「『いる』わけないだろ、そんなもの」
『どうもー! 明るいオカルトバラエティー、"突撃・となりの心霊スポット"のお時間でーっす! えー、今回は専門家の方にですね、ゲストをお願いしまして。はいではレイゼさん、こちらにどうぞ』
『あ、あの、初めましてっ! いつも楽しく動画を拝見してます、レイゼです。一応、霊能者をさせてもらってます……今日はよろしくお願いしますっ』
『はいこちらこそありがとうございますー! 簡単に概要を説明しますとですね、今日は地縛霊? がいるというウワサの痣山トンネルに来ております! つまりですね、これからレイゼさんとご一緒する形で実況中継します!』
わー、と安っぽい歓声SEが挟まれ、一旦ここで動画広告に画面が切り替わった。地上波放送のテレビ番組と比べても遜色ない作り込みで、テロップにしろ画面構成にしろ、その辺のアマチュア動画投稿者とはクオリティが段違いだった。投稿者のプライベートや個人情報は当然だが伏せられているので、過去にテレビ業界にいたかどうかは分からない。
長尺の動画なのであえて広告をスキップせず、タブレットに表示させたまま「彼女」は大きなため息をつきながら皺のよった眉間を揉みこんだ。普段よりも人相が悪い顔面にはありありと呆れが浮かんでいる。貸切中の会議室には、他にも2人の少年がそれぞれ好き勝手な姿勢で座っていた。中途半端にブラインドの垂れ下がった窓から西日が差し込み、室内の3人を照らしている。
「まじで言ってる? なんであたしがこんな馬鹿野郎の護衛なんかしなきゃなんねえの」
「そりゃ黄龍院にたんまり報酬が入るからだろ。それに先方は若い女の子を寄越せってうるせえんだよな……」
「今は本家で動かせるヤツが見習いくらいなんだよ。もちろん、まだ現場に出せる練度じゃないし」
「はァ? ってことは本家事情じゃん。そんなん知るかよ、分家のあたしを巻き込むんじゃねえ」
人に対し害を成す悪しき霊、カルマ。それを退治し、あの世へと送り出す役目を担う霊能力者をガイドといい、中でも特に勢力の強い5つの一族を五大家と呼ぶ。今この部屋にいるのは五大家の1つ「黄龍院」本家をいずれ継ぐ予定の黄龍院メグル、それからメグルの従兄弟にしてライバルのヨシカズ、そんな彼らと遠い親戚である竜胆露水の3人だ。
半年前、露水はやんごとなき事情から絶対禁忌の凶霊・ハクールを「うっかり」召喚してしまい、奴霊契約を交わしたことで、元々は一般人ながらガイドの仲間入りを果たした。以前から交流のあったいけ好かない親戚達2人は、それからというもののいけ好かない同僚へと変化した。
馬鹿でかい黄龍院家の本邸にある会議室に時折呼び出されては、こうして彼らから仕事に関するミーティングに付き合わされている。定例会と称するブリーフィングは月に数回行われており、今日がその予定日だった。バディを組んでいるハクールは、いつものようにヒトに擬態し気ままに行動しているため現在は傍にいない。
オレンジ髪のベリーショートにド派手なスカジャン姿のヨシカズ、金髪のポニーテールに色の濃いサングラスをかけたメグル、2人は露水のぼやきなど意に介さず、それぞれ手に持ったタブレットを真剣な表情で注視している。
「ところでこの動画、何? 心霊スポット突撃がメインなのは見ててわかったけどさ」
「動画概要欄には明るく楽しいオカルトバラエティとしか書いてないな。過去に投稿されたものは、投稿者によるリア凸……現場にリアルタイムで乗り込むものがいくつか、それと自宅で録ったと思しき解説動画もある。ったく、なんでわざわざ危ねぇトコにいくんだよ。家で大人しくしてりゃいいのに」
「検索すれば出てくる程度の都市伝説の解説じゃ再生回数が伸びなかったからだろうな。見ろよ、リア凸系は1桁どころか3桁くらい違う。アフェリエイトリンクもベタベタ貼っつけてあるし、コイツ相当な額を稼いでんな」
「……、あんたら詳しいね。サイドビジネスでもする予定、あんの?」
ヨシカズの説明にニヤニヤと意地悪そうな笑顔で補足を付け加え、メグルはタブレットに別のウィンドウを開くそれはあるSNSのユーザープロフィールで、かわいい猫のアイコンと「牧瀬紗理奈」というユーザーネーム、簡単な自己紹介文が記載されていた。
