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南都にて(一)


南都の入り口である大門を塞ぐように、カイの像は建てられていた。

「これが……カイさんですか……?」

ラウラは悪い冗談だと言わんばかりの声を出したが、シェルティは笑って頷いた。

「そうだよ。これが我らの救世主、カイ・ミワタリ閣下だ」

カイを模して作られたというその像は、棘のように逆立った髪に、空を睨む鷹のような目、握れるほど長い鼻に、牙のはみ出た大きな口を持ち、筋骨隆々の身体つきをしていた。

全身に金色に塗られた豪華絢爛な装具を無数にまとっているが、それは鎖のようでもあり、まるで捕らえられた怪物である。

「人にも見えないのですが……」

「迫力があっていいだろう」

「どうしてこのような造形に?」

「誰もカイの姿なんて知らないからさ」

シェルティの言葉通り、像の周囲には多くの民衆が集い、ありがたがって両手を拝み合わせていた。

彼らはこの人ならざる大男を渡来大使、カイだと信じていた。

彼らはどうすれば自分たちがよりカイに近づくことができるのか、その庇護下に入ることができるのかわらず、なにもしないでいることを不安に感じていた。

その不安を解消するために偶像を建て、カイ本人の代わりに、祈りを捧げた。

南都の市民が建てたこの塑像の噂はすぐに広まり、今ではわざわざこの像に祈るためだけに各地から人が押し寄せるほどだった。

そのため、東西北の各都市と朝廷のある中央都市は、災嵐からの避難民が落ち着きを見せ始めた中、南都だけは未だ変わらぬ人出とそれに伴う混乱が続いていた。

「本人が朝廷にいるんだから、そちらに行くべきだろう」

南都で主査を務めるシェルティは、うんざりした様子で言った。

「カイの力にあやかりたいんなら、カイ本人を拝むべきだ」

ラウラは鐘塔から降り立ったカイに拝跪する官吏たちの姿を思い出した。

「それができるのは、朝廷勤めの人だけですね」

「まだ彼は軟禁されているのかい?」

「軟禁というほどでは……」

「鐘塔に閉じ込められているんだろう。立派な軟禁だよ」

「カイさんも、承知の上ですから」

シェルティは人びとが救いを求める像に目をやり、嘆息した。

「せめて君が傍にいればね」

「私も、殿下が傍にいれば、と思いますよ」

二人は微笑みを交わしあった。

「これなら縦穴にいたときの方がよほど自由だったな」

「そうですね。一年半もあそこで過ごして、カイさんが退屈を口にすることなんて一度もありませんでしたもんね」

「いまは退屈なのかな」

「もちろん修練は縦穴にいたときのように、いえそれ以上に熱心に取り組んでいるそうですが……中央霊堂の技官たちは、その、厳粛な方が多いじゃないですか。だから話し相手がいないみたいで、ここに来る前少しだけ会ったんですが、大勢の人の前で私とノヴァにいつもの調子でおしゃべりをして、しまいにはノヴァに怒られていました」

ラウラはさらに、カイが鐘塔から飛び降りたこと、王笏に足をかけて滑空したことなどを話した。

シェルティは途中まで耐えていたが、ついには堪えきれなくなり、笑いだした。

「あはは!相変わらずだな、カイ。自分がなんで軟禁されているのか忘れてしまっているんじゃないか?」

「笑い事じゃありませんよ。カイさん、今度はもう地下の霊堂から出してもらえなくなるかもしれませんよ」

「大丈夫だよ。なんだかんだノヴァはカイに甘い。そこまでの仕打ちはしないさ」

「すごく怒っていましたけど……」

「だからだよ。彼がそうやって怒る相手なんて、カイくらいなものだろう?」

シェルティは自身の官服の襟を正し、ラウラの襟も軽く指先で整えてやった。

「ノヴァは誠実だ。彼がいるから、僕は安心してカイの側を離れることができる。それは君も同じだろう?」

ラウラ背筋を伸ばしては頷いた。

「それじゃあ僕らは僕らの仕事に集中しよう。――――なに、カイの不自由は今だけさ。災嵐が終われば、彼はどこにだって行ける。なんだってできるんだから。そして僕らもカイの自由のために、君自身の未来のために、今やるべきことをやろう」

