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尊厳

雄叫びをあげながら飛び出してきたのは、狼狗と、その背に跨るレオンだった。


狼狗はまずノヴァに襲い掛かった。

カイを地面に抑えつけていたノヴァは、狼狗の頭突きを受け、倒される。

「くっ!」

ノヴァはすぐに起き上がり、追撃に身構えるが、狼狗の目標はすでに他の管理に移っていた。

ケタリングに向かっていた技官たちは、獰猛に牙を向く狼狗に恐れをなし、蜘蛛の子を散らすように逃げて行く。

その場に留まったのは数名の武官だけだったが、彼らは狼狗から飛び降りたレオンの手で、瞬く間に締め上げられ、意識を落とされてしまう。

ケタリングの前に立つのはラウラだけとなったが、狼狗はラウラに威嚇はせず、むしろ傍によって身体を摺り寄せた。


レオンは狼狗から降りると、無言でケタリングを眺めた。

「レオンさん、これは――――」

ラウラは状況を説明しようとしたが、言葉を失ってしまう。

ケタリングを見つめるレオンの目つきが、あまりにも穏やかだったからだ。

「なにも言わなくていい」

レオンはラウラの頭に手を置き、それから倒れたままでいるカイを助け起こした。

「レオン」

「カイ」

「シェルは?」

「おれ一人で行ったほうが早いだろって、途中で降りた」

「そっか」

カイはレオンから目を逸す。

カイも気づいてしまったのだ。

レオンの目が、これまで見たことがないほど穏やかであることに。

「その――――ごめんな。ケタリング、こんなになっちゃって」

カイはぎこちなく笑った。

「さっきまで、なんかすごい暴れててさ。おれも呼びかけてみたんだけど、全然ダメで、しょうがないから、せめて人のいないとこ連れてこうとしたんだけど、失敗して、こうなっちゃったんだ」

「ああ」

「きっと、おれが呼び方を間違えたんだ。おれの光球があまりにもおそまつで、それで怒って、こうなってんじゃないかなって思うんだ」

「お前はなにも間違えてねえよ」

「でも――――」

「お前はなにも悪くない」

「でも――――!」

「見くびるな!」

レオンは声を荒げる。

「名前を間違えられたぐらいのことで、我を忘れたりしねえよ、こいつは!」

レオンは深く息を吐くと、声を抑えて続けた。

「責任を感じるのは勝手だがな、そうやって後悔をまくしたてても、なにも変わらねえ。唾が飛ぶだけだ。そしてその唾はケタリングの面を汚す」

レオンはカイのあごをつかんだ。

「それだけじゃねえ、お前自身の面もだ」

「……!」

「自分がケタリングをどうにかしちまったんだと思うなら、そのみっともねえ面を引き締めて、どうすりゃ責任がとれるのか、ことを収められるのかだけ考えろ。誠意を見せろ。それができないやつは後悔に浸る資格もない」

カイはレオンの手を振り払い、弱弱しく弛緩していた表情を引き締める。

「わかったよ。泣き言は言わない。――――ケタリングをここから逃がそう。瓦礫はおれがどかすから、ケタリングに呼びかけてやってくれないか。大丈夫だって。落ち着いてくれって」

