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レオン・ウルフ(一)

****




誇りを取り戻すのだ。

それが百年前、ウルフの一族でたったひとり生き残った男の口癖だった。

彼は復讐にとりつかれていた。

生まれ育った山奥で、発狂し、我を失い死んでいった一族郎党の恨みに、男は生涯囚われ続けた。

男はその憎しみを、子や孫にも植え付けた。

朝廷への、ラサへの復讐が一族の悲願であると、子孫を深く呪った。

それがウルフの歪みのはじまりだった。

男の呪いによって、本来あった伝統や信条は捻じ曲げられ、ラサへの復讐と、玉座に返り咲くという野望だけが、ウルフには残された。

そして一族は最悪の結末を迎えることとなる。

身内の者によって、たった一人の同族によって、滅ぼされることとなる。







今からおよそ二百年前、戌歴八百年頃、ウルフは朝廷を追われた。

玉座にこだわりはなかった。彼らの望みはただひとつ、ケタリングと共に、自然の中で生きることだった。

しかしラサはそれを許さなかった。

ケタリングは人の身には過ぎた力。エレヴァンに住むすべての人間の脅威であるとして、所持を禁じた。

ラサはより多くの人びとの平和のために、ウルフからケタリングを取り上げた。

ケタリングがなければ、ウルフは空を飛ぶことができない。

ケタリングを失ったウルフは、羽を毟られた猛禽、足を折られた馬と変わらない。

自力で生きることのできない屍になってしまう。

しかしウルフの訴えを、ラサは聞き入れなかった。

ラサはウルフを理解しなかった。

ラサにとって個人の尊厳は文明の上に育まれるものだった。

その文明を脅かす尊厳など、あってはならないものだとした。

ウルフとラサは決別した。

ウルフは東南の欄干へ登り、そこで狩猟民としての生活を営む傍ら、密かに力を蓄えていった。

新たなケタリングを手に入れ、武器を揃え、技を磨き、入念な計画を立てた。

彼らは革命を起こそうとしていた。

玉座に返り咲くためではない。

ケタリングで空を飛ぶ自由を取り戻すための戦いだった。


戌歴九百年。災嵐の前夜。

ウルフ族は災嵐の混乱に乗じて朝廷を転覆させようと画策していた。

暴力による革命を起こそうとしていた。

しかしそれは果たされなかった。

ウルフは行動を起こす前に、ラサの手で粛清されてしまう。

老人も、赤子も、皆殺しにされた。

彼らが秘密裏に集めていたケタリングはすべて解体された。

村は彼らが使役していた猛禽や彼らの財である家畜ごと焼かれた。

ウルフはこの世から、跡形もなく消し去られた。


かつての臣下の、裏切りによって。



かつてウルフと共に、東南の辺境に追いやられたウルフ派の諸氏族は、山奥で遊牧生活を営んでいた。

朝廷はこれを黙認していた。

根絶やしにするべきだ、という意見も挙がったが、ラサはそれを決して許さなかった。

ウルフはもとより朝廷から離れ、本来彼らが営んでいた狩猟採集生活に戻ることを望んでいた。

彼らが山域で慎ましく暮らしていくというのであれば、追及は不要だろう。

そう言って、ラサは彼らへの手出しを禁じた。

それはラサの、ウルフへの、せめてもの罪滅ぼしだった。

しかしそれは身勝手な自己満足に過ぎない。

少なくともウルフ派の諸氏族はそう考えていた。

特にウルフと最も関係が近しく、弟分のような存在であったラプソ族はラサを深く憎んだ。

ラプソはラサに並ぶほど古い歴史を持つ一族で、朝廷内における地位は同等であった。

実際の権力、影響力では、ラプソはラサの足元にも及ばなかったが、しかし建前上、ふたつの一族は同じ立場にあった。

ウルフ、つまり皇帝の最も忠実な臣下。

最期までウルフに付き従ったラプソからしてみれば、ラサは逆賊に他ならなかった。

ラプソは復権を強く望んでいた。

ウルフとともに返り咲くことを悲願としていた。

当のウルフは朝廷に戻ろうなどとはすこしも考えていなかったが、ラサの支配がある限り、ケタリングで再び空を駆けることはできない。

ラサは欄干へ逃れたウルフに警告していたのだ。

二度とケタリングを迎え入れてはならない、と。

もし発覚すれば、そのときは、今度こそ、一族郎党亡き者にする、と。

しかしウルフにとって、ケタリングは、一族の代名詞ともよべる存在だった。

騎馬民族にとっての馬。漁師にとっての舟だった。

ケタリングがいなければ、ウルフはその生き方を根本から変えられてしまう。

ウルフは決意した。

復讐のためではなく、尊厳を取り戻すために、ウルフとして生き続けるために、ラサを討ち倒すことを決めた。


ウルフは新たに数頭のケタリングを慣らし、武器を揃え、ラサの一族を確実に仕留めるための計略を巡らせた。

すべては一族の中で内々に行われた。

兄弟分であるラプソにも、計画を明かすことはなかった。

彼らはあくまで、自分たちの尊厳、ケタリングと空を駆る自由を取り戻すためだけに戦うのだ。皇帝に返り咲きたいわけでも、エレヴァンを手にしたいわけでもない。

ましては復讐の意図などわずかにもなかった。

ウルフは過去に捉われることをなによりもの恥としていた。

ラサの思惑によって多くの者を失った。怒りもあった。しかしだからといって、復讐に身を焦がすことはない。

復讐で得られるものなどなにもないと、彼らは知っていた。

自分たちは敗北した。だから奪われた。

これは過去の清算ではなく、奪われたものを取り戻すための戦いである。

ウルフは復讐を叫ぶラプソら諸氏族をはねつけ、自分たちだけで、ことをなそうとしていた。

しかし彼らは再び、敗北することとなる。

ウルフはまた戦わずしてその牙を折られてしまう。 


朝廷に、彼らが再び抱えたケタリングの存在が、知らされてしまったのだ。

密告したのは、ウルフとともに南部に逃れたある氏族だった。

ウルフは決起を明かしてはいなかったが、同じ山域に住む者に、完全に伏すことはできなかった。

ラプソはもちろん、他の氏族も、ウルフが独断で決起を企てていることに腹を立てていた。

もちろんウルフの決起を察した彼らは、意気込んで加勢を申し出た。

しかしにべもなく退けられ、相手にされない。

兄弟ではなかったのか?同志では?

