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ノヴァとディンゴ

○○○




二年が過ぎ、三年が過ぎた。

エレヴァンの復興は順調に進められていた。

食糧は配給制をとっていたが、災嵐が明けてからは豊作が続いていたため、充分な量を確保することができていた。

牧草の発育も良く、災嵐後を生き残った家畜は、すでにその数を倍に増やしていた。

豊作は、ただ天候に恵まれただけではなく、農民たちのたゆまぬ努力によるものだった。

農業を生業としていた者は、生存者の中の一割にも満たなかった。

人数が少なかったからこそ、彼らは固く結託した。

ろくな道具も、牛馬もない中で、懸命に畑を耕した。

砂利拾いと除草を丹念に行い、肥料づくりにも、種まきにも、なにひとつ妥協しなかった。

特に災嵐直後は、食糧の確保が最重要課題とされていたこともあり、農民たちは重宝されていた。

自分たちの働きに、エレヴァンの未来がかかっている。

そんな決意を胸に、農民たちは奮起した。

ノヴァをはじめ、自分たちより社会的地位の高かった官吏や技師たちに頼りにされたことで、彼らはますます奮い立った。

家族を失った悲しみを、これまで必死に作り上げてきた農地を失ったやるせなさを、彼らは新たな目標を与えられたことで、乗りこえた。

農民としての誇りが、彼らを生かした。

農民だけではなく、官吏たちもまた、行政を機能させるため奔走した。

各地を行き来し、問題があればすぐに対処した。

格差が生まれないように、治安が悪化しないように、議論を重ね、新たな法整備を行った。

生き残った官吏は若手ばかりで、皆経験が浅く、失敗や衝突も多かった。

しかしその度にノヴァが仲裁に入り、事なきを得た。

彼らはノヴァに対する深い尊敬があった。この若き皇帝と共に、新しい社会を作るのだという気概に満ちていた。

技師や、商人、職人をはじめとしたその他の民衆も、同じだった。

誰もがノヴァを支持していた。

ノヴァの下へ、エレヴァンを再興するのだと、自分たちの手でエレヴァンを蘇らせるのだと、情熱を抱いていた。

ノヴァはそんな彼らの期待を裏切らないために、希望だけを口にするようになった。

前向きな言葉ばかりを、労いと、励ましと、感謝ばかりを、人びとに向けた。

自分の感情を表にだすことはなかった。

公明正大な皇帝として、人びとの前に立ち続けた。


「心にもないことばっか言ってんなよ」


そんな、人びとから尊敬の一心を集めるノヴァを、唯一、ディンゴ・ウルフだけは蔑んでいた。


「それとも、心が無いから言えるのか?――――きっとそうだろうな。アンタ、意志なんかなさそうだもんな」


ディンゴ・ウルフはエレヴァンの復興に最も大きく貢献した人物だった。

彼と協力関係を結んだことで、復興は大きく進んだのだ。

瓦礫の撤去、物資の運搬等、ディンゴの操るケタリングが無ければ、数十倍の時間と労力が必要だった。

彼がいなければ首都は三年たった今でも瓦礫に埋もれたままだっただろう。

新たな朝廷の建設など到底成し得なかっただろう。


その日も、人びとの寝静まった夜半に、ディンゴはノヴァの要請を受けて働いていた。

ケタリングを使って、首都で回収された遺骨を埋葬するための墓穴を掘っていた。

ケタリングはディンゴの支持を受け、前足で器用に地面を掻いていく。様子を見に来たノヴァは、感心し、称賛した。

素晴らしい働きだ、と。

君がいなければ今日の復興はなかった、と。

ディンゴに頭を下げて礼を尽くした。

そんなノヴァの慇懃な態度に、ディンゴは不快感を露わにした。

「アンタそれ本気で言ってんのか?」

「当然だ」

「おれにへつらってもいいことなんかねえぞ」

「そんなつもりは――――」

「心にもないことばっか言ってんなよ」

ディンゴは民衆に敬われるノヴァ・ラサを、否定した。

非の打ちどころがない、謹厚な人格者と慕われる彼を、ただ意志がないだけだと罵った。

「アンタみたいな人間にいくら感謝されたって、嬉しくもなんともねえ。むしろ不愉快だ」

ディンゴは掘ったばかりの墓穴に唾を吐く。

「オレがこうやって手を貸すのは、寝床と飯のためだ。アンタらみたいにエレヴァンの再興だとか次世代のためにとか、そんなもんはどうでもいい。言われたから穴を掘っちゃいるけどよ、弔ってる気なんて少しもねえしな。瓦礫をどかしてんのと変わんねえよ。なんなら、どうせ全部骨になっちまってるんだし、瓦礫と一緒に捨てちまえばよかったのにとさえ思ってるぜ。わざわざ墓を掘る意味がわからねえ。無駄だろ。どうせ災嵐で死んだやつは、二度とエレヴァンには戻ってこれねえのに」

