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谷底の戦い(一)

そのケタリングは、レオンの従えるものよりも獣じみていた。

眼光は鋭く、全身を覆うトゲもより鋭利で細やかだ。

しかしところどころそのトゲははがれてしまっている。

それは古傷だった。

ケタリングは全身に、塞がってはいるが治ってはいない傷を抱えていた。

レオンが現在従えている、無傷で若々しい個体と比べると、歴戦の猛者、といった風体のケタリングだった。

「こいつは……?」

唖然とするカイをよそに、三人はすぐに行動を起こした。

シェルティはカイをその背に庇い、アフィーとレオンは前に出て、それぞれの得物をケタリングに向けて放った。

ケタリングはすかさず反応し、瓦礫の山にめがけて尾を振り上げる。

ガシャンッ!

レオンの投擲した黒曜石が弾け、鈍い光を放ったが、それはケタリングの尾に弾き返されてしまう。

「っ!」

アフィーは咄嗟にオーガンジーを広げ、黒曜石の破片から三人の身を守る。

代わりにアフィー自身は破片を浴びてしまい、額や腿に切り傷を負う。

「アフィー!」

「……平気」

アフィーは額から目に流れ込む血を拭う。

ケタリングに向けて放った二枚のオーガンジーでその眼球を覆い、視界を奪おうとする。

しかしケタリングの目に張り付いた途端、オーガンジーは勢いよく燃え上がった。

「っ!?」

アフィーが気をとられたその一瞬の隙をついて、ケタリングは再び尾を振り上げる。

尾は瓦礫に命中し、四人の足場が崩れる。

体勢を崩しながらも、シェルティはカイを抱きかかえる。

レオンはまた黒曜石を投擲する。今度はケタリングではなく、自身の頭上に向けて。

アフィーは残る三枚のオーガンジーで、自分たちを包む。

それと同時に、瓦礫の山は崩れ、四人は川へと転がり落ちていく。

「ぐっ……!」

四人が水に沈むと、その上から瓦礫が降り注いできた。

水の中とはいえ、到底避けることのできない速度だ。

アフィーのオーガンジーに守られているため、致命傷を負うことはなかったが、四人はなかなか浮上することができず、カイに至っては水を飲み、呼吸困難に陥っていた。

レオンは再び黒曜石を放り、水中で発光させる。

ガァアアアア!!

すると次の瞬間、瓦礫よりももっと巨大なものが、四人の上に覆いかぶさった。

それはレオンのケタリングだった。

四人の身体は着水したケタリングの足で、川底に押し付けられる。

しかし潰されるほどではない。

水流に飲まれ、流れされて行かない程度に、ケタリングは四人を捕えていた。

アフィーはすぐさまオーガンジーをケタリングの足に絡ませる。

レオンは発光する黒曜石を操り、ケタリングを浮上させる。

ケタリングは四人がつかむ足は動かすことなく、翼だけをはためかせて浮き上がる。

ガァアアア!!

