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弔宴(四)


酒瓶とともに、幕屋にあった弦楽器、チャランゴ持って、ラウラとシェルティは宴席に戻った。

ラウラはカイたち丙級の輪に、大手を振って迎え入れられ、彼らに混ざって歌った。

シェルティはレオンの隣に腰を下ろし、チャランゴで演奏に加わった。

楽器がひとつ増えるとカイたちの声も大きくなり、場はますます盛り上がる。

するとそれまで泣きさざめいていた女たちが、つられるように歌いだし、さらには立ち上がって、踊りだした。

童謡、民謡、流行歌。音楽は途切れることなく続き、人びとはときに輪になり、ときに入り乱れ、熱狂に身を委ねた。





「あっちい!」

カイは大粒の汗をこぼしながら、ラウラの隣にしゃがみこんだ。

「騒ぎすぎた」

一曲前から小休止していたラウラの額にも、玉の汗が浮かんでいる。

「さすがに動くと、この服じゃ暑かったですね」

「うん。日差しも強いし」

日は高く、空気は乾いている。

気持ちのいい初夏の陽気が広がっている。

しかし風がないので、動くと身体はすぐに熱を持った。

おまけにカイとラウラは、襟袖に毛皮のついた厚手の冬服を身に着けていた。

二人はもともと官服を身に着けていたが、それは芙蓉を抜いた数日でひどく汚れてしまった。

その後はレオンが用意した簡素な平服を身にまとっていたが、それもまた先の騒乱で血と泥に塗れ、脱がざるを得なかった。

そしてアリエージュが用意した替わりが、現在身に着けている冬服である。

ほとんどの物資を投げ出して冬営地にやってきたアリエージュたちには、人に貸せる服などなかった。

そのためラウラにはアリエージュの冬服を、カイにはキースの冬服を与えるしかなかったのだ。

彼らの窮状を誰よりも知る二人は、季節に合わない厚着でも、ありがたいと受け取っていた。


カイとラウラは水分をとるために座敷に戻った。

座敷では、ラプソの女たちも休んでいた。

彼女たちは顔を隠していた黒衣を外し、赤い目元を露わにしている。

中にはまだ涙を流している者もあった。

彼女たちは言葉少なに食事を摂っていた。

口いっぱいに頬張り、酒で流し込み、とにかく腹にものを入れて、すぐにでも熱狂に戻りたい、といった様子だった。

彼女たちは残されたわずかな時間で、悲しみを消化してしまわなければならなかった。

明日からは荒れた冬営地を整え、家畜の世話をし、災嵐と野党に備えなければならない。日は動き続ける。風も川も、その流れを止めることはない。

それらと生きる人間も、立ち止まることはできないのだ。

宴は、歌は、踊りは、熱狂は、悲しみの消化を助けてくれる。

彼女たちはそれをよく知っている。

だから興じようとする。

それが周りから見てどれだけ痛ましくても、事実苦痛を伴うものであったとしても、やめるわけにはいかなかった。

「ひどい汗ね」

目元の腫れたアリエージュは、カイとラウラを見て、鼻声で笑った。

「やっぱり暑かったでしょう」

「ちょっとね。すぐ乾くと思うけど」

「でもきっとすぐにまた濡れるわ」

アリエージュは歌い続ける人びとに目を向ける。

踊り子と二人の歌い手を欠いたため、音楽の熱は落ち着きを見せている。

「貴方たちがいた方が盛り上がるから、暑さになんて煩わされないでいてほしいのだけれど……ねえ、本当にほかの着替えはないのかしら」

アリエージュの問いかけに、女たちは首を振り、肩をすくめる。

「みんな冬服しかないわよ」

「子供の夏服ならあるけど、さすがに入らないわね」

「いっそこれを脱ぐ?私たちはもとの夏服を着ればいいし」

