移牧
殴られたカイは地面に倒れ、声も出せず衝撃と痛みに目を回した。
「カイ!」
「カイさん!」
シェルティはすぐにカイを抱え起こし、ラウラはレオンと二人の間に立った。
「なにをするんですか!」
レオンはラウラの非難を無視し、近くに横たわっていた狗鷲の前で膝をついた。
息絶えた狗鷲の身体には無数の切り傷がある。硝子片の翼に突進した際についた傷だ。
レオンは見るも無残な姿になった狗鷲を脱いだ笠の中にいれ、笠の縁についた飾りや布を上に被せた。
すべての動作は丁重で、傍から見ても、レオンが狗鷲に敬意を払っていることが窺えた。
「……あなたの狗鷲だったんですね」
ラウラは胸に沸いた怒りが瞬く間に冷め、むしろ矛先が自分に向かうのを感じた。
「すみません、そうとは知らず、私――――」
「なにも言うな」
「でも――――」
「お前がこいつになにを言っても、それはこいつの傷になる。死んだやつをこれ以上痛めつけるな」
ラウラは言葉を飲み、目蓋を伏せた。
レオンの口調は静かで、そこには怒りも苛立ちもなかった。
「そういうなら、なぜカイを殴る必要があった?」
シェルティが噛みつくように訊くと、レオンは鼻をならして答えた。
「腹が立ったからだ」
「お前、それは――――」
「シェル、いいんだ」
カイは立ち上がり、頬を押さえながら言った。
「また会えてよかった」
「……あ?」
「なあ、もしかしてこの馴鹿、キースのところに連れて行こうとしてたのか?」
「……なぜそう思う」
「なんとなく」
カイはなぜか照れたようにはにかんだ。
「レオンなら、そうする気がして」
レオンは小さく鼻を鳴らした。
「せっかく麓から人手集めてきたのに、台無しにしてくれたな」
「う……それはおれの早とちりで……ごめん。あの、代わりにおれたちが手伝うよ!」
カイはシェルティとラウラにいいよな?と同意を求める。
二人はやや面食らった顔で頷いた。
「役に立たねえよ、お前らじゃ」
「でもレオン一人でも大変だろ。――――そうだ、つまりレオンはキースの居所を知ってるんだろ?おれがそこまで飛んでいって、人手を集めてここまで戻ってくるってのはどう?」
「その人手がねえから、おれがここまで出張ってきたんだろうがよ」
「うーん、じゃあやっぱ、おれら四人で……」
「ここから歩いて半日以上かかる。ついてこれねえだろ」
「ついてくよ!」
カイは前のめりになって言った。
「レオンさ、小屋で一緒に飯食った夜、おれらが寝たあとに食糧届けてくれただろ?それでおれら、吹雪の中でもあの小屋でゆっくり休めたんだ。――――ありがとうな。おかげでめちゃくちゃ元気になったよ。だからだいじょうぶ。ついていけるよ」
「恩を感じるのは勝手だが、こっちはくれたつもりはない。だから返す必要もない」
レオンは煩わしそうに手を振った。
「安心しろ。おれはもう縮地なんてどうでもよくなっちまった。生き残ったラプソのやつらもな。だからお前らにもう手は出さねえよ。邪魔もしねえ。だからさっさと帰れ」
「レオンはよくても、おれはよくない」
カイは頬を押さえていた手を降ろす。
頬は痛々しく腫れあがっていたが、かまうものかといった調子で、口を大きく開けて笑って見せた。
「このまま帰ったら、きっと絶対後悔する。もやもやして、きっと縮地にも集中できない。だから手伝うよ。助けられたから助けるんじゃない。おれが助けたいから助けるんだ」
シェルティはやれやれといった様子で頷いた。
「まったくきみは――――仕方ないね。カイが望むなら、ぼくも手を貸そう」
ラウラは私もです、と力強く頷く。
「私もです。私にも、お手伝いさせてください」
「ばか共が……」
レオンは舌を打ち、鼻を鳴らし、ため息を吐いてから、ラウラに視線を向けた。
「ラウラ」
「はい」
「さっきのやつ、まだつくれるか」
「さっきの……?」
「光る、妙な翼のやつだ」
「硝子球があればできます」
レオンは肩にかけた網袋から大小さまざまな硝子球を出し、ラウラに手渡した。