ケタリングはそのまま渓谷を抜けようとしたが、もう一体のケタリング、キズモノによって阻まれてしまう。

キズモノは長い尾を振り下ろし、レオンのケタリング、ワカモノの右翼を打った。

ワカモノはバランスを崩し、落下する。

「飛べ!」

レオンが叫び、川岸へ飛び降りる。

アフィーとカイを抱えたシェルティはそれに続き、四人は川岸へ身を投げる。

「くっ――――!」

またオーガンジーがクッションとなり、四人は衝撃を緩和させることができたが、それでもすぐに立ち上がることはできなかった。

ワカモノもまた落水したが、キズモノによって上からその身を抑えつけられてしまい、身動きが取れなくなる。


「起きろ」


冷たい声が、渓谷に響く。


「まだ死んでいないだろう。――――この程度では死ぬなど、許さないぞ」

カイはせ咳きこみながら、顔をあげる。

「――――ノヴァ」

「やめろ。お前に名を呼ばれると、今すぐ殺してしまいたくなる」

ノヴァはキズモノの背から飛び降り、カイの前に立った。

「……髪を切ったのか」

「え?」

「なぜだ?」 

「なぜって……」

「とっくに命を絶っているものかと思っていたよ」

ノヴァはカイの後方に伏す三人を睨みつける。

三人は殺気立っていたが、カイとノヴァの距離が近く、すぐに反撃に移ることはできなかった。

「思い出してなお、なぜ生きている?なぜ生きていられるんだ?」

カイは歯を食いしばり、ノヴァを睨み返す。

力強く輝く紫色の瞳に、ノヴァは表情を歪ませる。

「……髪まで切って、すっかり自分の身体のつもりか」

「ああ、そうだよ」

カイは濡れそぼった身体で起き上がり、顔を伝う水を乱暴に拭った。

「おれは生きるよ。この身体で」

「許されるわけがないだろう」

ノヴァの声は低く、凍り付いていた。

その瞳は、カイとは対照的に、一切の光を映していない。

「でも償いなんてできないだろ」

カイはノヴァをまっすぐ見つめて言った。

「どうやってもラウラは戻ってこない。――――時間は戻らない。災嵐で死んだ人たちも、壊れたものも、もとに戻すことは出来ない。それにおれは――――あのときのことを、もう後悔してないんだ」