「はい!」

二人は頷きあい、それぞれの仕事にとりかかった。





ラプソの冬営地から朝廷に戻った後、カイは首都の中心、朝廷内部に建つ鐘塔に閉じ込められた。

建前は、修練の最終段階、縮地の広域展開に集中させるため、とされている。

もちろんそれも理由のひとつではあるが、最も大きいのは安全上の懸念であった。

カイは厳重に隠されていたにも関わらず、レオンとラプソの一族に奪取されてしまった。

朝廷はこの失態を表沙汰にすることはなかったが、無事カイが戻っていたからには、二度と同じ事が起こらぬよう、警戒を強めるのは当然といえるだろう。

またカイを閉じ込めておくことは、朝廷自体を守ることにも繋がる。

なぜならば朝廷が現在も最も危惧しているのは、カイ自身が朝廷に反旗を翻すことだからだ。

カイ・ミワタリはウルフの者に感化されたのではないか。

誘拐事件の全貌を知る者は限られた高級官吏のみだが、彼らはみな、カイが拉致されたこと、ラプソの企てにはそれほど反応を示さなかった。

なぜなら彼らにとって、カイがケタリングを守ろうとしたこと、そのためにとった行動の方が、よほど怖ろしいことだったからだ。

中には縮地の中止、カイの排除を求める声もあげられたが、皇帝やノヴァ、それまで縮地を推し進めてきた官吏たちはこれに強く反発した。

そして議論の末、カイは縮地の発動まで厳重な監視下に置かれることが決定した。

カイは自らまいた種だから、とこれを受け入れ、鐘塔へ自ら進んで入っていった。

そしてカイの側を離れることになったシェルティとラウラには、それぞれ新しい役割が与えられた。


シェルティは南都の主査に就いた。

ラプソとの内通者の存在、縮地阻止の目論みが南都にはある。

内部監査の名目で真相を究明する。

シェルティはそう皇帝に直談判し、半ば押し切るような形で南都に赴いていった。

朝廷は実行犯、ラプソの一族の壊滅を持って、今回の事件は幕引きとしていた。

しかしシェルティは、今ここで看過してしまえば、今後いつまたカイが同じような窮地に立たされるかわからない、と考えた。

ほとぼりが冷めてからではカイに害為すものの正体、黒幕を暴く機会は永遠に失われてしまうだろう。

シェルティはなんとしてでも事件の全容を明らかにしなければならなかった。

黒幕を暴くことができれば、カイを守るだけでなく、大きな実績にもなる。

皇太子としての復権の足掛かりになる。

例え、黒幕の正体が朝廷にとって都合の悪い存在、高級官吏やウルフの一族のような者で、結果的にすべては闇に葬り去られることになろうとも、その秘匿もまた十分な足掛かりになる。

