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庇護



曇りの朝だった。

雨が降る気配はなく、風も穏やかで、日が差していないことを除けば、過ごしやすい陽気だった。

負傷者の救護にあたっては、この明るすぎない、けれど暖かい朝は、これ以上ないものだった。

官吏たちはもちろん、アリエージュたちラプソの女も加わって、救護作業は行われた。

シェルティの引き連れてきた官吏は、軽症者こそ多かったが重傷者は数えるほどで、死者はいなかった。

夜明け以前には、いつ死んでもおかしくない状態のものばかりだった。

けれど天葬により降り注いだ光の雨が、彼らの命を繋ぎとめ、その傷を癒した。


光雨には不思議な作用があった。

それを受けた人びとの身体には霊力が充満し、活力が漲った。

傷は癒され、疲れは消えた。

人だけでなく、踏みつけられた植物でさえ、立ち上がって花を咲かせた。

まるで、ケタリングの生命そのものが降り注いだかのように。

それは誰もがはじめて目にする雨だった。

けれど誰もが、一度は耳にしたことのある雨でもあった。

回復の慈雨。終わりの天恵。試練の賜物。

天葬によって降り注いだケタリングは、災嵐の終わりに降るとされる光雨と、同一のものだった。


しかし冬営地においては、光雨がなんだったのが議論を交わす余地のあるものはいなかった。

瀕死を脱したとはいえ、負傷者が大勢いることに変わりはなかった。

アリエージュはなけなしの薬品を惜しみなく提供し、ラプソの女たちを叱咤激励して救助にあたらせた。

女たちは憔悴を堪え手当と煮炊きに精を出した。

父や夫を亡くしたばかりか、慣れ親しんだ冬営地さえ見る影もなく荒れ果ててしまった。そのうえで貴重な薬品や少ない食料を師技官に分け与える。

疲弊した体に鞭を打って。

いまやラプソの新しい首長となったアリエージュの命であるとはいえ、この挺身には、それこそ身を切るような思いでもって挑まなければならなかっただろう。

一方で、シェルティ、ノヴァ、そしてラウラの三人は連れ立って、ケタリングによって殺された技官たちの始末にあたった。

霊術に捕らわれたまま潰された十五人の遺体は、潰れた果実のような有様だった。

個々の見分けもつかない肉塊を前に三人は息を飲んだが、しかし目を逸らすことはせず、その場で状況の整理を始めた。

まずシェルティとラウラが、レオンに拉致されてからラプソの冬営地に至るまでの成り行きを。

次にラウラが、カイと二人で冬営地に戻ってからの、技官とケタリングとの攻防について語った。


「――――勅令と、たしかにそう言ったんだな?」

ノヴァはカイとラウラが相対した技官、肉塊となった彼らに厳しい視線を送った。

「はい。嘘をついているようには見えませんでした」

「僕とレオンが向かった先にいた部隊の連中も、同じことを言っていた」

シェルティはノヴァと同じ厳しい顔つきで言った。

「僕がなにを言っても、反逆者、勅令、の二言で、まるで聞く耳を持たなかったな」

「連中はその後どうなりましたか?」

「僕と問答している間に、レオンが捕縛霊術を解いた。だがそのときすでにケタリングは正気ではなかった。ひどく暴れて、僕らも自分の身を守るのに必死だったから、正確にはわからないが、十数名のうち半数は死傷していたと思う。僕らはすぐケタリングを追ったからその後の足取りはわからないが、追ってくるそぶりは見せなかったところからも、ほぼ壊滅状態になったとみて間違いないだろう」

