「次は殺してくれ」
〇
レオンが話を終えるころには、二人が囲む焚火はすっかり小さくなっていた。
すこし砂をかけてやれば消えてしまうほどに。
けれど夜が深まるとともに月も大きく明るくなっていた。
焚火がなくても、二人は互いの姿を、表情を、はっきり見て取ることができた。
「レオン」
「なんだ」
「髪、切ってくれないか」
カイの突拍子もない頼みに、レオンは目を見開いた。
「切ってほしいんだ、おれの髪を」
カイは繰り返した。
レオンは目を細めて、じっとカイを見つめた。
カイもまた、レオンをまっすぐに見つめた。
二人はそれ以上言葉を交わさなかった。
交わす必要がなかった。
レオンは自身のことをあますことなくカイに語って聞かせた。
自身の起源から、現在に至るまでを。
今ではレオンだけが持つ、カイとの過去の記憶を。
今でも胸に強く抱き続けている、カイと共に在りたい、という望みを。
カイはそれに答えようとしていた。
示そうとしていた。
自分もまたレオンと共にありたいと望むことを。
カイはレオンに背を向けた。
レオンは手に持った黒曜石で、躊躇うことなく、腰元まであったカイの髪を、切り落とした。
カイのうなじを、夜風が撫でる。
短くなった髪が、なびく。
そのあまりの軽さに、カイは驚く。そして驚きはすぐ悲しみに変わる。
邪魔だと思ったことは一度もない。
けれどずっと違和感はあった。
自分の身にまとわりつく長く柔らかな髪に、カイはずっと慣れないままでいた。
それはカイがこの身体に持つ、最後の違和感だった。
ラウラの薄い身体には、細い手足は、もうすっかりカイ自身のものとなっていた。
けれどこの長髪の存在にだけは、いつまでも慣れることがなかった。
カイは振り返る。
レオンの手の中には、たった今切り落とされたばかりの髪の束が握られている。
カイはそれを受け取り、焚火にくべた。
小さな焚火の上で、髪は静かにゆっくりと燃えていく。
二人は肩を並べて見届けた。
髪が消えてなくなると、カイは深呼吸し、服を脱いだ。
これから戦にでも向かうかのような、決然とした表情で。
レオンは黙って、カイの行動を見守っている。
一糸まとわぬ姿になったカイは、川の中に入った。
緩やかな渓流に、カイは頭まで浸かり、その身を洗い流した。
川の水は冷ややかで、ほんの十分足らずの行水で、カイの身体は冷え切ってしまう。
涼しかった夜風を、生暖かく感じる。
川からあがったカイに、レオンは手ぬぐいを投げてよこした。
今にも消えそうだった焚火が、再び大きく膨らんでいた。
カイは裸のまま焚火の前に腰を下ろした。
レオンもまた、カイの隣に座り込む。
「レオン」
「なんだ」
「酒、あるか?」
レオンは懐から小瓶を取り出した。
二人はそれを分け合った。
一口ずつ、時間をかけて。
「うまいな」
すっかり身体が乾いてから、カイは言った。
「ああ、うまい」
瓶の中身があと一口分になると、レオンはそれを飲まずに、火にくべた。
火勢が一瞬だけ弱まり、煙が色を濃くする。
立ち昇る煙を、二人は目で追う。
煙が消えた先の空は、今まさに夜を明かそうとしているところだった。
東の空が白んでいる。
カイは服を身に着け、焚火を消した。
「もうすぐ朝日が昇るな」
カイはそう言ってレオンを一瞥した後、空を見上げた。
レオンは目を輝かせ、口角をあげる。
レオンは空になった酒瓶を宙に放り投げる。
酒瓶は空中で破裂し、光球に変化する。
渓流を囲う森の中に身を潜めていたケタリングが姿を現す。
レオンとカイはその背にまたがった。
ケタリングは翼を大きくはためかせ、浮上する。
朝焼けに染まる空に、飛びこんでいく。
カイはレオンに支えられながら、ケタリングの背から、空を見た。
鮮やかな紺色と朱色の諧調がどこまでも広がっている。
眼下に広がる瓦礫の街に、カイの胸はやはり大きく痛む。
けれどそれだけではない。
胸は痛みながらも、大きく高鳴っている。
風はカイの耳をふさぎ、全身をぶつように吹きつける。
果て無き空の中で、カイはあまりにもちっぽけだった。
カイはそれを、清々しいと感じる。
(おれは無力で、些細な存在だ)
(世界の中の、塵のひとつに過ぎない)
(吹けば消える、そんなていどの……)
カイは自分の肩を抱くレオンの背に手を回した。
(でもレオンにとってはちがう)
(おれにとって、レオンがそうであるように)
(アフィーが、シェルが、ラウラが、そうであったように)
カイは明け行く空の中で、噛み締める。
彼らと出会えた、奇跡を。
通じ合えた、喜びを。
そしてカイは誓う。
(もう絶対に離れない)
(これからはずっと、みんなと一緒にいる)
(それ以外は、なにもいらない)
(そのためならおれは、なんだってやる)
やがて地平線に脈打つ山影から、一筋の光が差す。
「レオン、ありがとう」
目を焼く来光を、まっすぐ見つめたまま、カイは言った。
「あのとき、たて穴で、おれを信じてくれて。殺さないでくれて」
レオンはたて穴でカイを殺そうとした。
苦痛に悶えるカイを、楽にさせようとした。
けれどカイはそれを拒んだ。
ラウラを泣かせないために。
レオンに、無二の友を手にかけるという業を負わせないために。
おれは大丈夫だから、と言って、彼の覚悟をふいにした。
レオンはカイの言葉を信じ、手を引いた。
結果的に、ラウラは死に、カイは心を壊してしまった。
それでもカイは、感謝していた。
「おれ、あのとき死ななくてよかったって、生きていてよかったって思ってるよ」
それはカイの本心からの言葉だった。
「でももしまた同じような状況になったら、そのときは、おれがなにを言っても、今度こそ、迷わず殺してほしい」
レオンは鼻を鳴らして、カイの頭を小突いた。
「あんな状況には二度とさせねえよ」