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「それがぼくらの、一番の望みだ」


カイはとんだ闖入者だった。

客席から舞台に飛び乗り、シェルティの腕をつかんで、無理やりスポットライトの下へ引き戻したのだ。

舞台はめちゃくちゃになった。

唖然とするシェルティの肩を抱き、カイは不敵に笑ってみせた。


「思い通りにさせてたまるか」





カイがエレヴァンにやってきて間もない頃、シェルティは中央都市の郊外にある春宿に入り浸っていた。

その頃、すでに彼の名声は地に落ち、一切の公務を手放していた。

春宿に居着いてはいたが、売春を行っていたわけではない。

彼がそこに居着いていたのは、ただ周囲に放蕩者と印象付けるためだけだった。

やがて暇を持て余した彼は、店の手伝いをするようになる。

花人たちの身支度から、掃除、洗濯、料理まで、シェルティはまるで小間使いのようによく働いた。

店の者たちは恐縮した。

皇太子であるシェルティが、客としているだけでも大事であるのに、さらには下働きまでするとは。

老舗だが決して最高級とは言い難いこの店に、いったいどうしてそこまでの価値があろう、と。

しかしシェルティからしてみれば、そこがどこであろうとも関係はなかった。

行きついた先が、たまたま春宿であったというだけだ。

もし彼が炭鉱や火葬場にいたとしても、同じように働いただろう。

民衆に尽くすことを至上の命題として生きてきたシェルティにとって、人助けは息をするように当然のことだったからだ。

それにシェルティにはほかにやるべきことなどなにもなかった。

やりたいことも。将来の展望も。

彼はただ空いていた役に収まろうとしたに過ぎない。


それがどんなものであっても、役割がなければ、シェルティは息をすることもままならない人間になってしまっていたのだ。



カイと出会ったのは、花人たちと連れ立って外に出たときのことであった。

買い物という名目で、派手に着飾り、通りを歩くことは、彼らにとって客引きの手段のひとつだった。

花人ではないが、眉目秀麗なシェルティも、その列に華を添えるため、着飾って彼らと共に歩いていた。

カイは馬車から顔を覗かせて、そんな彼らの列に好奇の視線を送っていた。

見定めるような下品なものではない。

祭りにはしゃぐ子供のような、無邪気な輝きに満ちた視線だった。

花人たちはカイを地方から来たお坊ちゃんと思ったようだったが、シェルティはその顔を知っていた。


記憶にある彼の隣には、いつもノヴァがいた。

温和な雰囲気だが、どこかつかみどころのない人物だった。

しかし彼自身は降魂術によってすでにこの世を去っている。

目の前にいる彼は、もとあった彼ではなく、別の魂を持つ別の人間。

異界人だった。


シェルティはあまり関わり合わない方がいいだろうと思い、花人たちに注意を促すため、彼の正体を教えてやった。

しかし花人たちはむしろそんな彼に興味を持ち、話しかけて揶揄うどころか、店にくるよう誘いをかけた。

そしてカイは本当に店までやってきた。

シェルティは店を面倒に巻き込まないため、彼の相手を買って出た。

カイはなにもわかっていなかった。

ここが売春宿であるということを知らずに連れてこられていたのだ。

おまけに着飾ったシェルティを女性だと思い込んでいた。

シェルティはそんなカイを手玉に取って遊んだ。

嘲笑し、恥をかかせたうえで、自分の正体を明かした。

カイを二度と店に近づけさせないためだ。

そして目論見通り、カイは激怒して店を出ていった。



しかしなぜか、数日と置かず、カイはまた店にやってきた。

それも指名はシェルティだった。

抱きにきたの?抱かれにきたの?

あれだけバカにされたのに、僕を忘れられなかった?