「おれが先導する。お前はこれで群れを追え。それからカイ、お前、この二人連れて飛べるか」
カイはまたぱっと目を輝かせて、うん!と勢いよく頷いた。
「歩きじゃまず着いてこれねえだろうからな。上から群れを追ってこい」
「わかった!」
「ラウラは、こいつと飛びながらさっきのやつ操作できるか」
「はい。できます!」
「じゃあついてこい」
レオンは笠に納めた狗鷲を脇に抱え、踵を返した。
カイは硝子球両手に持てるだけの硝子球を持って、霊力を込める。
硝子球は瞬く間に眩い光を放つ。限界を迎えた硝子球にヒビがはいり、音を立て始めると、カイはそれを空高くに投げた。
ガシャンッ。
硝子球は大きな音を立てて弾ける。
鈴を激しく打ち鳴らしているような音があたり一帯に響く。
空中で弾けた硝子球は、花火のようにひかり輝いたまま砕け散る。
ラウラは光の粒となって零れ落ちていく硝子片に霊力を這わせる。
欠片は細かく、無数にあったが、それぞれカイの霊力が源の光で繋がっていた。
霊具が炭であるとすれば、カイによって破壊された硝子片は消し炭のようなもので、ラウラが容易く霊力を行き渡らせることができた。
再び鈴の音が響き渡る。
それに合わせて地面から翼が生える。黄金に光る、巨大な硝子片の翼が現れる。
翼にはやはり頭も胴も足もない。からみつくように繋がる両翼と、引きずるほど長い尾だけで構成されている。
そしてそれは翼をはためかせることもなく浮かびあがり、馴鹿の群れに近づいていった。
馴鹿は驚いて一斉に顔をあげる。
硝子の翼は動きが緩慢で、近づいてくるが触れようとはしてこない。
馴鹿は警戒して耳を立てたが、逃げ惑ったりはしなかった。
硝子の翼が発する鈴の音に追い立てられ、ぞろぞろと歩き出した。
どこか浮世離れした、奇妙な行列だった。
狗鷲の骸が収められた、笠の棺を抱える男。
角に刻印が記された百頭の馴鹿。
羽ばたき一つせず宙を舞う黄金の翼。
手を繋いで浮遊する三つの人影。
山中に住む生き物はみなこの行列に驚き、逃げ出すか隠れるかして道を開けた。
おかげで彼らは道中、野獣に襲われることもなく進むことができた。
一行は山を東に下って行った。
硝子片の翼は長く持たない。
ラウラはひとつが砕け散るとまたレオンから硝子球を受け取り、次の翼を造った。
その精度は造り直されるたびにあがっていった。
翼と長い尾だけだったものに、身体が与えられ、頭と足が生え、目元やつま先に至るまで精巧に形作られ、ついには狗鷲とまったくおなじ姿形をとるまでに至った。
翼をはためかせる動きさえ完全に再現し、もはや本物との違いは身体が発光しているかどうかだけだ。
またその持続時間も回数を重ねるたびに伸び、四体目となる翼は作製から三時間たってもその姿形を保ったままだった。
「完全にものにしたなあ」
カイは感服して言ったが、ラウラははにかんで謙遜した。
「私ひとりではとてもここまでできませんでした。カイさんが硝子球を砕いてくれるおかげです」
「いやおれただやみくもに霊力注いでるだけだけど」
「あの量の硝子玉を一度に粉砕するためにはとてつもない量の霊力が必要なんです。それこそカイさんにしかできません。それに粉砕されてもなお、カイさんの膨大な霊力は破片に残留するので……例えばふつうの人は粘土に少量の水しか加えられないので、成形にはかなりの労力を要します。でもカイさんは水をいくらでも加えることができるので、私はその柔らかくしてもらった粘土をこねているだけなんですよ」
どこか興奮した様子でまくし立てるラウラに、それでも一番大きいのは君の力だ、とシェルティが言う。
「たしかに素材はカイにしか作れないものかもしれないけれど、あの量をあれほど精巧に造形して操ることだって、並大抵のことではない。素晴らしい才能だ」
「殿下まで……ありがとうございます。でも本当に、私に才能なんてないんですよ」
ラウラは先を行く、険しい山道を駆ける様にして進むレオンに目を向けた。