真剣に検討する女たちに、カイとラウラは恐縮し、遠慮がちに断りをいれる。

「おれらこの服もらえただけで十分ですよ」

「歌うには、すこし暑いくらいがちょうどいいですしね」

するとひとりの女が立ち上がり、言った。

「わしのをやろう」

それは年老いた小柄な老婆だった。

「は疲れた。もう休む。だから代わりに、これを着せてやる」

老婆は自身の花嫁衣裳を指して言った。

「男のものはないが、女だけでも着替えたらいいだろう」

「いえ、本当に私はこれでけっこうです」

「おばあ様、でしたら私がお貸しします」

「仮にも族長を名乗る者が、宴席の最中に席を立ち衣装を解くなど、あっていいはずがないだろう」

キースの父方の祖母、つまりアリエージュの義祖母である老婆は、アリエージュの制止もラウラの断りも無視し、幕屋へと向かって行った。

ラウラは困ったようにアリエージュを見た。

アリエージュはああなると聞いてもらえないわ、とため息をついた。

「おばあ様の言うとりにしてちょうだい」



ラウラが幕屋の中に入ると、老婆はすでに花嫁衣裳を脱ぎ去り、薄手の合わせ衣一枚の姿となっていた。

「脱がぬか」

老婆はしわがれているがよく通る声で言った。

「お気遣い、感謝いたします」

ラウラは深く頭をたれてから、毛皮の冬服を脱いだ。

それから老婆の手を借りて、花嫁衣裳を身にまとった。

小柄な老婆の衣装は、ラウラの体躯にぴたりと合った。

年月が経ち、やや黄ばんではいるものの、ほつれのひとつない衣裳だった。

ラウラは袖を通し、これがいかに大切に保存されてきたものであるか改めて思い知った。

「素晴らしい衣装ですね」

ひと針ひと針祈りを込めて縫い込まれたのであろう刺繍を撫でながら、ラウラは訊ねた。

「一着作るのに、どれくらいかかるんですか?」

「途方もない年月だ。お前なんぞには、想像もつけられないほどの」

三つ編みに束ねたラウラの髪を、老婆は強く引っ張った。

「いっ……!?」

「愚か者め」

老婆はラウラの髪を解き、乱暴に梳きはじめた。

「憎まれているとは思わないのか」

「え……?」

老婆は櫛をラウラのうなじに当てる。

「いまわしはお前の首を切り裂くことも、毒針を指してやることも、簡単にできる」

ラウラの全身から血の気が引く。

老婆は櫛をまた髪に戻し、荒い手つきで、梳きあげていく。

「自分たちをっ、殺したものにっ、弔われてっ、帰ってくる魂などっ、あるものか!」

髪の毛を引き抜こうとしているかのような手つきに、ラウラはたまらず訴える。

「い、痛いです」

「黙れえっ!」

老婆は幕屋が震えるほどの剣幕で怒鳴る。

「人がせっかく飾ってやっているのに、動くやつがあるか!」

「髪の毛までしていただかなくても……」

「誰の花嫁衣裳だと思っている!?まさかこれを案山子に着せるぼろだと思っているんじゃないだろうね!?」

「そ、そんなことありません」

「じゃあ黙って膝をつくんだ!」

ラウラは老婆を刺激しないよう、黙って頷き、膝をついた。

老婆はラウラの髪を細かく、きつく編み込んで、ひとつにまとめあげていく。

ラウラは唇を噛んで、その激しい痛みを受け止める。

自分の髪が鎖となって、頭をきつく締めあげる。

涙が滲み、脂汗が顎を伝う。

それでもラウラはうめき声ひとつ漏らさなかった。

彼女は老婆のこの仕打ちが、身内を失った悲しみからくるものだと理解していた。

(このひとは、私を憎んでいる)

(当然だ。この人たちの家族は、私が殺したも同然なんだから)

(アリエージュさんがとりなしてくれていたから、今まで表に出なかっただけで、私はこの人たちになにをされても文句は言えない。この人たちには、私を憎む権利があるから)

