「あなたはカイだよ」
〇
意識を取り戻すと同時に、カイは激しくせきこんだ。
水を吐き出し、震えながら、荒い呼吸を繰り返した。
どれだけ息を吸っても、苦しみは治まらない。
カイは渓流の岸辺に寝かされていたが、まるでまだ水の中で溺れているかのように、喘ぎ続けた。
「カイ、落ち着いて」
アフィーはカイの口もとを拭った。
「息、ゆっくり、吸って。吐いて」
アフィーはゆっくりカイの背をさする。
カイは呼吸をそれに合わせる。
呼吸は次第に落ち着いていき、カイの意識も明瞭になる。
カイの隣には、気を失ったままのシェルティとレオンが寝かされていた。
カイは二人と、自分の身体にかけられたオーガンジーを見て察する。
(シャボン玉は、オーガンジーだったのか……)
三人を助けたのはアフィーだった。
アフィーはオーガンジーを使って、三人を無事に着地させていた。
「なんでだよ……」
カイは力なく呟いた。
「お願いだから、もうなにもしないでくれ」
「だめ」
「死なせてくれよ……」
「だめ」
アフィーははっきりと言った。
「死なせない」
紺碧の瞳が、カイをまっすぐ見つめている。
曇り空を背景に見ると、アフィーの瞳の中でだけ青空が広がっているようだった。
カイはそれをとても眩しく感じた。
自分と同じ空の下にいるとは、とても思えなかった。
「誓った。今度こそ、カイを、守るって。……わたしは、もう誰にも、カイを、傷つけさせない。カイ、自身にも」
カイの額を、水滴が伝う。
濡れた前髪からこぼれたそれを拭おうとアフィーは手を伸ばしたが、カイは顔を背けた。
「――――勝手だな」
カイは濡れた地面に目を落としながら言った。
「わかってるか?おれのせいでたくさんの人が死んだんだぞ?丙級のみんなも、アリエージュも、みんなおれのせいで死んだんだ」
「カイが殺したわけじゃない」
「でもおれがちゃんと縮地を発動させてたら死ななかった」
「……」
「おれが殺したも同然だ。それに――――なあ、見ろよ。おれの顔。よく見てみろよ……!」
カイは引きつった笑みをアフィーに向ける。
「ラウラだぞ?ラウラになっちゃったんだぞ、おれ。アフィー、耐えられるのか?お前の一番大事な友だちの中身が違うものになっちゃったんだぞ?――――お前の好きだったひとは、女の子になっちゃったんだぞ」
アフィーはなにも言わなかった。
けれど決してカイから目を逸らさなかった。
「どれだけおれを守ったって、もうなにもないんだ。もうなにももとには戻らない。アフィー、ぜんぶ、ぜんぶ思い込みなんだ。自分に都合よく考えちゃだめだ。現実を見ろ。お前の一番の友だちは死んじゃったんだ。お前の好きな人はもういないんだ。いまアフィーの目の前にいるのは、ただの、くそみたいな、死にぞこないだ」
「あなたは、カイだよ」
アフィーははっきりと言った。
「わたしは、間違えてない。あなたは、カイ。わたしの、好きな人。身体が変わっても、それは、おなじ」
「だからそれは――――」
「カイが言った」
アフィーはおもむろにカイの頬をつねった。
「カイが、言った。わたしに。信じていいって。みんな、自分の、見たいものを見てる。だから、わたしも、見ていいって。決めるのは、誰かじゃなくて、自分。好きなことも、嫌なことも。――――大事なことは、口にしないと、だめ。嫌なら、ちゃんと嫌っていわなきゃ、だめ。怒らなくちゃだめ」
アフィーはカイの頬から手を離し、目を細めた。
「ぜんぶ、カイが、わたしに、教えてくれたこと」
「おれが……?」
「だからわたし、怒る。カイに、死んでほしくないから。カイが死ぬの、嫌だから、怒ってる」
「……だから、覚えてないんだって」
「じゃあ、教える」
「……!」
アフィーはカイの頭を自身の膝に乗せた。
「カイが覚えてなくても、わたしは、覚えてるから。教えてあげる。カイが、わたしにしてくれたこと。わたしの、好きな人のこと。わたしのこと。ぜんぶ。知ってほしいから」
カイの顔をのぞきこみながら、まるで小さな子供に寝物語を聞かせるような調子で、アフィーは語り始めた。
「カイに会うまで、わたし、人じゃなかった」
それは孤独な少女と、少女に希望を与えた救世主の物語だった。
「カイが、わたしを、人にしてくれたんだよ」