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白鬼夜行  作者: 飴村玉井
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バッドドリーム③

 ひと口にカルマと言っても、この世界には様々なタイプがいる。姿を見せぬもの、声のみが聴こえるもの、魂を傷つけるもの、運気を歪めるもの。その全てが例外なく人へ悪意を抱き、害を成す。

 その中でも厄介なのは実体を持たず対象の精神世界に巣食うものだ。あらゆる技を用いてカルマを討伐し、あの世へ送り還すことのできるガイドであってもこればかりはお手上げである。

 しかし、だからといって放置も看過もできない。ではどのように人間を追い詰める化け物と対峙するか。いくつか手段はあるが、そのうちの1つに呪具を使うというものがある。特に強力なのが祝詞や真言を記した呪符の使用だ。

 所詮は悪霊でしかないカルマよりも遥かに高位の存在である神霊の威光を傘に着る──というと言葉は悪いが、特定の呪符にはそのような力がある。水戸黄門の印籠のようなもの、とでも言えばいいのか。そして呪符は、記されている言霊によって副次的な効果が付随する。


「……というワケで。すみませんが店長、私に力を貸してくれますか」

「何が『というワケ』なんだ。もっと具体的に説明しろ。竜胆露水と面会はできたんだろう」

「あ! そうそれ! それですよ、あんなモデルみたいに可愛い子とどうやって知り合ったんです!? ていうか未成年だし! ま、まさか援助交……っ」

「バカ言うな! 一通り話は聞いたんだろうが! 私が視える人間(シーカー)だから、霊視の訓練に付き合ってもらっただけだ! アホか!」


 草木も眠る丑三つ時。職場から徒歩圏内にあるワンルームのアパートにて、私はクソッタレ上司と向き合っていた。仕事場からそのまま来たらしい彼はいつも通りスーツ姿で、朝から店に詰めていたためしかめっ面には濃い疲労が滲んでいる。対する私は一足先に入浴を済ませ、寝巻に着替えていた。


「えっと、あの女の子からこのような呪符をいただきましてェ……これを枕元に置いて寝ると夢ん中で私を苦しめるカルマとやらがいる位相に行けるんだそうです。そんで自力でぶっ殺すなり、ぶちのめすなりすれば相手は逃げていくんですって。だから……」

「まさかとは思うが、私にトドメを刺せと言いたいのか? 言っておくがこちらは単に霊視能力があるだけで怪異を倒す力も技術もないぞ」

「それにはご心配及ばず! 露水さんが隣の空き部屋で張ってくれてて、私の『夢』からカルマが出たところをぶん殴ってくれるそうです!」

「じゃあ尚更私は要らないだろうが! なんでわざわざ呼びつけたんだ!」

「えっ」

「えっ……?」

「いや、その、1人で立ち向かうのはちょっと……こわくて……?」

「そ、そんなガキみてえな理由で……? ていうか何で疑問形なんだ。せめて言い切れよ」


 はァー、とクソデカため息をつきながら目の前の上司は粗茶ですがとつい先刻淹れたばかりの緑茶を飲み干している。こんなやつ出がらしで充分だが、一応はお客さんなのでとっておきの玉露を振る舞ってやったところだ。それに今夜は長丁場なので、カフェインをたくさん摂って備えてもらいたい。


「……それで、私は何をすればいい」

「手伝ってくれるんですね!? っしゃ。これでイザとなったら身代わりにできる……!」

「漏れてんだよ心の声が。しまっとけそれは」

「えー、ごほん、さすがに思春期ではないとはいえうら若い女性と上司が同衾するわけにもいきませんので、とりあえず店長は起きててください! 朝まで!」

「……オールしろってことか? 三十路に?」

「いやまあ疲れてるトコ申し訳ねえなとは思いますけど、無事に成功したら代わりに私が1日店長やりますんで! それで勘弁ってことで!」

「取引になってねえんだよなあ! だから玉露とエナドリが大量にストックされてんのか!」


 こちらの小ボケにいちいち律儀にツッコミを入れる彼はもしかしたら思ったよりノリがいいのかもしれない。職場では鬼厳しいが、そういえば自宅に招いてからは表情こそいつも通りの仏頂面だけど、なんとなく声が優しい気がする。なんというか雰囲気がちょっとだけ柔らかい。たぶんこんなオフモードの店長を他のスタッフは知らないのだろう。……ある意味役得なのか?