彼が画面をスクロールしていくと過去の投稿が一覧表示される。ほとんどは何気ない日常の呟きだが、たまにアイコンにも使われている猫の写真、出先で撮ったのだろう食事の画像、そして本人を撮影したものであろうカット──自撮りまであった。加工や編集でかなり弄ってあるが見覚えがある。先ほど見せられた動画にばっちり映っていた。それもゲスト待遇で。
「何コレー! あっはっは、ぜんっぜん顔ちげーじゃん! 動画より見た目のトシが10歳くらい若返ってね!? もう別人じゃん! ババアじゃん!」
「うるさ。いいからちゃんと頭に叩き込んでおけよ、この『ハイド』の顔と名前」
「……こいつ、ただの騙りじゃねえの?」
「霊能者『レイゼ』はハイド、目的外霊術使用者だ。オレらの仕事の対象だな。過去に何件か被害報告が上がってきてる。スタンダードな、自作の呪いをばら撒くタイプだ」
ひとくちに霊能力者と言っても、もちろん善良な使い手ばかりではなく、力を悪用する人間だっている。「秘す者」を語源に持つハイドはまさにその典型だ。カルマを退治するガイドとは逆に普通の霊をカルマに変えたり、呪詛をばらまいて徒人を害することもある。レイゼとやらは後者のハイドだ、とヨシカズは告げた。
「いっつも思うけどさあ、なんのためにあいつらってハイドなんかやってるわけ? 別にガイドでもいいじゃん、報酬はそれなりにいいしクライアントからチヤホヤしてもらえるし、絶対にガイドの方が良いことづくめなのに」
「知るかよ、んなこと。馬鹿でクズでカスで生きる価値無しの粗大ゴミだからじゃねえの」
「メグル言い過ぎ。ゴミだってリサイクルされて人の役に立つのにあいつらはリュースもリデュースも不可能なんだからゴミ以下だろ」
「ヨシカズの方がよっぽど酷いこと言ってね?」
麗人というに相応しい端正な面差しに不似合いな暴言を吐き捨てるメグルに対し、精悍な顔立ちへ薄い笑みを乗せつつサラッと毒を吐くヨシカズは、似ているようでやはり違うなと露水は思う。前者は口は悪いものの性根は真っ直ぐな乱暴者だし、前者は口も悪ければ根性もひん曲がっている人でなしである。
「うえぇ……気が乗らねえ。いつもみたいにぶっ飛ばして終わり、ってんじゃないんでしょ。ハクールの野郎はこういう馬鹿が嫌いだから絶対一悶着起こすし。リア凸実況ってことは、あたしの顔が世界中にばら撒かれるってわけじゃん。クラスのやつらに見られたらどうしよう……」
「安心しろ。お前を次の『ゲスト』として出す上で撮影予定日と投稿予定日はずらしてもらうよう交渉しといた。あとはハクールに頼んでこっそり機材ぶっ壊しときゃ、実際の映像は外に流出しないはずだ」
「それよりも露水、分かってんのか? いつもみたいにオレらはお前を直接助けてやれない。現場に行けるのはお前だけだからな。それに今までよりも仕事の難易度も上がってる。正真正銘マジの正念場だぞ、覚悟決めとけよ」
「……わかってるよ。目にもの見せてやる。ばあちゃんにも、『あっち』にいる父さんにも」
伊達眼鏡の奥にある淡い色の瞳に一瞬、苛烈な光が宿った。同じ眸を彼らはかつて見ている。メグルとヨシカズを育てた現黄龍院当主のそれによく似ていた。今こそ後進に任せてほとんど前線へ赴くことはなくなったが、ひとたび現場にやってきた彼女もまた同じように雷光のような眼をしていた。
血筋ってやつなんだろうな、と揃って内心で思いながらクリアファイルに入れているプリントアウトした資料を渡してやり、少年らは席を立つ。そろそろ黄昏時だ、窓硝子を透かして斜陽が室内を眩く染め上げている。冬至を過ぎ、いくらか日は延びてきたとはいえ、こんな時間に未成年の女子を1人で出歩かせるわけにはいかない。例え並の男子より遥かに強いとしても、だ。
「そいじゃ、今日の会議はここまでってことで。ヨシカズ、こいつ送ってくるから戸締りよろしく。おら、行くぞ露水」
「おー。露水、また明日学校でな。遅刻すんなよ」
「うっせ! マジうっせえ! 余計なお世話! テメーはあたしの母親のつもりか! 行こ、メグル!」
