その瞳は憎愛に揺れていた
宝来さんの横暴極まる業務命令により花影市への弾丸取材が決まり、セオリツ編集部のある飯田橋を出たのは10半時を少し過ぎた頃だった。酔っ払いのサラリーマン共がフラフラうろつく中をかき分けて進み、地下鉄に揺られること20分。市内のターミナル駅は11時から閉鎖することになっているらしく、乗った電車がホームに滑り込んだ時には駅舎が閉まるギリギリのタイミングだった。慌てて改札を抜け、ペデストリアンデッキに出ると、1人の少年が待ち構えている。
オレンジ色のベリーショートに精悍な顔立ち、おそらく中学生くらいだと思われるが鍛えているのか体格は良く、上背もある。黒いレザーのジャケットに同素材のパンツ、重たそうなごついブーツという厳つい外見だが、こちらをみとめて微笑みながら軽く会釈してくる様子はなかなか世慣れていた。
「どうも。日隅さんですよね? 宝来さん経由で今日の仕事の応援に来てくれたんでしたっけ。オレは駅前の地点を任されてる黄龍院ヨシカズです。今日は日隅さんの護衛も兼ねてるんで、なんかあったら遠慮なく言ってください」
「あ、はい。日隅晴人と申します。宝来編集長の紹介で取材させていただきます。今夜はよろしくお願いします」
遊んでそうな見た目の割に礼儀正しい(口調はちょっとラフだが、年齢を鑑みれば比較的丁寧な方だろう)少年、黄龍院ヨシカズは己が今回の作戦を立案した、と自己紹介についでのようにつけ加える。行きの電車内で宝来さんから送信されてきたメールで詳細なタイムスケジュールは確認しているが、市内中心部の主要施設に人員を配置し各担当者に持たせた魔導符でカルマをおびき寄せて送還する方法は、なかなか無駄がなく効率的なように思えた。
「黄龍院家の主導でここまで大規模な送還事案を実行するのって久々なんじゃないですか? 前回は平成の終わり頃でしたっけ」
「あー、あれですね、即位の儀に合わせた禊祓のことでしょ。あれはウチのボスが後顧の憂いがないようにって張り切ったおかげで、なんやかんや1ヶ月くらいかかったかな。あん時はオレまだ中1だったし、親父にくっついて見学させられたなあ」
「あー、そうそう、それです。あの時も俺、何箇所か取材させてもらったんですよ。だから、つい思い出しちゃって」
去年の新天皇即位に合わせ、オカルト界隈は久しぶりに大賑わいを見せたので我がセオリツ編集部としても特集を組んで盛り上がりに貢献したところだ。皇居及び皇家の守護を直々に請け負っている黄龍院一族は相当多忙な時期が続いたと聞く。
万が一があってはいけないからと、東京中のカルマというカルマを片っ端から消さなきゃならないので、普段はあまり声がかからない末端の分家連中まで総動員したという話だ。……という事情を俺が知っているのも、痣山峠の件の後に会う機会があった黄龍院当主から、雑談がてら色々と聞き出せたからだが。
「それにしても今夜はかなり冷えますね。コートの下にセーターとかフリース重ね着してるんですけど、それでも堪える寒さですよ」
「見鬼の人は視る力に特化してるから、霊力を操ってどうこうっていうのできないですもんね……カイロありますよ、よかったら使います?」
「あ、ありがたく使わせてもらいます、助かります。やっぱりガイドってのはその辺も霊力でどうにかなるもんなんですか」
「人によるんでしょうけど、黄龍院で霊術を学んだ人間のほとんどは。こう、霊力で分厚い膜みてーなもんを形成して、自分の身体にペタッて……オレは式神の勧請や操作にスキル振ってるからあんま得意じゃないけど、露水はそういうの上手いんですよね。脳筋なのに」
竜胆さんの話になった。そういえば彼女と顔を合わせる手筈になっていたが、現場に着いてから今まで姿を見ていない。それもそのはずで、竜胆さんが担当しているポイントは市役所前だ。ここからは歩いてすぐだが、肉眼で捉えられるほどは近くない。遮蔽物も多いし。
「竜胆さん、あのあと大丈夫でした? 前回の取材以来まだ見てないんですよ。俺、途中で帰宅させられたから元気にしてるかどうか分からなくて」
「ピンピンしてますよ。さすがに初めて送還に失敗ったの気にしてたっぽいけど、メグルのクソ野郎はアフターフォロー上手いんで、すぐに立ち直ってましたね。『返し』については本人の防衛力がクソ高いから、後遺症も特にありませんよ」
「よかった……目の前でいきなり昏倒したんで、もしかして重症なのかと思って……何事もなく無事に過ごしてるんでしたらなによりです。さすがにあんなちっちゃい女の子が助からなかったら目覚めも悪いし」
さり気なく今日の現場の総指揮を執る黄龍院メグルくん(噂では次期当主に内定しているらしいが)を罵倒しつつ、ヨシカズくんは舌打ちまじりに教えてくれた。竜胆さんのことは案じているようだが、もしかしてメグルくんとは上手くいってないのだろうか。いや藪をつついて蛇が出てもまずいし、あまり詮索すべきではないか。
