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白鬼夜行  作者: 飴村玉井
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「そんなものは『いる』んだよ」

 痣山峠。千葉県と茨城県の県境にある、関東でもそれなりに名の知れたホラースポットである。曰く、ここのトンネルをバイクや自動車で通過すると黒髪に白いワンピース姿の女が「出る」のだとか。そのとき、たとえばどこそこに行きたいから乗せてほしいと頼まれたら素直に応じてやれば何事もなく家に帰れる。ただし女の要求を無視すると死ぬ。そんな怪異が時折この場所に姿を現すという。

 もっとも、この場所自体が心霊体験の「名所」として世間に知られるようになったのはここ最近の話だ。つい先日、動画サイト運営側により突然閉鎖されてしまったオカルト系配信チャンネル「突撃・となりの心霊スポット」で取り上げられたことで、一躍有名になった。

 霊能者レイゼとやらと共に配信者の男がリア凸実況中継した際、奇妙なものが映りこんだことで動画はたちまち再生回数が急激に上昇、更にSNSで著名な人間が動画リンクを共有したという後押しにより一気にトレンド入りした。公開から24時間以内に再生回数は100万オーバー、その後もじわじわと伸び続け、500万の大台に迫る勢いだ。

 そんな痣山トンネルに今、しがないオカルト系雑誌の編集兼ライター兼カメラマンをやっている俺「日隅晴人ひずみはると」は来ている。ただし普段のようなソロ取材ではない。一応、専門家にも同行してもらっていた。腕前は編集長お墨付きだそうだから、おそらく信用しても大丈夫なんだろう。……たぶん。


「おにーさん『見鬼』なんだって? 大変だね。こっちから取材の依頼お願いしといてなんだけど大丈夫? 疲れてない?」

「えっ。知ってたのか……平気だよ。普段は色の濃いカラコン着けてるし、知り合いの民俗学者から御守り貰ってきたし。竜胆さんに迷惑をかけるようなことにはならないと思うから」

「ふーん……ならいいけど。視えすぎるってあんまり良いことないし、苦労してるんだろうなあって思っただけ。あたし、経験浅いしたぶん自分のことで手一杯になっちゃうだろうから、何かあったら自分で自分のことは守ってね」


 サラッと見放し宣言をして、2月のクソ寒い屋外だというのにマイクロミニのスカートにスカルモチーフの黒いフードパーカー、ごつい編み上げブーツという薄着の少女はさくさくと枯葉の上を進む。とうに陽が落ち、薄暗い山中で金色の頭髪だけが仄かに光を放っている。

 彼女の名は竜胆露水。巷に蔓延る、うさんくさいスピリチュアル被れや霊感商法紛いの似非霊能者(と書いて詐欺師と読む)、厨二病の中高生と違い「本物」だ。例の配信チャンネルにゲスト出演していた女も本物であることは間違いないが、竜胆さんの持つ力はあんなちゃっちいものではない。有り体に言えば化け物だ、と俺の両目に宿る「見鬼」は教えてくる。

 見鬼というのは、いわば霊視の上位版だ。大抵の霊能者はオバケやユーレイなどを見つけ出す術である霊視を意識して行うが、俺のような見鬼の持ち主は無自覚に「視て」しまう。そして「視る」力も霊視するより格段に強く、ゆえに余計なものまで目に入ってしまう。そして「視られる」ことにバケモノ達は敏感だ。だから見鬼なんてものを持つ人間は、ほとんど無惨な死に方をしている。

 今年で創刊20周年を迎えるオカルト系雑誌「セオリツ」の立ち上げに関わり、以来いくつもの企画や特集に携わってこなければ、とっくに俺のようなクソ雑魚は死んでいただろう。多くの本物やプロと知り合う機会が得られ、護身のやり方を教えてもらえていなければ今この場に俺という人間はいない。

 そして彼女もまたその1人。現代日本においてはおそらく最高峰の実力者である「彼女あのひと」の血を引くのだから当然といえば当然か。編集長がどんなコネを使ったかは知らないが、よくもまあここまでの人材を引っ張ってこれたなと思わなくもない。


「今回、痣山トンネルへの『突撃』を敢行した直後に例の動画配信者は消息を絶っています。おそらくはもう死亡したと思われますが、もしかしたら現場に手がかりが残されているかもしれない。それに、実際に動画内に映り込んでいた『モノ』も気になる。という訳で、竜胆さんに協力をお願いした次第ですが──、何か、気になることでも?」

「うん、まあ、ちょっと。実はその配信者……確か『鈴木鐘彦すずきかねひこ』って名前だったかと思うけど、そいつ、あたしが護衛する手筈になってたんだよね。今までよりずっと高難度の依頼で、しかも単独任務だから、あたしなりに結構張り切ってたんだけどな……なんか、ごめんね。急にこんな話しちゃって」

