鍾塔にて
〇〇〇
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カイさんへ
突然の手紙で、驚かれているでしょうか。
これは、ラウラとアフィ―の二人で、カイさんにお礼を伝えたくて、書いている手紙です。
本当は、直接会って、お話ししたかったのですが、災嵐が去るまで、それは叶いそうにありませんので、筆をとりました。
カイさん、私たちと、出会ってくれて、この世界にきてくれて、本当にありがとうございました。
カイさんと出会ってからというもの、私たちの生活は、がらりと色を変えました。
なにもかもが鮮明で、香ばしく、それまで耳にあった雑音は跡形もなく消え去りました。
まるで違う世界に生まれなおしたかのような気持ちです。
新しい世界はとても広く、毎日新しい発見があります。
咲き誇る野花の力強さ。夜空の月の美しさ。動物たちの育む愛。人びとのやさしさ。
私たちは初めて知りました。
自分たちの生きる世界がこんなにも素晴らしいところだったということに。
カイさんのおかげで、気づくことができました。
カイさんと紡ぐ過去は、暖かく、愛おしく、いつでも私たちを励ましてくれます。
カイさんと生きる今は、瞬きよりもはやく過ぎ去っていきます。
そして私たちは、瞬く先の未来を、光り輝く明日を、またカイさんとともにあることを、心から願います。
カイさんの幸せとともに
ラウラ・アフィ―より
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「――――以上です」
朗読を終えたラウラは、顔から火が出る思いだった。
事実、その顔は耳まで、手紙を握る指先さえも赤く色を変えていた。
「ありがとう。えっと……うん。すごく嬉しいよ……」
そういうカイの顔をもまた、同じように赤かった。
「そんなふうに感謝されて、おれもう十分、幸せ――――なんだけどさ、いっこだけいい?なんで書いた本人がそんな照れてんの!?」
「まさか自分で朗読するはめになるとは思わず……」
ラウラはカイの顔をまともに見ることができず、手紙で顔を覆い隠した。
字の読めないカイに充てた手紙は、誰かが読み上げることになるだろう、と承知していた。
しかしそれがまさか自分自身になるとは、ラウラは思いもしていなかったのだ。
「自分で書いた手紙を読むのが、こんなにも恥ずかしいことだとは、知りませんでした」
「いや恥ずかしがる必要はないでしょ」
「じゃあ、カイさん、これに返事を書いたとして、私とアフィ―の前で読めますか?」
カイはしばらく考えこんで、また顔を赤くして、首を振った。
「絶対無理」
「ですよね」
「そもそもおれ手紙なんてろくに書いたことないし……小学生の作文になるのが目に見えてる。その点、やっぱラウラはすごいな。なんか、手紙まで大人っぽいというか、詩的というか……」
「それが……実はこれ、私たちふたりから、ということになっていますが、レオンさんと殿下にも見てもらって、言い回しとか、言葉とか、手をいれてもらっているんです」
「ああ!四人からの手紙なのか!」
カイは手紙の上の読めない文字に、そっと指を這わせた。
愛おしそうに。壊れ物に触るように。
「会いたいな。みんなに」
「みなさんも、同じことをおっしゃってましたよ。災嵐が終わるまでの我慢だ、って」
私だけ抜け駆けしちゃいましたけど、とラウラははにかんだ。
「おれから言わしてもらえば、みんなはそれぞれ会っててずるいけどな」
カイは憮然とした表情で腕を組んだ。
「せめて文字が読めれば手紙のやり取りとかできたのに」
「やはり異界の文字を覚えるのは大変ですか?」
「うん。まあおれ、英語とかもからっきしだったからさ、異世界だろうがなんだろうが、とにかく語学だめなんだよ。しかもここ、書いてる文字の読みと、しゃべってる言葉ちがうじゃん。難解すぎるよ、みんなよく平然と使ってるよな」
「口語をそのまま書き出す方がずっと難しいと思いますが……」
「やってみればわかるよ。楽勝だから」
カイは手紙に書かれた自分の名前をなぞった。
「おれなんか結局未だに自分の名前しか読み書きできないからな。――――まあそれはシェルに教える気がなかったせいだけど」
ラウラは小首を傾げた。
