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「殺してくれ」

「皇家に伝わる秘伝なんだ」

シェルティは告白する。

カイを生かすために、カイを殺した罪の懺悔を。

「宝珠という霊具がある。人の記憶を消すことができる霊具だ。ぼくはそれを使って、きみの記憶を――――きみがここにきてから眠るまで、一切の記憶を消し去ったんだ」

「……は?」

カイは言葉を失う。

シェルティはカイの視線から逃れるように顔を伏せ、懺悔を続ける。

「ぼくがきみを殺したんだ。だから、きみは、きみを責める必要はない。それをしたきみは、ぼくがもう殺してしまったんだから」

シェルティは喉を絞められているかのような喘鳴を絞り出す。

「今のきみだってそうだ。思い出したわけじゃないんだろう?ラウラの記憶を見て、知っただけなんだろう?それなら、やはりきみは、きみを責めてはいけないよ。ましてや死ぬ必要なんてない。きみのことは、すでに、一度、僕が殺したんだから」

「シェル……」

「ラウラの身体だって、気にすることはない。だって、きみは、ラウラを知っているだけで、彼女のことを覚えているわけじゃないんだから――――」

「シェルティ!」

カイはシェルティの頬を殴った。

強風の中、乾いた音はいやにはっきりと響いた。

「お前……!」

「――――そうだよ。きみが本当に責めるべきはぼくだ」

「ふざけんなよ!」

カイはシェルティの胸を殴った。

弱弱しい、まるで力の入っていない拳で。

「それでおれが納得すると思ってんのか!?」

「カイ……」

「おれを助けようとしてくれたんだろ!?わかってんだよ!誤魔化すなよ!そんなことしたっておれのやったことはなにも変わらねえだろ!?そんなことまでして生かすなよ!中途半端なことするなよ」

カイはシェルティの手をとり、自身の首をつかませた。

「殺すならちゃんと殺せよ!」

泣き叫ぶカイの顔を、レオンが殴った。

「いい加減にしろ!」

レオンはカイの胸倉をつかみ、持ち上げる。

「うっ――――!」

「レオン!」

シェルティはレオンからカイを引き離そうとする。

けれどアフィーが、シェルティを抑えつける。

「アフィー、離せ!」

アフィーは黙って首を振る。

「見えないのか?!カイが――――」

「わかってる。でも、もう、シェルティは、だめ」

「なにを――――」

アフィーは唇を噛み、レオンとカイを見つめる。

レオンは鼻を鳴らし、喘ぐカイに言った。

「あいつがどんな思いでお前の記憶を消していたと思ってんだ」

「それは――――」

「てめえの命より大事なもんを、その手で切り刻むんだ。殺すんだ。どれだけの覚悟がいると思ってんだ。それに比べれば、てめえを殺すことも、世界を滅ぼすことも、笑えるくらい簡単だろうよ。あいつはそれだけのことをしたんだ!お前ために!」