シェルティの目的は、朝廷内での立場を取り戻し、カイの後ろ盾になることだった。

災嵐後のカイに自由を与えるために、シェルティは表舞台に返り咲かなければならなかった。

どのような手段を使っても、どれだけ手が汚れようとも、権力という自分だけが持つ武器でカイを守ることができるなら、シェルティはそれでかまわないと思っていた。


放蕩三昧だった皇太子が突然主査として立ったことで、南都はもちろん朝廷内部からも反発の声はあがった。

これまで以上に、シェルティの敵は増えた。

しかし当の本人はどこ吹く風と言った態度で、堂々と監査にあたり、カイの件だけでなく、会計上の矛盾や行政の問題点を指摘し、改善策を提案、実行させた。

黒い噂をまといながらも、シェルティの心は晴れやかで、これまでになく活力に満ちていた。


一方ラウラは、縮地の術式を組み上げるため、世界全土を駆けまわっていた。

カイの側付きを離れたラウラは、自らの本来の職務に戻った。

それは災嵐対策を担うノヴァの副官として、現場の監督にあたることだった。

ラウラの他にもノヴァのもとには有能な技官が副官として多数集められており、彼らの手によって縮地の準備は進められた。

霊術は共通して、霊力の源となる術者と、術者の霊力を変換する霊具が必要である。

縮地に使用される霊具は、飛車という。

飛車はこうもり傘のような形状をしており、柄と上部でそれぞれ役割が異なる。

柄の内部では成分の異なる砂鉄が層になっており、縮地はこの柄を中心に展開される。

上部の傘、放物面の反射器は霊力の送受信機であり、各地の飛車はこの傘を通してカイの霊力を取り込み、縮地を展開させる。

飛車は技官の手によってエレヴァン全土に設置され、試運転、中央のカイとの接続もすでに完了している。

残すは予行のみとなり、技官たちはそれを見届けるために、各地に散り、縮地の発動を待った。

南都の担当となったラウラもまた、南都の中央に建つ鐘塔の最上部、展望楼にて、待機していた。




午後八時。夜空は澄み渡り、星ぼしは燦然と輝いていた。

「みんな、準備はいい?」

ラウラの声に、手を繋いで輪をつくる十人の子供たちは、揚々と応じた。

「いいよ」

「息を合わせるんだよ」

「わかってるよ、だいじょうぶだよ」

「集中してね」

「はやくやろう!」

「焦っちゃだめだよ」

ラウラは片手をあげる。子供たちは大きく息を吸いこむ。

「せーのっ」

ラウラの指揮に合わせて、子供たちは歌い出した。


歌に詞はなかった。

母音唱法の合唱は、はじめはひどくばらついていたが、次第に揃い、やがて溶け合って、ひとつの音になった。

うつくしい音色が、展望楼から都市へ、響き渡る。

遠く響いた先で、その音色は、もはや誰の耳にも人の声には聞こえなかった。

鐘が鳴っている、と、誰もが錯覚した。

鐘のない鐘塔から、鐘の音が響いている。

しかし鐘の音は長く続かない。

子どもたちの歌は続いているが、激しい水の音でかき消されてしまう。

子どもたちの歌に魅了され、鐘塔を見上げていた人びとは、そこではじめて気づく。

都市が、水底に沈んでいることに。



「まさか本当に子供だけで成功させるなんて」

展望楼の上から、水の壁に囲まれた都市を見て、ブリアード・ダルマチアは驚嘆した。

「おみそれしました。失礼な話ですが、私、信じてなかったんですよ。昨年の七日式、西都では子供たちが鐘を務めたと、もっぱらの噂でしたから、聞き及んではいましたが、いやああまさか本当に、こんな小さな子供たちが――――」