「それじゃ消灯しますよ。テレビとかつけててOKですし、部屋ん中のものさえ弄らなければ、あとは好きにくつろいでてください。じゃあおやすみなさい」

「はいはいおやすみ。ったく、こんなん彼氏にでも頼めよな……」


 そうしたいのは山々なんだけど、残念ながら私に恋人はいないんだよな。と返したかったけれど、生憎あっという間に私の意識は落ちていった。寝不足が続いていたとはいえ、凄まじい早さで睡魔に負けた。あとは夢の中でどうにかするしかない。



◆◆◆



 その日も私は先輩社員から怒鳴られ、現場を目撃した同期には嘲笑われ、アルバイトからは仕事のできねえミソッカスと見下され、パート連中からはヒソヒソされていた。周りはみんな敵ばかり。味方になってくれる者などおらず、雨のそぼ降る深夜の帰路をとぼとぼ歩いていた。

 だって仕方ないじゃない。元々、私は別な進路を希望していた。本当は母校の系列の大学にそのままエスカレーター進学する予定だったのだ。学力には問題がなかったので、ポシャった理由は単純に金がなかったからである。

 今どき奨学金があるじゃないかと言えば確かにそうだが、ならばその先何年も借金を背負っていく覚悟なんて、そんな簡単に決まるわけもなかった。入学金、授業料、教科書や副教材代も合わせれば何百万という大金だ。そんな多額の金を借り、卒業後コツコツ返していけるとは思えなかった。

 結局、私は大学へ入るのを諦め、3年次も後半になってから渋々就職活動に取り組み、都内に本部のある飲食店チェーンの正社員として採用が決まった。全従業員合わせて数百名という小さな規模で、業績だってすこぶる良いわけでもない会社だ。いつかは転職し、もっといい労働環境の企業へ移ろう。それか金を貯めて志望校だった大学に進んでもいい。

 どちらでも良かった。ここじゃない別な場所ならなんだって良かったんだ。嫌いだった。私の価値を認めてくれない世界なんて、いずれ使い捨てるつもりなら。こういうの、青い鳥症候群っていうんだっけ。よく知らないけど。なんでもいい、なんだっていい、とにかくどこでもいいから。どこだっていいんだ、私が私らしく生きていけるなら。

 そんなある日、先輩社員であり特別に私に厳しい満木さんが突然、店長に昇格することが決まった。というのも前の店長がアルバイトの若い女の子にセクハラしたり、社員に暴言を吐くなどのパワハラ行為を行っていたのがバレて更迭され、繰り上がりで満木さんがこの店のトップに据えられたのである。

 でも、ぶっちゃけ前の店長とどうせ大して変わらないと思うけどなあ。と私は内心でがっかりしていた。なんせ彼はとても厳しい。言葉はキツいし、顔は怖いし、ちょっとでも手を抜こうものなら精神を抉ってくるような遠慮手加減容赦の一切ない説諭が待っている。正直モラハラで訴えられてくれないかな、と思ったことはしばしばだ。

 だけど、あの人がそれだけ仕事に真摯で真面目な人間なんだということは、たぶん店の従業員ならみんな理解していた。別にうえがすげ代わったからといって突然、スタッフ同士の風通しが良くなったり目に見えて売上が上がったりなんかはしない。現実はそんなにうまくいかないもんだ。だが、お客さんからクレームが来る回数はちょっとずつ減っていった。

 もしかしたら有能な人なのかもしれない。あるいは偶然、軌道に乗っているだけなのかもしれない。どちらにせよ私にはあまり関係なかった。蚊帳の外にいる人間にとっては帰属先がどうなろうと──良い方向に変わろうが悪い方向に向かおうが、他人事だ。いつかは出ていく。そのうち離れる。ここは、私の居場所なんかじゃないんだから。


 こつん、ずるずる。

 こつん、ずるずる。


 何かを引き摺る音がする。何かが近寄る音がする。夜陰に紛れ、降り続く雨に隠れるように、それでも決してかき消されはしない音が。音に合わせてアスファルトの上の水溜まりが歪む。ゆらゆらと揺らめく波紋の先に、「それ」は居た。

 ケロイド状に醜く溶け崩れた顔面、ボロボロに破れたうちの制服を着込んだその姿。なるほど実体がないというのも頷ける。こんな気持ち悪い見た目じゃ、いくら化け物になろうと人前に出るのは嫌かろう。


「……見、た、な」

「ああ。見たよ。思ったよりもブッサイクだね、あんた」


 カルマ。この世界の暗部に住まう、人を傷つけ壊し殺める、おそろしい怪異。妖怪や精霊など異形のものは他にいても、積極的に彼らカルマが悪意を持って人間を害そうとするのは、そもそもが彼らは人だったから。ゆえにヤツらは本能的に生者を殺そうとしてくる。