「いえ。それなら弔い合戦になりますね。行方不明になった鈴木さんを発見していただくことが今回の私共の依頼になりますが、仮に彼が亡くなっているのだとしたら、せめて遺体を見つけて供養してあげたいじゃないですか」

「……うん。ありがと。日隅さん。それで話変わるんだけど、先にトンネルへ行けばいいんだよね」

「ええ。まずはトンネル内の検証から行います。その中で何か彼の居所に繋がる手がかりが見つかればいいんですけど……」

「無理だと思う。あの女が証拠を残すようなドジなんてしてるわけない」


 キッパリと彼女は告げた。まるで「犯人」が何者なのかを知っているかのような物言いだった。


「これオフレコにしてほしいんだけどさ、動画で視えたアレ──ただの浮遊霊だよ。あの子は誰かに危害を加えるつもりはない。自分が死んだ事故現場をずっとウロウロしてるだけ。たぶん、さみしくて生きてる人につい話しかけちゃうんじゃないかな。だから鈴木さんの死因じゃない。死因は別の、……もうぶっちゃけるけど、あの女だよ。出演してた術師レイゼ。あいつが殺った。動機も……なんとなく想像つく」


 街灯など1つもない宵闇に包まれた山の中に、少女の消え入りそうな声が響いた。あれは違うと断言する竜胆さんには、何か核心に迫る情報が俺より先に入っているのかもしれない。


「……すごいですね。ウェブアーカイブされてた配信は何度か見返しましたが、そこまではっきりとは視えませんでした。害意がないことを確認するのがやっとで……だから現場に直接行ってこの目でちゃんと確認したかったのですが」

「ひとくちに同じ『視る』と言っても、見鬼に視えるものとガイドに視えるものは違うし。仕方ないんじゃない? むしろ、あれだけ希薄な霊気からよくそこまで視えたと思うよ。それより、ここら辺かな。あの子の命が潰えた場所は」


 話し込むうちに獣道は消え、舗装された道路に到着していた。痣山峠はトンネルの手前までが地元の走り屋達にサーキット代わりに使われており(公道のはずなのだが)、未成年の女の子連れということで物理的に危険なので、迂回する形でわざわざ未舗装の道を選んで進んできた。

 あちこち罅の入った2車線道路の先に、さして長くもないトンネルが続いている。オレンジ色の照明が等間隔に取り付けられた、何の変哲もないトンネルだ。夜間であることを鑑みてもあまり不気味だとは感じない。なぜなら、この見鬼が目に映しているものは単なる歳若い女性でしかないからだ。既に肉体を持たないことを除けば、の話だが。


「……江井えいさん、ですよね。2年前このトンネルで起きた交通事故で亡くなった、」

「よかった。ちゃんと『視える』ひとがきてくれて。前に来た2人は、私のことなんてさっぱり見えてなくて、何やら仕掛けしていたみたいで……何をしていたのかは分からないんだけど」


 半透明の女性は穏やかな表情で佇んでいる。とても誰彼構わず呪うような、強い悪意があるとは思えなかった。朧に透けた体は事故当時着ていたものだろうシャツとスカート姿で、明るい色のセミロングの髪を結わえている。やはり黒髪にワンピースの怪異なんてここにはいなかった。

 確信できた。あれはやはりデマだ。彼女が言う仕掛けとは配信者によるヤラセのための細工であり、動画内で退治されたように見せかけられていたのは編集・加工により精巧に造られたイミテーションのオバケである。視聴者は鈴木による演出をそうとは知らずに見せられ、大袈裟に怖がっていただけに過ぎない。それが「感染型呪詛」の仕込みだとも分からずに。


「すみません、私達はあの2人の消息を追っておりまして……差し支えなければ、あの日のことを教えていただいてもいいですか」

「かまいませんけど……そちらの女の子は?」

「ガイドの露水です。一応、あなたをあちらへ連れてくために来ました。頼りないかもしれないけど、ちゃんと送るよ。だから安心して任せて」

「ありがとうございます。長いことこの場所に居るしかなくて困ってたの」


 にこ、とあえかな笑みを湛えて頷き、江井さんは色々と当日について話してくれた。前日にスモークやライティングなどの仕込みをしに鈴木が1人でやって来たこと。後日、レイゼを連れて実況中継をしていたこと。そして鈴木が気づかないようにレイゼが呪詛をばらまいていたこと。


「私、『そういう』専門分野については詳しくないから、よく分からないけど……危ないものなんでしょう? 人の命を奪うようなものだったりしないといいんだけど」

「どうにも。ウチの分析担当がどういう効果のある呪詛なんだか調べてくれてるんですけど、まだ結果がこっちに回ってきてなくて……たぶん人死には出ません。自分で試してみたんで」

