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白鬼夜行  作者: 飴村玉井
2/24

日常

 東京都光陽台市(こうようだいし)。そこが黄龍院きりゅういん家により直々に管轄されている関東最大の「忌み地」だ。建売住宅が立ち並ぶ閑静なニュータウンと田園地帯が広がるのどかな光景は、とても都内とは思えない。実際、昭和の終わりに町の名前を「光陽台市」と改めてからはカルマによる怪奇現象や人死にもかなり改善された方だ。とはいえ、カルマと戦い市民を守ることが使命であるガイドらの頂点に立つ「五大家」の本領という訳ではない。宗家があるのは皇居周辺なので、あくまでこの街は数ある分家のひとつが代々浄化を承っている──。


「……で? それがなんだって言うん? まさか、あたし達一家に『わざわざ』引っ越せって言いてえの? なァ、メグルぅ」

「別に。そこまで言ってねえよ、けどウチの人手が足りねえのは知ってんだろ? だから転校してくんね?」

「は? 断る。何気軽に言っちゃってくれんの? 今年の春から受験生だぞあたしは。ただでさえ出席日数やべーんだよ」

「そりゃテメーの自業自得だろうが。知ったことかよ。それに光中こうちゅうはお前が今いる学校より偏差値高いし、いい先生揃ってんぞ。むしろ受験生としては環境いいと思うけど?」

「……でも、朝早起きしなきゃいけねーじゃん……」

「あ? んなのハクールにでも送迎頼め。それくらいはしてくれるんだろ?」

「はー? アイツに借りなんか作りたくないし。ねぇ、どうしても、ずぇーったい転校しなきゃダメなん?」

「ンン……そうだな……」

「チッ、あっそ。分かったよ、ママとねーちゃんに伝えとく。あ、たぶんねーちゃんがドス持って刺しに行くと思うから、テキトーに宥めといてよ」


 サラッと物騒なことを言い置いて、トレードマークのミニスカートを翻して親戚の女の子は去っていく。項が顕になる程度の金髪を靡かせて歩いていく彼女を見やってから、「黄龍院」当主候補筆頭である高校生霊媒師こと黄龍院メグルはでっかいため息をついた。ピカピカに磨かれた窓ガラスには疲れきった様子の青年が映っている。ポニーテールにした金髪と白ランにサングラスをかけた、冷たげな美貌は少し青ざめているように見えた。

 ここは黄龍院本邸からほど近いところにある純喫茶である。今しがたの話し合いはちょっとした仕事の依頼であった。店主は長年ここで店を切り盛りしているだけあり、上手く空気を読んでくれるし口が堅い。提供されるコーヒーも美味だが、商談をするのに持ってこいなのでよく「彼女」を呼び出すのに使っていた。……まだ「アレ」が同僚になってからまだ半年と経っていない。

 竜胆りんどう露水ろみ。栄えある黄龍院に仕える分家の中でも最も位が低く、ゆえに傘下の一族が一堂に会する総本会そうほんえにも呼ばれることがないほどの傍系。その出でありながら今では黄龍院内で最も注目されている新米ガイドである。かつては日本人らしく地味な黒髪だったのに、すっかりショートに整えた金髪が板についていた。


「あーあ。昔はまだ弱っちいカルマにビビったりするくらいの可愛げがあったのに。ハクールの奴を霊奴にしてから様変わりしちまいやがって。……やっぱ、アイツのこと総本会に呼ぶんじゃなかった」


 ──オバケ、ユーレイ、あるいは異形、怪異と呼ばれる化け物はこの世に確実に存在している。それらは基本的にヒトへ悪意を抱き、害をなす生き物だ。かつては人と同じく肉の身を持ち、人間として生きていた。けれども死すと同時に彼岸を渡ることなく訳あって現世に留まり、悪しき霊に堕ちたものを「業魔カルマ」と呼ぶ。それこそが人々を脅かすモノの正体であり、倒すべき敵だ。

 もちろんカルマに対抗する人間は数こそ最盛期に比べると多くないといえ今でもいる。彼ら彼女らを「導く者(ガイド)」といい、カルマによる怪奇現象を鎮め、時にカルマと戦い冥府へと送る役目を担う。その中でも一際金と利権を蓄えているのが、数多あるガイドの家系の中でも特に強大な力を持つ5つの家「五大家」である。黄龍院もそのうちの1つであり、ついでに言うと五大家内の序列においては1位だ。

 バケモノとそれを倒すことを使命とする家との戦いはそれこそ数百、否、数千年もの長きに渡り続いている。各家はそれぞれ自分達のやり方でカルマと相対するための技、霊術と呼ばれるそれを鍛え、磨き上げてきた。そのうちの1つに、あの世の住民である霊をこの世に降ろし、契約を交わして自分の部下として従えるというものがある。己の麾下にくだった者を霊奴といい、ガイドの多くはこれを持っている。

