好きなアイツと嫌いなあの子
黄龍院ヨシカズくん。
うちのクラスで1番人気の男の子だ。去年、私達がまだ1年生だった頃、冬休みの直前なんて微妙な時期に転校してきて、あっという間に溶け込んでしまった。まるで入学時点からのクラスメイトだったみたいに。
成績優秀で都内の有名私立校だって余裕で合格圏内らしい。先生方は期待をかけているようだった。光中出身者で初めて旧帝を狙えるかもしれないって。スポーツ万能で運動神経も抜群。運動会ではエース級の活躍だった。でも運動部には入らないんだって。放課後が忙しいんだとか。あれだけ何でもできるんだから、たぶん習い事とか塾にでも通ってるんだろう。
オレンジ色の髪をベリーショートに刈り込んでいて、学校には着けてきてないみたいだけど両耳にたくさんのピアスホールが開いている。大人びた雰囲気の精悍な顔つきは笑うとかわいくって、校内では制服を校則通りに着こなしているけれど、私服は意外とやんちゃ系だって聞いた。
でも話してみると意外と気さくだし、いい人で、なにより優しい。他の男子が女子達をからかう中ですごく紳士的に接してくれる。だから密かに憧れていた。ううん、それは私だけじゃない。クラスの女の子はみんな彼を狙っている。あの子もあの子もあの子もあの子も。みんな、みんな、彼に気に入られたくて仕方ないって顔だ。ヨシカズくんは誰にでも優しい。ヨシカズくんは私の話を聞いてくれる。ヨシカズくんは私を怒らない、ヨシカズくんは私に酷いことを言わない、ヨシカズくんは、……だったら、あの日見た彼は一体「誰」だ?
最近、この学校に転校してきた「あの女」に見せた顔。おそらくクラスの誰も見たことがない、ヨシカズくんの素の表情。あんな風に年相応に笑ったり怒ったり泣いたり(泣いてはいなかったけど)。そんなの今まで、ちっとも見せてくれなかったじゃない。嘘だったんだ。私達を騙してたんだ。
ううん、ずっと違和感はあった。薄々わかってた。ヨシカズくんの「それ」は、ただの演技なんだって。都合がいいから良い人のフリをして、クラスのみんなにいい顔をしていただけなんだって。嫌われると「面倒」だから、テキトーに優等生のガワを被ってただけに過ぎないのだと。
それでも、いつか私にだけは、ほんとのヨシカズくんを見せてくれるんじゃないか、って。望み薄な希望を抱いてしまってた。全くもって馬鹿な話だ。なんて馬鹿な女なんだろう、私ってやつは。そんなことある訳ないのに。ヨシカズくんにとってこの学校の誰も、地の部分を見せるに値しない有象無象でしかないって心のどこかで理解していたはずなのに。
……じゃあ、どうして。どうして「あの子」にだけは笑いかけるの。友達に接するみたいに馴れ馴れしく、恋人に相対するように甘ったるい、家族へ向けるように思いやりに満ちた、穏やかに笑み崩れた顔で話しかけるの? 他の誰にも、全員に平等に酷いのならば許せたのに、彼は「そういうひと」なんだって諦めがついたのに。
あの子には笑いかけるのに、どうして私に笑いかけてくれないの? なら、あの子がいなくなれば、私にも笑いかけてくれるかな。それとも──、
「ねえ。その願い、叶えてあげよっか」
「……、だれ……?」
「レイゼ。他人はわたしをそう呼ぶよ」
知らない女が自室の窓枠に腰掛けていた。開けっ放しにしたつもりはないのに、硝子窓はいつの間にか全開になっている。差し込む月の光が逆光になっていて顔はよく見えないけれど、かなりの年配のように映った。白髪まじりの髪を背に遊ばせ、真冬だというのにライダースジャケットと革のパンツという格好。ニタニタと笑う口元だけがやけに目についた。
「何? 宗教勧誘のつもり? 悪いけど間に合ってるから。帰って。……帰れ!」
「アハハ、あんた勘が鈍いねえ。残念だけど違うよ、わたしはただの悪い大人さ」
よいしょと窓のサッシから降りて下足のまま室内へと降り立った女──レイゼが、薄黄色く濁った目を私へと向ける。夜闇にぼんやりと浮かぶシミと皺まみれの顔は、若い頃はさぞ美しかったのだろうが、今となっては見る影もなく老い衰えている。一体この女は何者なのか。
「じゃーん。これはあんたのような無能力者でも簡単に人を呪い殺せる便利グッズでーす。どう、すごいでしょう。すごいと言いなさい」
「は……? のろい? なにそれ、バカにしてんの? そんなもん実在する訳ないでしょ。ホラー映画の見すぎなんじゃない? 気でも狂ってんの?」
