ケンカすんな!
〇
「あははははは!」
カイの絶叫を耳にし、レオンの小屋に駆け付けたシェルティとアフィーは、ことの次第を知ると、それぞれ対照的な反応を見せた。
アフィーはなぜカイがそのような考えに至ったのか全く理解できないようで、たた困惑していた。
一方シェルティは絶句したかと思いきや、腹を抱えて笑い出した。
「……笑うな」
「あははは、だって、きみ、この十日、女の子のつもりで過ごしてたんだろ?あはは、く、苦しい……!」
「だって……仕方ないだろ!」
「変だと思ったんだ、自分のことわたしとか言うし、身体と記憶が混濁してるのかと思ったけど、ただの、勘違い――――それにしたって突拍子もない――――あははは!きみって――――本当に最高」
「黙れ女狐。カイが傷つく」
しかしより深く突き刺さったのは、かばったはずのアフィーの言葉の方だった。
(労われるよりまだ笑われる方がマシだ……)
「だいじょうぶ、カイ。どんなカイでもわたしは受け入れるから」
「いや望んでやってたわけじゃないんだよ!!」
「あははは!でもそれにしたって、本気でやってたんだとしたら、下手すぎるよ!口調は完全に男だし、自分の呼び方だって、わたしとおれとでブレてたし」
「え、うそ、おれそんなかんじだった?」
「自覚なかったの?あははは!そんなんでこれからも女を突き通すつもりだったの?あはははは!」
シェルティは涙目になって、カイの肩に手を置いた。
「いつだかきみに言われた言葉をそのまま返そう。――――『やるなら最後までやり通してくれよ、寝所に入れてから男だってバラすなんて最悪だ。夢から覚ますにしたってタイミングがあるだろ!』」
「は!?おれそんなこと言ったの!?」
「まあそういいつつ君は、けっきょく女装したぼくを抱いたんだけどね」
「はあ!?おれが!?この身体で!?」
レオンが平手でシェルティの後頭部を殴る。頭蓋が割れたのではないというほど強烈な音がしたが、シェルティは何事もなかったかのように髪を整え、笑った。
「冗談だよ。途中からはね」
「いや途中って!?どっから!?どっかまでは本当だったってこと!?」
「カイ、女狐の相手はしなくていい」
アフィーはため息をつき、カイの頬を撫でた。
「わたしの前で、偽りや嘘は、必要ない。ありのままでいい」
「……あ、ありがとう」
カイは感謝したが、表情は苦虫を噛みしめたように歪んでいる。
(優しさがつらい……)
(とんでもない黒歴史をつくってしまった……この齢で……)
「身体が変わったんだ、なにか変わったっておかしかねえが、それにしたってわざわざ身体に合わせて女のフリする必要ねえだろ、どういう思考でそうなったんだよ」
レオンの疑問に、カイは歪んだ顔を赤くして口ごもる。
「それは……だって……」
「はっきり言えよ」
(三人がおれに親切にしてくれる理由は、おれが三人をたぶらかしていたから――――って勘違いしてたから)
(なんて言えるわけねえ!!)
「カイ、もしかしてきみ、本当に女の子になりたかったの?なんだ、そうと言ってくれれば……」
シエルはわざとらしくまなじりを下げる。
「いやだから、そういうわけじゃないって!」
「無理しないで。だいじょうぶ。ぼくは今まで通りお姫様扱いしてあげるから」
「すんな!!」
「――――それで、カイ」
アフィーが恐ろしく冷たい声で口を挟んだ。
「どうしてここに?」
「いやなんか、綿毛が――――えっと――――まあ、いろいろあって、レオンさんと話したり、飯食わしてもらったりしてたんだけど――――」
カイはそこまで言って、はっとする。
(まずい……!)