「あの馬鹿は昔っから露水にだけはゲロ甘ですからね。ちっせー頃、露水にコテンパンにぶん殴られた時からずっとフィジカル鍛えまくってるし、あいつん中では守る対象なんでしょ。……そこにオレまで入れてんのが死ぬほどムカつくけど」
「……もしかして、彼とはあまり仲がよろしくないんですか?」
「オレ、ガキん時にアイツにあの世へ送られかけてるんで。それ以来あのクソ野郎が無理です。地雷です。ぶっちゃけ顔も見たくないんだけど、こういう稼業してるとそうもいかないんで。今日だってストレスかかりまくりですよ、自分が作戦指揮執るからテメーは現場で突っ立ってろ! ですよ!? マジ、頭に来て自分の霊奴に命じて殺してやろうかと思った!」
「おおう……あの世に、ってそれ死にかけてませんか?」
「いや本当に死に目に遭いましたよ。死んだじいちゃんがたまたま現世まで送り届けてくれたから助かったけど、冗談抜きに死ぬ一歩手前でしたからね。ほんとにふざけんなよ、あいつだけは死んでも許さん」
顔を真っ赤にして愚痴りだすヨシカズくんは相当な鬱憤が溜まっていたらしい。去年、当時まだ高校1年生だったメグルくんとは取材で少しだけ話した覚えがあるが、生意気なところはありつつも名家の御曹司らしく堂々とした態度かつ所作も気品に満ち、終始スムーズかつ和やかに取材が進んだ記憶がある。
とても歳の近い従兄弟をあの世にやってしまうような酷い人間には見えなかったが、誰しも裏の顔というのはあるものだ。もしかしたらイタズラのつもりか、ウッカリだったのかもしれないが。
「……今回だって、露水のやつを連れてくるのを1番渋ってたの、アイツなんですよね」
「そうなんですか? まあ竜胆さんはガイドになって半年弱だそうですからね、今日みたいな家系の人間を総動員して行うような仕事には、可愛がってらっしゃるなら尚更不安でしょうね」
「過保護なんですよ。昔から。露水だって充分戦えるし、あいつに何かあってもハクールがいるんだから大丈夫だろ、って言ってもちっとも納得してくんなかったし。あんなんで本当にバアさんの後釜なんて継げんのかよ……」
「なら、ヨシカズくんが補佐してあげたらいいんじゃないですかね。君ならメグルくんのこともよくわかっていらっしゃるようだし適任でしょう。きっと彼女もそれを願っているのでは」
しかしヨシカズくんは渋面を形作ったままだ。無理もない、彼は危うく死にかけるところだったのだ。そんな相手の補佐などしたくはないだろう。現当主はメグルくんとヨシカズくんのどちらかに自分の次代を任せたいなどと話してくれたから、当主継承の権利は彼にもあるのだ。
それでもメグルくんが当主筆頭候補(内定)と看做されているのは、ひとえにあの青年が積んできた実績によるものである。去年の大規模案件も現当主は最終責任者として名を連ねるだけであり、実際に現場で動いていたのは他ならぬメグルくんだ。都内全域(当然ながら忌み地である光陽台市付近は除くが)の浄化なんて誰でも任せられることではない。熱意はもちろん、実力がなければとても無理だろう。
「そりゃ、あのクズがすげえってことはわかってますよ。でもなー、性格がどうしても合わないんですよね。虫が好かないっていうんですか? 仕事が絡んでるならいいけど、オフん時に会うともう必ず喧嘩になっちゃって。でも同じ家に住んでる以上、出くわすことなんか何回もあるし、高校に入ったら一人暮らししようかなって考えてます」
やれやれ、と肩を竦めながら疲れた顔で話すヨシカズくんの愚痴に付き合いつつ、そろそろ時間なのではとチラッと腕時計を見る。都合がいいのか悪いのか、ちょうど開始予定時刻である午後11時半になったところだった。
「おっ、そろそろですかね。んじゃ魔導符を発動しますから日隅さんはじっとしててください。もうオレの張った結界の中に入ってるんで、絶対離れないでくださいね。……死にたくねえんなら」
ニィと口元に野蛮な笑みを刷き、少年は着込んだ上着の内ポケットからボロボロの御守りを取り出す。ところどころほつれた西陣織の小さな巾着袋の中身は呪いの言葉を書き込んだ呪符だ。人間を襲って殺すことが本能的な欲求であるカルマは、人の悪意に強く惹き付けられる。だからこそ穢れに満ちた忌み地に集うのだし、魔導符のような邪念のこもったモノにも寄ってくるのである。
「──来た、あれがカルマです。どうですか、バッチリ撮れてます?」
「はは、これ以上ないってくらいの撮れ高ですよ……写真じゃなくて動画にしとくんだった」
「なら良かった。くれぐれも大人しくしててくださいよ、っと」