「……」

「……レオン?」

レオンは口を閉ざしたまま、背中に手を回した。

今朝までいっぱいだった網袋には、今ではたったひとつ、小さな硝子球が残されているのみとなっている。

レオンはその最後の一つを手に取ると、ゆっくり、丁寧に、霊力を込めた。

カシャン。

硝子球はレオンの手の中で粉々に砕け散る。

欠片の一つ一つが淡く発光し、球体となって、宙に浮かぶ。

レオンは光球に手をかざす。光球はケタリングの眼前に移動し、その名を呼ぶ。

長く二回、短く一回、また長く一回。

光球は明滅する。

針とむしろとなったケタリングの左目は、その焦点は、光球に結び付けられている。

しかしケタリングはそれを無視し、再び、カイに顔を向ける。

口を開けて、咆哮を浴びせようとする。

レオンは光球にかざしていた左手を大きく振りかざす。

光球は一層強い光を放つと、ケタリングの口内に飛び込んでいった。

「……!」

その場にいる誰もが目を見張り、動きを止めた。

ケタリングは咆哮を中断し、くぐもった音を漏らしながら口を閉じる。

「レオン、なにを……?」

「天葬だ」

レオンはそう言って、ケタリングの左目に刺さった杖を抜き始める。

「抜くな!」

ノヴァは膝をついたまま怒鳴る。

「抜いてもどうにもなんねえよ」

レオンは横目だけやって、低い声で返した。

「安心しろ。てめえらの望み通り、こいつはここで葬ってやる。だがこいつの身の一片たりとも、てめえらにくれてやる気はねえ」

「まさか燃やす気か!?こんなところでやれば、どれだけの被害が――――」

「ちょ、ちょっと待ってよ!」

ノヴァの言葉を遮って、カイは言った。

「葬る?燃やす?なに言ってんだよ。レオンまで、そんな――――そんなあっさり諦めるなんて――――だって、こいつ、まだふつうに飛べるんだよ?目は、あれだけど、さっき正気に戻りかけたし、大丈夫だよ。絶対大丈夫だって、なあ?」

レオンは答えずに、左目から杖を抜く。

一本杖が抜かれるたびに、ケタリングの目から黒い液体が迸る。

レオンは重油のようなその液体で全身を汚しながら、額を伝うものを拭おうともせず、黙々と杖を取り除き続ける。

「なあって!」

カイはレオンの腕をつかむ。

レオンはそれを簡単に振り払う。

カイは尻餅をつく。

眼球から吹きだした液体が、カイの頭に降り注ぐ。

油ぎった、悪臭漂うその液体を、カイもやはり拭おうとせず、レオンに縋り続けた。

「やめてくれよ。まだ間に合うよ。もう一回、もう一回呼びかけてやれば、きっと――――」

「もう球がない」

レオンは静かな声で言った。

「硝子があればいいんだな?おれ探してくるよ」

「必要ない」

「なんで」

「もう充分試した」


レオンとシェルティはカイと別れ、ケタリングが落ちた場所へ向かった。

そこでケタリングは技師団の別部隊の捕縛霊術に掛かってしまっていた。

シェルティが技官たちの気を引き、隙をついてレオンは術具を破壊したが、解放されたケタリングはすでに正気を失っていた。

レオンはどうにか正気に戻そうと呼びかけ続けたが、ケタリングは応じるどころか、光球を目障りだと言わんばかりに破壊してしまった。

やがてカイの霊力によって発動された捕縛霊術の光糸が遠くの空にあがると、一目散に飛んで行った。

ケタリングはもはや、レオンの光球には目もくれなくなっていた。

「こいつがなぜこうなったのか、おれにもわからねえ。お前の言う通り、放っておけば収まるもんかもしれない」

「それなら――――」

「だが正気に戻ったとして、こいつはもう光を見ることはできない」

レオンは左目に刺さった杖の、最後の一本を抜いた。

一際激しく、黒い液体が吹き出す。

レオンはそれを浴びても、瞬き一つせず、じっとケタリングの左目を見つめていた。

ケタリングの左目は、辛うじて形を保っているが、腐り落ちた果実のように潰れ、視界があるとは到底考えられなかった。

「目がなくても死ぬわけじゃないだろ?まだ空だって飛べるんだ。な?おれが誘導して、人目のない安全なとこまで連れてくってのはどうだ?」

「連れてってどうすんだよ」

「え……」

カイはレオンのつき放すような態度に、身を強張らせた。

ラウラとノヴァは二人のやりとりを黙って見守っている。

ノヴァは何度も口を開きかけたが、その度にラウラが首を振って制した。

ラウラはカイがなぜケタリングを救おうとするのか、反対にレオンが簡単に手放すことを決意したのか、理解できなかった。

だからこそ、この問答を聞き届けたいと思った。

両者が納得のいく答えを出してほしいと思った。

導き出された答えがなんであれ、二人の決断を指示しようと胸に誓っていた。


一度怯んだカイは、拳を握りしめ、沈黙を破った。

「助ける」

カイは食って掛かる様に続けた。

「もちろんずっとじゃない。傷が治るまでだ。それから、目が見えなくても飛べるように、生きていけるように、訓練してやるんだ」

レオンは一度収めた怒りをまた露わにして言う。

「てめえに生かされることをこいつが望むと思うか?」

「望まないかもな。でもここで死ぬことだって望んでないと、おれは思う」

「わからねえやつだな」

レオンはカイの胸倉をつかむ。

「おれはこいつを飼育してるわけじゃねえ。ケタリングは狼狗や狗鷹とは違う。こいつはおれの翼だ。最もよく馴染んだ靴で、片時も手放すことのない剣で、おれの誇りそのものだ」

