あつまれ、怪物のまち
校了日を明日に控えた編集部は慌ただしかった。年々発行部数が落ち込んでいるオカルト雑誌「セオリツ」は、今でも定期購読者がそれなりにいるおかげで、なんとか雑誌の維持はできているという。セオリツは弱小出版社「ユートピア」社の屋台骨であり、他のオカルト系雑誌やムック本の売れ行きは芳しくないのもあって、毎月の締切はいつも殺伐とした空気が流れている。
先週のうちに任されているコーナーの原稿を提出し終え、今は新しいネタを探しにネット掲示板やSNSをいつも通りパトロールしていた俺──日隅晴人はというと、まあ呑気なもんだった。一応は編集者としても籍を置いてはいるものの、実際の編集作業に携わったことはない。それよりも見鬼を活かして「ガチモン」のネタを見つけてくれ、とはセオリツ編集部のボスこと編集長・宝来さんの命令だ。
とはいえ怪奇現象の大半は科学的な説明がつくことがほとんどだ。霊がいる証とされているオーブがただの空気中の塵や埃がその正体だったり、謎の人影が実は単なる現像ミスだったり。デジタル画像ならもっと簡単に加工でそれっぽく演出できるし、毎夏の心霊番組に持ち込まれる心霊写真は、そのほとんどが編集で作られた偽物だというのは有名な話だ。
ではこの世におきる怪奇現象は全て気のせいか目の錯覚に過ぎず、ユーレイもオバケもいるわけがないのかといえば、それもまた否である。彼らはいる。確かにこの世界のあちこちに存在する。ただ彼らを視る眼がなければ、彼らが見せようとしない限りは視えないだけだ。
「日隅、お前今暇か?」
「なんですか宝来さん、今ボス戦なんですけど」
「業務中にゲームとはいい度胸だな、そのクソみてえな職業倫理を称えて仕事を振ってやる。ちょっとお前、取材に行ってこい。必要なら私の名を出してもいいから」
スマートフォンでプレイしていたゲームアプリが勝手に閉じられ、今まさにラスボスに挑まんとしていた画面の中の勇者はあっさり負けてしまった。普段なら俺がいくらサボろうが何しようが見逃してくれるので、本当に火急の用事らしい。
すっかり色落ちしてプリン状態になっている茶髪のセミロングに、ワイシャツとスキニーパンツ姿の美人女編集長と名高い宝来さんは、若々しい見た目に反し既に中学生の子供がいる2児のママなのだとか。仕事と家庭の両立どころか1週間のうち半分くらいはオフィスで寝泊まりしている彼女は、ここ数日の忙しさを物語るように目の下に色濃いクマを作っている。
「お前、以前に黄龍院さんとこのお嬢さんと仲良くなっていたよな」
「……ん? あー、竜胆さんのことですか」
「あ、そうそう。その子。どうだった?」
「どうって……いい子でしたよ。まあ性格はちょっとキツいけど。アレっ、確か宝来さんの息子さんと同世代なんでしたっけ?」
「うちの子の方が年下だけどな、来年度から2年に進級するから。それはどうでもいい。問題は実力だ。見鬼としてのお前の眼から見て、どうだったんだと訊いている」
美人が凄むとやはり迫力が違う。顔色の悪さや青黒いクマのせいもあり、こちらを見つめる彼女の表情はいやに真剣だった。編集員達のデスクでは、宝来さんに聞きたいことがあるらしい何名かの社員が、書類片手におそるおそるこちらの様子を伺っている。
「本物でしたよ。紛れもない、この業界では珍しい『ガチモン』です。ただ長生きはしそうにないでしょうね、行きずりの霊にまで感情移入してそうでしたから。あ、あの時の顛末ってお伝えしましたっけ」
「お前あの後すぐメールで進捗報告してくれただろ、詳細は把握してるよ。けど、私が知りたいのは雑感の部分かな。言語化を躊躇った、あるいはあえて言及を避けた箇所。それが気になってね」
「……、うーん……なんて言えばいいんでしょうね」
あの夜のことを思い出してみる。
痣山峠での取材の際、謎の術師が現れて江井さんという霊の送還の儀式を邪魔して彼女の霊魂を持ち去っていったあと、昏倒した竜胆さんを連れて俺は黄龍院家の本邸まで赴く羽目になった。たまたま近隣を巡回していたタクシーがすぐ来てくれたから助かったが、最悪の場合は彼女を肩に担いで徒歩で下山しなくはならなかったのだから、これから取材やロケハンの時は車の1台も手配しといてくれと内心で毒づいた記憶がある。
馬鹿デカい黄龍院家の本邸へは顔パス同然であっさり内部に招かれ、そこで初めて本物の当主の顔を俺は見た。「あの人」は滅多なことでは表の人間の前に現れない。まともに彼女の姿を目にした者、更には言葉を交わした人間というのは数えるほど少ない。それも当然だろう、黄龍院家当主はこの国の霊的守護の要だ。あの人の双肩に多くの人間の命が背負われている。
話が逸れた。
とにかく当主と少しの時間、竜胆さんに関して雑談の機会があり、夜も遅いからと黄龍院家の人に自宅まで送ってもらったことは覚えている。竜胆さんは当主の「息子」だという青年がこちらで処置するからと身柄を預っていったので、本邸に着いた時点で別れて以来、顔を合わせる機会はない。元々、仕事絡みで何か用事でもなければ会う必要もない人間だ。お互いに。彼女が今どうしてるかなんて、俺が知る由もない。
