対価
アリエージュから継いで、キースが口火を切った。
「改めて、家畜を移動させてくれたこと、一族を代表して感謝したい。――――そして、手前勝手だとわかってはいるが、できれば残りの家畜の回収も、手を貸していただきたい」
「レオンも、おれたちも、最初からそのつもりだよ」
「ありがとう。外者の手は借りるべきではないとわかっているんだが、家畜は多い。我々の手には負えないと、半ばあきらめてさえいたんだ。もちろん対価はお支払する。我々に用意できるものであれば、金でも家畜でも、工面しよう」
「対価なんて――――」
必要ない、とカイが断ろうとするのを、レオンが遮った。
「酒をあるだけ。それから馴鹿を、齢のいったやつでいい、三十頭もらっていく」
レオンはキースにそう求めてから、カイに横目をやった。
「遠慮すんなよ。報酬を求めないのは、相手にまともに仕事をする気はないというようなもんだからな」
「そ、そっか。じゃあ、なにか――――」
カイはラウラとシェルティを見る。
ラウラはカイと同じで困り果て、首を振ったが、シェルティは少し考えてから言った。
「協力者を明かしてもらおうか」
「協力者?」
「君たちラプソは、各地に散らばり、情報収集をしたと言っていたね。そしてカイのことを探り当てた。ごく一部の者しか知らないはずの縮地の演習まで突き止めるとなると、君たちだけの力では難しいだろう。――――情報源はどこだ?高位の官吏か技師、朝廷の有力者の中に、君たちの協力者がいるんだろう?」
「それは――――」
口を開こうとしたキースを、他の青年たちが慌てて止める。
「待てよ、言うつもりかよ」
「俺たちとは、もはや何の繋がりもない連中のことだ」
「でも、それじゃあ、逃げたやつらがどうなるか」
キースは慌てる青年たちを一喝する。
「なにをいまさら!」
青年たちはその剣幕にたじろぎ、勢いを失くす。
「く、口封じされるかもしれないだろ」
「だからどうしたというのだ。俺たちはやつらとすでに縁を切ったんだ。どこで野垂死にしようが知ったことか。――――むしろ自分たちの山を焼いて他人の懐に逃げ込むような恥知らずは、さっさと死んだ方がラプソのためになる!」
キースは怒りにどこか悲痛をにじませた声色で言った。
「そうよ。それに、どうせすぐ調査がくるんだから、同じことよ」
同調したのは、アリエージュだった。
「あれだけの山火事を起こして、朝廷が気づかないはずがない。むしろ今日までこないのが不思議なくらいなんだから。――――いずれにしても、この人たちが望むなら、私たちは包み隠さず話さなければ」
アリエージュはキースと同じ毅然とした態度で少年たちを窘めると、シェルティをまっすぐ見据えた。
「直接繋がっていたのは当時の幹部たちよ。私たちはその存在を知っているだけで、実際に会ったこともなければ、どこの誰なのかも、教えてもらってはいないわ」
「その言い方だと、影はつかんでいるようだね」
「おそらく、南都の首長だ」
シェルティは眉間を押さえてため息をついた。
「確かなのか?」
「首長ではなく、それに近しい人物の可能性もある。いずれにせよ、南部の有力者であることに間違いはない」
「根拠は?」
シェルティの問いに、キースはわずかに言葉を詰まらせる。
「……先の争いを逃げ延びた者たちが、南都に向かったからだ」
「君たち以外にも生き残りが?」
キースは頷き、音なく深呼吸をする。
「ほんの数名だがな。――――彼らは自力でこの冬営地まで戻ってきて、しばらく留まっていた。彼らは俺たちが幹部を殺し、皇太子を逃がし、仲間を見殺しにしてここにいることを知らなかった。自分たちと同じ逃げ延びた者だと思っていた。……俺たちはそれを否定しなかった。本当のことを言えば、争いは避けられない。だが俺たちは、なによりも急いで襲撃があった場所以外の夏営地を引き払わなければならなかった。……人手が必要だったんだ。騙してでも、彼らにはこの場に留まってもらわなければならなかった」
キースはそこで口を噤んだ。
