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最後の糸を断ち切る雷鳴


ラウラは激痛で目を覚ました。

両手の指をゆっくりとすり潰されているかのような痛みだ。

もちろん本当にそうされているわけではない。

ラウラはおそるおそる自分の両手を見た。

指先には色が戻っていたが、それはもとの肌色ではなく、赤黒い不気味な色だった。

「起きたか」

痛みに悶えるラウラに、レオンはぬるま湯のはいった鍋を差し出した。

「つけろ」

小さな幕屋の床に寝かされていたラウラは、アフィーの助けを借りて半身を起こし、震える手を鍋にそっと差し入れた。

「うっ……!」

ラウラは呻いた。湯につけたことで痛みが増したのだ。

まるで鋭利な刃に皮膚を削がれているような激痛に、ラウラは耐えきれず、指を引っ込めてしまう。

「耐えろ」

しかしレオンはラウラの指を無理やり鍋に押し戻した。

「煙管をよこせ」

「……本当に大丈夫なんだろうな」

「しつけえな、少量なら痛み止めになるって言ってんだろ」

レオンは訝しむシェルティの手から煙管を奪い取ると、一口吸い込み、ラウラの顔に向けて吐きかけた。

ラウラの鼻に、嗅ぎ覚えのある、甘ったるい匂いが広がる。

(これ……芙蓉!?)

ラウラは思わず息を止めたが、レオンはその顎をつかみ、呼吸を促す。

「吸え。この程度じゃ中毒は起こさねえ」

「ラウラ、吸って」

レオンに続いて、アフィーも、ラウラを促した。

「痛くなくなるから」

アフィ―はラウラの背中をゆっくりとさすりながら言った。

ラウラは頷き、小さく深呼吸した。

それを見たレオンはラウラの顎から手を離し、もう一度煙管を吸い込むと、またラウラに向かって芙蓉の煙を吐き出した。

その匂いはラウラに中毒症状を思い出させる。

ラウラは鳥肌を立てたが、しかし指先の痛みはみるみるうちに和らいでいく。

「落ち着いたか?」

レオンの問いに、ラウラは頷く。

「はい。ありがとうございます」

ラウラは自分の指をしげしげと眺め、首を傾げる。

「怪我をした覚えはないのですが……」

「凍傷だよ」

「凍傷?」

「ここよりもっと上、年中雪の解けない高所に行くとなるもんだ。指が凍って、焼けるんだ」

ラウラの赤黒い指先には、小さな水疱が浮かんでいる。

「本当だ、火傷みたいになってますね」

ラウラはしげしげと指先を見つめながらはにかんだ。

「凍ったのに焼けるなんて、なんだかおかしいですね」

「お前なあ……」

まるで他人事のように言うラウラに、レオンは呆れて鼻を鳴らす。

「言っておくがこれからますます悪化してくからな、それ。覚悟しとけよ」

「そうなんですか?じゃあ、痛みが引いているうちに、他の飛車のところに行かないと――――」

ラウラは立ち上がろうとしたが、アフィーによって抑えられてしまう。

「だめ」

「でも、アフィー。他の飛車の碍子がきちんと外れているか、一か所でもいいから確かめに行かないと」

「動いちゃ、だめ」

アフィーはラウラを押し倒し、手は鍋の中に入れさせたまま、横にする。

「アフィーの言う通りだ。君はもう十分に働いたよ」

シェルティはそれに、と言って幕屋の入り口を少しだけ明けてみせた。

「この有様じゃ、外に出たところでどこにもたどり着けないよ」

幕屋の外は、真っ白だった。

一寸先も見えないほどの吹雪で覆われてしまっていた。


冬営地で碍子を外してから、すでに一晩立っていた。

現在は九月十二日の朝。

災嵐の到来日であり、縮地の実施予定日だった。

碍子を外し、緊張の糸が切れたラウラは、安堵と疲労のため、翌朝まで眠り込んでしまっていたのだ。

「縮地は日没だから、それまであと半日、といったところかな。日が出ていないから、おおよそだけれど」

シェルティはそう言って、アフィーに粥の入った椀を手渡した。

アフィ―はそれをひと匙すくい、よく息をふきかけ、十分に冷ましてから、ラウラの口もとに運んだ。

「おいしい?」

「うん、とっても」

「もっと食べて」

アフィーはひと匙ずつ丁寧にラウラの口へ運んだ。

ラウラもまた丁寧に、それを味わった。

「今まで食べたものの中で一番おいしいです」

「冥利につきるよ。でもどうせなら、もっと十分に手をかけられたときに、聞きたかった言葉だけど」

そう言いつつも、シェルティの瞳は喜びに細められていた。

「いつもすごくおいしいと思っていましたよ。でも、私がそれを言う前に、カイさんに全部とられてしまうので、言い損ねていたんです」

「彼は彼で、全部においしいって言うからなあ」

シェルティはますます幸福な表情になってこぼす。

「味、しない」

しかしそれに、アフィーが水を差す。

「ラウラ、おなかへってるだけ。これ、そんなに、おいしくない」

アフィーの率直な意見に、レオンも同意する。

「まあ、そうだな。塩と豆しか入ってねえからな、味気ないのは確かだ」

シェルティは笑顔を凍り付かせて反論する。

「彼女の身体に負担をかけず、かつ温めるために最適な選択をしたまでだ。気遣いのできないお前たちにはわからないだろうけどね?そもそもこれはラウラのために作ったものであって、お前たちのものではない。勝手に食べておいて好き勝手なことを言うな。そもそも砂糖と酒に漬かった舌にまともな味の判断はつかないだろ」