「私を殺す? 殺すの? でも私、あなたに何もしてないじゃん」

「関係ない。この姿を見たのなら──殺す。それだけだ。死ね」


 ぶうん、と気軽い調子でそいつがなにかをぶん投げた。片手に引きずっていたのは黒光りするゴミ袋だ。封が緩んで中身が溢れ出し、私目掛けてぶちまけられる。


「……オッエー! くっさ! なにこれ、何入ってんの!? ウッ、臭すぎて吐き気してきた……」


 ばらばらと空中から降り掛かってきたのは調理の過程で出た野菜クズや魚のはらわた、客の残飯などの生ゴミだ。とてつもなく酷く臭う。ゴミなんだから当たり前だが、腐敗臭ってこんなにもキツかったっけ。


「ああもう、人に向かってゴミなんか投げんじゃねーよ! ゴミは! ゴミ箱へ!」


 言いつつこっそり握りしめていた呪符をかざす。和紙に墨で何か書きつけられているが、達筆すぎるせいで読めはしない。漫画で齧ったオカルト知識をフル稼働させ、おぼつかないながらも頭に思い浮かんだ呪文を唱える。


「りんぴょーとーしゃ、ええとなんだっけ……とにかく死ね! いや死んでんだろうけど! おりゃ! えい! くたばれ! 地獄ん堕ちろ!」


 料理人の相棒と言えば包丁だ。当然、私もマイ包丁を持っているし仕事中にはそれを使う。別に名のある鍛冶師に造らせたとかじゃない、ちょっとお高めという以外に代わり映えのしない刃物であるが、チラつかせてやったら明らかにカルマは怯んだ様子を見せた。なるほど怪異は光り物が嫌いらしい。なんで包丁が手元にあるかとかは考えない。だってここ、夢だし。

 うりゃりゃと脳天へ何度も何度も突き刺す。振り下ろす。これが肉や魚なら捌いたりできるが、相手は一応人型、剣豪よろしく三枚おろしだの出来るわけもない。特に相手の弱点らしい火傷痕の残る顔面は念入りに切り裂く。絵面がだいぶ猟奇的だが仕方ない、こればっかりはお前が悪いとしか言いようがない。そもそも他人様を狙わなきゃいいだけの話だ。

 刀身が真っ赤に汚れるまで、夢中になって繰り返し包丁を敵の頭部に振り下ろしていると、獣のような唸り声がカルマから漏れた。出血でよく分からないが、血走った両目が私をまっすぐに睨みつけている。視線が声なく告げていた、絶対に私を許さないと。

 ……怖い。

 あれだけハイになっていたのが嘘のように、恐怖が足元から這いのぼってくる。たったひと睨みでこちらの戦意がペシャンコに潰れた。そうだ、相手は人間じゃなかった。化け物だ。ひた、ひたとカルマがこちらへ近づいてくる。口元から吐く息が白く濁る。ぎらついた眼差しには殺意と憎しみしかない、なんで? 私、恨まれるようなこと、何かした?


「ころす──ころす、ころす、……ころす」


 テレビの砂嵐を無理やり加工して人の声に仕立てたみたいな、ざらざらした音質の声が、こちらが反撃しようとするのを許さない。ガチガチとやかましいなと思ったら、それは自分が震えて歯を鳴らしていただけだった。悲鳴すら上げられない、拘束なんてされてないのに身体が鉛で固められたみたいに動かせない。このまま死ぬ……死ぬのか? 私は。


「しっかりしろ! このバカッ」

「……満木さん?」


 懐かしい怒鳴り声が一瞬、こちらの恐怖を打ち消した。否、更なる恐怖で上書きしたともいう。とにかく硬直が解けた。倒すなら今だ。よたよたと酒に酔ったかのようなふらついた足取りで距離を縮めてくるカルマへ向かい、血で滴る包丁を思いっきり振りかぶる。

 遠慮手加減容赦の一切ない、本気の殺意を切っ先に乗せる。肉を裂く厭な感触と、神経や血管をずたずたに千切る気色悪い感触、それぞれが伝わってくるけど決して力は緩めない。全体重を包丁にかけ、カルマの胴を引き裂いた。

 凄まじい断末魔が夜の住宅街に轟く。接近していたせいでまともに聞いてしまい、鼓膜が破れた。激痛に悶える間もなく、胴体を真っ二つにされたカルマがそれでもなお私を殺そうと手を伸ばす。しまった、避けきれない。だが、ガシリと暗闇から誰かの腕が現れ、カルマの手を握りしめた。おかげでギリギリのところで逃れられる。