「意味はある」

ノヴァはディンゴの吐いた唾の上に、そっと土をかぶせた。

「生きている者たちへの慰めになる。――――君だって、人の骨を踏みつけて歩きたくはないだろう」

「慣れれば石ころも同然だ」

「肉親のものかもしれない骨を踏み砕くのだぞ。慣れるはずがない」

「慣れるさ」

ディンゴは哄笑する。

「過保護過ぎるぜ、アンタ、人間を舐めてるよ。アンタが思ってるより人間ってのはずっと図太い生き物だよ。そうする他になけりゃ、死体なんていくらでも蹴りつける。血の混じった水を飲むし、骨灰を肥料にすることもできる。どいつもこいつも、アンタが説く黴の生えた倫理に縋ってるが、そんなもんさっさと捨てちまったほうが、よっぽど早く復興は進むぜ。朝廷なんて作り直すべきじゃなったんだ。アンタがいなきゃ、今頃もっといい社会ができてたよ。原始的でわかりやすい、新しい社会が」

振動に、二人の足元が揺れる。

ケタリングが新しい穴を掘削しはじめたのだ。固い大地に爪を突き立てる鈍い音が、大地に轟く。

水面を叩く瀑布のようなその音が落ち着くのを待ってから、ノヴァは口を開いた。

「ウルフの時代に戻したいのか?」

「放っておけば勝手に戻った。アンタが舵を切らなきゃ、自然にそうなったって話だよ」

「君の願望だ。人は一度培った道徳を、そう簡単に手放せるものではない」

「手放したじゃねえか。だから人を食うことができたんだろ?」

「……彼らはそれを後悔している」

「アンタがいなきゃ、後悔することなんてなかったはずだ。世界がめちゃくちゃになってるのに、アンタが正義を語っちまった。弱り切った連中に鞭打って、川を遡上させたんだ。流れに任せときゃあ、なにを苦しむこともなかったのに。――――連中は放っておけば後悔なんてしなかった。連中の抱く罪悪感は、アンタが押し付けたもんだ」

ディンゴは身構えた。

これだけ挑発されれば、さしものノヴァも、自分に対して怒りを露わにするだろう、と思ったのだ。

ディンゴはノヴァを中身のない人間だと罵ったが、本心ではなかった。

意志のない人間などいない。面の皮が厚いだけで、必ず打ちに秘めたる思いがあるはずだと、ディンゴは思っていた。

ディンゴは暴こうとしていた。

ノヴァの内に秘められた醜悪な欲望を。通念に反する利己を。

しかしディンゴの思惑に反して、ノヴァは拳を振るうどころか、握ることさえしなかった。

ただ憂いを帯びた表情を浮かべるだけだった。

「……つまんねえやつだな」

拍子抜けしたディンゴは、ケタリングに合図を送った。

数百メートル離れた場所で穴を掘っていたケタリングは、地面を蹴り、跳んだ。

低空飛行で、二人の頭上をかすめるようにして、後方へ飛び去って行った。

ケタリングが飛び去ると、あたりはしんと静まり帰った。

ノヴァは、ケタリングの突然の飛翔に、反応を示さなかった。

砂埃を防ぐため、僅かに目を細めただけだった。

「少しはビビれよ。本当に、心がねえのか?」

「……そんなことはない」

ノヴァは、おもむろに、墓穴の中に降りた。

深さ三メートルの穴は、人が二十人ほど横たわれる広さがあった。

ノヴァは穴の底を撫でた。湿った土の感触は、ノヴァに死んだカイの皮膚を想起させた。

「なにやってんだ?」

ディンゴは驚いて、穴の中を覗き込んだ。

ノヴァは底に手をついたまま、まるで傅いているかのような姿勢のまま、言った。

「遡上か」

「あ?」

「いい例えだ」

ノヴァはディンゴを見上げた。

仮面をつけるディンゴがどんな表情で自分を眺めているのか、ノヴァにはわからなかった。

月明りに照らされた、獅子を模した面は、身につけるディンゴの驚きをよそに、ただノヴァを睥睨していた。

「かつて人びとはそこで幸せに暮らしていた。だから、一度は押し流されても、またそこに還れば、同じような幸せを手にすることができるのではないかと思ったんだ。――――君の言うように、流れに身を任せることも、ひとつの手だったと思う。だがもし流れ落ちた先が瀑布だったらどうする?」