ラウラは脂汗が衣装に落ちる前に、手で拭いとり、背筋すじをまっすぐ伸ばした。

老婆の身に降りかかった不幸に比べれば、この復讐はあまりにもささやかなものだった。

表立ってラウラたちを打ちつけ、罵倒することはできない。

生き延びたラプソの女たちが朝廷からの制裁を免れたのは、ノヴァのお目こぼしがあってのことだ。

首の皮一枚だがどうにか繋ぐことができた一族の未来を、老いたる自分が途切れさせてはならないと、老婆はこれでも自分を抑えこんでいた。

(この人も、耐えているんだ)

ラウラの髪がまとめあがると、老婆は自分の頭から生花を外し、ラウラの頭に付け替えていった。

その手は震えていて、自分の頭から生花を止めているピンを取り外すときも、ラウラの頭に移す際も、何度も指し損じてしまう。

ラウラはおろか、自分自身の髪と頭皮も痛めつけながら、老婆は呪詛の言葉を吐き続けた。

「浮かれていられるのも今だけだ」

「宴で呼び戻された男たちの霊は、すでに呪いとなって、お前たちの腹に巣くっているだろう」

「お前たちは未来永劫許されぬ」

「我々の恨みが晴れることはない」

「死んでいった者たちの霊が、お前たちの耳を断末魔の叫びで塞ぎ、その身を絶えず血の雨で濡らす」

「やがてお前たちの腹を食い破り、美しい花を咲かせるまで、ずっとだ」

「お前たちはその花の下で、汚泥に塗れてのたれ死ぬのだ」

「そしてその霊は巡ることなく、結びつくことなく、孤独に彷徨い続けるだろう」

老婆は低い声をこぼしながら、ラウラの顔に化粧をはじめた。

化粧を施す手つきもまた荒く、ラウラは顔を塗られているというよりは削られているように感じた。

「男たちは過ちを犯した」

「薬漬けにして、手足を潰して、目の前でひとりを殺し、ひとりを犯してやればよかったのだ」

「千年間、我が一族を蔑ろにし、見捨て続けてきた朝廷の手先の者だ。煮ようが焼こうが、この手が汚れることはない」

ラウラは耳を塞ぎたかった。

けれど身体が動かなかった。

化粧とともに、老婆の憎しみが、呪いの言葉が、ラウラの身体に塗り込まれていく。

「だがお前たちはもっと大きな過ちを犯している」

「すべての人間を自分たちの作った不自然な社会に当てはめ、そぐわぬ者は淘汰と称して排斥する。傲慢な為政者どもめ」

「淘汰は本来災嵐によって行われるものだというのに」

ラウラはもはや老婆の言葉を理解できなかった。

激しい頭痛と、豪雨の中にいるような耳鳴り、そしてむせ返るような化粧の臭いで、ラウラの意識に靄がかかる。

老婆の発する言葉はすべて、不快な雑音として脳を揺さぶるだけとなる。

「身の丈に合わぬ行いだ」

「いつまでも続けられると思うな」

「我々の呪いと同じように、災嵐はいつか、お前たちの内側からお前たちを蝕むだろう」

老婆は震えるラウラの唇に、濃く紅を引いた。

「わしからしてみれば、お前たちこそが災嵐だ」

「災嵐からなにを守るというのだ」

「災嵐は、お前たちそのものじゃないか」

老婆はラウラを立たせ、自分の履いていた靴を与えた。

黒いなめし革の靴だった。

衣装と同じように、赤い糸で刺繍が施されている。

しかし靴はラウラの足には小さかった。足の指を握りこみ、つま先で何度も地面を打って、どうにか収めることはできたものの、頭と同じように激しい痛みと痺れを伴った。

足先には血も巡らず、すぐに感覚を失う。

それでもラウラは両足を収め、まっすぐに立った。

「いい出来だ」

老婆はうっとりとした表情でラウラを眺めた。

着飾られたラウラは、美しかった。

誰も寄せ付けない、けれど誰の目も奪う、壮絶な美しさだ。