身内に手をかけただけではなく、その事実を隠し、欺こうとした己に罰が与えられることを、彼は望んだ。
しかしカイたちは誰もそれを与えなかった。
罵倒も嘲笑もなく、ただ沈黙するばかりだった。
罰が無いことを、むしろ苦痛に感じながら、キースは再び口を開いた。
「朝廷が追手を差し向けることは間違いない。彼らは異界人……カイ殿を血眼になって探しているはずだからな。我々ラプソに反意があることは知れているし、はじめから疑われていたはずだ。確かに俺たちは過ちを犯した。罰せられて然るべきだろう。だが、なにも知らず、夏営地に残されたままでいた女と子ども、老人たちまで巻き込むわけにはいかなかった」
「お前らがそう思っていても、そいつらは納得できんのか?」
厳しい言葉を投げかけたのは、レオンだった。
「お前らは身内だが、敵でもある。そんなやつに守ってもらうおうなんて、ふつうは考えないだろ」
キースは硬い表情で首を振った。
「察しの通り、今なお誰も、納得している者など一人もいない。ここにいる者たちは、やむなく残っているだけで、俺たちが一族を率いることに賛成しているものなど一人もいないんだ」
青年たちは揃って俯いた。だがキースとアリエージュだけは、姿勢を正したまま、まっすぐ正面を向いている。
「私たちは生き残った男たちの手も借り、すべての夏営地を引き上げ、この場所に戻ってきた。それから一族全員を集めて、真実を……私たちがなにをしたか明かしたわ」
「彼らはもちろん激怒したが――――しょせん先の戦いをほとんど無傷で生き残るような者たちだ。こちらに挑みかかってくる度胸はなかった。そして彼らはここを去ることを選んだ。自分たちについてくるものはいないか、と呼びかけ、十人ほどが彼らと行くことを選んだ」
「私たちが手をかけた、幹部の伴侶とその子どもたちよ。……私たちは止めなかったわ。自分が同じ立場だったら、きっと同じ選択をしたから」
「彼らは南都に向かって行った。俺たちはそれを尾行した。報復に火でも放たれたら敵わないと思ってな。しかし彼らは、逃げるような速さで山を下って行った。……今考えると、彼らの中にはまたケタリングに襲われるかもしれないという恐怖があったんだろう。俺たちに報復をしている余裕はなかったんだ。おまけに山にはこれから間違いなく朝廷からの刺客がやってくる。一刻も早く下山し、安全な場所に身を潜めること。それが彼らの一番の望みだったはずだ。そして南都には、それを叶えてくれる存在がいた」
「それが首長か」
「ああ。彼らが山から出ると、待ち構えていたように数名の官吏が現れて、首都へ引き連れて行ったんだ。我々はそこで尾行を打ち切ったが、まず間違いないだろう。南都は警吏が厳しく目を光らせている。特に昨今、ラプソは目をつけられていたからな。官吏の案内でもなければ、あれだけの山火事があった後に、都市を歩くことなどできないだろう」
五大都市のひとつである南都は、山間の生産物の流通拠点ではあるが、都市とは名ばかりの場所だった。
山裾にあって、どこのものともしれない流れ者ばかりが集う。
そんな都市の治安を保つため、またラプソのような山間に住む朝廷に反抗的な遊牧民へのけん制も兼ねて、朝廷はかなりの人数の警吏、武官を配備していた。
「なるほどね。しかし腑に落ちないな」
シェルティは口元に手をあて、独り言ちるように呟いた。
「ラプソに協力して、一体なんの得がある?縮地を失えば、災嵐から逃れる術はなくなる……。都市部は従来の霊術で守られるだろうが、損失は計り知れない。そもそもこの謀り、露見すれば一族郎党死罪では済まない。それだけの危険を侵して、なぜ首長は……?」
シェルティの呟きを聞いたキースは、予期せぬ段差に躓いたかのような、驚きの声を漏らした。
「噂とは違うな」
「噂?」
「いや……」
キースはすこし躊躇ったが、あえて歯に物着せず答えた。