こちらの取材の進捗も気にしてくれつつ、ヨシカズくんは作戦通りおびき寄せられてきたカルマ達を見据えている。わらわらと近づいてくるのは1匹や2匹じゃない、数十匹以上というとんでもない量だ。おそらくこれからもっと増える。呪符の効果を打ち消さない限り、延々とカルマ共はこちらに向かってくるのだ。
基本的に自我を失い本能のみで現世をさまよう彼ら彼女らは死後そのままの状態を留めている。(死んでいるのだから当たり前だが)生気のない顔色にボロボロの衣服というのはまだ良い方で、内臓や骨がモロ出しだったり全身ケロイドまみれだったりと、発禁指定レベルのグロゴア祭りになっていることも多い。
もはや完全にゾンビパニック映画の光景だ。見ているだけで吐き気が込み上げてくるが、すぐ近くで容赦なく高威力の霊術を使いまくっているヨシカズくんは臆した様子もなく、むしろワクワクとかウキウキというオノマトペが似合う有様だった。
ガイドが霊力を練って操る呪術の一種である霊術には縛魔法から退魔法まで多種多様にあるが、バリバリに近接格闘を使ってきそうな外見なのに彼が好んで操るのは、自己申告通り本当に式神の勧請らしい。明王から神将まで次々に喚び出しては片っ端から薙ぎ払わせている。半透明の屍人共を白狐が噛みちぎり、僵尸が殴り飛ばし、マミーが締め上げ、口裂け女が鎌で切り刻む様はB級ホラー映画じみている。召喚できる怪異は和洋中なんでもアリのようだ。
てっきりもっと苦戦するものかと思っていたが、予想に反して余裕そうな雰囲気なのはそれだけヨシカズくんが場数を踏んだプロだからだろう。鬼や物の怪といった妖怪、化生と呼ばれる人外のものは総じて扱いがめんどくさい。霊力を操ってステゴロでボコるのもそれなりに身体能力やセンスが要るが、人とは違う理に縛られる異形の存在を制御するのもまた別な才能が必要だ。
「……俺にも、これくらいの力があれば見鬼なんかにならなくても済んだかな」
「どうでしょうね。少なくともオレは羨ましいですよ、日隅さんの力が。ガイドである以上、霊視は必須スキルだからできるけど……オレは、もっと特別になりたかったから」
自嘲を含んだ笑みをこぼし、少年は再び戦闘に向き直る。黄龍院をはじめとした多くのガイドの家系に連なる者達のほとんどは、サングラスや眼鏡、眼帯などで目を隠したり覆う傾向にある。
ガイドは目で見ているのではなく人外の持つ「気」を知覚することでその正体を捉えている。反面、それはカルマなどの人外からも「視られる」ことを意味する。化け物から見ても目につきやすくなるからだ。ガイドがカルマを駆除対象と看做しているように、相手もまたガイドを敵と認識している以上、向こうから襲いかかってくる可能性だって充分にある。無駄な戦いを避けるために大抵のガイドは意識して視ないようにしているのだ。
……今の彼の眼に嵌め込まれているのはコンタクトレンズ1枚だけだ。それも度は限りなく低く、ほとんど裸眼に近い。意味を成さないコンタクトレンズはただの挑発でしかない。自分はお前を舐め腐っているぞ、という言外のメッセージだ。むろん、それが分からないカルマばかりではない。
「ちっ、いい加減めんどくせえな。日隅さん、これで何体目ですかね」
「カウントしてないんで具体的な数は分からないですけど、たぶん100はもう超えたと思いますよ」
「そっか、じゃあそろそろ本気出そっかな。市役所前でもデカい霊気が動いてるから、露水も暴れてる真っ最中なんだろうし」
「今までのは本気じゃなかったんですね……」
「オレの霊奴を呼び出してるわけじゃないですからね、そりゃ単純な戦闘力なら式神の方が強いけど」
霊奴。ガイドと名乗る術師のうち、特に優れた使い手だけが契約に則り従わせることを許されているという。黄龍院のような大きな家の子供は皆、霊奴との契約をごく普通に行っていると聞く。彼もまた同じように、あの世の住民と約定を交わしたのだろうか。固唾を飲んで見守っていると、いつの間にかヨシカズくんの両側に2人組の男女が佇んでいた。見鬼をもってしても現出のタイミングは分からなかった。
撫で付けた赤毛にビンテージ物のクラシカルなスーツをまとい、ごてごてと装飾過多なステッキを手にした青年と、曼珠沙華を描いた見事な花魁装束を着こなし、艶やかな黒髪を結い上げていくつもの簪で飾り立てた女性──ただしこちらは着物のの裾から覗く下半身は蛇のものだが。「視た」だけで理解できる。この2人は、カルマとは明らかに違う存在なのだと。
「ギャハハ! 聡明なるカルマ諸君、オレは心が広い男だから紹介してやろう、心して聞け! 彼らはオレの大事な相棒、ヒューイとミディナだ。ゴミクズみてえなてめぇらを残らず消し飛ばしてくれる出来たヤツらだ、くれぐれも舐め腐ってくれるなよ!?」