シェルティが送る侮蔑の視線を、カイは正面から見返して言った。


「勘違いすんな」

「おれはお前に心底ムカついてるんだ」

「おれは噂を確かめにきただけだ」

「お前は、本当は、なんでここにいるんだ?」


カイは真剣だった。

同情しているわけでも、おもしろがっているわけでも、シェルティに惚れ込んでいるわけでもなかった。

カイはシェルティの現状を、まるで自分自身のことのように捉えていた。

会ったばかりの他人であるシェルティと、真剣に向き合っていた。


シェルティは当惑した。

落ちぶれた彼に近づこうとする者は、今までもいた。

説教されることも、親身になって労われることもあった。

けれどカイの態度はそのどれとも違った。

シェルティは訝しんだ。

裏に誰かがいるのかもしれない。

またはカイ自身が、シェルティを利用しようとしているのかもしれない。

シェルティは決してカイに心を開かなかった。

けれど拒絶もしなかった。

毎日春宿に通ってくるカイを受け入れ、彼の言葉をのらりくらりとかわしながら、その奸計を見破ろうとした。

しかしそれは徒労に終わる。

シェルティはすぐに気が付いた。

カイにはどのような目論見もない。

カイは本当に自分を知ろうとしているのだ、と。


カイはシェルティの現状を良く思っていなかった。

それどころか救おうとしていた。

それに気づいたシェルティは、呆れ、そして憤慨した。

なんて傲慢な男なんだ、と。

何も知らない異界人が踏み込んでくるな、と。


シェルティはカイにその本音を明かしてやった。

自分は与えられた役割を果たしているに過ぎない。

そこに苦はない。

やるべきことをやっているだけなのだ。

同じように、カイにも役割があるはずだ。

自分にかまけている暇があるなら、それを全うするべきだ。

カイは大きな役を与えられているのだから。

すでに舞台を降りた自分に関わっている場合ではない。


カイはシェルティが初めて漏らした本心を聞いて、嬉しそうに笑った。

けれど次の瞬間、怒りを露わにして言った。


「勝手に降りるなよ」

「お前の出番はまだ終わってない」



カイはシェルティと自分を重ねていた。

親に望まれ、努力した。

けれど結果的に、優秀な弟にその居場所を譲り渡さなければならなかった。

奪われたわけではない。

ただ自分のほうが不出来だったから、失っただけだ。

誰も憎むことは出来ない。

けれど歯がゆい。

悔しさは、虚しさは、抑えることができない。

カイは自分がかつて抱き、未だに消化しきることのできない胸のしこりを、シェルティの中にも見出していた。


「お前の言う通り、この世は舞台なのかもな」

「でもそれなら、おれほどぱっとしない主人公もいないよな」

「異世界召喚された救世主って、主人公か、それに準ずるくらい超重要キャラクターだろ?」

「それなのにおれ、こっちきてからまだリハビリしかしてないし、チート能力っぽいのもあるけど、まったく使いこなせてないし」

「序盤とはいえこんな冴えないやつが主人公の異世界モノ、おれだったらとっくに切ってる」

「テコ入れがいるよ」

「異世界モノならやっぱ、チート能力で無双か、ハーレム――――はおいといて、なにがしかのざまぁ展開がないと盛り上がらないよな」


シェルティにはカイの話の意味がほとんどわからなかった。

カイはそんなシェルティを置き去りにしたまま、ひとりでに決意を固めていた。


「そうだ。それにしよう」

「この世が舞台で、お前がもうそこを降りたって言うなら、おれが脚本を書き換えてやる」

「お前のためじゃない」

「おれ自身のために」

「冴えない主人公に華をそえるためだよ」

「お前は俺と一緒に舞台に戻って、連中に一泡吹かせてやるんだ」

「落ちぶれた皇太子の下剋上」

「悪くないだろ?」


カイはそう言って、シェルティに手を差し出した。

シェルティは思案した。

戻るべきではない。

もしこれでまた自分が次期皇帝へと担ぎ出されるようなことがあれば、今日までかけて落ちぶれた意味がなくなってしまう。

そうは思いつつも、カイの提案はシェルティにとってこの上なく魅力的なものだった。

