チャペルの怪②
ぎぃ、と軋んだ音を立てながら露水ちゃんはチャペルの扉を全開に開いた。やっぱりおかしい。普段はもっとスムーズに開けられるし、そもそも開閉する際にここまでギィギィ鳴らない。何かが変だ。
「ハクール。直接戦闘はお前に任せる。あたしとヨシカズで浄化と保全に回るから、必要ならこいつの霊奴に呼びかけて適当に使え」
「は? オレの意見は無視かよ。勝手に決めんな。まあいいけど……」
「へーへー。ぶち殺していいんだな?」
「もちろん、と言いたいとこだけどそれは無理。アチラにお送りしなくちゃならねえから」
「ちっ、これだからガイド連中ってのは頭が固くていけねえや。露水ィ、あとでこのガキに言っとけ。このハクール様に命令すんな、って」
盛大に舌打ちしながら、ハクールと呼ばれたそいつは大股でチャペル内にのしのし歩いていく。でもガサツな所作の割に歩行音が一切しない。……ひとではないのだ。彼は。
それにしても私はどうしたらいいんだろう。ここで待っているだけで良いのだろうか、と思案したその時だった。ヨシカズくんがあ、と小さな声を上げる。
「おい。ドア閉まってんぞ。やべぇな、ハクールとの繋がりは維持できてるか? 閉じ込められちまったぞアイツ」
「え? うわ、マジだ。……大丈夫、干渉レベルは高くない。内部がヤツの作った結界になってて、ハクールが侵入したのを見計らって入口を閉じたっぽい。まああいつのことだから平気だとは思うけど」
こちらから開いた場合と異なり、全くの無音で隙間なくきっちりと閉め切られたドアの向こうからは、防音対策なんてしてないのに何も聞こえてこない。このままあの青年が戻ってくるのを待つしかなさそうだ。
しばらくドアを叩いたり蹴ったりノブをガチャガチャ動かしていた露水ちゃんは、ガシガシと頭を掻きつつパーカーのポケットからチョークを取り出した。なんでそんなもの持ち歩いてるんだろう。
「ごめん、ヨシカズ。『あとは頼んだ』」
「マジで言ってる? ……はぁー、わかったよ。貸し1つな」
「へーへー。出世払いで勘弁してね」
白魚のような手と言えばいいのか、細くしなやかな指に握られた真っ白いチョークが淀みなく地面に何かを書きつけていく。紋様、いやファンタジー映画やゲームに出てくるような魔法陣にも見える。
もうここまで来るといちいち驚愕してられなかった。地の上に書かれたものがぱあっと光った途端、私の身長よりも更に大きい観音扉がひとりでに開いたからである。内側から誰かが開けたわけではない。この女の子は魔法使いか何かなのかしらと思わずじっと見つめていると、視線に気づいたのか露水ちゃんは照れくさそうに笑った。
「あー、説明した方いいかな? 期待させちゃって悪いけど、これ魔法じゃないんだよ。他人の出入りを拒む結界が生成されてたから霊術で無理やりぶち破っただけ、って言ってもわかんないか。ねえどうする? ついでに見学していく?」
「えっ。……中、入ってもいいんですか」
「うーん死にたくないのならオススメはしないかな! アハハ! でも居るんだよね、たまに。お客さんの中にはあたしらの戦いそのものが見てみたいって言い出す人。だから念の為に訊いてみたんだけど、どう?」
「お願いします。見せてください」
と、我知らず口にしていた。死にたい訳じゃない。けれど安全圏で指を咥えているのも何か違う気がした。だって「ここ」は私にとっての戦場だ。新郎新婦が愛を誓い、第2の人生のスタートを切る場所。みんなが祝福し、夫婦が祝福されるためにある。ゆえに清浄でなくてはならない。ばけものの巣になんてさせるものか。
そしてクライアントが幸せを掴むためのお手伝いをするのが私の仕事だ。だったら「これ」もまた業務の一環なのではないか。
「いいね。あたし、あんたみたいな人けっこう好きだよ。ついてきて! けど庇ってる余裕はねえから自衛はがんばれ!」
ニヤリと笑う彼女に手を引かれ、チャペルの中へと飛び込む。内部はすっかり様変わりしていた。粉々に割れて外の光がまっすぐ差し込むステンドグラス、等間隔に並べられているはずの客席はバッキバキに粉砕されて転がっている。扉が閉まっていたのは数分にも満たないのに惨憺たる有様だ。
「おい、ハクール! 無事か!?」
「誰にモノ言ってんだよ、こんなクソ弱えゴミ虫なんかに手こずる訳あるか。けど、ちっとめんどくせえな」
チャイナ服の汚れを軽く叩いて払いながら、ハクールさんが青龍刀を肩に担いでこちらへ向かってくる。見たところ怪我や傷などはないようだ。厳つい顔には不敵な笑みが浮かんでいる。