シェルティは厳しい表情のままノヴァに訊く。

「本当に勅令はでていないんだな?」

「――――ありえません。ありえない、はずです。カイの捜索と保護より優先されることなど、あるはずがない」

「はず、ね」

断言を避けたノヴァの物言いに、シェルティは目を細めた。

「やつらが嘘をついたのか、それとも騙されてきたのか」

「当人たちを問いただしましょう。死傷者を抱えた状態で、一晩で山を下るのは不可能です。まだ近辺に潜んでいる可能性が高い」

ノヴァはすぐさま動ける官吏を集め、捜索にあたらせた。

そして改めて席を設け、キースたちの遺体を整えていたアリエージュ、カイ、レオンの三人を加えた六人を集めた。

「此度の騒動、どうも不可解な点が多い。朝廷側がどういう対応をしていたか、今から説明するが、もしなにか君たちの知っていることと齟齬があれば教えてほしい」

ノヴァの言葉に、レオンだけは顔をしかめて返事をしなかったが、しかし席を立つことはなかった。


そもそも朝廷は、ケタリングを従えるレオンの存在を、ウルフの一族が途絶えていないことを、以前から把握していた。

把握したうえで、黙認していたのだ。

百年前に生き延びた男が興した新しいウルフの一族には、ケタリングがいなかった。

一族が抱えていたケタリングはみな、百年前に解体されてしまっている。

野生のケタリングは滅多に現れるものではないし、現れたとしてもすぐ朝廷によって捕縛、解体されてしまう。

ケタリングを持たぬウルフは、取るに足りない遊牧民の端くれでしかなかった。

もしその状態で、ケタリングを持っていない状態でウルフの生き残りが発見されていたら、朝廷は迷わず手を下し、今度こそ本当にウルフを根絶やしにしていただろう。

しかし朝廷がウルフの生き残りの存在に気付いたとき、ウルフのもとにはすでに新しいケタリングがいた。

それはレオンのケタリングだった。


レオンのもとにいる個体は、技師団が討伐に失敗し取り逃がした個体だった。

今から七前のことだ。

山中に逃れたケタリングはそこでレオンと邂逅し、以来行動を共にするようになった。

朝廷はすぐに感づいた。

エレヴァン内でのケタリングの目撃情報が急増したのだ。

しかし被害報告はなく、たくみに山中に身を潜めていることから、使役されている個体であることが推察された。

報告を受けた皇家は戦慄した。

ケタリングと交流できる人間など、ウルフの一族以外に考えられない。

すぐさま討伐部隊が組まれ、ウルフのもとへ差し向けられた。

だが彼らがウルフの集落にたどり着いた時にはすでに、ウルフは再び滅びていた。

ケタリングを使役するウルフの青年、レオンの手によって。


ウルフの集落は荒れ野と見分けが付かなくなっていた。

幕屋のひとつ、煮炊き場の跡すら残っていなかった。

遺体は丹念に焼かれた上で、土に埋められていた。

三世代八家族からなる、五十人の小さな一族とはいえ、その生きた痕跡はほとんど完全に消されてしまっていた。

ラサはことを重大に捉えた。


討伐部隊は解散され、代わりに偵察部隊が組まれた。


「ケタリングを得たにも関わらず、それを使って同胞を殺した男の真意を見定めるため――――というのは建前で、実質偵察部隊は刺客だった。目的がなんであれ、ケタリングという強大な力を一手に抱える男を野放しにしておくことは、それだけで災嵐と変わらぬ脅威だ。牙を剥く前に、対処しなければならなかった」

「殺そうとしてたのか、レオンを……」

カイは青ざめて言ったが、ノヴァは当たり前だろう、とはっきり返した。

「僕たちには八百万人の命と生活を守る義務がある」

「でも、レオンは別に朝廷になにかしようとしたわけじゃないだろ。そりゃ身内には手をかけたし、それは悪いことだけど、でも本人と話もせずに、いきなりよってたかって殺そうとするなんて――――」

「朝廷に個の意志はあってはならない」

「話を聞くことくらいできるだろ」

「聞いたところで、それは八百万分の一の意見に過ぎない。他全員の安全が脅かされている状況で、問答は、無用だ」

レオンは鼻を鳴らし、カイの肩を抱いた。

「おれの話はもういいだろ、話を先に進めろよ」

「でも……」

「こいつらがどういうもんか、お前これでよくわかっただろ?それだけで十分だ」

皮肉を込めて嘲笑するレオンに、カイは怒りに眉を吊り上げた。

「十分じゃない!」

カイは怒りの矛先をノヴァに向ける。

「すげえ古臭いよ、それ。――――おれのいた世界は、たぶんここよりもっとろくでもないとこだったけど、でも多様性とか、なんか、いろんな人のいろんな考え方を認めようとはしてたよ。――――多数派がすべてなんてずるい。いつだって少数派はいるのに」