「小さくない」

ブリアードの言葉に、一人の少年が嚙みついた。

「おれはもう十歳だし、テネリファは今年で成人する」

「や、やめなよ、マヨルカ」

引き合いに出されたテネリファは、慌ててマヨルカの袖を引いた。

「失礼だよ。中央のお役人様にむかって……」

「関係ない。おれらだって同じ仕事してるんだから。なに言ったっていいだろ、別に」

「だめだよ……」

テネリファはマヨルカに代わって頭を下げる。

「申し訳ありません。失礼をお許し下さい」

「謝るなって!そんなんだから舐められるんだよ!」

「でも……」

ブリアードはまあまあ、と言って二人を窘める。

「いえ、彼の言う通り、失礼したのはこちらでした。このような若い同輩の存在を知らなかったものですから、つい。いやあ、本当に、素晴らしい腕前ですね、みなさん」

ブリアードのあからさまなご機嫌取りに、マヨルカは得意げな顔で胸を張った。

「はじめからそう言えばいいんだよ」

見兼ねたラウラは、こら、とマヨルカを叱る。

「ブリアードさん、気を遣わせてしまってすみません」

「なんでラウラ姉ちゃんまで謝るんだよ!」

「マヨルカ、もうやめようよ……」

「テネリファは黙ってろよ!」

「……お姉ちゃんの言うこと、すこしは、聞いてよ」

「はあ?なんだよ急に、年上ぶって」

「年上だもん。マヨルカ、さっき私のこと、もう成人してるって言ったじゃない」

「だから?」

「私はラウラお姉ちゃんと同じ、もう大人だから……だから私の言うこともちゃんと聞いてほしい……」

気弱なテネリファは、おずおずとマヨルカに言った。

「お前とラウラ姉ちゃんが一緒なわけないじゃん」

「一緒だよ」

ラウラはすかさずテネリファの肩を持つ。

「成人したら、みんな同じだよ。マヨルカはいつも、私の言うことをよく聞いてくれるでしょう?それと同じで、テネリファの言うことも、よく聞かなきゃ」

マヨルカは口を尖らせる。

「テネリファはラウラ姉ちゃんと全然違うだろ」

「マヨルカ……」

テネリファは瞳を潤ませる。

「私のこと、嫌いなの……?」

「そ、そうじゃねーよ!」

赤らめた顔をテネリファから背け、マヨルカは言った。

「泣き虫のくせに」

「な、泣いてないもん……」

「泣いてんじゃん。それに、まだ姓も決まってないくせに、大人ぶるなよな!」

マヨルカの言葉に、テネリファは涙を決壊させる。


エレヴァンでは、一二歳で成人を迎えてはじめて、子供たちは姓を名乗ることを許される。

父母どちらかの姓を受け継ぐしきたりだが、どちらを継ぐか決定するのは第三者であり、たいていは親族の誰かが、その子が父母どちらにより似ているかで、姓を決める。

子供は一二歳の誕生日に行われる成人式でその姓名を自分のものとする。

エレヴァンでは姓が決まって初めて、大人として認められるのだ。

霊堂預かりの子どもたちはそのほとんどが孤児であり、一日も早い自立、朝廷への奉公を望んでいる。

テネリファは先日十二歳の誕生日を迎えた。

しかし災嵐への準備のため、姓決めも、成人式も、延期しなければならなかった。

災嵐のためとはいえ、成人を先延ばしにされたことを、テネリファはずっと気にしていた。

だからこそマヨルカの一言は、彼女を深く傷つけた。


「マヨルカ、テネリファは式もお祝いも我慢しているの、知ってるでしょ?どうしてそんなことを言うの」

ラウラは泣きじゃくるテネリファの頭を撫でながら、マヨルカを叱った。

「本当のこと言っただけだろ。姓がないから、テネリファはまだ、子どもだ!」

ブリアードにテネリファは成人していると豪語しておきながら、拗ねたマヨルカは掌を返して言った。

ラウラは呆れて、さらに叱責を重ねようとしたが、今度はテネリファが反論した。

「私、姓、決まってるもん……」

「はあ?嘘つくなよ」

「ほんとだもん。成人式ができてないだけで、ちゃんともう、決まってるもん」

「なんだそれ、知らないよ」

「言ってないもん」

「なんで言わないんだよ」

「ちゃんと式でお披露目したかったから」

「……なんていうの?」

テネリファは少し迷ってから、口を開いた。

「カナリア」

「……は?カナリアは、ラウラ姉ちゃんの姓だろ?」

「ラウラお姉ちゃんにつけてもらったんだよ」

捨て子で、両親のわからないテネリファのために、ラウラは自分の姓を与えたのだ。

同じく捨て子であるマヨルカは、ずるい、と言ってラウラにせがんだ。

「おれもラウラ姉ちゃんと同じ姓がいい!」

ラウラはもちろん、と頷いた。

「それじゃあ、マヨルカも、成人したらカナリアを姓にする?」

「やだよ!」

「いやなの?」

「テネリファと同じはやだ」

「ほんとの姉弟になるみたいで、素敵だと思うけどな」

ラウラの言葉に、テネリファは少し照れくさそうな顔をしながらも、うん、と言った。

しかしマヨルカは地団駄を踏んだ。

「それがやなんだって!ラウラ姉ちゃん、カナリアはおれにだけちょうだい。テネリファにはなんか、他のをやろうよ」

「え……だ、だめだよ。私が先にもらったのに……」

「先も後もないだろ」

「あ、あるよ。わたしはもう決まったから……テネリファ・カナリアに……」

「ずるい」

「だから、マヨルカもカナリアにしよう?お揃いだよ」

「テネリファと一緒はいやだ!」

マヨルカは顔を真っ赤にして、目の端に涙を滲ませて怒鳴った。

テネリファは顔を覆い、再び泣き始める。

周囲にいたほかの子どもたちも、二人に影響されて泣き、騒ぎ始める。

つい先ほどまで美しい音色の響き渡っていた鐘塔の展望楼は、子どもの騒ぎ声で圧倒間に埋め尽くされてしまった。

「もう……どうしてこうなるの……」

泣き喚く子どもたちにもみくちゃにされながら、ラウラは嘆いた。

学舎の子どもたちは、都市防壁の発動を成功させた立派な技師だった。

けれど同時に、まだまだ手のかかる子どもでもあった。

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