 奴霊どれい契約。と簡素に名付けられた、霊術の中でもポピュラーな術式を史上最年少の年齢でメグルは修めた。以来、現在では計5体もの霊奴を従え、彼は弱冠17歳にしてプロのガイドとして学業の傍ら家業に勤しんでいる。ゆくゆくは国内のガイドを統括する家の「正式な」後継として。

 ……竜胆露水は、本来なら、そうした本家のガイド稼業に関わらず一般人として生きていくはずだった人間である。まかり間違ってもメグルの同僚になる予定などなかったのだ、あの時までは。ところが半年前、当主の「気まぐれ」で竜胆家の人間も総本会──黄龍院とその分家が揃って顔を合わせる式典に招かれたことで全ては変わった。

 同じく出席していたメグルと軽い言い合いになり、売り言葉に買い言葉で露水はそれまで1度もやった経験のない奴霊契約を即興で執り行ったのである。もちろん霊術はろくに知識のない一般人が気軽に試してよいものではない。実際、本当に危険なことになりかねなかった。口喧嘩で頭に血が昇った状態で露水が儀式をうっかり成功させてしまい、あの世から呼び出したのは最凶最悪の霊奴──名をハクールと言う──だったのである。

 過去、幾人ものガイドが試しに呼び出してはその場で取り殺されてきた、決して誰にも制御できない「はず」の霊奴、いや区分としてはもうカルマに近い怨霊であるハクール(ソイツ)は、なぜか露水をひと目見るなり気に入ったらしい。彼はその場で忠誠を誓い、かくして契約は成った。露水とハクールは正式なバディとなったのだ。そしてメグルと違って陽のあたる場所で普通に生きていけたというのに、彼女はこちら側の世界に足を踏み入れた。


「……露水のバカヤロ。アイツは『俺ら』なんかに関わんないで、フツーに生きれば幸せに死ねたのに。アハ、まあ1番のクソ野郎は俺だけどな」


 店主にコーヒー代を気持ち多めに渡し、お釣りを断って退店する。長く話し込んでいるうちに思ったよりも時間が経っていたらしく、入店前はまだ明るかったのに既に空は赤く染まっていた。黄昏時だ。

 ぴゅうっ、と凩が吹き渡り、路面に溜まった枯葉を巻いあげる。都内があまり雪の降らない土地で良かった、とこの時期は特に思う。遠征しごとで北に赴く度、移動するごとに大雪で悩まされるからである。家ごとに管轄地域が分かれていると言っても、直接依頼が舞い込めば担当外であっても行かなければならない。

 贔屓の喫茶店から徒歩数分。すぐ近くにある本邸はとにかく大きい。武家屋敷と寝殿造を足して2で割ったような造りの、とにかく贅を凝らした豪奢な建物には常に多くのガイド、あるいは傘下の家の者が詰めており、忙しなく働いている。それは土日祝日や深夜早朝であろうと変わらない。ガイドの家に定休日なんてものはない。


「ただいまー、遅くなってごめんね」

「おかえりなさいませメグル様。さっそくですが依頼が来ております。場所は……」

「ああうん、すぐ行く。送迎係のタブレットに座標送ってある? ならいいや。今回、同行は?」

「おひとりで、とマアヤ様が」

「おばあ様が? なら手強そうだね。終わったらお湯沸かしといて。みそぐから」


 邸内に入るなり玄関先で出迎えた使用人に言付け、メグルは自室に飛び込む。もはや私服の代わりにしている学校の制服から、至る所に家紋をあしらった狩衣へ。ポニーテールはそのままに、サングラスも外してケースにしまう。あくまでオフの時に余計なものを視なくていいように着けているだけなので、仕事中はむしろ邪魔になるからだ。

 姿見に映る自分の姿。父にも母にもあまり似ていない、けれども3つ下の「彼女」に近い面影を残した容貌の男が、気だるげにこちら側を見つめ返していた。視線の冷たさについ自嘲ぎみに笑いをもらしてから、部屋の外で待っていた送迎係と共に再び家を発つ。未成年の子供が帰邸してから数分で出かけることに疑問を持つ人間は、この家には誰もいない。それでいい。


「じゃあ今日もおシゴト頑張りますか。……あー、日付変わる前に帰れたらいいな」



◆◆◆



 洗面台の鏡に映るのは仏頂面をした女の顔だった。ショートボブに整えた金髪は蛍光灯の明かりを艶やかに弾き、母にも姉にもあまり似ていない顔立ちには、まだあどけなさが残っている。同年齢と比べても痩せている身体に目立った凹凸はなく、身長も女子であることを差し引いても明らかに低い。総じて未成熟の子供。弱そうな、まだ成長しきっていない。

 けれども視線の鋭さが全てを裏切っている。まるで世間の汚穢を全て見透かしたような、剣呑な光を宿した双眸。この世のありとあらゆるものを馬鹿にしているかのような、冷淡な眼差しが鏡の中の少女を睥睨していた。