濃い化粧で固められた顔は、成熟した女性のものとなり、花嫁衣裳も派手にまとめ上げられた髪型ともよく馴染んでいた。

「若いころのわしによく似ている。これならあの人も息子も、すぐに気づいてくれるだろう」

老婆はラウラを宴に戻した。


「いいか、お前は一番最後まで歌い、踊り続けるんだ」

「弔いを申し出たのはお前たちだろう」

「不相応にも、厚かましくも」

「であれば、役目を全うしろ」

「散っていったラプソの魂を、すべて呼び戻すのだ」

「そして呪われるがいい!」





まるで別人のような出で立ちで戻ったラウラに、人びとは衝撃を受け、困惑し、そして魅了された。

「遅いと思ったら……まさかあのおばあ様があなたをこんなに飾り立てるなんて」

とアリエージュは驚いた。

「本物の花嫁みたい」

「今すぐどこへだって嫁いでいけそうね」

「誰だって欲しがるわ、こんな花嫁は」

と女たちは誉め立てた。

「だ、誰だ、あれは?」

「ほら、渡来大使付きの……」

「なんという変わり様だ」

「本当にラウラ先生なのか?」

「貴人が現れたのかと……」

「まるで人ならざる美の化身だ……」

と、技官たちはその美貌に圧倒された。

「ラウラ!?」

カイは目を丸くしてラウラに駆け寄り、その手をとった。

「なにそれどうしたの!?めちゃくちゃきれいでびびったんだけど!?」

「……」

ラウラはなにも答えず、口もとに微笑を讃えた。

頭痛と、足の痛みで、立っているのがやっとだったのだ。

「ラウラ……?」

ラウラはゆっくりと歩き、宴の中心に歩み出た。

カイはラウラを支えるように、その手をとったまま、ともに歩んだ。

花嫁衣装をまとったラウラと、ラプソの冬服をまとうカイが並んで歩く姿は、まるで婚姻の儀式を行っている最中のようであった。

しかし二人は夫婦ではない。

その場にいる誰もが、ラウラはどこか遠い所へ嫁いでいく娘で、カイは娘を送り届ける身内の男のようだと感じていた。

「――――ララララ……ララ……ラ……」

宴の中心に立ったラウラは、おもむろに口を開き、歌を口ずさんだ。

「……踊りましょう……そして上に」

それは人を寄せ付けぬ美貌とは相反する、軽快で明るい歌だった。

「踊りましょう、そして上に、あなたのために」

それはカイやラプソの老人たちでさえ聞き覚えのある流行歌だった。

ラウラはカイの手をほどき、その場でくるりと一回転した。

花が開くように、花嫁衣裳の裾が広がる。

ラウラは歌いながら、踊った。

歌と同じように軽快に、幸福に酔いしれるかのように踊って見せた。

すると、それまで圧倒されていた人びとも、一緒になって歌い、踊りだした。

「私は駿馬じゃない。私は騎手」

「ラウラ……?」

カイは踊るラウラの腕をつかんだ。

周囲の歌にも踊りにも飲まれることなく、カイはただ、尋常ではない様子のラウラを心配していた。

「大丈夫?なにか――――」

「私は荒鷲じゃない。私は狩人」

ラウラは心配するカイに微笑みを返し、歌い続けた。

「踊りましょう」

ラウラはカイの手を引き、踊るよう促した。

カイは不安に表情をくもらせたままだったが、拒否することもできず、ぎこちなく踊りだした。

「ララララ、ララ、ラ……」

人びとは再度熱狂した。

日は空の最も高い場所にある。

快晴の空模様のもと、雲海は音もなく引き、それとともに霧も消え去って行った。

けれど宴に興じる人びとが、それに気づくことはなかった。

歌は、踊りは、人びとの熱狂は、日が傾くまで途切れることなく続いた。

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