レオンは鼻を鳴らして無視したが、アフィーはこれに噛みついた。

「味、わかる。それに、元気ないときこそ、甘いものがいい」

アフィーは懐から小さな飴玉を取り出し、ラウラの口に含ませた。

ラウラは口の中にじんわりと広がる甘味に、うっとりとして呟く。

「おいしい……」

アフィーは得意げな顔をシェルティに向けるが、シェルティは嘲笑を返す。

「甘味なんてしょせん嗜好品だ。なんの栄養にもならない」

「栄養があるから、おいしい。身体に必要なものだから、おいしいってかんじる。だから、おいしくないものには、栄養、ない」

「好き嫌いする子どもの癇癪だな」

「シェルティの作るもの、おいしくない。栄養、ない」

「このガキ、言わせておけば――――」

「うるせえぞ」

しびれを切らしたレオンが、二人を一喝する。

「それ以上やんなら外に行け。――――ラウラ、飯が済んだなら手をよこせ」

ラウラはぬるま湯から手を出した。

手は全体がむくみ、指先の水疱の数が増えていた。

レオンは水疱を潰し、傷口に軟膏を塗布してから包帯を巻いた。

ラウラはその処置をぼんやり眺めながら、ぽつりと呟いた。

「やっと、終わるんですね」

シェルティは懐中時計を懐から取り出し、時間を確かめ、頷く。

「そうだね。もう三時間を切った」

「長かったような、あっという間だったような……」

ラウラ今日までの道のりを思い、感慨に浸った。

「まさか最後にこんなことになるとは、思ってもみませんでしたが」

「まあ、そうだね。ぼくもまさか天回が消えるとは思っていなかった」

シェルティもまたこれまでの日々を思い、遠い眼をしていった。

しかし彼は感慨にふけることはなく、その意識はすぐ現実へと戻ってくる。

碍子を外したことで、ひとまず縮地は敢行される、とラウラは安心しきっている。

疲弊した彼女の頭は、いつものように明晰ではない。慎重さをすっかり失っている。

そのため思い至らないのだ。縮地が成功したからといって、本当に災嵐をやり過ごすことができるのか。

天回は元通り姿を現すのか。

この異常な寒波は納まるのか。確かなことはなにひとつなかったが、ラウラの心にはもう少しの不安もなかった。

ラウラの力の抜けた表情から、それを読み取ったシェルティは、懸念を頭に留め置き、代わりに冗談を口にした。

「ただぼくは、すべてが順調にいくとは思っていなかったよ。だって、あのカイが、最後まで大人しくしていられるはずないからね。なにかしらの問題は必ず起こると思っていたよ。――――まさかそれがカイになんの関わりもない問題だとは、思いもしなかったけど」

ラウラは笑って頷いた。

「たしかに、カイさんはいつも渦中にいましたからね」

「なんにでも首をつっこもうとするからな」

「うん、カイは、優しいから」

アフィーとレオンも話に乗り、四人はカイという人間について語り合った。

失敗談を茶化し、悪態をつくこともあったが、言葉の端々に、それぞれがカイに抱く親しみと愛情がにじみ出ていた。

話は途切れることなく弾んだ。

ひと段落着いた。

あとは、カイの縮地を待つだけだ。

瞬きの間に空が晴れ渡るのを、ただ待っていればいいだけだ。

誰もがそう思っていた。

最初はラウラの不安を起こさせないために、と話題をふったシェルティでさえ、心から歓談を楽しんでいた。

四人は達成感に酔いしれていた。

火鉢の中で炭がパチパチと弾ける音。

手を叩く音。

笑い声。

カイに向けた親しみ言葉。

そのどれもが心地よく、温かく、四人は外で雪が吹き荒れていることさえ、忘れてしまうほどだった。


それは、ほんのつかの間の、安息だった。




――――ドォオオッ!




轟音とともに、幕屋は吹き飛んだ。


「……っ!?」

ラウラの身体は剥がれた幕とともに宙を舞い、数メートル先の平樹に激突した。

幕がうまく衝撃をやわらげ、ラウラは傷ひとつなく地面に落下した。

しかしそれでも衝撃は大きく、すぐに立ち上がることはできなかった。

呼吸が止まり、視界が失われる。

なにが起こったのか、ラウラには全くわからなかった。

考える余裕もなく、ラウラは必死に息を吸いこむ。

呼吸は数秒で取り戻すことができた。

短い、喘ぐような呼吸を繰り返すうちに、視界も開けてくる。

穴から覗き込んでいるような狭い視界で見る光景は、ほとんどが白一色で、物の境がまるでわからない。


ガァアアアア!!!


咆哮が響き渡る。

肌を、耳を、激しく叩くその音に、ラウラは聞き覚えがあった。


(嘘だ……)


ラウラは一度目をきつく閉じる。

そして大きく息を吸いこみ、吐き出しながら、目を見開く。


(嘘……)


視界はなおも狭く、白い。

けれど物の輪郭をつかむことはできた。

ラウラの前で、ケタリングが、大きく翼を広げていた。




ガァアアアア――――!

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