「……!」

「そしてこいつにとっても――――おれは背に乗ってあれこれ命令しちゃいるが、主人ってわけじゃねえ。こいつにとっても、おれは誇りそのものなんだ」

カイははっとして目を見開く。

レオンはカイから手を離し、ケタリングに触れる。

「おれたちは互いに命を託した。何者もおれたちの自由を奪うことはできない。だが、こいつだけは、おれの生き方に口を挟んでいい。おれの死に様を決めいい。こいつが、おれを背から振り落とすなら、おれはそれを受け入れてやる。こいつがおれの死を望むなら、おれはいつだって自刃してやる」

「だから殺すのか」

「そうだ」

ケタリングは潰れた眼球をわずかに瞬幕で覆った。

「おれたちは互いに死に様を選ぶ権利を与えたんだ――――正気も、光も失って、見境なく人を殺めたこいつは、潔くここで死ぬべきだ」

カイは俯き、握りしめていた拳を緩める。

「ただ生きているだけじゃだめなのか」

「そいつがそいつでなくなったなら、生きているとはいえねえだろ」

「それは、そうだけど――――でもまだ、まだあきらめるには早いだろ。せめて正気に戻すことはできるかもしれないだろ」

「正気、か」

レオンはカイをじっと見つめる。

「お前はいま、正気か?」

「え?」

「お前の身体は、お前のものじゃないんだろ」

「ああ」

「だがそれをどう証明する?膨大な霊力か?異界の知識か?もとのやつとはかけ離れた性格か?お前が実は、正気を失っているだけで、魂が入れかわったりなんてしていなかったら、どうする」

「どうするって――――」

「お前が正気を失って、とりかえしのつかない過ちを犯したとする。本来の自分が絶対に許せない行いをしたとする。その後正気を取り戻したお前は、それは自分じゃねえからっつって、今まで通り生きていけるか?」

カイは首を振る。

「できない」

「おれもだ」

レオンは遠くに目をやる。

視線の先には、荒れた冬営地と、倒れ伏す人びと、判別のつかない肉塊となった骸がある。

カイは閉口し、項垂れる。

レオンはすっかり怒りの冷めきった声で、なんでだよ、と低く呟いた。

「お前がそこまでケタリングを庇う理由はなんだよ」

「それは――――だって、なにより大切だって、知ってたから」

「あ?」

「おれ、レオンみたいになりたかったんだ」

カイは自分の足元を見つめたまま言った。

「おれは――――おれも――――自分の大切なもののためなら、どれだけ嫌われても、後ろ指さされてもかまわない。それがおれ以外の全員にとって最悪の選択でも、選べるようになりたかった」

カイはゆっくり顔をあげる。

同時に、それまで月を覆い隠していた雲が途切れ、直視できないほどまぶしい月明りが、一帯を照らし、闇をはらった。

「おれ、強くなりたかったんだ、レオンみたいに」

カイの顔は血と汗と泥にまみれていた。

しかしその瞳には一点の曇りもない。

月明りで輝くカイの瞳はどこまでも透き通っている。

夜明けの空をそのまま写し取ったように。

「ばかなやつだ」

レオンは目を細める。

カイと同じように、月明りを受けるレオンの瞳は、鮮烈な朝焼け色に輝いている。

「頼みがある」

レオンはカイに背を向け、ケタリングに手をかざした。

「こいつを葬るのを、手伝ってくれ」

「……!」

風向きが変わる。

はるか上空を流れていた北風がやみ、湿った暖かい南風が、大地を優しくなであげた。

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