再会
「オーガンジー……!」
ラウラは立ち上がった。足場の不安定な木の上で、風に煽られながら、それでも身を乗り出さずにはいられなかった。
いつの間にか冬営地はたくさんの明りで灯されていた。
明かりを持つのは、涅色の地に金の刺繍が施された衣装をまとう武官だった。
彼らはエレヴァンの治安維持や警護にあたる警吏の中でも最高位とされる、皇家の護衛だった。
武官の他には、燕支の官服をまとった朝廷技官の姿もある。
彼らは武官が掲げた明かりの下で、円形の陣を組んでいる。
カイはその陣の中心に降りてく。
「カイ」
カイを受け止めたのは、やや鼠がかった燕支の、朝廷技官の中でも縮地術の補助官として養成された者だけに支給される官服をまとった女だった。
「――――……っ」
気を失っていたカイは、呼びかけられて、意識を取り戻す。
「ア、フィ―……?」
「間に合って、よかった」
アフィ―はかすかに微笑むと、カイを抱きかかえたまま、円の外側へ駆けだした。
「きます!」
「発動準備完了しました!」
陣形を組む技官たちは一斉にしゃがみこむ。
彼らの足元には、手型の術具が設置されていた。
カイを追って戻ってきたケタリングが陣の上にさしかかったとところで、罠は発動する。それはカイが使用したものと同じ、ケタリングの捕縛霊術だった。
光糸はカイの霊力によって生み出されたものより細いが、蜘蛛の巣のような網目の模様はより緻密だった。
光糸はケタリングの巨躯を絡めとり、そのまま地面に叩きつける。
ドオオオンッ!
地響きが起こり、土煙が爆風のように広がる。
光糸の網により、ケタリングはその身を完全に押さえつけられる。
しかしケタリングはなおも動きをとめない。網からはみ出た長い尾と翼をやみくもに振り回し、どうにか抜け出そうともがく。
技官たちは慌てることなく、すかさず陣を組み替え、尾と翼のつけ根にもぐりこんだ。
そして再び捕縛霊術を発動させる。
ケタリングは全身をくまなく光糸で覆われ、地面に伏せた形で、完全に動きを封じられる。
「無事か!?」
カイを抱えたアフィ―のもとに、紫紺色の衣をまとった人物が駆け寄ってくる。
技官の燕支色でも、武官の涅色でもない、ひとりだけ浮いた格好のその人を見て、ラウラは思わず木の上から声をあげた。
「ノヴァ!」
名を呼ばれたノヴァは、ラウラのいる方向に顔を向けた。
「ラウラ!」
ノヴァに名前を返されて、ラウラは自分が足場の不安定な場所にいることも忘れ、大きく手を振った。
「あっ――――!」
案の定、ラウラはバランスを崩し、木の中に滑り落ちるようにして落下した。
ノヴァはラウラを受け止めようとしたが、間に合わず、ラウラは樹の根元に転げ落ちた。
「いたた……」
枝葉を潜り抜けながら落ちたため、落下の衝撃は軽く、ラウラはすぐに立ちあがった。
「ラウラ!」
ラウラは駆け寄ってくるノヴァを見て破顔した。
「まぬけですね」
「笑っている場合か!?ひどい怪我を――――」
「すこし切れただけです」
ラウラは額から流れる血を拭い、服に絡んだ葉を払い落とした。
ノヴァはラウラの無事を確かめると、立ち止まり、膝に手をついた。
「……よかった」
「ノヴァ……?」
「二十日間、生きた心地がしなかった」
ノヴァはラウラの顔をじっと見つめた。
そしていまにも泣き出しそうな表情で言った。
「やつれたようだ」
「いろいろありましたから……」
「苦労しただろう」
「私は、なにも。本当に大変な思いをしたのは、カイさんです」
ノヴァはアフィ―に抱きかかえられたままでいるカイに目をやる。
「――――そうか」
ノヴァは目を伏せる。
溜まっていた涙は、こぼれおちることなく、乾き、瞳の中に沈んでいく。
「すまない」
「え?」
謝罪の意味がわからず、ラウラはぽかんと呆けてしまう。
「カーリーに、君を守ると誓ったのに、むしろ危険にさらしてしまった。それにカイも――――本来は僕が守らなければいけないのに――――」
ノヴァは言葉を切り、額を強くこすった。
「――――彼は、君を守ってくれたんだね」
ノヴァはラウラに手を伸ばした。
しかしその手がラウラに触れる前に、部隊を指揮する技官が叫んだ。
「殿下!固定完了しました!」
ノヴァはラウラに伸ばした手を下ろし、表情を引き締めると、技官に言った。
「ご苦労、すぐに行く」
ノヴァはラウラに向き直り、またすまない、と謝った。
「君はここにいてくれ。後の始末はすべて、僕がつける」
ノヴァはそれだけ言うと、ラウラを残し、現場の指揮に戻った。
入れ違いに、カイを抱えたアフィ―がラウラのもとへ向かってくる。
「カイさん!アフィ―!」
ラウラは二人に駆け寄った。
その明るい声を聴いて、カイは首をもたげた。
ラウラは服がところどころ破け、髪には枝葉が絡みつき、全身砂ぼこりで汚れている。
駆け寄ってくる足取りはぎこちなく、はた目にも身体を痛めていることがわかる。
けれどその表情は声同様明るい。
カイは安堵と憂慮、ふたつの感情が混ざったため息を吐いた。
長く息を吐き、脱力したカイは、沈み込むようにアフィ―の胸に頭を預けた。
「――――っ!」
アフィ―は目を見開いて硬直する。
カイははっとして、すぐにまた頭を起こす。
「ご、ごめん。アフィ―、おれもへいきだから、降りるよ」
