表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
249/277

見送る者と見届ける者


「――――おい、聞こえてるか?」


呼びかけられて、ノヴァの意識は覚醒する。

「起きろよ」

自分に声をかけているのが誰なのか、ノヴァはわかっていた。

「悲願のときが、きたぜ」

悲願がなにを差すのかも、ノヴァはわかっていた。

けれど両目を覆う手を下ろすことは出来ない。

自らの過去を、失った十二年分の記憶を観終えたばかりのノヴァは、すぐに現実に戻ることができなかった。

記憶を通して、さまざまな感情の奔流を目の当たりにしたノヴァは、ただ呆然とするばかりだった。

記憶を取り戻してなお、目の前の現実を受け入れることができなかった。

自分がはじめたこの悲惨な戦い、その行方に、目を向けることができなかった。


「起きろって」


そんなノヴァの内心など露とも知らず、ディンゴはノヴァを揺すぶった。

「はやくしねーと、オレがやっちまうぞ」

そう言われて、ノヴァはようやく目を開けた。

目の前には、自分を覗き込むディンゴの顔があった。

その後ろには、カイがいた。

アフィーを人質にとるブリアードの姿もあった。

ノヴァは状況を察した。

ディンゴは爆袋を握っている。ノヴァが記憶を手繰っている間に、形勢は逆転していたのだ。

しかしノヴァは、この状況に対して、どのような反応を示すこともできなかった。

喜びも、悲しみもない。

ノヴァの心は凪いでいた。

あれほどあった憎しみは、怒りは、激情は、記憶と共に打ち消されてしまったらしい。

そしてそれらの感情は、いくら脳を刺激しても、取り戻すことは出来なかった。

いまの彼にあるのは、明確な、ただひとつの使命だけだった。


「どうした?頭でも打っちまったのか?」


ノヴァの異変に気付いたディンゴは、カイに詰め寄り、彼の身になにが起こったのかを問いただした。

カイは白状した。

ノヴァとマヨルカの記憶を消したことを。

ディンゴは激昂した。


「ふざけんな――――憎まれるのが嫌だから、全部、なかったことにしたってか?……ふざけるなよ。何様だよ。てめえに、なんの権利があって、そんなことができんだよ」

「憎しみだって、こいつの、一部だった!」

「オレの知っている、ノヴァを、マヨルカを……てめえへの、復讐のために生きてた二人を、否定すんじゃねえよ!」

「なかったことに、すんじゃねえよ!」


ディンゴの怒りは本物だった。

彼がこの戦いに参加した目的はレオンだった。たった一人の同族であり、一族の仇でもある男との邂逅だけが、ディンゴの望みだった。

ディンゴはこのときまで、カイに憎しみなど抱いていなかった。

それが一片、彼はカイへの怒りのために、全身の血を煮えたぎらせていた。

鋭利で獰猛な、純然な殺意をカイに向けていた。

それはノヴァとマヨルカを失った悲しみから生まれた憎悪だった。

(いけない)

凪いでいたノヴァの心が、揺らぐ。

(彼を、止めなければ)

自らに課した使命を果たすためだけではない。

自分のために、彼の手を汚させてはならない。

しかしノヴァがその思いを口にするよりも早く、ディンゴは言った。


「安心しろ。――――お前らが忘れても、おれは覚えてる」


ノヴァは反射的にカイに飛びかかった。

動かすどころか、感覚さえ不確かだった身体に、一瞬で力を漲らせ、閃光のように走らせた。


「お前らの復讐は、おれが果たしてやるからな」


ディンゴは瀑袋をカイに投げつける。

それよりもはやく、ノヴァはカイの前に躍り出た。

同時に、同じく瀕死だったはずのマヨルカも、カイの前に盾となって塞がる。

爆袋は、マヨルカの肩にあたって爆発した。

マヨルカとノヴァは、半身を火に覆われた。


「ノヴァ!!」


カイは悲鳴をあげ、ノヴァの身体を抱き返す。

その身を押し付けることで、ノヴァの身体の火を消そうとする。

(やめろ!)

ノヴァは灼熱と激痛で朦朧としながら、心中でカイを怒鳴りつけた。

(その身体に傷をつけるな!)

