吊るされた友
〇
むごたらしく死んだ二人に、ラウラは見覚えがあった。
確証はない。焼かれた顔では正確な判別をつけることはできない。
(まさか)
(でも、この二人は……)
ラウラは二人の名を呼ぼうとしたが、口から出たのは乾いた空気だけで、どのような音も発することができなかった。
ラウラの身体は、拒絶していた。
目の前の遺体が、ラウラの知る二人であることを。
ラウラは四人に顔を向けた。
知らない人であってほしいと、願いをこめて。
けれど、アフィーは蒼白になっていた。カイはカタカタと歯を鳴らしていた。
ラウラはまた遺体と向き合った。
やはりこれは、彼らなのだ。
「助け、ないと」
二人の遺体から滴る血を見て、ラウラは言った。
「……」
アフィーは手にした小刀を強く握りしめ、一歩前に踏み出した。
「やめろ」
レオンが、その手をつかむ。
「でも……」
「もう助からない」
「でも、まだ、血が――――」
「死んでるよ」
シェルティはラウラの腕を引く。
「行こう。ここは離れたほうがよさそうだ」
「せめて、おろしてあるだけでも……」
「いいから行くぞ」
レオンとシェルティは勘づいていた。
これをやった者たちはまだ近くにいるということを。
そして彼らは、自分たちに敵意があるだろう、ということにも。
五人は都市の中心地に移動した。
都市の象徴であった、高くそびえる鐘塔はその土台を残すのみとなっていた。
鐘塔の周辺に並び立ち、都市の空を狭めていた石造りの尖塔の峰々も消えた。
都市の空は広くなった。
伐採された森林のような都市では、満点の夜空を見渡すことができた。
けれどどれだけ空が広がろうとも、星が瞬こうとも、それを望む人間はいなかった。
皆、俯いていた。
上を見ることなどできなかった。
星の光は、人びとには眩しすぎる。
足元に注意を払わなければ、瓦礫や転がる死体に足をとられてしまう。
人びとは明るい夜空を避けるように、瓦礫の中の暗い影に身を置いて、夜を過ごしていた。
「……マヨルカ?」
ラウラは影のひとつに声をかける。
少年は座り込んだまま、目線だけをあげた。
「ラウラ姉ちゃん……」
衰弱した少年には、立ち上がるどころか、顔をあげる力も残されていなかった。
少年はただ、呟いた。
「助けて……」
「……!」
ラウラはこみあげてきた涙をぐっと堪え、力強く頷いた。
「うん……!助けにきたよ。もう大丈夫だからね。もうなにも心配いらないからね」
「よかった……」
マヨルカは嬉しそうに目を細めた。
マヨルカだけではない。南都で守護霊術の起動を担っていた子どもたちはみな、鐘塔のあった場所にいた。
屋根はなく、壁だけが残る土台部分に、全員が一列に並んで、もたれかかっていた。
「助かるんだね、よかった」
マヨルカは再び呟いた。
傍に寄ったラウラは、爛れた指先に走る激痛も気にせず、マヨルカの頭を撫でた。
「よくがんばったね。みんなも――――」
ラウラはマヨルカの隣に並ぶ子どもたちを見た。
みな、目を閉じていた。
「――――え」
きれいな顔だった。
眠っているようだった。
服は汚れていたが、その顔は清められ、髪も、姿勢も、きちんと整えられていた。
「死んじゃったよ、みんな」
マヨルカだけは、血と泥で全身を汚したままだった。
そして、彼だけが、生きていた。
「みんな、死んだんだ。おれは、テネリファが庇ってくれて、それでまだ生きてるんだ」
マヨルカはラウラをじっと見つめた。
一点の曇りもない瞳は、満点の夜空を映し、輝いていた。
「助けてくれるんだよね」
「あ……」
「助けて、ラウラ姉ちゃん」
「ああ……」
「みんなを、生き返らせて」
ラウラはその場にうずくまる。
激しい眩暈に襲われ、過呼吸に陥る。
「ごめんなさい」
ラウラは瓦礫に額をこすりつけ、声を、絞り出す。
「ごめんなさい――――私は――――私は……!」
「ラウラ姉ちゃん?」
マヨルカの顔が、次第に強張っていく。
「助けてくれるんでしょ?」
「……ごめんなさい」
「嘘だよ。だって、ラウラ姉ちゃん、なんでもできるじゃん。大人より霊操うまくて、霊術のこともいっぱい知ってるじゃん」
「……ごめんなさい」
「ラウラ姉ちゃんにできないことなんて、ないでしょ?」
「――――できなかった!」
ガンッ!