「気は済んだろ。さっさと失せろ──……」


 言葉の先はうまく聞こえなかった。そこだけノイズがかかったように聞き取れず、なんとなく直感で誰かの名前らしいと悟る。カルマは私と同じ服を着ていた。職場の制服だ、それなら生前はうちで働いていたのだろうか。なるほど満木さんなら確かに知っていてもおかしくない。高校生の頃からアルバイトしていたらしいから。

 カルマは何事か呪いの言葉を満木さんに吐こうとしていたがそうはさせない。口を開きかけたところへトドメとばかりに包丁を差し込み、そのまま頭蓋ごと貫く。


「もう黙れ。喋るな。お前は死んだ、ならここに用はないはすだ。さっさと消えろ、そして私達の前に二度と姿を見せるな。……お前の苦しみはお前のもの、お前の敵はお前自身。お前に恨まれる筋合いは僅かたりとも、私達には有りはしない!」


 ヤケクソ気味に例の呪符を投げつける。これにどういうパワーがあるのかは知らないが、まあ役には立つだろう。すると、呪符が当たったところからカルマが光の粒と化し始めた。半透明に透き通り、きらきらと輝きながら化け物が消えていく。


「終わっ……た……?」

「そうだろうな、送還できたみたいだから。オラッ、帰るぞ」

「えっ。ていうか満木さん、なんでここに」

「呼ばれたからだよ。お前に」


 そうだったっけ? 覚えてないけど。でもまあ助かったからどうでもいいや、と疑問をうっちゃった瞬間、夢の中だというのに強い眠気に襲われる。いけないここ路上なのに、と抗う間もなく私の意識は落ちた。



◆◆◆



「……おい。おい、起きろ、朝だぞ、ていうかもうすぐ昼になんぞ、いい加減目ェ覚ませ……っ、起きろこのバカッ! いつまで寝てるつもりだッ!?」

「うわあ! な、なんだ満木さんか……驚かせないでくださいよお! あー焦った……あれ? なんでここに居るんです?」

「昨夜のことも忘れたのか。このポンコツめ、少しは脳みそを動かすってことを覚えたらどうだ」

「冗談ですって。ヤダなあもう、忘れるわけないっしょが。それより今何時……えッ!? もう昼んなんじゃん! なんで起こしてくれなかったんですか!」

「何度も起こそうとしたわこのドアホが! その度にあと5分つって寝くさったのはどこのどいつだ!?」

「わ、私でーす……すいません……」


 ぐうの音も出ないとはこのことだろうか。とはいえあの化け物はとりあえず仕留めた。これでようやく安眠できる。と思うとまたもうつらうつらしてきたが、さすがに店長をこれ以上引き留めるわけにもいかない。


「すんません、あとは大丈夫なんで……今日はゆっくり休んでてください。疲れたでしょ」

「別に。これくらいなんでもない。それより体調はもういいのか」

「ええ、まあ。まだちょっと眠いですけど、昨日までに比べたら全然マシです」

「……そうか。ならいい。あとは帰る。今日のところは大人しく寝ていろ」

「いや満木さんこそ寝てくださいよ。すごい疲れた顔してますよ」

「……さっきから思ってたが、なんで名前呼びなんだ? 今まで1度もしたことないだろ」


 そういえば何故だろう。分からない。でも、もう店長って呼ぶのはなんだか違う気がした。彼は私の友人でもなんでもないはずなのに。


「……細かいことはいいじゃないですか! なんとなくですよ」

「まあいいが……店ではやめろよ。勘繰られる。ああそうだ、テーブルに昼飯置いといたから。冷めないうちに食えよ」


 と言い残し、彼はそそくさと去っていった。本当にこのあと出勤するつもりなのか。ていうか時間は大丈夫なんだろうか。疑問は尽きないが、ひとまず昼食にしようと思い、部屋に戻る。

 普段使っている座卓には冷蔵庫の残り食材で作ったと思しき丼物が鎮座していた。勝手にやるなと言いたいところだが、今はありがたい。それに自分で作る賄いよりよっぽど美味しそうだし。いただきます、と手を合わせてレンゲで具と米を一緒に掬い、ひとくち。有り合わせ丼とは思えぬほどうまい。今度、味付けのコツ教えてもらおう。


「……時期外れのボーナスってやつかな」


 現実と折り合いをつけるのは未だに難しい。自分にふさわしい居場所は他にもあるのではないか、と時折考えてみる。それでも、もう過去の自分の選択が間違っていたとは全く思わない。今なら望んでここにいる、と胸を張れるような気がした。

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