「殿下とよく勉強されていませんでしたか?」
「いやそうなんだけど、あいつ全然教える気なくてさ。めちゃくちゃな文法を基礎だからとかいって叩き込んだ後に、今の全部嘘だから忘れてとか平気でぬかしやがったからな」
「そ、それは……さすがにひどすぎませんか……?」
「最悪だよ」
「どうしてそんなことを……」
「おれが字読めないことをおもしろがってるんだよ。おれ小説好きだけど、読めないから、あいつに読んでくれって頼むだろ?そしたら頼んでた冒険ものを、エロ本に――――」
「君は本当に反省のない男だな」
ノヴァはカイの襟首を締め上げながら言った。
「話は終わりだ」
「悪かったって!ちょ、もうちょっと時間あるだろ!全然まだ話すことあるから!」
「……次はないぞ」
ノヴァはカイの襟首から手を離し、見張るようにその後ろに仁王立ちした。
「過保護だ」
カイが襟を正しながらぼやくと、ノヴァは大きな咳ばらいを返した。
ラウラは苦笑し、だめですよ、とカイを宥めた。
「ノヴァのおかげで、いまこうして私たち、話せているんですから」
ラプソの冬営地から朝廷に戻ったラウラは、ノヴァの計らいで、カイと面会することを許された。
鐘塔内にあるカイの寝室で、三十分という短い時間だったが、久々に二人で気兼ねなく話す機会を設けてもらったのだ。
護衛も、監視監督役の技官の目もない。
ノヴァは側に控えているが、会話に入ることはなく、持ち込んだ自身の仕事に没頭していた。
カイとラウラは水入らずで、肩の力を抜いて、この短い面会を満喫することができていた。
「――――でも、そうだったんですね」
ラウラは話を戻した。
「殿下にちゃんと教えてもらえなかったから、丙級のみんなに教えてもらおうとしたんですね」
「ああ、そうそう。いや結局あいつらも途中で投げ出したけどね。おれがあまりにもできなかったから……」
「そんなこと……カイさん、さっき自分で言ってたじゃないですか。人に文字を教えるのは、難しいって。みんなもきっとそうだったんですよ。カイさんが悪いわけではありませんよ」
ライラの慰めは逆効果で、カイはますます落ち込んでしまう。
「アフィ―には、みんな熱心に付き合ってたけどな」
「う……あ、それじゃあ私が!私が教えてあげますよ!」
「……いいの?」
「もちろん。私でよければ」
カイはぱっと表情を明るくする。
「是非お願いします……!ってかほんとは、まっさきにラウラに頼みたかったんだよ。でもラウラ忙しそうだったし……ああでもよかった!これでみんなを見返せるわ!」
カイはもう読み書きができるようになったかのように、胸をはった。
「おれさ、文字だけじゃなくてさ、改めてこの世界でできること少なすぎるなって、ここにきて気づいたんだよね」
「縮地はカイさんありきですよ」
「そうじゃなくて、自立してないって意味」
「自立?」
「まあだいたいシェルのせいなんだけどさあ。あいつといると、なんでもやってくれるだろ?身支度から食事まで、今まで全部あいつ頼みだった。シェルに世話されるのは慣れたから、もうなんとも思ってなかったけど、でもここにきてほかの人にやってもらうようになって、改めて、いやこんくらい自分でできなきゃやばいなって思ったわけ。……あいつもあいつでいろいろがんばってるみたいだし、おれも一皮むけとかないとさ」
カイはそこまで言って、肩をすぼめて縮こまった。
「ってまあ、まだひとりで身支度もできてないんだけどね」
カイは朝廷に戻ってからというもの、豪奢で重厚な衣装を常に纏わなければならなくなった。
それまで身に着けていた簡素な官服ならまだしも、布地と貴金属の装飾を幾重にも重ねたその衣装を、ひとりで脱ぎ着するのは容易ではなかった。
「重いし、動きずらいし、もっとラフなもんに変えてくれって、ずっとお願いしてるんだけどさあ」
カイはちらりと、書簡に目を通すノヴァを見た。
「だめだ」
ノヴァは書簡から顔をあげることもなく断った。
「いつまでも浮ついた態度の貴君に、すこしでも威厳をもたせるための措置だ。甘んじて受け入れろ」
「これだもんなあ」
カイはおもりのような首飾りをいじくりまわしながら、まあとにかくさ、と続けた。
「今までシェルに甘えてたこと、ちょっとずつでいいから、自分でやれるようにしてこうと思うんだ」