グイッとヨシカズよりもいくつか年嵩の少年を引っ張って部屋を後にする彼女を見送り、使った椅子を元の場所に片付けながら彼は、コンタクトを嵌めた目をそっと閉ざす。彼女は大丈夫だ、メグルがついているし露水に危険が迫ればハクールがどこに居ても必ず駆けつける。
ブラインドを下ろそうとして、ふと窓際に立って外を見遣る。快晴の空は見事な茜色と藤紫、それから深い藍のグラデーションを作っていた。風が強いのか、うっすらとたなびく雲がみるみるうちに流れ去っていく。美しい空模様だ、けれどもヨシカズはどことなく嫌な予感を覚えた。
「なんだかなー。あいつら肝心なとこで抜けてっからな。……何事もないといいんだけど」
曰く、それを人、フラグと云う。
◆◆◆
「あのー、ほんとにいいんすか? 痣山トンネルの回は確かに反響ありましたけど……『また』だなんて。あっ、いや、もちろんレイゼさんの実力を疑ってる訳じゃないっすよ! ええ! それはもう! けど、一応はホラ、安全確認って大事じゃないっすか」
「ダイジョーブですよお。信頼できないってーなら別にいいです。霊視もロクにできない徒人に何も期待しとらんし。てか、作業のジャマなんで。そこ、どいてください」
「えっああ……すんません……ちっ、やりにくいな」
つい吐き漏れてしまった後半のセリフは当然ながら小声だ。耳ざとい女なので聞こえてるんだろうけど。普段、撮影してきた素材を編集するのに使う四畳半の極狭スペースはパソコンやカメラなどの機材が別室に移され、入居以来初めて空っぽになっていた。彼女の命令で久々に掃除を徹底した室内はチリ1つ落ちていないほどピカピカだ。レイゼはお礼の言葉すら寄越さなかったが。
彼女と知り合ったのはつい最近だ。俺が1人でやっているホラー系チャンネル「突撃・となりの心霊スポット」は元々、巷で有名な都市伝説や怖い話、定番の怪談の解説や朗読がメインコンテンツだった。これでも動画制作技術に関しては元業界人だっただけに自信があったのだが、思ったより再生回数が伸びず困っていたところ、タダ同然の破格の額で案件を募集している「プロ」が見つかった。
きっかけはSNSの個人アカウントでなんの気なしに呟いた内容だったかと思う。1人で全部やるのも限界だし疲れた、そろそろ助っ人がほしい──みたいなぼやきを誰も見ていないだろうと油断して深夜にこっそり吐き出したところ、彼女の方からコンタクトがあった。コメントを拝見した、ぜひ力になりたい、とまあ言われたら期待だってするだろう。アイコンの猫、かわいかったし。
さっそくこちらから次の企画に関してアドバイスや手伝いが欲しいとお願いし、当初はSNSを介して色々と助言を受けた。リア凸系動画で行く心霊スポットの選定から事前にやっておいた方がいい「おまじない」の手順、現場での進め方に至るまで。オカルト以外では、こうした方がもっと面白くなる、というような動画の製作自体についても。
そしてついに「痣山トンネル」の回がやってきた。今までのようなネット越しではなく実際に彼女と共に現場へと向かい、そこに「いる」と噂の地縛霊とやらを見つけるという企画だ。当たり前だがユーレイやオバケなんてものはもちろんいない、だがそうと言いきってしまうとロマンもないしつまらない。事前に仕込みをしてもらい、本番ではうまく仕掛けが作動したおかげで歴代1位の再生回数となった。大成功だ。
……そのはずだ。そのはずだよな? なのに、なんでこんなに俺は怯えてるんだろう。どうしてこんなに不安なんだろう。
さっきから寒くてたまらない。背中を冷たい「何か」が手のひらで撫で上げている。幻覚だ。オバケなんていない。でも足元を「何か」が這いずりまわって、脇の下を「何か」が濡れそぼった舌で舐り、妄想だ。ユーレイなんかいない。なのに首が、締めあげられてるみたいに、首、……痛、
そういえばレイゼはさっきから何をしているんだろう。見えない、まるで誰かに目を塞がれているかのように、目は開けているつもりなのに。
「零感ってかわいそう。死ぬその時ですら『視えない』なんて」
何も聞こえない。
何も見えない。
何も感じない。
もう、何も痛くない。
何も、
なにも。
あれ、
『ここ……どこ……?』