レオンとアフィーは傍からそれを見ていた。

シェルティがカイの記憶を消す姿を、ずっと見守っていた。

二人にはなにもできなかった。

カイを救うために、シェルティが傷つき、消耗していくさまを、ただ見ていることしかできなかった。




記憶は一度にすべてを消したわけではない。

宝珠を使って、カイの持つすべての記憶を消し去ってしまうことは簡単だった。

けれどそうはしなかった。

それをすればカイは本当に死んでしまう。

もとの肉体を失ったカイにとって。記憶だけが、自身を自身たらしめるものだったからだ。

シェルティはせめてもとの世界の記憶だけは、残したままにしようとした。

部分的な記憶の消去には、手間と時間がかかった。

カイの持つ記憶の本を燃やしてしまうのではなく、エレヴァンに呼び降ろされてから今日にいたるまでのページを、一枚一枚丁寧に外していかなければならない。

シェルティは、ひとつまたひとつと記憶を失っていくカイと対峙し続けた。

カイは忘れていった。

南都での悲劇を。

縮地の失敗を。

五人で交わした約束を。

他愛もない会話を。

ともに囲んだ食卓を。

感動した景色を。

レオンを。アフィ―を。シェルティを。

そしてラウラを、カイは忘れた。

それはシェルティにとってこの世のどんな拷問よりも苦痛を伴う行為だった。

いっそカイとともに死んでしまった方がどんなに楽だろうと、シェルティは何度も思った。

それでも彼はやり遂げた。

カイを、すべてから解放する。

なにも背負うことのない、自由で、幸福な日々を、ともに過ごす。

ラウラに託された望みを、カイの夢を、自身の願いを叶えるために、シェルティは耐え抜いた。

五年という長い歳月をかけて、なによりも大切な人を、少しずつ、何度も、殺した。

削ぎ落し、作り変えた。

カイはもはやなにひとつ、誰一人、覚えてはいなかった。

カイに残るのはもとの世界で生きた二十年分の記憶だけだった。

令和の東京を生きる二十歳の大学生に、カイは戻った。

大罪人でも、救世主でもない、ただの三渡カイに。


目覚めたカイは死にたいなどということはなかった。

食事を求め、睡眠をとった。

生きる気力があった。見知らぬ世界に目を輝かせていた。

きみは世界を救ったんだ、というシェルティの嘘に、目を輝かせた。

その笑顔は、シェルティがなによりも願っていたものだった。

けれどその笑顔は、シェルティの心に残る傷跡を抉った。

カイはなにも知らないから笑っているのだ。

カイの笑顔は本物だが、カイの生きる世界は偽物だった。

シェルティは一生、カイに嘘をつかなければならない。

これから先カイがどれだけ幸福であろうとも、シェルティは心の呵責に苛まれなければならない。

なぜならばカイを救ったのはシェルティだが、同時にカイを殺したのもまたシェルティであるからだ。

彼が負った代償は、あまりにも重いものだった。

それでも、ほかならぬカイのためであると信じて、受け入れた。

いばらの道を、素足で、その腕にカイを抱えて歩くことを。




シェルティはもう十分傷ついていた。

彼の全身に、傷の付いていない場所はない。

レオンとアフィーはそれを知っていた。

「お前だけは否定するな。こいつのしたことを」

だからこそ、カイがシェルティを責め立てることを、許せなかった。

「シェルティはお前を殺したくて殺したわけじゃない。ラウラだってそうだ。お前を絶望させるために身代わりになったわけじゃない。あのときおれがお前を殺さなかったのも、そうやって惨めに喚かせるためじゃねえ。お前は、まだ生きるべきだと思ったからだ。お前に生きてほしいと願ったからだ。――――だが」

レオンはカイの首に手をかける。

「もしそれでもお前が死にてえというなら、今度こそおれが殺してやる」

カイは両手でレオンの腕をつかむ。

すでに酸欠に陥っているカイは、苦しみから逃れるため、やめてくれ、と言おうとした。

けれどレオンの腕をつかんだ自分の手を見て、思いとどまる。

小さな手だった。

自分の意志で動かしているとはとても思えない、きれいな手だった。

カイはレオンの腕からゆっくりと手を引いた。

凍傷で壊死したために、根元から切断された左手の小指と薬指を見つめながら、カイは言った。

「殺してくれ」

レオンは深く息を吸い、腕に力をこめる。

血管が浮き出る。

カイは窒息する。

細い首はレオン片手で簡単に締めあげられる。

カイの意識は瞬く間に遠のいていく。

「アフィー!」

レオンは怒鳴る。

アフィーはレオンの腕にオーガンジーを巻き付けていた。

五枚あるオーガンジーを、レオンの四肢と顔に巻き付け、その動きを封じようとしていた。

「離せ!」

「離すのは、そっち!」

レオンは片膝をつくが、それでもカイの首から手は離さない。

アフィーは茫然自失とするシェルティの懐に手を入れ、小刀を抜き取る。

レオンはケタリングに進行方向を示すため飛ばしていた光球を、アフィ―に向ける。

アフィーは寸でのところでそれを除けたが、光球はアフィーの目前で破裂した。

光球の核であった硝子玉は、塵となって散開する。

アフィ―はその強烈な閃光に目を潰される。

けれど怯むことなく、目が潰れる瞬間に焼き付けた目標、レオンの腕めがけて飛びつく。

「――――っ!」

アフィーはレオンの腕を切りつける。

小刀は皮膚を浅く割いただけだったが、しかし効果はてき面だった。

「てめえ……」

レオンは倒れ伏す。

小刀に塗布されていた睡薬によって気を失う。

その瞬間、四人の足場が大きく揺れる。

急転回した光球を追って、ケタリングが宙返りをしたのだ。

四人は身構える間もなく空中に放り出される。

「カイ!」

シェルティは咄嗟にカイに飛びつき、その胸にしっかりと抱きとめる。

「くっ――――!」

アフィ―はオーガンジーをそれぞれに飛ばす。

気を失っているレオンを含め、オーガンジーはそれぞれの肩に巻き付き、落下傘となる。

四人は緩やかな速度で、雲海の中に沈んでいった。

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