「もし、私になにかできることがあれば、いつでもおっしゃってください。読み書き以外でも、お役に立てれば」
「頼りにしてるよ。……あ、でもこれさ、アフィ―には言わないでね」
「……?アフィ―も力になってくれると思いますよ?」
「それがいやなんだよ」
「えっ」
ラウラは驚いて、理由を訊ねた。
「それは、まあ、あれだよ」
「あれ?」
「あんまさ、できないとこみられたくないっていうかさ。かっこつけたいというか……」
「見くびってはいけません」
ラウラはぴしゃりと、叱りつけるように言った。
「カイさんが思ってるよりずっと、ずうっと、アフィ―はカイさんのことが好きですよ。ちょっとやそっとじゃ嫌いにはなりませんから、安心してください」
「……ならいいんだけど」
カイは赤く緩んだ頬を両手で隠しながら、話を逸らした。
「アフィ―は、どう?元気にしてる?」
「はい。殿下ともレオンさんとも、すっかり打ち解けていましたよ」
「まじで?いつの間に……」
「殿下は定期的に二人に会いに行ってるようでしたし、レオンさんとはそれこそ毎日一緒にいますから、稽古までつけてもらっていましたよ」
「稽古?なに?どういうこと?」
ラウラはカイに、冬営地での二人の様子を伝えた。
カイははじめはおかしそうに聞いていたが、次第に顔が曇り、話が終わることにはひどいしかめ面を浮かべていた。
「ずるい」
「はい?」
「なに?みんなして、おれぬきで、めちゃくちゃ仲良くなってんじゃん!!」
カイは頬杖をついて不貞腐れた。
「おれがさあ、毎日ここでひとりで地道に縮地の調整してるときにさあ、みんなは楽しく過ごしてるとか、ずるすぎるだろ」
「みなさんも、それぞれの仕事をしていますよ」
「でも一人じゃないじゃん。みんなと一緒ならなにやったって苦じゃないだろ」
拗ねるカイを見て、ラウラは、まるで仲間外れにされた子供のようだ、と思った。
「みんなを繋いでいるのは、カイさんですから」
ラウラは笑いをこらえながら、カイを慰めた。
「みんなの中心は、いつもカイさんですよ」
「どうだか。レオンなんか、ヤクートとにも慕われるんだろ?キースたちがなついてたみたいに……。おれだって稽古とかつけてもらいたかったのに。おれよりヤクートと意気投合とかしてなかったよな……?」
「誰もカイさんには敵いませんよ」
「ほんと?」
「はい。だって、ヤクートさんだって飲めるのに、レオンさん、カイさんに酒の相手をしてほしいって言ってましたもん」
「まじで?」
ラウラはそれから、ノヴァの耳に届かないよう声を落として、伝えた。
「退屈なら飛んで来いって。それに――――王笏も、使いづらいなら手直ししてやるって」
「まじで!?」
喜びのあまり、カイは跳ねるように立ち上がった。
「どうかしたか?」
ノヴァが厳しい視線で問いかける。
「い、いえ、なんでも……」
ラウラは慌ててカイの袖をひき、着席させると、また声をひそめて言った。
「本当にやっちゃだめですよ。でもあのレオンさんがそう言ったんですから、それだけカイさんは特別ってことですよ」
ラウラは以前、シェルティがこぼしたレオンの人物評を、よく覚えていた。
言葉も態度も荒っぽいが、面倒みのよいお人よしで、しかし自分から誰かに手を差し伸べることも、呼び寄せることもしない。
来る者を拒まず、去る者を追わない人間なのだ。
ラウラはそのとおりだと思った。
だからこそ、カイは特別だった。
レオンが誰かを気にかけ、ましてや積極的に関わり合いになろうとする相手など、カイを除いて他にいなかった。
「……はあ」
カイは机に顔を伏せ、肩を震わせた。
「ああ、まじで、はやく災嵐こないかな」
「不謹慎ですよ」
「ごめん。でもおれ、もう、縮地、なにがあっても成功させる自信あるからさ」
「それは私もそう思っていますが……」
「縮地が身に着くまでは、災嵐に間に合うか不安で、一年くらい遅れてくんないかなって思ってたけど、でもいまは、一日でもはやく来てほしいよ」
ラウラが返事をする前に、ノヴァがまた、軽く咳ばらいをした。
「あ……!ち、違うんだよ、ノヴァ、もちろんやることはちゃんとやるけど」
「……わかっている」
身構えるカイに、ノヴァは静かな声で返すと、机上に広げていた書簡をまとめ、立ち上がった。
「だがその発言は、ここを出てからは控えることだ」