ノヴァは瞠目する。

驚愕と憎悪に揺れる瞳から、しかしカイは決して、目を背けなかった。

「おれはこいつらを助けられて、よかったと思ってる。大切な人たちを守れたことを――――」

「黙れ!!」

ノヴァはカイの胸倉をつかみあげる。

「大切な人を守った?じゃあなぜお前はいまラウラの身体にいる?彼女はどこにいるんだ?彼女はお前にとって大切ではなかったのか?!」

「大切に決まってるだろ!」

「ではなぜその身体を自分のものだなんて言えるんだ!」

ノヴァは拳を振り上げる。

カイはぐっと歯を食いしばる。しかしノヴァは、カイを殴ることはせず、自身の腿を強く叩いた。

「――――そいつらがいるからか」

ノヴァはカイの後方で身構える三人に視線を送る。

「そいつらを生かすことがでたから、ラウラのことは帳消しか」

「違う」

カイは胸ぐらをつかむノヴァの手首を、握りしめる。

「消せるわけない。ラウラはおれの代わりに死んだ。それは変えようのない事実だ。いまさらおれがなにをしても、取り返しのつかない事実だ」

「それがわかっているなら……!」

「ノヴァ、お前はおれに、死んでほしいのか?」

「……!」

カイは握った手首から、ノヴァに霊力を送り込む。

突然膨大な霊力を注がれたノヴァは、全身を激しく痙攣させる。

手首はまるでカイの手が焼きごてであるかのように、赤く爛れていく。

それでもノヴァはカイから手を離さず、怒りを吐き出す。

「その身体は、ラウラの、ものだ……!」

「いいや。もうおれのものだ」

カイはノヴァの足を踏みつけ、足からも、霊力を注ぎこんだ。

ノヴァはたまらず膝を折る。

カイはその機を逃さず、ノヴァを突き飛ばす。

「カイ!」

すかさず三人はカイに駆け寄る。

カイを取り囲むと同時に、アフィーはオーガンジーを、レオンは黒曜石を、それぞれノヴァに向けて放つ。


「――――お前に死んでほしいのはこの人だけじゃない」


しかし、二人の得物はノヴァに届かない。


「災嵐に遭った誰もが、いま生きているすべての人間が、お前の死を願っている」


黒曜石は飛んできた硝子玉に当たって砕け散り、オーガンジーは振り下ろされた霊杖によって地面に縫い留められてしまう。


「死んだ者たちも、お前が生きている限り、永遠に安らぐことは出来ない」


二人の男が、四人とノヴァの間に割って入る。

「だ、誰……?」

見覚えはないが、敵意をむき出しにしている二人に、カイは困惑する。

一人は小柄な、まだ十代中ごろと思しき少年だった。

黒一色に染め抜かれた、飾りのない衣裳をまとい、身の丈よりも大きな長杖を手にしている。

長杖は地面に突き刺さり、オーガンジーの動きを封じている。

アフィーはオーガンジーを杖から逃そうと霊操するが、黒衣の男もまた、オーガンジーを逃すまいと長杖に霊力をこめ続けている。

両者の力は拮抗し、膠着状態に陥っている。

黒衣の男は霊操に集中しながらも、視線はまっすぐカイを捉えていた。

衣裳と同じ、黒色の瞳だった。

ノヴァと同じ、なんの光も映さない瞳だった。

一方、もう一人の男は面で顔を隠していた。

獅子を模した、笑っているようにも、獰猛に牙を剥いているようにも見える面だ。

表情は隠されているが、小さな硝子玉を手遊びし、落ち着かない様子で身体を揺する様子は、どこか状況を楽しんでいるようにも見える。

身にまとう衣裳も、小柄な青年とは異なり鮮やかで飾りも多かった。

さまざまな動物の皮や骨で作られたそれは、初夏にまとうには少し厚手だったが、頭から足まで、男の全身をあますことなく覆っていた。

両の手さえも、長い袖のもとに隠されている。

袖の上から硝子玉を手玉にとる男は、興奮を押し殺した声で言った。

「いやいや、ここにいるだろ。こいつに死んでほしくないやつ」

レオンはその声を聞いて目を見開く。

ケタリングと硝子玉。この二つを目にしたレオンは、すでに男の正体に勘づいていたが、声を聞いてそれは確信に変わる。

「ディンゴ……!」

名を呼ばれた男は、かぶっていた面を剥ぎ、レオンに向けて投げつけた。

そして続けざまに、手玉にしていた硝子玉を弾いた。

レオンは面を叩き落したが、一瞬視界を失ったため、後に続く硝子玉への対応が遅れた。

レオンが気づいた時には、硝子玉はカイの目の前まで迫っていた。

アフィーとシェルティがカイの前に身を乗り出す。

レオンは反射的に腕をのばし、硝子玉を受け止め、強く握りしめた。

ガチャンッ!

硝子玉はレオンの手の中で砕け散った。

それが男の霊操であることを知っているレオンは、血まみれの手で砕けた硝子片を投げ返した。

「ディンゴ!どういうつもりだ、テメェ!」

獅子面の男、ディンゴ・ウルフは、投げ返された硝子片をひらりとよけ、笑った。

「怒るなよ、レオン」

体格に見合わない幼い顔立ちの男だった。

愛嬌のある笑顔は、レオンと似ても似つかない。

しかしディンゴも褐色の肌と象牙色の髪を持っていた。

ある血統のものだけが持つ特別な容姿。

彼がウルフ族であることは一目瞭然だった。

「生きてたのか」

レオンは掌に食い込む硝子片も、流れ落ちる血もそのままに、ディンゴを睨みつける。

「生きてたよ。オレだけ。他の奴らはみんな死んだけどな」

ディンゴが言う他のやつらとは、ウルフ族の生き残りのことだった。

レオンがその手にかけず、市井に逃がしたウルフ族の子どもたち。

ディンゴは中でもウルフ族としての特色が濃く現れた、レオンが特別目にかけていた少年だった。

二人が再会するのは、八年前に袂を分かって以来だった。

ディンゴは別人のように成長していた。

以前は細身で、どちらかといえば口数の少ない少年だった。それが二十歳になった今では、レオンとそう変わらない背丈の、振る舞いの軽薄な青年へと姿を変えていた。

レオンは外見よりも内面の変化に驚き、思わず疑ってしまう。

目の前にいるのは本当にディンゴなのか、と。

「怖い顔すんなよ。別にアンタを責めちゃいないだろ」

ディンゴはけらけらと、やはり八年前からは考えられない軽薄な笑いをたてる。

「それにオレは、あんたと一緒で、その異界人に死んでほしいなんて思っちゃいないんだ」

ディンゴの発言に、黒衣の男が憤る。

「お前は……!」

「うるせえなあ。いつも言ってることじゃねえか」

ディンゴは懐から新たな硝子玉を取り出し、手遊びを再開する。

「本当に憎いなら、殺すべきじゃないんだ」

それを聞いたレオンは、無事だった右手で黒曜石を弾く。

ディンゴは前に出る。長い袖から手を出し、レオンの弾いた黒曜石が飛散する前に受け止める。

ガシャンッ!

黒曜石はディンゴの手の中で砕け散る。

「いてえなあ」

ディンゴは砕けた黒曜石を投げ捨て、手から滴る血をなめとった。

「いてえけど、こんなんはすぐ治っちまうんだよ。痛みもすぐ忘れちまう。死んだらなおのことだ。もう苦しめなくなる。それじゃあなんの復讐にもならねえよ」

苦々しい表情を浮かべるレオンに、ディンゴは笑顔を返す。

「オレは身を持って知ってるからな。そいつを本当に苦しめたいなら、本人じゃない、まわりの人間から殺すべきだ。こいつのせいでみんな死んだんだから、こいつにも、同じ目に合わせてやるのがいい」

