チャペルの怪①
まただ。またドアが開いている。
今月に入ってから、もう2度目じゃないか。
昨日、使用後に施錠したはずのチャペルの入り口を今度こそしっかりと閉じて再び鍵をかけ、私はため息をこぼした。2月に入ってからいっそう寒さが厳しくなり、吐く息は真っ白に染まる。まったく眼鏡が曇るったら、もう。いっそのことコンタクトにした方がいいかもしれない。
高校を卒業して地元の結婚式場で働くようになってからもうすぐ2年が経つ。その間、こうした怪奇現象めいたものに遭遇した経験はなかった。今までは順風満帆だったのだ、だというのに先月から度々、おかしなものを視るようになった。
休憩室で誰も使ってないのにいつの間にか飲み物が注がれているカップ。ちゃんと閉めたのにも関わらず気がつくと半開きになっているチャペルの扉。貸衣装屋から借りた覚えがないのに、なぜか物置に飾られていたウェディングドレス。時折事務所にかかってくる無言電話、送り主の分からないメール。一例を上げればキリがない。それくらい謎の出来事がいくつも起きている。中でも特に回数が多いのはチャペルが勝手に開いている件だ。
最初はもちろん人為的なもの、要するに外部からの侵入者──泥棒を考えた。だが盗まれたものは何もなかったのでこれはナシ。次に内部犯。こちらも調査の結果、職員や出入りの業者、もちろんお客様も全員アリバイが確認できた。つまりイタズラや嫌がらせの線も立ち消えた。
うちのブライダルは地元密着型で、近くに競合するライバル会社もなく、SNS等を用いた大々的な広告も打っていない。地味だし、サービスも他の同業と変わり映えしない、目立つ要素なんてない。わざわざ評判を落としてやろうと企むやつがいるとは思いにくかったのだ。
となれば最後、オバケやユーレイが原因かもと誰かが言い出した。誰がそんな眉唾なことを主張したのかは覚えていない。でも繰り返される現象の不気味さから、次第にみんな「そう」かもしれない、と思うようになってきていた。実際、ひとではない「何か」を見たと訴えるものがいない訳ではなかった。……私だって、さすがにもう普通の人間にできる芸当ではないと気付いていたし。
それで社長のツテでお祓いだのをやってもらったのが先月の終わりごろ。これでやっと1ヶ月にも及ぶ謎の現象とはおさらばだ、とホッと胸を撫で下ろしたというのに。今月に入ってから、もう既に2度起きている。同じ怪奇現象が。お祓いは全くの無駄、無意味だったということだ。
「いやだな、さっきも施錠したんだけど……『また』開いてたんだ」
「うん。チャペルの中にはあまり貴重品とか置かないようにしないと。ああやって何度も開くのでは、いつ本物の泥棒に入られるかも分からないし」
「けどさ、社長の連れてきた神主さんがちゃんと……その、やってくれたんでしょ? お祓い。なのに、なんでまた……?」
「そう……そのはずなんだけどね。社長の付き添いで現場に立ち会ったけど特にこれといったトラブルもなく、スムーズに終わったし」
昼時の休憩室。アルバイトや正社員が一箇所に固まってヒソヒソと噂話に興じているのをなんとはなしに聞きつつ、私も持参したお弁当を広げる。普段、ランチに付き合ってくれる同僚は体調不良で欠勤していて、たまたまこの日は1人だけのお昼となった。他の社員やバイト連中とはなんとなく気が合わず、仕事中はともかく休憩時やプライベートではあまり関わらないようにしている。
味気ないコンビニ弁当をつつき、もそもそと口に運んでいると、近くにあるコーヒーショップのテイクアウトカップを片手に持った女性が、ぽんぽんと軽く肩を叩いてきた。同期の琳さんだ。持ち場もシフトもほとんど被らないので彼女を休憩室で見かけることはほとんどない。いつもは夜勤なのに珍しいな、と思いながら挨拶する。
「琳さん、お久しぶりですね。すみません、気づかなくって……」
「いいよォ気にしないで。それより今日このあと時間ある? 仁多ちゃん、今日午後休取ってるって聞いたから、ちょっと日勤の子にシフト代わってもらったんだよね」
「え、えぇ……。働きすぎだからって有休押し付けられちゃって。特に予定は無いですけど」
「良かったー! 『チャペルの怪』のことで色々と相談に乗ってもらおうと思って。でも1人だと怖いし心細いじゃん? 誰か捕まらないかなー、って思ってさ。助かったよ」
