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「すべてをきみに委ねるよ」


地上に戻ったカイを、アフィーとシェルティは青ざめた顔で出迎えた。

「カイ、髪が……」

「切ったんだ」

カイはそう言って笑うと、すぐ床について眠ってしまった。

深い眠りだった。途中で目を覚ますことも、夢を見ることもなく、カイは正午まで眠り続けた。

目覚めたカイは、アフィーが絞った山羊の乳と、シェルが作った卵粥、レオンの仕留めた雉肉の汁物を腹いっぱいに詰め込んだ。

昨日までとは打って変わったカイの様子に、シェルティとアフィーは驚きを隠せなかった。

「うまいな」

「ああ、うまい」

レオンだけは上機嫌で、カイと競うようによく食べた。

「雉、はじめて食ったかも」

「気に入ったか?」

「ちょう好き」

「雉は串焼きが一番うまいぞ」

「食ってみたい」

「夜に食わせてやるよ」

「いや、夜はおれが用意するよ」

カイの言葉にレオンは眉を跳ね上げる。

「ずっと食わしてもらってきたからな。今日からは、おれも働くよ」

レオンは笑って鼻を鳴らした。

「肉じゃなきゃおれの腹は満たせねえぞ」

うっ、とカイは苦い顔をする。

「……魚は?」

「まあ量によるな」

レオンは立ち上がり、大きく欠伸をした。

「それじゃあおれは寝る。夜、楽しみにしてるからな」

「任せてよ」

「カイ、わたしも、手伝う」

「だめだ」

レオンはアフィーの襟首をつかみ、家の外に引きずり出す。

「お前はお前の仕事があんだろ」

「カイ、ひとりじゃ、大変」

「おれは平気だよ」

カイは笑顔で胸をはった。

「心配してくれてありがとうな。すげえご馳走用意してみせるから、期待してよ」

その声の明るさに、アフィーは思わず涙ぐんだ。

カイは暗闇から抜け出したのだ。

溶けた心はもとの温もりを取り戻したのだ。

もうなにも心配することはないのだ。

それを知ったアフィーの胸は、安堵と喜びでいっぱいになった。

「……すごく、楽しみに、してる」

アフィーは声を詰まらせながら、とびきりの笑顔を、カイに向けた。


家の中には、カイとシェルティの二人だけが残された。

二人はしばらくの間、黙ったまま、ぼんやりと外を眺めた。

開け放たれた戸口や窓から差し込む光で、家の中は明るかった。

けれど外はその比ではなく、眩しいほどに、輝いていた。

優しいせせらぎと、葉擦れの音が、穏やかな風と共に家の中に入ってくる。

「シェル」

「……なんだい?」

「髪、整えてくれないか」

シェルティはカイをじっと見つめ、静かに頷いた。

「切った髪はどこへ?」

「燃やした」

「……そうか」

シェルティは鋏をカイの髪にあてた。

カイの首筋に触れるシェルティの手は、冷え切っていた。

シャキッ。

シェルティは乱雑な切り口の毛先を、慎重に、整えていく。

その間、二人はなにも話さない。

シャキシャキという鋏の刃が合わさる音が、部屋の中に響く。

外からはせせらぎと葉擦れの音に加えて、アフィーが薪を割る音が入り込んでくる。

昼寝のために屋根に登ったレオンの足音が伝わってくる。

「レオンと話をしたんだ」

カイは静かな声で言った。

「レオンの全部を教えてもらったんだ。おれとの間にあったことも、全部」

「それが髪を切った理由?」

「それだけじゃない。アフィーとも話したんだ。ここにきてすぐ、アフィーにも、アフィーの全部を、教えてもらった」

「そうだったんだね」

「うん。……おれはアフィーのおかげで、死ぬのを思いとどまったよ。レオンのおかげで、受け入れる覚悟ができたよ。自分がしちゃったことを――――ラウラの身体で、生きていくことを」