「ディンゴ!」

レオンは怒鳴る。

「お前が憎んでいるのはおれだろうが!」

「昔はな。いまはちがう」

「お前の家族を殺したのはおれだ」

「うん、だからさ、それはもういいんだよ」

八年前、一族の壊滅を追いやったのがレオンだと知った時の彼は、怒りで気も触れんばかりの様相だった。

本気でレオンを殺そうと飛び掛かったが、まだ十二歳だった彼はレオンの足元にも及ばず、簡単に制圧されてしまった。

それでもディンゴは息巻いていた。

いつか必ず殺してやる、と。

一族の仇をとってやる、と。

「オレはもうあんたを恨んじゃいないんだ」

それがどうしたことか、ディンゴはあっけらかんと掌を返した。

心底どうでもいい、というように肩を竦めるディンゴに、レオンは眉をひそめる。

「なにがあった、お前」

「一言じゃいえねえな」

「説明しろ。なんでお前がここにいるんだ。しかもそいつらと一緒に。――――そのケタリングは、お前のか」

ディンゴは笑いをかみ殺しながら、誇らしげに胸をはった。

「きれいだろ?傷ついちゃいるが、その傷さえ美しいと、オレは思う」

ディンゴはうっとりとした視線を、キズモノに送る。

キズモノはその視線に応えるように、ワカモノを抑えつける力を強くする。

レオンの指示がないワカモノは、特に抵抗することもなく、大人しく組伏されている。

ディンゴが注意を逸らしたので、カイはレオンの腕をとった。

「レオン、手が……」

「かすり傷だ」

レオンはディンゴを睨み付けたまま、手に食いこんだ硝子片を抜き取る。

「なあ、あいつって、レオンが話してた、ウルフの……?」

「そうだ。おれが生かした、ウルフのガキの一人だ」

「じゃあ、あのケタリングも……」

「災嵐のどさくさで手に入れたんだろうな」

「……あいつも、おれを、狙っているのか?」

二人の会話に耳を立てていたディンゴは、レオンよりも先に答える。

「当り前のことを聞くなよ」

ディンゴは黒衣の男の肩に手を置く。

黒衣の男は不快そうに顔を歪めたが、長杖から手を離すことができず、それを払うことができない。

「コイツの言ったこと、半分はあってるぜ。アンタのお仲間を除いた、この世界の全員が、アンタを恨んでるよ。だって当然だろ?アンタ、世界をぶっ壊したんだぜ。しかも死んだと思ったら生きてたし、罪のねえ女の身体乗っ取ってるし。それで後悔はないとか、とんだ大悪党だな。物語の中でも見たことないぜ、アンタほどの悪党は」

ディンゴの挑発に、たまらずアフィーが噛みつく。

「カイは悪党じゃない。なにも知らないくせに、決めつけるな」

「そりゃアンタらからしてみればそうだろうよ。でも見殺しにされた側からしたら、そいつは悪以外の何ものでもねえよ」

「カイは、わたしたちを、助けてくれただけ」

「救われたアンタらは、そう言うよな」

ディンゴは嘲笑する。

「自分を妄信するとりまきだけを生かして、エレヴァンを乗っ取りでもするつもりだったのか?大層な野望だな」

「発想が貧しいな。それに幼い」

シェルティは嘲笑を返す。

「ぼくらとカイの関係はそんな安っぽいものではない」

「ははっ!ウルフだけじゃなく、ラサまで篭絡するとは、大したやつだな」

ディンゴは黒衣の男の肩を叩く。

「こりゃお前の姉ちゃんも取り込まれちまうわけだ。異界人にてめえの身を捧げるなんて正気を疑ったが、この調子ならあり得るな。相当心酔させられてたんだろうなあ」

「黙れ!」

カイとノヴァが、同時に叫ぶ。

「おお、怖っ」

ディンゴはにやけ面で両手をあげる。

黒衣の青年はディンゴを一瞥し、吐き捨てる。

「いい加減戯言をやめろ」

「なんだよ。お前のために言ってやったんだぜ」

「おれはこいつらを罵りにきたわけじゃない」

「――――そうだ。話すことなどなにもない」

ノヴァは青年が長杖で押さえつけるアフィーのオーガンジーを踏みつけた。

オーガンジーは発火し、瞬く間に灰となる。

たった一枚の薄手の平織布から出たとは思えないほどの濃煙が立ち上る。

煙に巻かれながら、ノヴァは言った。

「僕たちは終わらせにきたんだ」

そして空から、カイ達のもとへ、無数の矢が降り注いだ。

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