「チャペルの怪……あれ、そんな風に呼ばれてるんですか」
「知らなかったの? 夜勤のメンバーでも有名だよ。時間的に余計に怖いみたいで、代表でわたしが専門家に渡りつけることになっちゃったんだよね。あーもー最悪! オバケだのユーレイだの迷信に決まってんじゃん! どうせ気のせいなんだからさあ、いちいち気にすんなって感じよね!」
とまあ大声で話すものだから、室内の中央の島はたちまちザワっとなった。自分達がビビっている中で明け透けに迷信だの気のせいだの言われれば、そりゃあ良い気はしないだろう。ましてや普段は滅多に見かけない人に。しかも琳さんの担当はブライダルではなくフューネラル、葬祭の方である。
この会社はブライダル専門ではなく冠婚葬祭全てオールマイティに扱う。田舎町に一つだけあるセレモニーホールなので、結婚式もお葬式もありとあらゆる人生の儀式は「ここ」で行われるのだ。ただ、同じ会館を共有する以上はまるで性質の違う儀式を同時間帯でやるのは憚られるので、昼間はブライダル、夜はお葬式と分けていた。
まあ、つまり目に見えない格差というものがあるわけだ。どこでだってそうだろう。他の会社でも事務、財務、営業、現場、上層部でそれぞれ空気感が異なるように。ましてやこの業界、スタッフの男女比率がすっかり狂っている。特にブライダル部門は。女の園と言うと一見華やかそうだが、その実、内情はドロドロしている。
……私もフューネラル部門にすれば良かったかな。あっちは男性社員もそれなりに居て女社会って訳じゃないと聞くし。でも幼い頃から憧れた仕事だ。ずっとこの仕事に就きたくて努力してきて、念願叶って働けているのに。だけど居心地の悪さは如何ともし難い。
「あのっ、琳さん、声……」
「え? ああごめん。でも遅かれ早かれみんな知ることになるし、言っといた方がいいでしょ。知らないうちに解決してましたー、じゃそっちの方が納得しづらくない?」
「それはそうなんだけど……まあいいや。先方の元へお伺いするのは何時からですか? アポ取ってるんでしょ?」
「まっさか。だって向こうが今日これから来るって一方的に連絡寄越してきたんだもの。出迎えとか案内とか、各種手続きお願いって頼まれちゃって仕方なく、ね。だから仁多ちゃんはわたしの補佐お願い。あ、明日も午前休取れるよう社長に交渉しといたから安心していいよ。報酬も出るし」
「……あの、まさかと思うけど……夜通しってこと?」
「さあね。念の為、一応ってヤツ」
あとひと口分だけ残っていたお弁当は、途端に味がしなくなった気がして申し訳ないけど完食できそうもなかった。
◆◆◆
「ども、黄龍院の依頼で来ました。露水っていいます。こっちはヨシカズ。あたしが助手でコイツがメインでやらせてもらうんで。よろしくっす」
「どーも。チャペルの怪、でしたっけ。ええと被害一覧表見せてもらっていいですか?」
昼休憩が終わってスタッフが持ち場に戻った頃合を見計らったように(実際、うちの細かいスケジュールは琳さんの方から伝えていたようだが)、2人組の男女が客用のエントランスに突っ立っていた。
片方はオレンジ色のベリーショートに精悍な顔つきをした少年で、真っ赤なフードパーカーの上に学ランを着込み、首元にマフラーを巻いている。体格も立派で高校生くらいに見える。彼がヨシカズくんというらしい。
もう片方はともすれば小学生にも見える歳若い少女だ。肩口でふわふわ揺れる金髪にかなり際どい丈のミニスカート、ユニオンジャック柄のパーカーというここいらでは非常に目立つ装いである。おまけに目付きがとても悪い。せっかく顔立ちは綺麗なのに。彼女が露水ちゃんというようだ。
「どう思う、ヨシカズぅ。管轄外のウチに回ってきたってことは結構厄介そうじゃん?」
「あー? どうせ青いのの手に負えなくなって投げたんだろ、どうせ。プライド高ぇくせに実力は並だかんな、あそこは」
「やっぱり? うげぇ、めんどくさそー……。ヒビキの野郎に突っ返してもよくね?」
「そういう訳にもいかんべ。投げて帰ってったらメグルが激ギレするだろうよ」
「それもそっか。とりあえず現場見てみる?」
「だな。ってことで、すんませんけど問題のチャペル見せてもらえます? あ、これが一覧表っすね。……あれ」
