三択
「……カイさん」
ラウラの呼びかけに、カイは笑って答えた。
「うわ、ラウラ、なんで泣いてんの」
ラウラははっとして、オーガンジーで顔を覆った。
「……カイさんのせいです」
「えっ」
「ケタリングに人の言葉は通じないと、意思疎通の方法は光の明滅のみだと、教わったじゃないですか!」
カイはオーガンジー越しにラウラの頭を撫でる。
「ごめんって。――――夢中だったんだよ。でも大人しくなったから、結果オーライってことで」
「まだ大人しくなったかはわかりません。一時的に動きを止めているだけかも――――それに、カイさんの言葉が理由かも、わかりません」
カイは笑顔のまま、ばつが悪そうに眉を下げる。
「ぐうの音もでないよ」
ラウラはオーガンジーで顔を強くこすると、真っ赤に染まった目をカイに向けた。
「でも――――私もカイさんの言葉が通じたんだと、信じたいです」
「ラウラ……」
カイは頬を緩めかけたが、ラウラの後方から迫る官吏たちを見て、再び顔に緊張を戻す。
カイはラウラから離れ、技官の前に立ちはだかった。
「退くんだ」
先頭に立つノヴァは、まだ咆哮の余韻をその身に残している。
額には汗が浮かび、まっすぐ立つこともできない有様だったが、その声はいたって平静なものだった。
「退かない」
カイは手にした鉄仗を構える。
「慎め。その切っ先が向かうのは朝廷だぞ」
「だとしても引かないよ」
「世界を敵に回したいのか?」
「そんなわけないだろ」
「君は災嵐から世界を守るんじゃなかったのか?」
「うん」
「それなのに、手負いの獣――――すでに多くの人を手にかけた罪深き害獣のために、我々を手にかけようというのか?」
「手をかけたりなんかしない。おれはただ、お前らからこいつを守るだけだ」
「埒が明かないな」
ノヴァは片手を上げる。
ノヴァの後方で武器を構えるのは、比較的軽傷で、動くことのできた官吏たちだ。
総勢十数名。そのほとんどは技官で、誰もが怯え、不安を隠しきれずに及び腰でいる。
隊内で後衛を担っていた者か、まだ経験の浅い新人ばかりだった。
中にはアフィ―と、ヤクートをはじめとする元丙級生の姿もある。
彼らは武器を構えてはいるものの、それをカイに向けるべきか、決めかねていた。
もちろん彼らに選択肢はなく、ノヴァが命じたのであればそれに従うしかないのだが、構えにはまったく身が入っていなかった。
アフィ―に至っては武器を構えることすらできず、ひどく狼狽して、おろおろと周りを見回すばかりだった。
アフィーは技官として命令の順守を叩き込まれている。
今すぐにでもカイの助けに入りたいが、技官として受けた教育に、彼女の足は縛られていた。
「退かないのであれば、退かすだけだ」
ノヴァは手を振り下ろす。
技官たちはいっせいに駆け出す。
「ラウラ・カナリア!」
ノヴァはラウラに対しても命じる。
「押さえろ!」
ラウラは反射的に、カイの身をオーガンジーで縛りあげた。
「ぐっ!」
カイは背後から迫ったオーガンジーに右手を取られるが、咄嗟に霊力を送り込み、それを弾き飛ばす。
続けざまに技官が捕縛網を投擲する。
カイはそれもまた霊力で弾き飛ばし、鉄杖で地面を一閃した。
かまいたちが起こり、カイと彼らとの間に溝ができる。
「ひいっ」
先頭にいた技官が腰を抜かす。
突き出していた鉄杖の先端がかまいたちに触れ、真っ二つに切断されてしまったのだ。
「つ、次は、当てるぞ!」
カイが叫ぶと、技官は怯み、一歩後退する。
「彼にその覚悟はない!」
ノヴァは技官を叱咤し、その溝を飛び越え、カイにつかみかかろうとする。
「くるなって!」
カイは叫んだが、杖を振り下ろすことはできない。
ノヴァはカイの両手をつかむ。
「ラウラ!仗を!」
ラウラはノヴァの命に応じ、一度弾かれたオーガンジーでカイの持つ杖を捉える。
カイはオーガンジーを弾こうとするが、意に反して杖を離してしまう。
「っ?!」
カイの手首をつかんだノヴァの手が急に熱を帯び、その熱さに耐えかね、手を開いてしまったのだ。
ラウラはカイの杖を手にする。
「とどめを!」
ノヴァはカイを抑えつけたまま命じる。
ラウラはケタリングを見る。
ケタリングは沈静化したままで、その左目は、暴れまわったせいでほとんど潰れている。
あと一本でも杖を刺せば、右目と同じように、完全に潰すことができるだろう。
「やめてくれ!」
カイは懇願する。
ラウラは動けない。
ラウラは躊躇してしまう。
カイの願いを聞き入れるべきか、ノヴァの命令に従うべきか。
「ラウラ!」
カイとノヴァが同時に叫ぶ。
動かないラウラを見て、ほかの技官たちが杖を構えて走り寄ってくる。
もう一刻の猶予もなかった。
ラウラに与えられた選択肢は三つ。
ノヴァの命に従いケタリングに止めをさすか、カイの懇願を聞き入れ他の技官を止めるか。もしくはただ黙って、成り行きを見守るか。
ラウラは仗を強く握りしめる。
(私は――――)
しかし、杖を向ける先は、振り上げるかどうかは、最後まで決めることができなかった。
すべてを決めたのは、ラウラの意志ではなく、場を切り裂くような狼狗の雄叫びだった。