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夢(二)

(――――?)


水底に軽く背をぶつけたカイは、その反動で浮き上がった。

目を開けると、自分の作る水疱が、きらきらと光りながら上に昇っていくのが見えた。

水面にたたきつけられて、カイは死ぬはずだった。

けれど澄んだ渓流はカイをまるで包み込むように受け止めた。

カイは自分より先に、シェルティが浮上していく姿を見た。

シェルティも気を失っていたが、その口からは気泡が溢れ、怪我を負っている様子もない。

カイの朧な視界の中で、シェルティはシャボン玉に包まれていた。

そしてカイもまた、気づくとシャボン玉にくるまれていた。

虹色に光る薄い膜は、カイをゆっくりと持ち上げる。

カイはシャボン玉によって、水面に運ばれていく。

透明で、明るく、冷たい水底から、曇り空の下へと。









カイは夢を見る。


それはラウラが最後にみた夢の続きだった。

カイは黒く淀んだ井戸の中でもがいている。

井戸の底から延びる、無数の人の手によってカイは沈められている。

それらの手には皮膚がなく、肉と骨がむき出しで、腐りかけていた。

手は脆かった。

カイのわずかな抵抗でひしゃげ、崩れてしまった。

崩れた手は水に溶け、その濁りの一部となった。

手は脆かったが、どれだけ振り払っても、次から次へと伸びてきた。

カイがどれだけ暴れても、その身は沈み続けた。


カイはやがて力尽きた。

手に全身を絡みとられながら、井戸の口に手をのばした。

そこから漏れる光は、まるで月のようだった。

遥か彼方にあって、とても届かないとわかっているけれど、手を伸ばさずにはいられなかった。

カイは願った。

ここから出たい、と。

すると白い手が差し伸べられた。

どこからともなく現れたその手は、花が開くように、カイの目の前で広げられた。

その手には小指と薬指がなかった。

カイはなにを考えることもなく、その手に縋った。

これで助かると、光のもとへ戻れると、歓喜した。

白い手はカイの望み通り、カイの身体を井戸の上へ持ち上げた。

そうはせるまいと、さらに多くの手が、カイの身体にまとわりつく。

カイは身をくねらせ、足を蹴りだし、それを振り払った。

激しく暴れながら、ふと、不安に襲われた。

ああ、これは蜘蛛の糸かもしれない、と。

自分の縋るこの白い手は、ほどなくして切れてしまうのではないか、と。

けれどそれは杞憂だった。

白い手はカイを力強く引っ張り上げた。

やがてカイの身体は水から離れ、すべての手をふりほどいた。

カイの身体は光に包まれる。

すべての苦痛から解放される。


外だ!


黄金の麦畑の中に、カイは投げ出される。


バシャンッ!


カイは井戸から出たが、それと同時に、なにかが井戸に落ちる音が響いた。

なんだろう、カイはそう思ったが、麦の穂のベッドは温かく、心地よく、すぐに起き上がることはできなかった。


しばらく休んでから、カイは起き上がった。

井戸に落ちたものがなにか確かめようとした。

けれど、井戸はどこにもなかった。

淡い春の空と、夏風にそよぐ黄金の麦畑が、どこまでも広がるばかりだ。


ラウラ!


カイは叫ぶ。


ラウラ!


カイは本当は気づいていた。

あの手がラウラのものであることを。

気づいていたが、それでも縋ってしまった。

縋らずには、いられなかった。

そしてカイは救い上げられた。

代わりにラウラは落ちていった。

もう助けることはできない。

井戸はすでに麦畑に埋もれてしまっていた。

穏やかな陽気の下、実り豊かな麦畑の中で、カイはひとりだった。


カイは蹲った。

小指と薬指のない、白く小さな手で、柔らかい地面を掘った。

ラウラはこの世界で最も暗い場所に沈んで行ってしまった。

本当は自分が行くべきだった場所に。

井戸はもうなくなってしまった。

カイがその場所にいくためには、自分で深い穴を掘るしかない。

カイは麦畑を掘った。


ごめんなさい。

ごめんなさい。

ごめんなさい。


そう懺悔しながら、素手で、柔らかい地面をかき続けた。


カイ。


遠くで、誰かが、カイの名を呼んだ。


カイ。


声は、カイを探しているようだった。

けれどカイは答えなかった。


カイ。知ってるよ。そこにいること。


声はカイのいる場所へまっすぐ向かってくる。


くるな!


泣き叫ぶカイに対して、その声は、喜びに弾んだ。


よかった。やっぱり、いたんだ。


カイはなおも叫んだ。


なにがいいもんか!おれは、ここにいちゃいけないんだ!


そんなことない。


おれは行かないといけないんだ!本当は、あの井戸の底に行くのは、おれだったんだから……!


だめ。


地面に伏せるカイは、声の主に、抱きあげられる。


「そんなところには、行かせない」

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