「おや。人並みの警戒心はあるんだ。わたしが簡単に侵入れるくらいザルなのに。じゃあ百聞は一見に如かず、というからね。実演してあげようか。誰かムカつくヤツ……本命以外で他にいる? 誰でもいいよ、親兄弟、親戚、友達、他には……気を持たせるだけ持たせて、そのくせ恋人になってくれない男の子、とか?」
「やめて! ヨシカズくんには手を出さないで! わかった、なら体育の本田を呪ってみせてよ。あいつ、授業の時に女子のこと気持ち悪い目でジロジロ見てくるんだよ。あの変態野郎が明日、学校に来なかったら信じてあげる。それなら文句ないでしょ?」
「ふふ、いいよお。けど、わたしが直接呪ったんじゃおもしろくないからね。実行はあんたがやりなさい。やり方はパッケージに書いてある。使用量は1回につき1つ、それ以上はダメ。今回は特別にタダにしてあげるから、残りは好きに使いなさい。それじゃあね」
瞬きをする間もなく彼女の姿はもうどこにもなかった。開け放した窓から降り注ぐ月光が、自分の部屋の中で立ちすくむ私を淡く照らしている。まるで、はじめから誰もいなかったみたいに跡形もなくあの女は消えていた。
「なんなの……あれ。ほんと気持ち悪い。早く立ち去ってほしくて、つい乗っかっちゃったけど……受け取るんじゃなかった」
手のひらの中には渡された和紙の包みがひとつ、ふたつ、みっつ。透明なビニール袋に入れられ、「使い方」が記されている付箋が貼り付けられていた。包みの表面には墨で小難しい紋様と漢文みたいな文章が達筆で書きつけられていて、軽く押してみると包みの中に硬い「何か」が入っているようだった。
使い方──煮沸した水に包みの中身を溶かすこと。それを呪いたい相手に飲ませること。この際、心の中で呪いの具体的な内容を思い浮かべること。使い終わったら必ず燃やして破棄すること。1人につき1回、1回につき1つ使うこと。絶対に1人に対して2個以上使ったり、1回につき2人以上に使ってはいけないこと。
「うわっ、今どきこんなん流行らないって……ほんと、うさんくさっ。でもまあ試してみるか。せっかく3つもあるし」
こんなのただのお遊びだ。だって令和になってまで呪いだなんて、そんなのバカバカしい。くだらない。12星座占いや血液占いですら信じるに値しないのに、ましてやコックリさんだのオバケやユーレイだの、そんなのホントな訳ないじゃない。
……そういえば、あの子は今日、オカ研の部員になるとかならないとか話していた気がする。真壁さんと一緒に旧校舎へ行くのを見かけた。モデルさんみたいに綺麗なのにオカルトが好きなんだろうか。ヨシカズくんも転校したての頃、やけにオカ研に入りたがっていたと聞く。2人は親戚だそうだから、案外と趣味が似通っているのかな。
「あはは、なんなの。ほんと……いきなりしゃしゃり出てきて、カノジョヅラってこと? ああそう、じゃあわかったよ。本田のやつで試してやろうかと思ったけど、だったらあんたを呪ってやるわ」
家族が寝入っている中、こっそり台所へ行きケトルに水道水を注ぐ。幸い、お父さんとお母さんが寝ている部屋とは離れているから、起きてきて姿を見られる前に部屋へと戻れた。ケトルを沸かしているうちに水筒へ包みの中身を開けてみてびっくりした。和紙に包まれていたのはどう見ても人骨だったからだ。
何故そんな見分けがつくのかと言えば、親戚が病や事故かなんかで相次いで亡くなったことがあり、何度か葬儀や火葬に立ち会ったことがあったから。さすがに何回も納骨をやらされれば、それが人のものか動物のものかくらい見分けられるようになる。
もちろんそのままでは溶かせないので、広げた和紙の上に置いて辞典の背で軽く叩き、細かく砕いていく。金槌でもあればよかったけれど技術の時間に使う道具は学校に置きっぱなしだし、工具の類は物置の中だ。こんな真夜中に取りに行くのは難しい。トントンと飛び散らないよう気をつけて叩くと、完全な粉にはならないもののかなり小さく細かな欠片となった。あとはこれを水筒に入れ、お湯を注ぎ込むだけ。それで準備は終わる。
「は、はは、ははっ……、何、マジになってんの。バカらしい。でも本当にこんな簡単なやり方であの子を殺せるの……?」
だって漫画やアニメに出てくる悪い魔法使いや陰陽師はもっと複雑なやり方をしていた。それで成功する直前で正義の味方にぶっ飛ばされるんだ。それに呪いが気付かれて逆に私がぶちのめされないとどうして言える? まあ、でも、あの子は見る限り弱そうだ。手足は細くて筋肉なんか全然ないし、あれくらいなら私でもボコり返せるはず。