「カイ……」

「シェルは、おれが死ぬなら、一緒に死んでくれるっていったよな」

「……ああ」

「じゃあ、おれが生きるって言ったら、一緒に生きてくれるか?」

「……もちろん」

シャキッ。

シェルティは鋏を閉じる。

「できたよ」

カイはまっすぐに揃えられた髪に触れる。

「ありがとう」

「よく似合っているよ」

「自分でもそう思う。短い方がしっくりくる」

カイは振り向いて、シェルティに真剣な眼差しを向ける。

「シェル」

「なんだい」

「お前のことも、教えてほしい」

「……いまさらきみに教えることなんてないよ」

「話したくないのか?」

「そうじゃない」

シェルティは微笑みながら首を振った。

「話すまでもないと思ったんだ。ぼくの過去を知っても知らなくても、きみは、なにも変わらないと思って」

納得がいかない、とカイは眉間にしわをよせる。

いい意味でね、とシェルティはそのしわをもみほぐしてやる。

「そうだな、例えば、ぼくが死のうとしていたら、きみ、どうする?」

「……絶対止めるけど」

「怖い顔しないで。たとえ話だよ。――――誰かがぼくの死を望んでいて、それでぼくは、望まれるままに死のうとするんだ。理由もなくね。そうしろって言われてから、そうするって。お芝居の登場人物みたいに、誰かが台本に書いた『彼は死ぬ』という一行で、ためらないなく死のうとするぼくを、きみはどうやって止める?」

カイはすこし考えてから答えた。

「生きろって言う」

「……それで?」

「それだけ」

「えっ」

シェルティは目を瞬かせる。

「たった一言だけ?ほかにはなにもないのかい?」

「だってそれで十分だろ」

カイは腕を組んで鼻を鳴らした。

「誰に言われて死のうとするのか知らないけど、おれが生きろって言ったら、お前、生きるだろ」

シェルティは唖然として言葉を失ったが、カイは平然と続ける。

「おれが生きろって言ってんのに、お前が死ぬわけないじゃん。シェルがおれ以外を優先するなんてありえないし」

シェルティは俯いて肩を震わせる。

「カイ、きみってほんと――――」

「なんだよ」

「いや――――」

シェルティは言葉を詰まらせる。

カイはシェルティの肩をつかむ。

「お前がどうしても死ななきゃいけないような状況になったら、おれがその状況ごとぶっ壊してやるよ。台本破って、舞台に乱入して、全部めちゃくちゃにしてやる」

シェルティは両手で顔を覆う。

「泣くなよ」

「――――ふっ」

「あ?」

「あはははは!!!」

シェルティは堰を切ったように笑いだす。

「笑ってたのかよ!?人が真剣にしゃべってんのに!?」

シェルティは苦しそうに喘ぎながら、カイの胸にもたれかかる。

「だってさあ、あははは、ねえきみ、自分がなに言ってるかわかってる?」

「はあ?」

「あはは、いや、いいんだ」

シェルティはカイの胸にこすりつけるようにして涙を拭う。

「きみは昔も今も変わらないと思ったけど、そんなことはなかったね」

「まあ、そりゃあ、いろいろあったから」

「うん。でもぼくは、きみは今でも同じ答えを返してくれると思ってたから」

「前のおれはなんて言ったんだ?」

「もっと穏便だったよ。全部ぶっ壊すなんて、そんな暴力的じゃなかった。――――きみ

は変わったね」

「……いい意味で?」

「もちろん」

カイは肩をすくめ、じゃあやっぱ教えてよ、と言った。

「昔のおれはもっとシェルのこといろいろ知ってたんだろ?」

「……まあね」

「じゃあおれも知らなきゃだめだ」

「絶対?」

「どうしても」

「……わかったよ」

シェルティは鋏をカイに差し出した。

「ねえ、ぼくの髪も切ってよ」

カイはわずかに怯んだが、わかった、と言って鋏を受け取った。

「でもおれ、人の髪とか切ったことないけど」

「ラウラの記憶で見なかったかい?きみ、ぼくの髪をずっと切ってくれてたんだよ」

「まじで?」

「嘘だよ」

「……」

「……」

シェルティはそっぽを向いて笑いを噛み殺す。カイはそんなシェルティの頬をつねりあげる。

「あははは」

「坊主にされたいのか?」

「きみがしたいならいいよ」

カイは鋏でチャキチャキと空を切る。

「このやろぉ……。言っとくけど本気で切って坊主にしちゃう可能性だってあるんだからな。覚悟しとけよ」

「かまわないって言ってるだろう?きみが切ってくれるなら、ぼくはどんな髪型になったっていいんだ」

「逆にプレッシャーなんだけど、それ」

「すべてをきみに委ねるよ」

シェルティはカイに背を向け、口もとに笑みを残したまま、瞼を伏せた。

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