ラウラは額を瓦礫に打ち付ける。
皮膚が擦りむけて、血が滲む。
「私は、なんにも、できなかったの……!」
「嘘だよね……?」
「ごめんなさい……」
「じゃあ誰がみんなを助けてくれるの……?」
「わたしには……できなかった……」
「ラウラ姉ちゃんがだめなら、誰にも助けられないじゃん。そんなの――――それじゃあ、みんなこのまま死ぬの?」
「……」
「助けてよ、姉ちゃん」
マヨルカは起き上がり、ラウラに縋りつく。
「だって、テネリファはおれを――――おれを庇って、死んだんだよ?助けてよ。おれ、やだよ。こんなの――――おれだけ残って――――どうすればいいんだよ。きっと姉ちゃんが助けにきてくれると思って待ってたんだよ。それなのに――――」
マヨルカの表情が歪む。
その乾いた身体からは、一滴の涙も滲まない。
「助けて、くれないの?」
「ごめんなさい……」
希望を失ったマヨルカを前に、ラウラはそう繰り返すことしかできなかった。
〇
レオンとシェルティはすぐに南都を離れるべきだ、と考えていた。
彼らはまだ、縮地の間になにがあったのか、どれだけの時間が経ったのかさえ、把握していなかった。
けれどまともに話のできそうな人は誰もいなかった。
その上、不穏な空気が蔓延している。
肌に、視線が刺さる。
敵意を持った誰かが、自分たちを見ている。
「暗いうちにここを出るぞ」
レオンはそう言ったが、ラウラは子どもたちの傍を離れようとしなかった。
「置いていけません」
「ならガキも一緒に連れてこい」
「おれはみんなとここにいる」
マヨルカはテネリファの隣で膝を抱えた。
「……私も残ります」
ラウラはテネリファの唇にとまった蠅をはらいながら、言った。
「きちんと埋葬してあげないと……」
「もう十分整えられてる」
「整えるだけじゃ――――ほら、また蠅が――――」
「周りを見ろ。こいつらほど丁重に扱われるやつはいねえ。いまはこれだけで十分だと思え」
レオンはラウラを抱きあげたが、ラウラは悲痛な声で懇願する。
「お願いします、この子たちの、そばに、いさせてください……」
「……レオン」
見かねたアフィーも、レオンの袖を引く。
「おろしてあげて」
レオンは軽く舌を打ち、ラウラを下ろした。
「もう少しだけだ。夜明けまでには、必ず発つ」
「ありがとう」
ラウラに代わってアフィーが礼を言った。
レオンはため息をつきながらアフィ―の肩を叩いた。
「ぼくたちもすこし休もう」
シェルティは、立ち尽くしていたカイを座らせた。
「……ここを出て、それで、どこに?」
「とりあえず、たて穴に行くのがいいと思う」
「たて穴……」
「うん。レオンに攫われて以来、戻ってないだろう?小屋の中には薬や着替えがそのまま残っているはずだ。水も食べる物もある。他に人がいることはないだろうから、あそこなら少し落ち着ける、と思ってね」
「でも、たて穴も、ここと同じようになってるかもしれない」
「なっていないかもしれない。賭けだよ、これは」
「……いいのかな」
「え?」
「だって、こんな――――こんな、めちゃくちゃなことになってるのに、休んでちゃ、だめだろ?」
「カイ……」
「こ、こ、ここだけじゃないかもしれないんだろ。世界中が、同じようにめちゃくちゃになってるかもしれないんだろ。おれが――――おれが、縮地をしなかったから――――」
「――――カイ」
カイの横に、レオンが腰をおろす。
「お前のせいじゃねえ」
「レオン……」
「それに他がどうなってるか、行ってみなきゃわかんねえだろ」
「そうだよ、カイ。レオンのいうとおりだ。まずぼくらは、一体なにが起こったのか、知るところからはじめないと」
「……うん」
「そのためにも、まずは休むんだ。ぼくたちみんなぼろぼろだからね。いま動いても、すぐに倒れちゃうだろ。一度体制をたてなおしてから、状況を見極めて、その上でなにをするべきか検討しよう」
「……わかった」
カイの返事を聞いたシェルティは肩の力を抜き、深く息を吐いて目を閉じた。
「ぼくも限界だ。――――少しだけ眠らせて」
シェルティはカイの肩にもたれかかった。
カイもシェルティに寄りかかり、目を閉じた。
「……なあ、シェル」
「なんだい?」
「さっきあった像にさ、おれの名前書いてなかった?」
「……」
「あれって、もしかして――――」
「気のせいだよ。きみの名があったなら、まずぼくが気づくはずだから」
「……そうかな」
「うん。あの像も、あそこにいた二人も、きみとはなんの関係もないものさ」
眠ろう、とシェルティに促され、カイは口を閉じた。
二人の会話を傍で聞いていたラウラも、アフィーと寄り添いあって、眠りに落ちた。
浅い眠りだった。
眠っているのか、ただ目を閉じているだけなのか、わからなかった。
いま自分の意識は夢の中にあるのか、現実にあるのか、ラウラには判断がつかなかった。
だからこそ、ラウラは、指輪に触れた。
なけなしの霊力を注ぎ込み、その反応を確かめた。
左手の親指が、熱を持つ。
ラウラの霊力は、まっすぐ北へ伸びていく。
そしてある一点に結びつけられる。
(繋がった)
ラウラは目を閉じたまま、指輪を握りしめる。
すると結びついたもうひとつの指輪から、霊力が、応答が返ってくる。
(……ノヴァ?)
