たなら、あなたは、ノヴァ様なんですか?」

反対に、マヨルカは立ち上がり、顔をあげた。

「ノヴァ様の記憶が再現されたなら、あなたはノヴァ様なんじゃないですか?」

「……違うよ」

カイはマヨルカと目を合わせ、おれはおれだよ、と答えた。

「きみならわかるだろう?再現された六年分の記憶は、それまでの地続きの記憶とは別物のはずだ。君の中で、思い出とは区分されているはずだ。自分のことでも、芝居を見たようにしか感じなかっただろう?」

「……はい」

「再現されるだけで、思い出すわけじゃないんだ。でも――――おれが今日まできみに寄り添えたのは、たしかに、ノヴァの記憶を見たからだろうな。ノヴァはいつもきみを気にかけていた。どこか弟のように思っていた。そんなノヴァの想いに引っ張られて、おれも自然と、きみの力になろうとしたのかもしれない」

「ノヴァ様とあなたは、おれを――――」

言いかけて、マヨルカは口をつぐんだ。

泣きそうに歪めた顔を、カイから隠すようにそっぽを向いた。

「――――ディンゴは、このことを知っているんですか?」

「ああ。もう、レオンが伝えてるはずだ」

「あいつは、なんて言ってました?」

「……後悔してたって。やっぱりあそこで死ぬべきだったって、大暴れして、死のうとして、止めるのが大変だったって、レオンは言ってたよ」

「死のうと――――」

マヨルカは丸窓を見上げた。

「あのばか」

鼻をすすりながら、朝日に向かって、吐き捨てた。

「おれを忘れやがって……!」

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