しかしカイが気づいたときには遅かった。
アフィーの表情は変わらないがその額には青筋が浮かんでいる。
シェルティは先ほどまでの笑顔を消し、貼り付けたような作り笑いに変わっている。
三人の間に流れる空気が、一瞬で、氷のように冷え切った。
「――――あ、みんな、もう寝る?お、おれ、眠くなってきたなあ」
シェルティは笑顔のまま頷く。
「そうだよね、眠いよね、夜中に無理やり起こされたら、誰だって眠い」
「ご、ごめん……」
「カイを責めてるんじゃない。きみを起こしたこの野蛮人を責めてるんだ」
「はあ?起こしてねえよ。こいつが起きて腹減らしてたから、飯食わしてやっただけだよ」
「カイの食事はぼくが必要量用意している」
「足りねえから起きてきたんだろ」
「彼の胃はまだ弱ってるんだ。足りないくらいがちょうどいい。――――で、カイになにを食わせたんだ?」
「馴鹿の干し肉」
「な……!肉なんて……!お前はなにも考えていないんだな。カイ、きみはきっとお腹を下してしまうだろうけど、自業自得だよ。それに懲りたらこれからはぼくの用意したもの以外食べてはいけないと肝に銘じることだ」
「てめえは考えすぎだろ。病人じゃねえんだ、好きなもん好きなだけ食わしてやったらいいだろうがよ」
「カイを早死にさせたいのか?」
「てめえこそこいつを生かす気ねえだろ。自分の食いもんもとってこれねえ腑抜けにしてえのか?」
カイはたまらず声を張った。
「悪かった!夜中に起きたのも飯食ったのも全部おれが悪かったから!ケンカすんなよ!」
しかしカイの決死の仲裁は、アフィーによって無下にされる。
「カイは悪くない」
「いや、おれが悪いんだよ……それで終わりにしようよ……」
「なにがあっても、絶対悪くない。……猿のケンカは、見てもおもしろくない。耳障りなだけだ。カイ、行こう。部屋まで送る。これから寝れないときは、わたしのところにきて。話し相手になる。食事も用意する」
アフィーはカイを抱き上げようとするが、シェルティによって阻まれる。
「話を聞いていなかったのかマセガキ。カイの食事を用意するのはぼくだ。それにお前の作る劇物をカイに食わせるなんて……正気の沙汰じゃない」
「味のしないものより、ずっといい」
「そうか、とっくに正気じゃなかったか。カイ、わかっただろう?この中で誰に一番常識があるか。夜中に目が覚めたならぼくを呼んでよ。いつでも駆けつける。食事も、話題も、こいつらよりずっと気のきいたものを用意できる」
「……くだらねえ」
レオンはアフィーとシェルティを押しのけ、カイを抱えてあげる。
「なにする!」
アフィーは声を荒げ、レオンの行く手を遮る。
シェルティもまたすぐそれに続く。
「どこに行くんだ」
「寝床に戻すんだよ。お前らは好きなだけやりあっとけ」
「わたしがやる。手を離せ。――――……?カイ、肩をどうしたの?」
アフィーに言われて、カイは自分の肩がレオンの血で汚れていることに初めて気づいた。
「あれ、なんだろ、これ?血!?」
「怪我を?」
「いや、痛くないから……」
「ああ、おれのだ」
カイはレオンの手についた、すでに乾いた血のあとを見て、驚く。
「どうしたんだそれ?!大丈夫?うわ、痛そう……。なんか手当てしなきゃ!ほら、おれは平気だから、降ろして!」
「こんくらい、舐めときゃ治る」
「だめだって」
「……カイを汚したな」
アフィーは周囲にオーガンジーを放つ。
「汚い手でカイに触るな。今すぐ離せ」
レオンは鼻で笑い、吐き捨てる。
「嫌だね」
カイは叫ぶ。
「だから!ケンカすんな!アフィーも、レオンさんは怪我してんだから、手荒なことすんなよ!」
「カイ、そいつの心配はいらない。そのていどなんともない。カイの気をひくための怪我だ」
「お前じゃねえんだから、そんなこすいことしねえよ」
「カイ、油断しないで。そいつはスキがあればカイを食おうと思ってる」
「食わねえよ。誰よりもそういう目でカイを見てるのはお前だろ」
「殺す」
「できねえことは口にするべきじゃねえな」
二人は全身に霊力をみなぎらせる。シェルティがそこに、油を注ぐ。
「二人とも殺し合うのは願ったりだけど、まず間からカイをどけてくれるかい?人間みたいな獣と獣みたいな人間に挟まれて、かわいそうだ」
カイはもうなにも言わず、目を閉じた。
(守るとか助けるとか、三人にはいっぱい言ってもらったけど、おれがこの世界で死ぬとしたら、死因は三人のケンカに巻き込まれたせいだと思う)
(愛され過ぎて困っちゃうな!)
(……)
(家に、もとの世界に、帰りてえ!!!)
三人が殴り合う後ろでは、空が白んでいる。カイはシェルティの言った通り、次第に痛みはじめた腹をさすった。
三人の間でもみくちゃにされながらも、しかし朝日を浴びるカイの気分は、なぜか晴れやかなものだった。