ラウラの頬を、涙が伝う。
雪を解かす、春の到来を告げる雨のような暖かい涙が、伏せた瞳からあふれ出る。
(ノヴァは、生きてる)
引き裂かれ、今にも止まってしまうそうだったラウラの心臓が、再び動き出す。
痛みは消えないが、鼓動が止むこともない。
どんなに苦しくても、暗闇に溺れ、沈むことはない。
ノヴァが生きている。
それは、ラウラにとってなによりもの希望になった。
ラウラは指輪から手を離した。
彼女はまだ夢と現の狭間にいた。
ノヴァの霊力を感じたのは、夢の中の出来事だったかもしれない。
ラウラは真実を知ることを恐れた。
都合のいい夢が見せた幻だったとしても、一縷の希望を失いたくはなかった。
指輪の熱が完全に冷めるのを待ってから、ラウラは瞼を開いた。
瓦礫の荒野で野営する人びとの灯りが、漁火のように瞬いていた。
「――――おい」
レオンが、舌打ちをした。
「起きろ。すぐに出発するぞ」
一人だけ眠らずに警戒を続けていたレオンは、声を潜めて言った。
「急げ」
ラウラは起き上がり、影の中から、都市を見渡す。
眠りつく前にも、野営の灯りはあった。
それはまばらで、都市全体を見渡しても両手で数えることができるほどの数だった。
それが今では、無数の漁火として、都市全体を明るく照らし出すほどに増えている。
ラウラが見ている目の前で、それは増え続けている。
燃え移っていくように、ひとつ、またひとつと。
焚火であったはずのものが、松明として、人びとの手に握られていく。
ひとつひとつは小さな灯火だ。けれど集まると、炎の広野となる。
レオンは異常をすぐに察知した。
けれど炎が広がる速度は尋常でなく、五人はあっという間に、四方を炎で囲まれてしまった。
「これは……?」
まだ炎は遠く、松明を掲げる人びとはラウラたちの居所をつかんでいなかった。しかし時間の問題だ。炎は次第に近づいてくる。人びとが作る輪は縮まっていく。
まるで巻き狩りだった。
ラウラたちは獲物として追い立てられていた。
「いつの間に……なんで……」
「考えるのはあとだ」
レオンはカイの王笏から残る二つの飾り玉を引きちぎる。
「いいか、お前ら。おれは連中を散らしてくる。それまでここを、絶対に動くんじゃねえぞ」
「えっ」
カイは王笏を握るレオンの手をつかんだ。
「ま、待ってよ。なに?なんで?そんな、敵に囲われてるわけじゃないんだから――――」
「敵だよ」
シェルティはカイをレオンから引き離す。
「理由はわからない。けれど彼らの狙いはおそらくぼくらだ。敵意を持って、ぼくらを探している」
ラウラの脳裏に、塑像に縛りつけられていた遺体の姿がよぎる。
レオンは影を縫うようにして走り出す。
「レオン!」
カイは慌てて追いすがろうとするが、シェルティに止められる。
「離せよ!」
「ぼくらが行っても足をひっぱるだけだ」
「レオンになにかあったらどうするんだよ!」
「彼ならだいじょうぶだ。それはきみが一番よく知っているだろう?」
「それは――――」
「彼は強い。誰よりも。だからきみが心配してるようなことは、絶対に起こらない」
離れたところで、閃光があがる。
それはレオンが囮に放った光球だった。
カイたちを取り囲んでいた炎は形を崩し、吸い寄せられるように光球の下へ集っていく。
「レオン……」
カイは光球を見つめながら、呟く。
「おれは、レオンがそこで死ぬことを許さないからな。――――誓い、忘れるなよ」
ゴンッ。
鈍い音が、響いた。
カイの足元に、投げられた石が転がる。
シェルティが地に伏せ、額を押さる。
「シェル!」
「くっ――――伏せろ!」
ゴンッ。
再び、鈍い音が響く。
二度目の投石は、カイの肩にあたった。
カイは痛みにうめき、膝をつきながら、再びシェルティの名を叫ぶ。
「大丈夫、大丈夫だから」
そう答えるシェルティの額からは、血が滴っている。
「見つけたぞ」
瓦礫の影から、投石を行った人物が姿を現す。
「カイ・ミワタリ……!」
現れた男には、顔がなかった。
塑像に縛られていた遺体と同じように、男の顔は、炙り落とされてしまっていた。
とても生者とは思えないその男は、カイの級友、ヤクート・ダルマチアだった。