「俺は西方霊堂の近辺で縮地について情報収集を行っていたんだが、酒場にくる官吏や技師は皇太子について口を揃えて――――ラサの恥だと。浪費家で、放蕩者で、異界人に取り入って地位を保とうとしていると。だから貴方のことはもっと軽薄で浅慮な人間だと思っていた」
「そんなことない!」
「それはちがいます!」
ラウラとカイは揃って否定したが、当のシェルティはなんだそんなことか、と笑った。
「いや、正しいよ。だってぼくは皇太子としての務めなんて一切果たしていないからね。政には興味がないし、地方都市で癒着や不正があろうと、どうでもいい。――――けど、縮地に関わるとなると話は別だ」
シェルティはカイとラウラを一瞥する。
「縮地は二人の悲願だ。邪魔立てする輩がいるなら、僕は刺し違えてもそれを止めるよ」
「シェル……」
「殿下……」
二人はまた声を揃えた。
深く感じ入った調子まで同じだった。
シェルティは照れたように咳ばらいすると、ところで、と付け加えた。
「ぼくに関する噂は、他にもあっただろう?」
「……」
「沈黙は肯定だよ。最後にそれだけ教えてくれ」
キースは先ほどよりもなお躊躇いながら、ゆっくりと口を開いた。
「噂は……いろいろあったが……」
「カイとの関係については?」
シェルティの問いかけに、カイはぎょっとして目を剥く。
「は!?おれ!?」
キースは観念したように頷いた。
「貴方に関する噂は、それが一番多かった。つまり――――貴方は異界人に骨抜きにされ、手玉に取られている、といったものだ」
「いや逆だろ!」
カイは立ち上がって叫んだ。
シェルティはわざとらしくその足にしなだれかかり、甘い声を出す。
「カイ、逆ってことは、きみの方がぼくに骨抜きにされてるってことになるけど」
「ああ!?違うそうじゃない!!おれはシェルに遊ばれてるだけで――――」
「ひどいなあ、ぼくは本気なのに」
「ほら!それだよ!そのダル絡みを人前でやるから変な噂が立つんだろ!お前のせいじゃん!おれ被害者!!」
「外堀から埋めていこうと思って」
「埋めるな!掘れ!」
カイとシェルティのやりとりを、青年たちはぽかんとした顔つきで眺めていた。
「噂はしょせん噂です」
ラウラは両親の痴話げんかを見られたような気まずさに顔を赤らめながら言った。
「おふたりの本当の関係は、いまご覧いただいているとおりです。どちらかがどちらかを弄んでいる、なんてことはないんです。ただとっても仲がいいだけなんです」
青年たちは顔をよせて囁き合った。
「付き合いに裏があるわけじゃないのか」
「見せつけられた通りの、なかよし、ってことか?」
「皇太子と異界人だぞ」
「でもだからこそ、私たちには及びもつかないんでしょうね」
「一理ある」
青年たちは得心のいく答えを見つけると、顔を離し、言った。
「噂に尾ひれはつきもの、ということだな。人はときに、自分を納得させるために、事実を自ら歪曲してしまう。他者に伝えようとするとなおのことな」
「わかっていただけてなによりです」
ラウラはほっとしたように笑ったが、カイは頭を抱えた。
「なんかきれいにまとまったふうだけど、誤解、解けてなくない?」
シェルティは小さく吹きだし、声を殺して笑った。
「ふふ……!」
「おい」
「く……ははっ……カイ、きみ、けっきょくいつもこうなるね」
「お前のせいだろうが!くそ!やっぱおれ弄ばれてるわ!」
「あはは!」
シェルティはこらえきれず、ついに腹を抱えて笑い出す。
カイはそんなシェルティを黙らせようと手をのばすが、シェルティは笑いながらそれをひらりと躱す。
二人はそのままもつれ合い、とっくみ合いをはじめた。
青年たちは二十歳を過ぎた男二人が子どものようにじゃれ合う光景に、ぽかんとした表情を浮かべる。
ラウラはますます顔を赤らめ、今度は兄弟喧嘩を我が子に代わって周囲に詫びる母親のような心持で、すみません、と言った。
そんな喧騒の中で、レオンは苛立つことも、青年たちのように呆気にとられることもなかった。
「うるせえなあ」
なぜかすっかりくつろいだ様子で、姿勢を崩し、大きな欠伸をひとつこぼしただけだった。