自分たちを過信している。ウルフだけでやっても、二の舞になるだけだ。

どのような言葉にも、ウルフは耳を貸さなかった。

やがてウルフに関わろうとする者はいなくなった。

ウルフは孤立してしまった。

そしてついには裏切られた。

その氏族は朝廷への復権を見返りに、ウルフを売り渡したのだ。

彼らの集落にいるケタリングと、彼らの企ては暴かれてしまった。


ラサは警告通り、ウルフ族を断絶させた。

奇襲をかけ、ケタリングを捕縛、解体し、一族を皆殺しにした。


生き残ったのは、たった一人だけだった。

一族のあぶれ者で、他所の村の女のところにいたために難を逃れた男。


それが、レオンの曽祖父だった。







たった一人生き残った男は、復讐にとりつかれていた。

彼は本来、一族のあぶれ者だった。

ウルフの特色である褐色の肌も、象牙色の髪も持っていなかった。

身体能力は人並みで、頭も悪かった。

当然、ウルフの中でも限られた者にしか現れない、胸に浮かぶ文様、ケタリングの操乗手の資格も持っていなかった。

男は凡庸な人間だった。

ウルフの一族には、男のような人間も稀に生まれた。

それはウルフの特色すべてを兼ね備えた者が生まれる割合と同じだった。

ウルフの全てを受け継いだ者と、何一つ持ちえなかった者。

前者はたいていの場合一族の上役となり、後者は一族から距離をとった。

なにも持ちえなかった男もまた、一族と距離を置いていた。

遊牧も、狩猟も、並みの能力しか持たない男には苦労でしかなかった。

また外に出れば並であるのに、一族の中では劣等であることも、男を苦しめた。

男はウルフに相いれなかった。

けれど誇りはもっていた。

自分はなにひとつ持ちえなかったが、彼は生まれ育った一族を深く愛していた。

陶酔、といってもいい。

ウルフに生まれた誰もがそうであるように、端くれである彼もまた、ケタリングという生き物の魅力に取りつかれていた。

そしてそれと共に生きるウルフという存在を、特別なものだと思っていた。

彼は放蕩に耽っていたが、一族と縁を切ることはしなかった。

決起の際には自分も命を賭して戦うと、意気込んでいた。


だからこそ、男の憎しみは深かった。


決起が間近に迫ったその夜、彼は最も懇ろであった、近くに住む別の部族の女のもとを訪ねた。

別れを告げるためだ。

それは彼なりの決意表明だった。

男は、自分は死ぬから、と言って女と最後の夜を過ごし、まだ夜の明けきらないうちに集落へ戻った。

そこで目にしたのは、虐殺されている一族だった。

男は物陰から、その一部始終を目に焼き付焼けた。

ケタリングはすでに捕縛霊術によって抑え込まれていた。

ケタリングの操縦者、一族の主翼たちは、その横で茫然自失として座りこんでいた。

その中には男の父もいた。

厳格な父は、これまで見せたことがない、呆けた表情で空を見上げていた。

まるで気が触れてしまったかのようだった。

認知障害を起こし、自意識も定まらない幼子に戻ってしまったようだった。

男にとってそれは耐えがたい光景だった。

厳しい父親だった。けれど不出来な息子を、決して見捨てなかった父親だった。

それが今では、敵前で涎を垂らし、前後不覚に陥っている。

男はいますぐにでも飛び出していきたがったが、出たところで、無駄死にするのは目に見えていた。

男はこれが役目だ、と自分に言い聞かせ、ただ起こっていることを目に焼き付けた。

女子供問わず、一族は皆殺しにされた。

どこの所属かもわからない、黒衣を身に着けた十数人の者たちの手によって。

しかし男にはそれが誰かわかっていた。

そんなことをするのは、ラサ以外には考えられなかった。

やがて我を失った男の父親たちも、一切の抵抗なく喉をかき切られ、絶命した。