「え? は? それ初耳なんだが、君は一体何をしてるんだ!? 危ないじゃないか!」

「うっさいな。平気って言ったじゃん。大丈夫だよ、ほらこの通り五体満足だろーが」

「馬鹿! 一見なんともなくても後から効果が現れてり、対象には分からないように精神や肉体を蝕むのが呪詛なんだ! 何、なに気軽に自分の命を賭けてんだ、馬鹿! この大バカ! アホンダラ!」

「あーもー、うっせーな! なんともねえって! 黄龍院がちゃんと確かめたから大丈夫だつってんだろ! 信じろハゲ!」

「は、ハゲてねえわ! フサフサだわ! それより本当に大丈夫なのか?」

「信じろ! あたしを! それに、もし呪詛の最後っ屁があったところで『アイツ』がほっとくわけねえから。だから安心しろ。それより江井さん、話してくれてありがとね。今からあんたを『あっち』へ送ってあげる」


 不本意ながら漫才もどきになってしまった問答のあと、竜胆さんは俺に怒鳴りつけたときとは打って変わって、優しげな態度で江井さんに向き直る。彼女は事故のあともたった1人、ここで行くべきところへ行けずに惑うしか無かった霊だ。そうして想いや未練を抱えて現世に留まり続ける者達は今なお数多く存在する。けれどただの見鬼である俺に何かできることはない。任せるしかないのだ、プロ──ガイドと呼ばれる「導く者」に。

 身を切るように冷たい風に煽られ、肩口までのふわふわした金髪が揺れる。伊達眼鏡の奥にある色の薄い双眸が見開かれた。ついに始まる、死者をあの世へと送り出す儀式が。竜胆さんは玲瓏たる声で唱える。俺のような職の人間ならよく知る「布瑠ふること」、そこに全く別の意図を込めた言霊を。本来なら死んだ者を甦らせるためにある呪文はいま、死者を弔うために厳かに奏でられている。


「……きれい。まるで、歌みたい。露水ちゃん、ありがとう」

「ううん、いいよ。向こうで幸せにね。また生まれ変われるといいね」

「うん、また人になって『こっち』に来られたら、うれしいなあ……またね、2人とも」


 夜闇に溶けるように、彼女の姿が透けていく。竜胆さんによる詠唱が江井さんを『向こう側』の世界へと導いている。居場所を失い現世を彷徨うしかなかった彼女は、やっと彼岸を渡れるのだ。──ところが。


「勿体ないなあ。霊ってのはわたし達にとってはとっても有用な『資源』だよ。もっと有効活用しなきゃ。ただあっちへ送るなんて実に勿体ない! ああ、なんて無意味! 無駄! 無価値! 無用! ……ねえ、そうだとは思わない? 露水さん。アハハ、聞こえてないか」


 聞き覚えのある声が、不躾な手が、1人の霊の旅立ちを遮った。完了しようとしていた送りの儀式が中断され、行使した術の「返し」を竜胆さんはまともに食らってその場に昏倒する。ろくに受け身も取れずアスファルトへ直撃した彼女を慌てて抱き起こし、俺は「そいつ」を睨み上げるより他に何もできなかった。


「あんた、術師レイゼか。この子から聞いた。感染型呪詛をあの動画を通してばらまいているな」


 動画で見た時よりもずっと老け込んでいるようだった。確実に実年齢よりも老いている。伸ばしっぱなしのボサボサの黒髪にはかなりの割合で白髪が混じっていて、乾燥した肌にはシミや皺が刻まれている。厚い上着で分からないが、痩せ細ってしまった身体は動かすのも億劫なはずだ。とても今年で38歳にはみえない。50代後半と言われても頷ける。


「術師レイゼ──本名、牧瀬紗理奈。1982年生まれ。出身地は神奈川県横平市、現住所は不明。得意とする領域は感染型呪詛の作成であり、現在3種ほどの当人作成と思われる呪詛がインターネットを介して流布しており──」

「分かった。もういい。そんだけ知ってるなら、じゃあこっちが来た理由も分かるよね。悪いけどその子は連れてくよ。抵抗するなら殺してやってもいい。お前にとって大事な誰か、あるいは今寝転がってるそこの小娘でもいいよ」


 ひび割れた唇が弧を描き、いやらしい笑みを形作る。既にこの場に江井さんはいない。彼女の霊魂は既にもう、あの女の掌の内だ。取り返すなら力ずくで屈服させるしかないが、生憎と『視る』ことに特化した見鬼には戦闘は不可能だ。


「残念だったなあ、竜胆露水。いや、全く本当に残念でならないよ。お前の大事な大事な『アレ』をこの手で奪い取ってやりたかったのに」


 気を失っている少女を睨めつけ、レイゼは姿を消した。幻影のように。後には何も残らない──何も。

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