やがて火は消し止められた。

ノヴァの上半身のほとんどと、顔のすべてを焼かれてしまった。

鮮やかな朱色に変色した顔に、もとの精悍な面影はない。

おぞましいほど醜く、痛々しく変わり果てたノヴァを見て、カイは子どものように泣きじゃくった。

それ以上開くことも、ぴたりと閉じ合わせることもできなくなった細い目で、ノヴァはカイを見つめた。

カイの服は焼け焦げ、露出した胸元は赤く腫れていた。

「……ラ、ウラ」

ノヴァは声を絞り出して詫びる。

「すまない……」

君の身体を傷つけてしまった、と、最期まで言葉にすることはできなかった。

喉からはひゅうひゅうと苦し気な息が洩れるだけだ。

「ちがう!」

そんなノヴァに縋りついて、カイは泣き叫ぶ。


「ちがう、ちがうんだ!おれは、ラウラじゃ――――」


(そんなことは、わかっている)

ノヴァはカイを哀れに思った。

誤解を正してやりたいと思った。

けれどノヴァにはもはや、それを伝える手段はない。

一呼吸ごとに、唇に、喉に、引き裂かれるような痛みが走る。

声を出すことは、もうかなわない。


「なんでこんなことに――――」


(そうだな)

ノヴァはカイの嘆きに同意する。

(どうして、こうなってしまったんだろうな)

過去を観ながら、ノヴァはずっと考えていた。

何が間違ったのか。

どうすればよかったのか。

仮定はいくらでもできた。けれどついに答えを導き出すことは出来なかった。

答えを出すことができたとしても、証明することは、やり直すことは出来ない。

結果は変わらないのだ。

変えられるのは、未来だけなのだ。

(僕がこれからしようとしていることは、どうだろうか)

ノヴァは自問する。

(正しいだろうか、誤りだろうか)

(……)

(考えるまでもない)

(わかってる)

(こんなことをしても、なんにもならない)

(でも)

(それでも僕は――――)

谷間に、銀色の光が弾けた。

視力をほとんど失ったノヴァでもわかるほど、それは強烈な光だった。


「行くぞ」


傍にいたはずのカイは、いつの間にかいなくなっていた。

代わりに、光りを背負ったディンゴが、ノヴァの前に立っていた。

(ディンゴ……)

ディンゴは、ノヴァに手を伸ばした。

ノヴァはなけなしの力を振り絞って、それを振り払った。

(僕は、行けない)

ノヴァの意志を察したディンゴは、深く傷ついた表情で、ノヴァを罵った。

ノヴァもまた、そんなディンゴの顔を見て、胸が張り裂けそうになる。

火傷忘れるほどの痛みだ。息ができないほどの苦しみだ。

それでもノヴァはディンゴの手を取ることは出来なかった。

ディンゴとマヨルカ、二人と共に逃げ出すことはできなかった。


「――――まあ、そりゃいまのお前からすりゃ、おれは敵だからな」


(違う)

ノヴァは視線でディンゴに訴えた。

(ディンゴ、僕は知っている)

(君のことを、忘れてなんか、いない)

(君は、敵じゃない)

(君は――――)

ぼやけた視界では、すぐ目の前にあるはずのディンゴの顔さえ判然としない。

けれどその瞳の輝きは、曇天を写し取ったような銀色の輝きは、しっかりと捉えている。

(僕は行けない)

ノヴァは目で語りかける。

(君は、行くんだ。マヨルカと)

ノヴァは影に手を伸ばし、指先で触れる。

銀色の輝きの縁をなぞり、頬を撫で、首筋をつかむ。

そしてディンゴの首から冠を取り外す。

荊を編んだような見た目に反して、冠は柔らかく、ただ手に持っただけでは皮膚を破るようなことはない。

けれど数年身につけ続けていたディンゴの首筋には、荊に穿たれた痕がくっきりと残っていた。

冠はそのままディンゴの足元に落ちる。


(君は、自由だ)


「……は?」


(僕も一緒に行けたらよかった)


「ノヴァ、お前……」


(でも、僕はこういうふうにしか生きられないんだ)