黒衣の者は死んだものたちを並べ立て、その数を入念に数えていた。

それからケタリングを解体し、一族もろとも、集落を焼き払った。

形あるものはなにも残らなかった。

黒く焼け焦げた土地には、骨のひとつ残らなかった。

けれどすべてが失われたわけではない。

虐殺をその目に焼き付けた男がいる。

彼の中には残っていた。

ウルフという気高き一族の存在が。

その誇りが。

無念が。

集落を焼いた火はやがて消えたが、彼の身に燃え移ったものだけは、いつまでも消えなかった。



生き残った男は、ウルフの血を絶やさないために、五人の女との間に十五人の子をもうけた。

そして彼はその子らに選民意識を植え付けた。

自分たちは、選ばれた存在である、と。



彼を焼く深い憎しみは、彼が死ぬまで、いや死んでもなお、消えることはなかった。

彼はウルフの血を繋ぐために子を多く為した。

彼自身はウルフの中で劣等とされていたが、その血はまごうことなくウルフのものだった。

そのため彼の子どもらの中には、彼が持ちえなかったウルフの特色を色濃く持つ者もいた。

男は子どもたちに伝えた。

ウルフだけが知る真の歴史を。

しかし彼は頭がよくなかった。

彼自身が伝え聞いた歴史を、彼は正確に記憶していなかった。

また憎しみに焼かれる彼は、俯瞰して歴史を捉えることもできなかった。


本来はエレヴァンを治めているのは我々だった。

エレヴァンのすべては我々のものだった。

この世界で生きる人間の中で自分たちウルフが誰よりも優れている。

ウルフは人の上に立つべき存在である。  

崇高で、気高く、誇り高い。

今ある世界は間違っている。

朝廷など、本来この世界にはあってはならないのだ。

全ては皇族を騙るラサの一族の謀略なのだ。


男は子どもたちにそう語り継いだ。

男が語る歴史の大部分は、復讐にとりつかれた男の妄想に過ぎなかった。

けれど子どもたちは男の話を信じた。

自分たちが世界に選ばれた人間であり、人を統治する存在であるのだと、信じて疑わなかった。

子どもたちはまた自分の子どもたちに、孫に、その話を語り継いだ。

そうして再興したウルフの一族は、復讐者の一族となった。

誰もが朝廷を、ラサを、深く憎んでいた。

男の曾孫にあたるレオンも、その例外ではなかった。



レオンは一族の次代の担い手として期待されていた。

ウルフの特色を色濃く受け継ぎ、その胸には、はっきりと二重の刻印が現れていた。

壮健で、聡く、霊能力にも長けていた。レオンはまさにウルフの代名詞のような存在だった。


当時十四歳だった彼の胸の内は、ラサへの憎しみであふれていた。

一族の中で最も優れた素質を有していた彼でさえ、曽祖父の残した憎しみから逃れることはできなかった。

むしろやがて一族の主翼となるであろう彼に、両親をはじめ大人たちはみな、徹底した教育を施した。

倒すべき敵を、果たすべき復讐を、レオンの頭に叩き込んだ。

まだ幼かったレオンは簡単に歪められてしまった。

復讐を果たすことが自分の存在意義であると、十四歳のレオンは思い込んでいた。


しかしその呪縛は、あっけなく解消されてしまう。

ケタリングとの、出会いによって。



ある日レオンは単独で狩りを行っていた。

狗鷲を用いた鷹狩りだ。

しかしその日、森はやけに静まり返っていて、獲物はまるで姿を現さなかった。

鳥も、動物も、みななにかに怯え、息を潜めていた。

レオンは森の中を駆け回り、異常の原因を探った。

そして出会った。

山裾に広がる森の中に、埋もれるようにして、一匹のケタリングが伏せていた。

レオンは全身の血を沸騰させた。

沸き立つ興奮を押し殺し、ケタリングの眼前に躍り出た。

そこには巨大な、美しい一対の瞳があった。

濃い黄金と黒円からなる、猛禽類の眼球だった。