それに私の中の私が言うんだ。ころせ、のろえ、ほろぼせ、やっつけろ──って。そうか、そういうことか。なんだ、どうしてこんな簡単なことが分からなかったんだろう。悪いやつはあの子じゃないか。そして私は、あの子をやっつける「正義の味方」だ。
◆◆◆
剣戟の音が響いていた。刃と刃を打ち合わせる高く澄んだ音色が深夜の校庭で断続的に繰り返される。長大な青龍刀の切っ先が美しい軌跡を描いて振り下ろされる。まるで舞を踊るかのように華麗でありながら、それでいて躍動感に満ちて、「彼」の両手にそれぞれ収まる剣がひらめく。さながら舞踏であり、剣舞だった。
「っ、と! これでラストぉ!」
さっきまでは数えるのも億劫になるほどたくさんいたカルマ共はもう残り僅かとなっていた。1匹1匹は雑魚だが、こうもたくさんいると少々めんどくさい。グラウンドの上を覆い尽くさんばかりにわらわらと湧いて出てきた悪しき霊達をまとめて斬り飛ばし、かすり傷どころか身にまとった衣服に汚れすら付けることなく悠々と二刀一対の青龍刀を霧散させる。
視界の隅で、こいつらの親玉相手に戦っていた露水が決着をつけたところだった。同世代の女子と比較しても華奢で肉付きの悪い身体が自在に動き回り、カルマを翻弄する。踏み台もなしにジャンプで空高く舞い上がり、強烈なかかと落としが決まった。頭の部分から亀裂が入り、あっという間にバキバキに割れ砕けたカルマが空気に溶けて消えていく。還ったのだ、あの悪霊は在るべきところ──あの世へと。
「おお露水ィ。おつかれさん」
「ハクール、そっちも雑魚掃討あんがとね。さすがにあの数は参ったわ、ありゃ無理だ。ったくメグルのやつもめんどくせえ依頼回してきやがる……」
「……へえ、困ってんのかい。殺してきてやろっか?」
「あ? 黙れ。人間に手を出したら還す──そういう契約だろうが」
度の入ってない眼鏡の奥から差す、月光などよりも冴え冴えとした光がハクールを貫く。睨む、なんて甘い表現では物足りない。視線に殺傷能力があったら、今この時ハクールは心臓を射抜かれていた。
奴霊契約。
それは、悪しき霊・カルマを退治する役目を担う善き術師、ガイドを時に助け、補佐し、影にひなたに支える霊を縛るものだ。ガイドに恭順することを霊奴が受け入れ、また霊奴の望みを叶えるとガイドが約束することで契約は成る。
ハクールの願いは露水が死ぬその時まで共に戦い続けること。彼女が命を落とすまでは、ハクールは露水の下僕として在り続ける。否、たとえ彼女が死そうとも、その死を認めるつもりは毛頭ない。冥府に旅立つ少女の魂程度、奪い取り我がものとすることなぞ造作もない。それだけの力がある。そうするだけの理由がある。この子供の霊魂も肉体も未来も来世も全て、既にハクールのものだ。そうと決めた。とっくにそうと決まっていた。
「くっくっ……だから、そう簡単にくたばってくれるなよ。まだまだ楽しませてくれよ、100年ぶりなんだ、現世で人様に飼われるのは」
「はー? 相変わらず何言ってんのか分かんねえ。けど、二度とメグル達を殺そうとか言うな、思うな、絶対に手を出すな。もしもあたしを裏切るようなことあらば、この命を賭けてテメーを還す」
この女は特異な生き物だ。彼女は最凶最悪の悪霊を前にしても恐れない、怯えない。決して一歩も引かない。生まれてから今日この日まで、そしてこの先も変わらずに有り続ける。たとえどんな辱めを受けたとて、どれほどの絶望を与えられようとも、竜胆露水は折れない。親を殺されようと、愛する者を残らず失おうと、それでも少女は戦いを選び、怒りを胸に燃やし続ける。その炎が気に入った。だから頭を垂れることを望んだのだ。
「はー、馬鹿にかかずらってられねえ。さみぃし、疲れた。どっかでメシでも食うか。この時間でもファミレスくらいなら開いてんだろ」
「それ1人で行くつもりか? 深夜だぞ今。自分の歳も分かんねえのか」
「は? 何言ってんだよ、お前も付き合え。ハクールの奢りな」
メッセージアプリで簡単に任務完了の報告を入れてから露水はタクシーを呼ぶ。本当に今から食事に行くつもりのようだ。ガキは帰ってはよ寝ろ、と言いたいところだが、なんだか浴びるように酒でも呑みたい気分だったので、結局ハクールは同席してやることにした。別にこいつが心配なんじゃないし、と誰に言うでもなく言い訳しながら。