「本当に才能があるのは、兄や、彼のような人だと思います」
シェルティはカイを横目で一瞥する。
「カーリー・シュナウザー……きみのお兄さんは、数多の霊術式を編み出した稀代の俊傑だ。やつとはまるで別物だろう」
「そうでしょうか」
ラウラは自身が褒められた時よりずっと嬉しそうな顔で、誇らしげに、言った。
「おっしゃる通り、兄は特別です。誰も思付かない方法で、誰も思い描けない術式を作り上げることができました」
「唯一無二ってやつだな」
カイの言葉に、ラウラは大きく頷いた。
「はい。――――そしてレオンさんも、その唯一無二です」
ラウラはそう言って左手を硝子の狗鷲へ向けた。
群れの上空を飛んでいた狗鷲は高度を下げ、広がりつつあった馴鹿の群れの周りを旋回し、あっという間にもとの大きさにまとめあげた。
狗鷲が羽ばたくたびに、擦り切れた硝子が金粉となって舞う。
「この硝子球は、兄が作ったものです」
「えっ、そうなの?」
「はい。これは兄が提唱した技法に基づいて作られたもので、今では広く一般に普及していますが、市場に出回り始めたのはここ三年ほどのものなんです。――――つまり、この硝子球を用いてケタリングを操る術は、同じようについ最近編み出されたもののはずです。あれだけ熟達しているところを見ると、レオンさんがご自身で確立させたものと考えてまず間違いないかと」
ウルフは太古の昔よりケタリングを使役していたとされている。
ケタリングを操る方法そのものは、代々継承されていたのだろうが、しかし現在レオンが操作に用いている硝子球は、近年開発されたものだ。
レオンはただの継承者ではなく、開拓者でもあるのだ、とラウラは思った。
数多の霊具と霊術の改良を行った兄と同じ、新たな時代を切り開く先駆者なのだ、と。
「兄を見ていたからわかります。既存の霊術はほとんど基礎理論が失われてしまっているので、手を加えることがとても難しいんです。材料ひとつ、手順ひとつ変えただけで大きな狂いが生じてしまいます。ケタリングの操作術は霊術とはまた異なるものかもしれませんが、ただ光や霊力で誘導しているだけのようにも見えないので、やはり複雑な理論が存在しているはずです。ですから霊術と同じように、改新は困難のはずです」
「それをやってのけたレオンは、ラウラの兄ちゃんと同じ天才ってことか」
カイはレオンに羨望の眼差しを向ける。
「やっぱただ者じゃないんだな」
「カイ、きみ、ついさっきやつに殴られたばかりだってこと覚えてる?」
呆れたようにシェルティは言ったが、カイは生返事を返すばかりだった。
「まったく……油断しているとまた痛い目を見るよ」
「レオンはもうおれたちをどうする気もねえって言ってたじゃん」
「いつ気が変わるともしれないだろう」
「レオンはそんなやつじゃないよ」
断言するカイに、シェルティは苦笑する。
「どうかな?状況によっては、彼は冷酷になれる人間だと思うけど」
その声には、かすかな憐憫が滲んでいた。
「自分にとってなにが一番大切かわかっているんだ、彼は。そしてそれを守るためであればなんだってできる。――――恐ろしい人間だよ、彼は。大切なもののためなら非情になれる。それ以外のすべてを躊躇なく捨てられるんだから」
「強いんだな」
シェルティは忠告のつもりで言ったが、カイにはまったく響いていなかった。
「強くなきゃ、そんなことできないもんな」
「カイ……」
「やっぱかっけーな、レオンは」
「きみは本当に――――どうしようもないね」
シェルティは深くため息をつき、口調を芝居がかったものに変える。
「いつの間に趣味が変わったんだい?」
「は?」
「ぼくというものがありながら、別の男に現を抜かすなんてひどいじゃないか」
「はあ?」
「ぼくとのことは遊びだったのかい?」
「なんて!?」
カイは声を裏返す。
それまで黙って二人の会話を聞いていたラウラも、思わず吹き出してしまう。