狗鷲のものとよく似ているが、威圧感は比べ物にならなかった。

レオンは息をするのも忘れて、ケタリングに魅入った。

遠くから目にすることはあった。しかしこれほど間近で相対するのは初めてだった。

レオンは圧倒されていた。

心を奪われていた。

ケタリングはウルフの象徴だ。

憧れはあった。

強く欲していた。

ケタリングさえいれば、復讐を果たすことができると思っていた。

けれどいざ目の前にしたそれは、決して復讐の道具などではなかった。

これはおれのものだ。

レオンはそう思った。

ケタリングはそれに答えるように、レオンに信号を発した。

曽祖父からの言い伝えで、それがそのケタリングの名だと察したレオンは、持ち歩いていた硝子玉で、その名を呼び返した。

ケタリングはレオンに頭をたれた。

レオンはその背に飛び乗った。

ケタリングは、飛び上がった。


そのケタリングは、朝廷の捕縛部隊の手を逃れてきたものだった。

棘のような鱗の一部が剥がれた、手負いの状態だった。

けれどケタリングはその傷をものともせず、空を飛んだ。

レオンはなんの指示も出せなかった。

振り落とされないよう、その背にしがみつくことで精いっぱいだった。

ケタリングはまるでレオンに空を見せようとするかのように、飛んだ。

高度は二千メートルほどに抑え、速度も出さなかったが、縦横無尽に、エレヴァンの中を飛び回った。


レオンは知った。

空が果てしないことを。

エレヴァンは決して狭くはないが、広くもないのだということを。

大地が色鮮やかであるということを。

エレヴァンの外、氷雪に閉ざされた大地は、白い靄に包まれているということを。

地上とはまるで違う空の世界を。

風に全身を洗われる心地を。

なにもかもから解き放たれた自由を。


レオンは目を覚ました。

それまで自分が正義だと信じていたものが、植え付けられてきた復讐が、いかにくだらないものか、レオンは思い知った。

ウルフにそんなものは必要ないのだと、レオンは悟った。

ケタリングと、空を駆る自由、それさえあれば、あとはなにもいらないのだ。

レオンは自らの歪みをただし、あるべき姿に戻った。

その身を焦がしていた炎を消し去り、代わりに新たな火を灯した。


ケタリングとともに生きていくという、決意の灯を。



けれどレオンの望みを、一族の人びとは決して認めなかった。

レオンがケタリングを連れ帰ったとき、一族は歓喜した。

しかしそれはレオンの抱いた喜びとは異なるものだった。

これで一族は正真正銘のウルフだ。

これで悲願を果たせる。

復讐を成し遂げられる。

エレヴァンを取り戻すことが出きる。

それが、彼らの喜びだった

レオン以外のウルフにとって、ケタリングは復讐の道具でしかなかった。

レオンは怒りに触れた。

この美しい生き物を前にして、まだ復讐を叫ぶ彼らを心の底から嫌悪した。

レオンは彼らに説いた。復讐の無価値さを。ケタリングで空を駆る喜びを。

しかし理解は得られなかった。

ウルフの生まれである彼の母は、生まれたときから刻みつけられた復讐心を拭うことはできなかった。

また他部族の出自である父も、彼の話を聞き入れようとはしなかった。

彼にはケタリングに対する執着はない。

また山間での厳しい遊牧生活を、兼ねてから辟易してもいた。

朝廷の実権を握り、豊かな生活を送ることができるのであれば、これまでなめてきた生活の苦渋を晴らすことができるのであれば、それにこしたことはないと考えていた。

父母以外の反応も同じだった。

レオンはすぐには諦めなかった。

自分がそうであったように、ウルフの本能を思い出すことができれば、考えを改めるかもしれないと、一族の者と共に飛ぼうともしたが、誰一人としてうまく乗りこなすことはできなかった。