シェルティは常に役目を求めていた。

彼は役割を与えられなければ生きていくことができない人間だった。


シェルティはカイの手をとった。

いつまでも春宿にはいられないから、ともっともらしい理由をつけて。

カイの侍従として、皇太子としての権利と義務を一切放棄したままであれば。

落ちぶれたままであれば、戻っても問題ないだろうという判断だった。



そうして、シェルティはカイの従者となった。

カイを支え、助ける存在となった。

母親のようにカイの世話を焼き、親友のようにふざけ合い、恋人のように寄り添う。

家族や友と別れ、異世界にやってきたカイは孤独だった。

その心の隙間を埋めるために、シェルティはさまざまな役を演じてみせた。


カイの孤独は癒された。

シェルティの振る舞いに、カイはとても助けられていた。

朝廷での立場を取り戻させるために傍に置いたというに、本来の目的も忘れて、シェルティを手放したくないと思うようになっていた。

そしてそれはシェルティも同じだった。


シェルティもまた、カイの側にいたいと願うようになっていた。


それははじめて抱いた、シェルティ自身の願いだった。









「きみに対する振る舞いが、演じているものなのかどうか、ぼくは次第にわからなくなっていったんだ」

シェルティはカイが切った髪の毛先をじっと見つめながら言った。

「ぼくにとってなによりも優先するべきはエレヴァンの平穏で、民衆の幸福で、そのためにだったら死ぬことだって厭わなかったのに。――――きみにほだされて、すっかり心変わりしてしまったよ」

「シェル……」

「楽しかったんだ、きみといるのが」

カイは鋏を置き、自分と同じくらい短く切りそろえたシェルティの髪を、ひと房つまみ上げる。

窓から差し込む陽光に、薄い金色の髪は、溶けて消えてしまいそうなほどの輝きを見せる。

「役目とか、使命とか、そういうものが、どうでもよくなっていったよ。まるできみと心を分け合っているみたいに、きみが笑うと、ぼくも笑えたし、きみが悲しむと、ぼくも悲しかった。きみの幸せをなによりも願った。カイが――――なによりも大切だった」

シェルティはカイの方へ顔を向けた。

カイの目には、涙が滲んでいた。

「おれ、めちゃくちゃ自分勝手だったな」

「そんなことはない」

「でもシェルがいなかったらおれ、ずっと前に折れてたと思う」

「それはぼくも同じだ」

シェルティの目にもまた、涙が浮かんだ。

「カイ。ありがとう。あの日ぼくに手を差し出してくれて」

シェルティはカイを抱きしめた。

カイは涙をこぼしながら、首をふった。

「礼なんて言うなよ。おれはむしろ、お前に謝らなくちゃいけないのに」

「なにを謝ることがあるんだい?」

「だって、おれはたぶん、自分の後悔をお前使って払拭しようとしてたんだ。弟にとって代わられたこと、おれは簡単に諦めたけど、でも本当は、諦めたくなかったから。努力は無駄じゃなかったって、思いたかったから。お前は別に下剋上なんて、ちっとも望んでなかったのに」

「そのことなら、やっぱりぼくはお礼を言わないと。ぼくは自分の役割ばかり考えていたから、自分の心をずっと蔑ろにしていたんだ。でもきみに言われて気づいたよ。ぼくも本当は悔しかったんだって。簡単に降ろされてしまったこと、悲しかったんだって」

「シェル……」

カイはシェルティを力強く抱き返した。

「シェルはよくやったよ」

「カイだって、十分頑張った」

「そうかな」

「そうだよ」

「シェルが言うなら、そうなんだろうな」

「うん。ぼくも、きみが言うなら、きっとそうなんだ」

二人は顔を見合わせ、互いの涙を拭いあった。

「おれ、シェルが大事だ」

「うん」

「アフィーが、レオンが、大事だ」

「うん、ぼくも同じ気持ちだよ」

「四人で生きていきたい。これからも」

カイはゆっくり立ち上がった。

「そのためになら、おれは、なんだってやる」

カイはシェルティに手を伸ばした。

シェルティは迷わずその手をとった。

「そうだね。それがぼくらの、一番の望みだ」

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