「敵の正体は?」
「さっきキツイの一発見舞って黙らせたところだ。ありゃ、どこぞの術師に飼い慣らされたカルマだな……確実に野良じゃねえ。動きが単調な割に攻撃が重い。遠隔で霊力を供給されてる」
「なるほど。じゃ、あたしの出番ってワケだ。根元を絶てば死ぬだろ、たぶん」
ただでさえ目つきの悪い露水ちゃんの顔がさらにあくどいものになる。表情は明らかにカタギじゃない。伊達眼鏡の奥の瞳がきょろりと動き、やがて「何か」を捉えたようだった。床板が割れるんじゃないかと心配になるほど凄まじい勢いで彼女は地を蹴って飛び上がり、
「ライダーキック……!?」
すっごい。初めて生で見た。いや普通は見る機会なんかあるわけないんだよフィクションなんだから。えぐい威力の蹴りが鮮やかに決まり、チャペルの片隅に隠れていた「何か」がこちら側へと吹き飛ばされる。衝撃波でも出てたんだろうか。
キックの余波でもうもうと舞い上がる埃の中から現れたのは、大量の血痕が付着したウェディングドレス姿の女だった。ボロボロに裂けたヴェール、ボサボサのロングヘアの向こうから私達を睨みつける両目は薄暗い室内でいやに輝いている。……「同じ」だ、ハクールさんと。
「おう、テメェがここを乗っ取ったカルマか。ちょっと聞きたいことがあるんだけどさ、あんた、誰の指令を受けてやった?」
「……。教えるものか」
「ああ、そう。じゃあ喋りたくなるようにしてやんよ」
ふらふらと上体を揺らめかせ、その「何か」は白い長手袋に包まれた両腕をがばりと広げ、露水ちゃんに向かって突進する。相対する彼女は後ずさるどころか姿勢を低くしながら逆に近づき、強烈なボディブローを叩き込む。
うわ痛そう、と思わず口元に手を当てつつ見入ってしまう。ばけものは呻き声を漏らし、たたらを踏みつつも、どうにか倒れ込むのを堪えている。相手の体勢が整わないうちに露水ちゃんは更に蹴りや拳で追撃するが、確かに痛そうなんだけれども大したダメージを受けたようには見えない。
「……あの、露水ちゃんの攻撃、あんまり効いてないように見えるんですけど」
「そりゃそうだろうな。さっきも言ったがアイツは『主人』から支援を受けてる。効くには効いてんだよ、ただその都度回復されちゃあな」
「助けてあげなくていいんですか? その、お仲間なんでしょう?」
「そこまでしてやる義理がねえ。契約内容に含まれてねえんでな、あのバカを守れなんて。それに、ここで死ぬならそこまでの器ってこったろ。──お、動くぞ」
ヒュウと口笛を吹いて囃し立てるハクールさんが指し示した先には、怒髪天を衝くと言った表現が正しいであろう露水ちゃんの姿があった。白目部分が赤く充血し、わなわなと唇が震えている。何があったんだ?
「っっっ、ざっけんじゃねえ! あーもーめんどくせえなクソが! いちいちやってられっか、こんな泥仕合!」
「おっ、我慢の限界か?」
「ハクール! うるせえ、黙って『それ』寄越せ!」
「おいおい人に頼み事をするんなら敬語くらい使えよ。おら」
消しゴムでもぶん投げて渡すかのように気軽な調子で抜き身の剣が放られ、パシッといい音を立てて難なく受け取った露水ちゃんがウェディングドレス女の元へと疾駆する。破壊された客席を足場代わりにフワリと浮き上がり、相手に逃げる隙を与えず脳天へと刃を振り下ろした。そのまま豆腐でも切るかのごとく滑らかに、青龍刀によってばけものは真っ二つに切り裂かれる。……二枚開きかあ。
「ゲームで言うとオーバーキルってやつだな。遠隔支援による回復術には限度がある。それを大幅に上回るダメージを与えれちゃ、カルマはそのまま死ぬしかねえ。まあ既に死んでっから、単にあの世へ強制送還されるだけなんだが」
ハクールさんによる分かりやすい説明を聞いている間にもカルマとやらは細かな光の粒子となって消えていく。ボロボロになったチャペルの中では、なんだか幻想的な光景だ。そこへ場違いにもパチパチと拍手が鳴り響く。
「うーん、実に見事。見たところガイド歴はまだ半年ちょいだろ? それにしては随分手際よく殺れたもんだ。躊躇いが感じられない。実にいいね!」
「……琳さん」
どうしてかは分からないけれど、なぜ彼女がここに、とは思わなかった。なんとなく予想はできていた、たまたま的中してしまっただけのことだ。
思えば彼女は1人だけ態度が違っていた。日勤の面子がみんな恐ろしがる中、琳さんは虚勢でもなんでもなく平気そうだったし。疑う根拠としては非常に薄いけど。