レオンがケタリングを連れ帰って二年が経っても、ケタリングは復讐の道具、兵器としてしか扱われなかった。

レオンの奮闘も虚しく、一族は再び決起を起こすための備えをはじめた。

レオンは怒りを抑えることをやめた。

ケタリングを兵器にはさせない。

同じ過ちを繰り返し続けるだけなのであれば、ウルフなど、滅びてしまったほうがいい。

そうしてレオンは、自身の一族を虐殺した。



ケタリングを用いることはしなかった。

彼は自らの手で、父母を含む、30人の人間を殺した。


レオンは、ケタリングを連れて、ただ一族を去ることもできた。

けれどそうするわけにはいかなかった。

彼は自身の過去と決別しなければならなかった。

人を殺すことが、ましてや肉親をその手にかけることは、決して許されない。

償うことのできない罪だ。

それでもレオンは選んだ。

彼は自分自身を、しがらみから解放しなければならなかった。

自由のために、血と泥にまみれなければならなかった。

そうしなければケタリングと生きてはいけないと思ったからだ。


レオンの考えは、誰にも理解されなかった。

多くの人が、レオンの行いについて、レオンを糾弾した。

特に最も交流の深かったラプソの一族は、レオンを人でなしであると、ウルフの風上にもおけないと非難した。

レオンは彼らに対して、はじめは自身の考えを打ち明けた。

しかし理解されることはなかった。

ウルフの者たちがそうであったように、ラプソの者もまた、腹の底では朝廷への復讐を望んでいたのだ。

レオンは口を閉ざした。

ケタリングさえいればいいと、理解者など必要ないのだと沈黙した。


それでも心の奥底では、考えを分かち合える仲間を欲していた。


彼にはまだ希望があった。

理解者になりえるかもしれない存在がいた。

それは自身が生かした子どもだった。


一族を虐殺したレオンだったが、当時一族にいた一歳から九歳までの四人の子どもたちには手を出さなかった。

生かした子どもたちはウルフとは無関係な家や店に預け、金銭を対価に養育を約束させた。

レオンはその子らと関わるつもりはなかった。

だが、一人の少年だけは別だった。

旅芸人の一座に預けたその子は、レオンと同じようにウルフの特色を色濃く受け継いでいた。

褐色の肌に、象牙色の髪。まだ幼かったが、その胸にはすでに刻印も現れ始めていた。

一目でウルフとわかるその少年とだけは、レオンは接触を続けていた。

頻繁に様子を窺いに行き、ケタリングの操作に必要な霊操の方法などを教えてやった。

レオンには確信があった。少年は自分と同じようにいつか必ずケタリングと出会い、空を知るだろうと。

そのとき彼は自分の本音で語り合える相手になるだろうと、心を許す相手になるだろうと期待していた。


けれどそれは叶わぬ願いだった。

少年はレオンを許しはしなかった。



レオンが一族を皆殺しにした時、少年はまだ四歳で、当時のことをほとんど覚えていなかった。

レオンは彼に真実を話していた。

隠し立てなく、お前の親を殺したのは、一族を滅ぼしたのは自分だ、と言いきかせていた。

けれど、少年はそれを本気にしなかった。

彼にとってレオンは面倒見のいい兄のような存在だった。

とてもそんなことをする人間だとは思えなかった。なにか事情があって、自分に嘘をついておるのだろうと思い込んでいた。

しかしやがて、彼はそれが嘘などではなく真実であるということを知る。


巡業で訪れた西方霊堂で、彼はラプソの青年たちと出会った。