ノヴァが自分の例え話に乗ったのだと気づいたディンゴは、呆れて答えた。

「簡単だ。死ぬやつは死ぬ。生き残る奴は生き残る」

「……生き残った者たちは、その後どこへ辿り居つくだろうか」

「知るかよ。黄金の大地かもしれねえし、灰色の荒野かもしれねえ。滝が階段みてえになって、いつまでも途切れることがない可能性だってある。そうなりゃひたすら落ちて、もまれる続けるしかねえよ」

「ならば僕は、やはり遡上する」

ノヴァはゆっくりと立ち上がり、手についた泥をはらった。

「保証もないのに、流れに身を任せることは出来ない。どれだけの苦労が伴おうとも、落伍者が出ようとも、僕はもといた川辺を目指す」

「理解できねえ」

「それは君が強いからだ。一人で生きる力を持っているからだ」

「……まあな」

ディンゴはふいに仮面を外し、素面を露わにした。

象牙色の髪に、褐色の肌。

ノヴァが彼の素面を見るのは、このときが初めてだった。

しかし驚きに表情を変えることはなく、自分を見下すディンゴを、ただまっすぐ見つめていた。

「ビビれって」

ディンゴはつまらなそうに言うと、ノヴァに仮面を投げつけた。

ノヴァはそれを受け止め、検分した。

仮面は木を彫ってつくられたものだった。頭を覆うための頭巾も含めて、手触りが良く、頑丈で、軽かった。

「いい品だ」

「そうだろ。最もアンタのに比べりゃあ、大したもんじゃないがな」

「私の?」

ディンゴはまた哄笑し、空を見上げた。

「自由になりたいとか、思ったことねえだろ?――――アンタが見てる空は、狭そうだ」

ノヴァは墓穴の底から、空を見上げた。

(狭くはない)

(むしろ、広すぎるくらいだ)

ノヴァは獅子の面を顔に当てた。

狭まった視野に、ノヴァは安堵さえ覚えた。

「自由であることが幸福とは限らないだろう」

「……幸福ねえ?」

ディンゴは空からノヴァに視線を移す。

中性的な童顔に似つかわしくない、ひどく冷たい笑みを浮かべながら。

「アンタ、わかってなさそうだけどな。幸せとかそういうのがどういうもんか」

「君はわかるのか」

「言ったろ。オレの幸せは自由であることだ。なんにも縛られず、自由に空を飛べさえすれば、オレは満たされる。――――アンタはどうだ?自分の幸せがわかるか?」

「決まっている。民が幸福であることだ」

「アンタ自身のことを、オレは聞いてんだ」

「誰かの幸せが私の幸せだ」

「空虚なやつ」

ノヴァは仮面を外し、ディンゴに投げ返した。

「賢帝として死後もその名を語り継がれること――――とでもいえば満足か?」

「はは、そうそう、そういうやつだよ」

「――――くだらない」

二人の問答は、そこで打ち切られた。


相容れることはなかった。理解には至らなかった。

それでも互いの琴線に触れた二人は、歩み寄りをはじめた。

ディンゴは変わらずノヴァに苛立ちを見せることはあったが、嫌悪まで至ることはなくなった。

会えば自分から声をかけ、軽口をたたくようになった。

ケタリングに乗ることさえ、許すようになった。

ノヴァもまたディンゴに刺激され、変化していった。

ディンゴは発言こそ利己的だったが、協調性がないわけではなかった。

むしろ社会に対して従順でさえあった。ディンゴは制約の中での自由を謳歌していた。

大きくはみ出すことはせず、かといって縛られることもなく、気楽に、のびのびと暮らしていた。

ノヴァはいつしか、ディンゴを羨むようになっていった。

そしてケタリングで雲の上を飛んだ時、ようやく少しだけ、理解することができた。

彼がいうところの、自由と幸福を。

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