何やら私達にはよく分からない会話を早口かつ小声で交わしていた2人だが話がまとまったらしい。と、琳さんから書類を受け取ったヨシカズくんがコンタクトを入れた目をパチパチと瞬かせる。
「……おかしいな。死人が『1人も』出てない。カルマ事案ならそんなのありえないだろ、発生から2ヶ月目に入ってんのに。この前、露水が担当した案件は早期だったから人死にが出る前に解決できたけど」
「うそ、ほんとに? ……マジだ。まだ誰も死んでない。ていうか怪我人すら出てなくない? こんなん、どう考えてもおかしすぎんでしょ」
「あー、あのう……死人って出るものなんですか?」
邪魔をしてはいけないとわかりつつ、つい質問してしまった。相手は子供とはいえプロなんだから信頼して任せておくのが筋というものなんだろうが、突然出てきた物騒すぎる話題に思わず尋ねずにはいられない。だって、まるで私達が死んでないのかが不思議だと言われているみたいじゃないか。
「えーと……あー、まあ、そっすね。みなさん普通なら死んでます。日勤なんでしたっけ、あなた。よく無事でしたね。他のスタッフやお客さんも。今まで担当してきた案件的には1人や2人では済んでないですよ、犠牲者」
ヨシカズくんにバッサリと言い放たれ、背筋に冷たいものが滑り落ちた。普通なら死んでた。しかも1人や2人じゃきかない数の人間が。……なら、それが事実だとしたら、なぜ私達はまだ生きているんだろう?
「うーん、それは調べてみないことには分かんねえけど。とりあえず行ってみますか。あなた達はどうします、残ります? 場所さえ教えてもらえれば露水と2人で見てきますけど」
「……私が。僭越ながら案内させていただきます。琳さん、すみませんが後をお任せしても?」
「いえ、こちらこそ助かります。……気をつけて」
披露宴などを執り行うメインホールから少し離れた別棟にチャペルが建てられている。田舎特有のやたら広い敷地内にメインホール、チャペル、火葬場、霊園などがそれぞれ独立して存在している。当然、建物間の移動は徒歩だと時間がかかるので社用車やマイクロバスを使うこともある。
会社のロゴ入りバンに2人を乗せて少し走った先にチャペルはあった。小高い丘の上に屹立する建物は野暮ったい造りだが、周囲に何も無く見晴らしがいいので天気のいい日ならさぞSNS映えするだろう。今日は生憎の曇り空だけれど。
入り口付近に車を停め、2人が降車してからいつも通り鍵を開けようとして手を止めた。「また」開いている。今日は終日使用予定がないから本来ならきちんと施錠されている「はず」なのに。
「うっわ。こりゃひでーのがいるな」
「キツいね。中に入ってないのに殺気がビシビシ飛んでくんだけど。……なにこれ、土地と半分同化しかかってない?」
呑気な口調で男女は話している。こっちの気も知らずに、2人とも緊張感というものがさっぱり見受けられない。やはり、こうした場面に慣れているからなのだろうか。それとも私がビビりなだけだろうか。モヤついていると、ヨシカズくんがニコっと笑みを向けてきた。
「大丈夫っすよ。そこで待っててもらえれば、あとはオレたちでなんとかします」
「え、でも。……なんか、すごくヤバいんでしょ?」
「あー、まあね。あたしら『だけ』じゃ、手に負えんかったかも」
まるで2人以外にも「誰か」いるみたいな言い方で、露水ちゃんがあらぬ方向を見遣る。目線の先はただの空だ。分厚い雲に覆われた、今にも一雨来そうな様子の。
「──ハクール! 出番だ、てめぇの大好きな殺し合いだぞ、起きろ!!」
瞬間。ガラリと空気が変わる。首筋にヒタリと切っ先をつきつけられたような、まるでここが戦場の只中であるかのような、強烈な殺気がチャペルを中心として満ち充ちてゆく。
いつの間にか、とんがり屋根のてっぺんに人影があった。冷たい北風に靡く編み込んだ長い白髪、この場に相応しからぬチャイナ服をまとった長身、そして遠目からでもよく見える巨大な青龍刀。こちらに背を向けて佇む「それ」が、くるりと振り向いた。野性味のある美幌を彩る狂的な笑み。戦いに飢えた兵士のような。
……「あれ」は、一体なんなんだ?
「露水ィ、行くぞ。派手にぶちかましてやれ。青いのが二度とオレらに歯向かえなくなるくらい、えっぐいやつをな」
「任せろ。ぶちのめしてやるよ、あのバカに吠え面かかせてやろう」
ああ琳さん。今更だけど、あの人達にお願いして本当によかったのだろうか。