ラプソの青年たちは、時飛や異界人、カイについて探るために、商人に扮して西方霊堂に出向いていた。

少年は普段その特異な外見を隠していたが、ふとしたおりに彼らに目撃され、そして対話にいたったのだ。

ラプソの青年、キースたちは少年がなにも知らないことに驚き、すべてを打ち明けた。

少年にとってそれは驚天動地の出来事であった。

レオンはなにひとつ嘘をついていなかったのだ。

すべて真実だったのだ。

少年は深く傷つき、失望した。

責め立てられたレオンは、説得を試みた。

いつかお前にも必ずわかる日がくると、少年に言い聞かせた。

けれどその言葉が届くことはなかった。

少年はレオンを拒絶し、二度と会おうとはしなかった。


レオンはケタリングさえいればよかった。

ケタリングと共に自由に生きていけるのなら、ほかになにも望まないはずだった。

けれど少年の拒絶は、レオンに大きな喪失感をもたらした。


レオンは孤独になってしまった。


少年はレオンにとって、一縷の希望だったのだ。

彼は自ら孤独になることを選んだ。

しかしどこかで、誰かに心置きなく胸の内を明かすことを、理解されることを望んでいた。

この世界で唯一、自分と同じウルフである少年に拒絶され、レオンはその望みを絶たれてしまった。


レオンは一人になってしまった。



すべての選択は彼自身によるものだった。

責任は自分自身にある。

後悔などあっていいはずがない。

己の弱さを振り払うために、レオンは躍起になった。

レオンはケタリングと生きていくことだけを考えようとした。

ちょうどそのときに、ラプソからある計画を打診された。

それは縮地の簒奪だった。

ラプソは朝廷が災嵐を避けるために作り上げた霊術を手にしようと画策していた。

彼らの集めた情報によれば、縮地はそれ用の霊具と異界人、動力源であるカイ・ミワタリさえ揃えば発動することができる。

またカイ・ミワタリの補佐官である少女は天才と名高い技師であり、霊具の設置を行うことができる。

ラプソはレオンに、協力を呼び掛けた。

霊具はすでに奪取している。

カイ・ミワタリとその補佐官さえ拉致することができれば、自分たちの手で縮地を実行することができる、と。

レオンはラプソの誘いに乗った。

渡りに船だった。

レオン自身も、二年後に迫った災嵐をどうやり過ごすかについても思案を巡らせていたのだ。


ウルフの一族は災嵐に遭わない。

そう言い伝えられてはいたが、レオンはそれを頭から信じてはいなかった。

なんらかの理由で被害が少なくすんできただけだろうと考えていた。

なんの備えもないまま災嵐を迎えるつもりは、レオンにはなかった。

ケタリングとともに、災嵐を乗り切る。

それはケタリングと共に生きることを決意したレオンにとって、与えられた最初の試練であるといってもよかった。

レオンは賭けをした。

縮地を奪い、災嵐を生きのびることができれば、自分はそのときようやく自分の弱さを捨てることができる。

孤独を、受け入れることができる。

しかしそれを果たせなければ、自分にはケタリングと共にある資格はない。

ただの弱い、親殺しの人でなしだ。

そうしてレオンは自分自身を乗り越えるための賭けに出た。


けれど結局、賭けは有耶無耶となってしまう。

レオン自身、そんなものは、どうでもよくなってしまったのだ。

カイとの出会いによって。

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