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たったひとりを救うために


ラウラは飛び起きた。

全身が汗で濡れそぼり、激しい動悸に息が詰まった。

たて穴の中は、眩しかった。

天井の穴から差し込む朝日で、底には光の柱が立っていた。

穴の先に広がる空は青く、小鳥が囀っていた。

(うそ、わたし、眠ってた……?)

ラウラははっとして、隣で横たわるカイを見る。

「ああっ!」

カイは、まだ、生きていた。

けれどその姿はもはやカイのものではなかった。

顔も、手足も、大きく腫れあがっている。その色は赤や紫で、もとの面影はみじんも残っていない。

「カイ、さん……」

ラウラはその手にそっと触れる。

血がすべて湯に代わったのではないかと思うほど、カイの身体は熱かった。

脈も、呼吸もかすかで、いつ途切れてもおかしくはなかった。

(なんで)

(なんで、カイさんが、こんな目に合うの?)

(なんにも、悪いことしてないのに)

(ただ、私たちを、助けてくれただけなのに)

(こんな……)

カイの口が、かすかに開く。

「……お……うぁ」

「カイさん!」

ラウラはカイの口もとに耳をよせる。

「ラウラ……」

「はい。私は、ここに、ここにいますよ」

「シェル……アフィ―……レオン……」

「みんないま向かってきてますよ。もうすぐです。すぐにきます」

ラウラの励ましの言葉は、カイの耳には届かなかった。

「……いやだ」

カイは譫妄の中、呟いた。


「死にたくない」


ラウラは凍りつく。

心臓が弾ける。頭の中で火花が散って、激しい眩暈に襲われる。


「死にたくない」


カイは、繰り返す。

震え、かすれた、小さな声で。


「助けて」

「痛い」

「熱い」

「怖い」

「死にたく、ない」


カイは宙に手をのばす。

なにかをつかもうとするように。

縋りつこうとするように。

けれどその手は、虚しく宙をかくだけだった。


「……リュウ」


カイは呼んだ。

もといた世界に残してきた愛犬の名を。


「父さん……」

「母さん……」


カイは呼んだ。

もう二度と会うことのできない父と母を。


「しにたく、ない、よ……」


カイの手がゆっくりと落ちる。

(だめ)

ラウラはそれをつかみとる。

(絶対だめ)

(この人をこのまま死なせちゃいけない)

(私たちは、もうすでに一度、この人から人生を奪ってる)

(家族を、生活を、未来を、全部奪って、ここに連れてきた)

(奪うだけ奪って、世界を救えって、役目をおしつけた)

(……あんまりだ!)

ラウラは唇を噛む。

(カイさんは助けてくれた)

(私を。みんなを)

(全員じゃなかった。でも、たしかに、私はカイさんに、助けられた!)

(それなのに、私は、縮地が失敗したって、そればっかり気にして)

(まだお礼の一言もいえてない……)


ラウラはカイの手を、強く握りしめる。

その手はすでにカイのものではなかった。

腫れた肉の塊でしかなかった。


(私、カイさんに、なにも返せてない)

(このまま……このままお別れなんて、絶対いやだ)


噛み締めた唇から血がにじむのにも気づかず、ラウラは考える。

カイを助ける手立てを。

苦痛を、少しでも和らげる方法を。


(思いつかない)

(本当に、私は、役立たずだ)

(お兄ちゃんみたいに頭がよかったら)

(ノヴァみたいにいつも冷静でいられたら)

(カイさんを、救えたかもしれないのに……)

(まただ)

(私は、また、なにもできないまま、大切な人を……)


「……あっ」


ラウラはふいに、顔をあげた。


(そうだ)

(できる)

(私にもまだ、できること、あった)


ラウラは立ち上がった。

汚れた服のまま泉の中に入り、その身を清めた。

濡れて透けた服が、肌に張り付く。

肌に刻まれた瘢痕分身が、服の模様であるかのように浮かび上がる。

ラウラはそれをひとつひとつなぞりながら、霊摂をはじめる。

泉には霊がふんだんに含まれていた。

ラウラはそれを身体に取り入れ、自らの力とする。

全身の模様が、淡く発光する。

濡れた髪が、日を浴びて、黒曜石のように光り輝く。

ラウラの身体に、霊力が満ち渡る。

霊力を得たところで、身体の痛みは消えない。

傷が癒えるわけでもない。

それでもラウラは、体に力を漲らせた。

濡れた身体のまま、ラウラはカイのもとに戻る。

(……あっ)

カイに触れようと伸ばした左手に、誰かが触れる。

(ああ……)

親指の指輪が熱を持つ。

(ノヴァ……)

それはノヴァの霊力だった。

指輪を頼りに、ノヴァはラウラを探していた。

放っておいても、彼は自分の霊力を手繰ってこの場所にたどり着くだろうが、ラウラが霊力を返せば、正確性が増し、到着する時間も早くなる。

けれどラウラは、指輪に応答しなかった。

それどころか、ラウラは指輪を外してしまう。

愛おしそうに、名残惜しそうに、両手で抱きしめてから、カイの左手の薬指に、指輪の本来あるべき場所に、戻した。

カイの折れ曲がった薬指に、指輪はぴたりとはまった。

ラウラは微笑み、カイの手をそっとおろした。

そしてラウラは、カイの首に手をかけた。


「カイさん」


最後の一雫の涙が、カイの頬に、零れ落ちる。


「いま、楽にしてあげますからね」


ラウラはその手に、ありったけの力をこめた。

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