「……」
「……アフィ―?」
カイはアフィ―の顔をのぞきこもうとするが、アフィ―は顔を背ける。
「まだ、危ないから」
「ええ……?重いだろ……?」
「オーガンジーがある。だいじょうぶ」
一見するとアフィ―がカイを抱きかかえているようだったが、実際に持ち上げているのはアフィ―の細腕ではなく、カイを包むオーガンジーの浮力だった。
「さっきも見てましたよ。オーガンジー、もうあれだけ使いこなしているなんて」
ラウラは久しぶりに会う友人の変化に、驚きを隠しきれなかった。
「一年半ぶりですね。手紙は交わしていましたが、ずいぶんと背が伸びたんですね。それに髪も」
ダルマチア家で別れた際には、耳にもかからないほど短かったアフィ―の髪は、今では肩に触れるほど長くなっていた。
「とてもきれいです。手入れ、がんばっているんですね」
アフィ―は表情を変えなかったが、耳から頬にかけて赤く色を変えていた。
「ラウラは、ボロボロになった」
アフィ―は赤い顔のまま、憂いに瞳を揺らし、ラウラの髪に触れた。
まるで傷口に触れるように、慎重な手つきで、ラウラの髪から枝葉を取り除く。
「ふふ、こんな状況じゃなければ、もう少しまともな格好で再会できたんですけど」
ラウラはくすぐったそうに目を細める。
「それにしてもアフィ―、どうしてここに?」
「わたしだけじゃない。ヤクートも、他のみんなも、いる。――――丙級のみんな、カイの顔がわかるから、捜索に、加わった」
「みんなも来てくれたのか」
カイはケタリングを取り囲む技官たちに目を凝らす。
その中に見知った顔を見つけると、嬉しそうに独り言ちた。
「ほんとだ。――――おれ、ろくなお別れもできずに霊堂離れたのに、あいつら……」
カイは身をよじり、地面に足をつける。
痛みはないが、うまく力を入れることができず、そのまま崩れるようにして膝を落としてしまう。
「カイっ!」
アフィ―はカイを支えようと手を伸ばすが、カイは首を振ってそれを拒否する。
「大丈夫」
カイは深く息を吸い、ゆっくりと、慎重に立ち上がる。
それから伸ばされたアフィ―の手を、牛皮の手袋で覆われた手をじっと見つめた。
「傷、まだ痛む?」
「痛くない」
「ちゃんと動くか?」
「うん」
「そっか」
カイはアフィ―に向かって頭を下げようとするが、アフィ―は両手でカイの頬を挟み、顔を突き合わせた。
「痛くないって言った」
「でも、痕は残っただろ」
「少しだけ」
「少しでも、おれは嫌だよ」
「わたしはいい」
アフィ―はカイの頬から手を放し、手袋を外した。
アフィ―の両の手の平は、青黒く変色し、皮膚が爛れていた。
あまりに痛ましい傷跡に、カイは言葉を失った。
それはカイがつけた傷だった。
自身の能力を過信し、無理をさせた結果、負わせた傷だった。
「ごめん……」
カイはたまらず、悲痛な声を絞り出した。
「汚い?」
アフィ―はその手でもう一度カイの頬に触れ、小さな声で訊いた。
「わたしの手、醜い?」
「まさか!」
カイはアフィ―の手に自分の手を重ねた。
「どこも汚くなんかない。醜くなんかない!」
「触られるの、嫌じゃない?」
「全然」
「ざらざらしてるのに?」
「うん」
カイは頬で撫でるようにして、アフィ―の手のひらの感触を味わう。
「なんか、懐かしいかんじだ」
「なつかしい?」
「リューと……飼ってた犬の舌と同じ肌触りだ。むしろ好きだよ」
アフィ―は無言でカイの頬から手を引き、手袋に戻した。
その顔は、もとの色がわからないほど赤く火照っていた。
「ア、アフィ―?どうした?やっぱ痛かった?」
カイは狼狽するが、アフィ―は口を閉ざしたまま首を振った。
「なんとも、ない」
「なんともない顔色じゃないだろ」
カイは慌ててアフィ―の額に手を当て、熱を測ろうとする。
アフィ―はますます赤くなり、瞳を潤ませ、身を固くする。
「ほら絶対、熱あるって!」
「カイさん、その辺にしましょう」
見かねたラウラは助け舟をだす。
「アフィ―は――――その――――たぶん照れてるだけなので、大丈夫だと思いますよ」
「照れ――――え?」
「カイさんに触られて、緊張してるんですよ」
「あっ、そういう!?」
カイは両手を低くあげて、アフィ―と距離をとる。
「うわ、まじでごめん!いきなりべたべたして――――シェルもレオンも距離感近いから、つい――――いや決して、邪な感情があったわけじゃないんだよ?ほんと、まじで、ただ心配だっただけで――――」
カイは苦笑いで言い訳をまくしたてるが、アフィ―の眉は次第に吊り上がっていく。
「アフィ―、ごめん怒んないで!ほんと、他意はなかったんだって!」
「……ないの?」
「一ミリもないです!」
「……」
アフィ―は唇を尖らせ、カイににじり寄っていく。
「なんでないの?」
「なんでって――――え?どゆこと?」
カイは視線でラウラに助けを求めたが、ラウラは渋い表情で首を振るばかりだった。
「カイさん……途中まではよかったんですけど、やっぱりすごく鈍いんですね……」
「なにが!?なんで!?」
カイは目を白黒させながら、とにかく迫りくるアフィ―から距離をとろうと背を向けた。
そして振り返った先に広がる光景を見て、固まった。
「――――なにしてんだ、あれ?」