「やあ仁多ちゃん。ごめんね、あと任せにしちゃって」
「そんなのどうでもいいです。……これ、あなたがわざわざ仕組んだんですか?」
「知らねえよ。わたしはただの雇われだもの。たまたまここの社長が恨み買ってたんでしょ、それか他所の同業他社にとっては目障りだったんじゃない? こんなしょぼくれたブライダル会社に何をそんなとは思わなくもないけど」
気だるそうに吐き捨てる彼女は、さっきまでばけものがいたところを見つめていた。無感情、無感動な瞳は入社当初の輝きなど完全に消え失せている。逆光の中で浮かび上がる生白い肌と黒スーツ姿は、まるで死神みたいだ。
「1つ知りたいんだけど、琳さんは『それ』が本業なんですか?」
「いいや? わたしは葬儀屋だよ。これはただの小遣い稼ぎ。だからいい塩梅だったろ、死人や怪我人まで出ると話が大きくなるからね」
「じゃあマッチポンプってことですよね」
「そうかもね。とはいえ手持ちが1体消えたから補充はしとかなきゃいけないんだわ。ねえそこのお兄さん、わたしのモノにならない?」
お兄さんがハクールさんを指しているのは部外者な私にもハッキリ分かった。でも彼は露水ちゃんの仲間なのではないだろうか。
「悪いな。お前じゃそそられねえ」
「だってよ。ババアはすっこんでな」
さらりと言ってのけながらも顔には嫌悪感をいっぱいに滲ませ、露水ちゃんが中指を天へ向けて煽り立てる。下品なハンドサインに目を剥く琳さんが何か言う前に、青龍刀が一閃。真一文字に振るわれた剣先が過たず彼女の首から上を斬り飛ばした。
「……え?」
「悪ィな。これも仕事なんでね」
「でも、そんな、……さすが殺すなんて」
「いいんだよ。これで」
「アハハ。こいつが小物だったから、あんたは普通に生きてただけだよ。ほんとならとっくに死んでてもおかしくなかった、ってさっきも言ったよね?」
軽やかに笑いながら、たった今人間1人を鮮やかな手管で殺した少女は私へと問うている。ならば殺される覚悟はあったのか、と。
「上は黙認してくれてんの。『ハイド』が関わってきた場合、現場判断で処理していいって。もちろんこいつら専門の担当者はいるけど、毎回協力を頼めるとは限らない。向こうも忙しいからね。だから──」
「ころす、の?」
「仕方ないじゃん。それともあんた、死にたいの?」
……どうなのだろう。改めて尋ねられ、私は答えに窮する。なぜ私は自ら彼女達の案内を申し出たり、わざわざ露水ちゃんにくっついて危険だと分かっている場所へ踏み込んだんだろう。仕事への誇り? 職場への愛着? それは確かにあるけれど、己の命を懸けてまで守るべきものだろうか。
「ま、それはひとまず置いといて。ヨシカズが事後処理してくれるから、さっさと帰ろっか。あたし運転できないし」
「え、ええ……。お送りします」
明日以降の予約はどうなるんだろう。戦闘の影響であちこち傷んだチャペルは修復工事を行わなければならないだろうし、その間私達の仕事はストップせざるを得ない。もちろんお客様への補填も。そして経緯を説明する上で「チャペルの怪」について秘密にしておいたところで人の口に戸は立てられない以上、いずれ噂は広まる。呪われた結婚式場として。
……考えたくはないことだ。でも、もしかしたら琳さんは自分が殺されるのを分かっていて、あえて露水ちゃん達を呼んだのか? 強力なばけものを住み着かせて怪奇現象を起こし、かといい私達スタッフやお客様が巻き込まれて死なない程度の加減をしながら。けれど、なんのために?
行きと違い、たった1人で後部座席に乗り込む露水ちゃんへ私は詰問する。ハクールさんはいつの間にか姿を消していた。
「あの、どうして殺したんですか?」
「どうして、って──」
「逆鱗に触れたんですか? 彼をモノ扱いされたこと」
「アハハ、さすがブライダルプランナーさんだ。勘がいいね」
それ以上何も露水ちゃんは言わなかった。彼女の言葉からは恋とか愛とか、そんな甘酸っぱいものは感じられなかった。年頃の少女のものとは思えぬ、異様に薄気味悪い執着だけが背筋を震わせた。
メインホールのロビーに戻り、待ち構えていた社長に解決したことを伝え、報酬を受け取った彼女はヨシカズくんと一緒に去っていく。小さくなっていく彼女の背中に一瞬、なにかが重なったように映り、私は目を閉じた。
『なんで解決した気になってんの』
耳元数センチで声がする。幻聴だとわかっている。「彼女」はさっき死んだのだから。