「……そうかよ」


(そうなんだ)


「……それでいいのかよ、本当に」


(いいんだ、これで)


「……それがお前の生き方か」


(すまない、ありがとう)


「……ならよお、ちゃんと全部焼き尽くせよ」


(ああ、きっと)


「……空で」


(ああ、また)


ディンゴはノヴァを残し、マヨルカと共に飛び去っていった。




ノヴァは悟っていた。

自分がほどなく死ぬということを。

それでも諦めていなかった。

奇跡を願い続けていた。


(エレヴァンある全ての霊よ)

(もし僕のこれまでのラサとしての働きを、少しでも評価されているのなら)

(どうかほんの少しだけ、力を貸してください)

(これまで僕はあなた方のために、あなた方の子々孫々ための、尽くしてきました)

(それに、どうか、報いてください)

(あとほんの少しだけ、僕を生かしてください)

(どうか――――)


ノヴァの願い聞き入れられたのかはわからない。

しかし運命はノヴァに味方した。


カイは仲間を救うために、光雨を降らせた。

それにより、ノヴァの傷は癒やされた。

風前の灯火であった命が、今再び燃え上がる。


「――――ノヴァ」


ノヴァは胸に温かさを感じ、手を重ねた。

ノヴァの胸に置かれたのは、カイの、小さな手だった。

義指である左の小指と薬指だけは冷たく石のようだが、それ以外の部分は、まるでそれ自体がひとつの生き物であるかのように息づいている。

野花を撫でるように、蝶を包むように、ノヴァはカイの手を握りしめる。


(カイ――――)


ノヴァは霊操する。


(――――返してもらうぞ)


全身の表装に、霊力を巡らせる。

誰にも気づかれないように、そっと、身体に編まれた霊術を発動させる。

カイはもちろん、この場にいる誰か一人にでも勘づかれれば、彼の目論見は失敗する。

誰にも気づかれないうち、ノヴァは全てを終わらせなければならならなかった。

カイの手を握ったまま、動かず、移行を待つ。

それは無謀な行為だった。

成功の見込みはなかった。

シェルティたち三人がすぐそばにいるこの状況で、霊術を発動させることは、鷹が目を光らせている前で兎が跳ねるようなものだった。

もし霊術が失敗し、思惑が露見すれば、シェルティたちはノヴァを二度とカイに近づけないだろう。

それでもノヴァは賭けに出た。

ノヴァはもうこれ以上、待つことはできなかった。耐えることはできなかった。

今日で終わらせる以外の選択肢はなかった。

そんなノヴァに、運命はまたしても味方した。

カイを含め、その場にいる全員の意識が、ブリアードに集中したのだ。


「彼らが本当に憎むべきは、きっと私でした。――――私は彼らを、助けてあげたかったんです」


ブリアードの語る今際の懺悔に気を取られ、その場に釘付けにされていた。

誰もノヴァに注意を払わなかった。


(……カイ)


ノヴァは身体の感覚を失っていく。


(カイ)


カイと繋いだ手の感覚だけが、いつまでも鮮明に残る。


(カイ!)


ノヴァはカイの名を呼ぶ。

届かないとわかっていながら、何度も、何度も、何度も、呼び続ける。

まるで気付けと言わんばかりに。


「ノヴァ様は、いくら憎かろうとも、復讐はひとりでするべきでした」


ブリアードの悔恨は、一向に終わりを見せない。

やがて繋いだ手の感覚も曖昧になり、ノヴァにはもはや、カイと自分の境さえわからなくなる。

それはカイも同然のはずだった。

しかしカイは一向に気づかない。


「どうか彼らを、許してやってください」


カイはブリアード・ダルマチアの悔恨を、一心に受け止め続けていた。

誰も救うことができなかったと、状況を悪くしただけだったと、悪いのはノヴァでも彼らでもなく自分なのだと、あまりにも痛々しいその自責に、カイはついに堪えきれなくなり、声をあげた。


「違う!――――貴方は――――っ!」


続く言葉はなかった。

カイはそこで、ようやく気がついた。

身体の感覚が、失われつつあるということに。

手を握るノヴァが、自分を一心に見つめているということに。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