「そうは言っていない。我々は多数派でも切り捨てることはある。この狭い盆地の中で、人間社会を維持すること。それが朝廷の、それを束ねるラサの使命だからだ」

「切り捨てるって、それもう、独裁じゃん」

「では君はどうするというんだ?」

ノヴァは厳しい口調で問いただした。

「君のいた世界には、八十億という、途方もない数の人間が生きていたんだろう?その中のたった一人が、世界を滅ぼしかねない力を手にしたとする。それは、今回のケタリングがそうだったように、いつ暴発するともわからない力だ。君はただの温情で、その力を持つ個人を生かし続けることを選ぶのか?」

「それは――――」

カイは答えに窮する。

ノヴァはため息をつき、すまない、と詫びた。

「今はこんな議論をする席ではなかった。みなさん、時間をとってしまって申し訳ない。それに、カイ。君を追い詰めるために、意地の悪い質問をした。これに君が答える必要はない」

「いや、おれも、レオンのことはノヴァが決めたことじゃないのに、責めるようなこと言って、ごめん」

カイはそう言ったが、すぐまた考え込むように視線を落とした。

「君は選ばなくていい」

ノヴァは重ねて言った。

「選択はラサの仕事だ。そのためにラサはこの世界で唯一特権を与えられている。例え力を持っていたのが八百万人のうち五百万人だったとしても、僕らはその五百万人を排除する選択をするだろう」

それはノヴァとシェルティが幼少より教え込まれた皇族としての義務だった。

選択が自分の意とは反するものであっても、人間社会のためであれば選ばなければならない。

選択の結果後世に長く悪名が残ったとしても、粛々と受け入れなければならない。

吐きかけられた唾も、投げられた石も、避けてはならない。

逃げ出してはならない。

迷ってはならない。常に中央に鎮座し、必要な選択をすること。

それがこの世界で最も清潔な場所で生まれ、最も上質な衣装と食事と住居を与えられ、最も華やかな婚儀と葬儀をあげることができる彼らの義務だった。

生涯人間社会の礎として生きること。

それが皇家、ラサの姓に生まれた者の宿命だった。

「選ぶのは皇帝の役目だ。だから当時、僕が皇帝だったとしても、きっと同じ選択をしただろう」

ノヴァはレオンに視線を向けた。

「けれど、だからこそ、君に謝罪はしない。君にとってケタリングとともにあることが一族の大半を手にかけても守り通したかった矜持であるように、僕にとっても社会全体のために犠牲者を選択することは、為さなければならない宿命だからだ」

ノヴァはすでにシェルティとラウラからレオンの真意、なぜウルフを滅ぼしたのか、その理由を知らされていた。

彼の人となりについても、教えられていた。

ノヴァはもはやレオンを警戒してはいなかった。

歩み寄ることができるとさえ考えていた。

「一緒にするんじゃねえよ」

しかしレオンは突き放すように言った。

「あれは他人のために自分を犠牲にしたりしねえ。てめえらの在り方には吐き気がする」

「レオンさん、そんな言い方――――」

食ってかかるようなレオンの物言いに、ラウラはたまらず口を挟む。

「―――大半?」

が、そこにさらにカイが割って入る。

「え、ちょっと待ってよ。ノヴァ、いま大半って言った?」

「なんの話だ?」

「レオンは一族の大半を手にかけた、って言っただろ?」

「……ああ」

ノヴァはカイの内心を察し、説明を加えた。

「君たちもそうだと思い込んでいたようだが、我々も、彼はウルフを滅ぼしたものと思っていた。赤子まで一人残らず、な。――――だが後日の調査でわかったんだが、彼は子供には手にかけていなかったんだ」

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