「はー、メグルのクソ野郎……何が転校してくれ、だよ。ふざけんな。あたしにボッチになれってか。自分が学校で浮いてるからって、あたしにまで独りを強要すんなってーの。ていうか、光中って既にヨシカズが居るはずじゃん……アイツの担当地域だし」


 ブツブツと愚痴を独りごちながら、彼女──竜胆露水は鏡に向かう。精神統一、瞑想、呼び名はなんでもいいが1日に1度その日の自分を見つめ直し心持ちを改めよ、というのがガイドの日課である、と「祖母」に言われてから仕方なく実践している。とはいえガイドになってからまだ半年ちょっとしか経過していない。教えが身についているとは言いがたかった。

 半年前。親戚であり、もう1人の幼なじみであるメグルとしょうもないことで喧嘩になり、煽り耐性の低さが災いして見よう見まねで奴霊契約の儀を「成功」させた結果、ハクールを召喚してしまった。今まで数えきれないくらいたくさんのガイドが犠牲になり、誰1人として制御不可能だった最強にして最凶の霊。呼吸するのと同じように霊も霊奴もガイドもカルマも分け隔てなく殺す、悪鬼そのもののような男。

 それが今、つい最近まで何も知らずのうのうと生きてきた子供の麾下にいるというのだから、人生とは何が起きるか分からないものだ。最もそのハクールは久しぶりの現世が楽しいらしく、日頃から顕現しっぱなしで人身を取ってあちこちを好き勝手に出歩いているので、あまり制御下に置けているとは言えない気がするけれども。

 そして件のハクールはようやく帰宅してきた。メグルに呼び出しを食らった露水が出かける前から既に家を出ていたので、1日のほとんどを外で過ごしていたことになる。異国の雰囲気を強く漂わせる彫りの深い面差しにゆるく1つに編んだ白髪、同色のまつ毛に縁取られた翠眼がよく似合う美丈夫は今日もチャイナ服に青龍刀をぶら下げ、そして何故か青魚を片手に持って10代の女の子の部屋を訪ねてきた。


「ただいま。お、まだ起きてたのかよ露水ィ。ガキはもう寝る時間だぞコラ」

「は? そっちこそこんな時間までどこほっつき歩いてんの。もうすぐ日付変わるんだけど? あ、ていうか! そんな目立つ格好で外出るなっつーの! 言ったじゃん、1人でどっか行くならそれらしく装えって!」

「あー? んなこと言われたっけかな。まあいいじゃねーか、それよりホラ! メグルっていったか、あのガキと一緒に何体かぶっ殺してきたから、報酬貰ってきたぞ! 新鮮な鰤! 美味そうだろー?」

「えっ。は、はぁ……? っ、ざっけんなー!! 何あたしに黙ってカルマ討伐に行ってんだ! ちったあ大人しくしろ!! てかブリて! ブリって!! どーすんのそれ、誰が下処理すると思ってんの!?」

「そりゃーオメエの母親だろ。楽しみだな、刺身! 照り焼きもいいな!」

「あんた飯食えないでしょうが霊なんだから!」

「食えるぞ」

「えっ」

「だから食えるって。飯。今、霊奴だから実体あるし。まあ食ったところで消化も代謝もしないから食ったフリみてーなもんだけど。アレ? もしかして知らなかったのか?」

「……っ、アンタにも誰にも言われてねえもん! そんなこと!」


 ついに露水の怒りが限界を超え、怒髪天を衝いたその時。またしても彼女の自室へと来襲してきた者がいた。露水の義理の姉である。


「っ、ろみちゃーん! どうしたのっ? 何か困り事? ハッ、またハクールのクソ野郎に虐められたのね!? 処す? 処す? 処しちゃう? いいよっ、いくらでもお姉ちゃんにまっかせなさーい! なんでもしてあげるからねっ、蟇盆も凌遅刑もファラリスの雄牛もアイアンメイデンも大丈夫っ、お姉ちゃんには頼りになる人達がいっぱいいるもん! 安心して、ギッタギタにのして肉塊にメタモルフォーゼさせてあげるねっ、この世に生まれてきたことをこのゴミクズに後悔させてあげるから……!」


 ヒラヒラふわふわしたネグリジェにピンク色のロングヘア、大きなタレ目に甘めの美貌はかわいらしく、出るところは出て引っ込むところは引っ込んでいる美女が常軌を逸した発言と共に飛び込んでくる。ハクール同様、露水を困らせるもう1人の問題児であり5つも年の離れた血の繋がらない姉、竜胆キサキである。


「ねーちゃんうるせえ! ああもう、みんな早く寝ろ! 明日は! 平日!」


 霊1人と姉1人をそれぞれ廊下に追いやり、騒々しかった部屋にようやく静寂が戻ってくる。ふと、もう一度鏡へ目線を向けると鏡面の中の少女はどこかやわらいだ顔つきをしていた。

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