「あんな男にすっかり骨抜きにされてしまって、ぼくは……ぼくは悲しいよ……」
「いや知らねーし!っていうかそういうんじゃないからな!?かっこいいって、憧れとかそういう意味だからね!?」
「どうすればきみの心を取り戻せる?」
シェルティはカイを無視して続ける。
「ぼくも彼みたいに雄々しく振る舞えばいいのかい?それともきみ、もしかして、被虐趣味があったのかい?」
「ねえよ!!」
カイはまた声を裏返す。
ラウラもたまらずまた吹き出してしまう。
「それならぼく……がんばるよ」
「なにを!?」
「気は進まないけど、きみのためだもん。これからは気持ちよくさせるだけじゃなくて、痛みも……刺激も与えてあげるからね」
「語弊しかねえ!そもそも気持ちよくさせるってなに!?おれが今までなんかしてもらってたみたいな言い方やめてくんない!?」
「してあげてたじゃないか。霊堂にいたころなんかは毎晩――――」
「マッサージ!マッサージな!」
カイはラウラに弁明する。
ラウラは引きつった愛想笑いを返す。
「お二人は本当に仲よしですね……」
「含みのある言い方やめて!?」
「そうなんだ。ぼくらとっても仲よしなんだ。あんな男が間に入る余地なんて微塵もないくらいにね」
「お前はもう黙ってろ!」
「あはははは!」
シェルティは決壊したように笑い出した。
「次レオンのことダシにしたらまじで叩き落とすからな……」
これ以上引きずられてはたまらないと、カイは半ば無理やり、話題を戻す。
「――――それにしてもラウラの兄ちゃんって本当マルチだよなあ。霊具開発して、霊術を改良して……縮地術だって、兄ちゃんがいまの形にしたんだろ?」
「はい。――――カイさんを呼んだ降魂術も、兄が手を加えてはじめて成功に至ったんですよ」
「すごすぎる。まじの天才じゃん。兄ちゃんは発明が得意で、妹は霊操が得意って、最高の組み合わせの兄妹じゃん」
カイは心からの賛辞を述べたが、ラウラはどこか気まずそうな顔で、それなのですが、と言い募る。
「実はその、私が霊操が得意といわれているのは――――苦労しなかったのは、兄の術式に馴染み深いから、というのが、大きな理由なんです」
「どういうこと?」
「兄の術式や霊具は、朝廷技師団の中でも広く普及していました。私は兄の術式の癖のようなものを心得ているので、コツをすぐつかめるんですよ」
「またそうやって、きみはすぐ謙遜する」
笑いを収めたシェルティがわざとらしく口をとがらせると、カイも同じようにわざとらしく、眉を吊り上げた。
「悪い癖だぞ、まったく」
「いえ、その、事実で……」
「すべてはきみのたゆまぬ努力の成果なんだから、胸をはって誇るべきだよ」
「そうそう。なにより近くで見てきたおれたちが言うんだから間違いない!」
「たて穴での修練の様子は、カイが縮地にあたるのと遜色ない真剣さだったからね」
「その努力含めて、ラウラの才能だよな」
真面目なラウラが修練ではなく遊びに熱中していたとは気づかず、カイとシェルティは手放しの称賛を続けた。
「でも、ひとつ疑問なんだけど、あれは本来なんのために修練していたんだい?」
「ああ、言われてみれば!」
二人はラウラが操る硝子片の鳥へ目を向ける。
「やっぱ縮地に関係するものなのかな」
「そりゃそうだろ。――――ってうわ、ラウラ、どうしたその顔!」
カイは今までみたことがないほど真っ赤になったラウラの顔を見て思わず叫んだ。
「そ、そんなマンガみたいな照れ方ある!?」
「いや、カイ、照れただけじゃこうはならないだろう。どこか調子が悪いんじゃないかい?」
カイは狼狽し、シェルティは心配する。
ラウラはいたたまれなくなり、声を小さくする。
「いえ……その……」
「具合悪かったのか?ごめん気づかなかった!」
「ち、ちがくて、ですね……」
「一回降りて休もう」
「全然平気なので……むしろはやく進みましょう……」
ラウラはそう言って鳥を大きく羽ばたかせ、馴鹿たちを追い立てた。