「まあ、ぶっちゃけ可哀想な子だなとは思いますよ。まだ若いでしょ、なのにあんなヤバい化け物に魅入られた挙句、ガイドだなんて難儀な仕事までさせられちゃって。ありゃ長生きはできそうもないでしょうね、いつ死んでてもおかしくない。背後にいるやつがそんなのは許さないんでしょうが」
「ほう。ならもう一度そのお嬢さんと仕事をしてみたいとは思わないか? 丁度いい案件があるんだ、お前来月号のネタ探しをしていたところだったろ? あっはっは、良かったなあ! ネタが見つかって」
「ゲェッ、またあのクソデカ御屋敷まで行かなきゃなんねーんですか!?」
「安心しろ、特例で入邸が許されただけで本来はお前のような表の人間が入れるようなところではないよ。そもそも竜胆露水はあくまで分家、黄龍院の直系ではないしな」
「……え、でも」
分家ならば竜胆さんと当主は相当に血縁が離れているはずだ。顔だって似てなくて当たり前だろう、けれど「そっくり」だったのだ。彼女は、彼女と。
「お前が何を『視た』のかは聞かん。聞いても良いこと無さそうだし。それより仕事の話に戻るぞ、念の為に私の名刺を持たせておくから、今から言う住所にちょっと行ってこい。詳細はメールで送る。ええと東京都花影市、」
「オアアちょっと待ってくださいよメモるから! ……え。待って今、花影市って言いました?」
「何か問題でも?」
「ありすぎじゃないっすか。あんたも知ってるでしょ、昔っから花影市にヤバい凶霊が『出る』って噂」
そこでこの腐れ編集長サマはとてもイイ笑顔で言い放った。
「オウ、だからお前、ちょっくら行って激写してこい。セオリツが誇る凄腕カメラマンらしく、な」
そこで手元のスマートフォンを宝来さんの顔面目掛けて投げつけなかった俺の理性をそのうちでいいから誰か褒めたたえてほしい。ちなみに彼女はそのまま息子さんの送迎に出てしまい、編集部に戻らなかった。哀れな社員達は今日もまた徹夜作業となってしまうんだろう。ご愁傷様。
◆◆◆
東京都内にある花影市は、もとは風光明媚な街並みが魅力のニュータウンとして平成初期に近隣の町村の合併により出来た町である。特別行政区である23区に次いで、お隣の光陽台市と合わせて都内でも特に人口が多い市であり、アウトレットモールや学校、保育所なども充実していて、東日本の住みやすい街100選にもノミネートされたらしい。
なぜノミネート止まりで実際には選出されなかったかと言えば、一説によれば異様な寺社の少なさが原因だと囁かれているそうだ。光陽台市もそうだが、この2つの街はなぜか教会もお寺も神社もほとんどない。寺も神社も普段はあまり用がないものだろう、だが無宗教に見えて意外と信心がある現代人からしてみれば、かなり不気味ではなかろうか。神や仏に祈り、願う場所が全くないというのは。
2市とも町としての最低限の体裁は整っている。だがただ住み良いだけであり、歴史というものがほとんど残されていないのだ。それを裏付けるかのように、花影市にも光陽台市にも図書館はあるものの郷土資料は一切蔵書リストにはないという。
いくらニュータウンとはいえ、そこには昔からの住民が確かに居たはずである。だが彼らの多くは既によその街へと出て行ってしまったあとであり、現住民の多くが合併後に新しく越してきた者だ。今なお転出と転入では他所から入ってきた人間の方が多いものの、近頃は出ていく者も増えてきているらしい。
かつてあの町で暮らしていた古い住民は、花影市を指してこう呼ぶ。──あの街は「旧き鬼の棲む魔都」だ、と。
「だーかーらぁ、なんでそんなおっかねーとこに行かなきゃなんねーんだよ、って言ってんの! ふざっけんなよ! マジでいっぺん殴らせろ、こちとらこの前の腫海公園のヤツも死ぬほどビビったんだからな!」
しかし必死の駄々こね、もとい命乞いもこの女、竜胆露水の前では通じないことをたった今オレは学んだ。このクソアマはとにかく人の話を聞きやがらねえ、聞かないばかりかこちらの嫌がることは嬉々としてやってくるのだから性根がねじ曲がっている。どんだけ顔が可愛くても性格がブスじゃ話にならん。ましてやオレには既に最愛のみっちゃんがいるのだ。今日は用事があるとかで部室に来てないけど。
「仕方ないだろ。これからそこで仕事しなきゃなんねーんだよ、けど1つ問題があってな、花影の怪異はただの霊視じゃ捉えられないんだと。そこでテメーの出番ってわけ! 高山、あんた鼻が利くだろ? ってことでトリュフ見つける豚よろしく、あたしの補佐しろ。大丈夫大丈夫、たぶん死なねえって! 護衛もつけてやるしさ! ヨシカズもメグルも来るしなんとかなるだろ! 謝礼も弾むからさっ、引き受けてくれんよな?」
……謝礼。その言葉に意地でも頷くもんかと思っていた気持ちがクラリとぐらつく。なんせこっちは遊びたい盛りの中学生だ、月々のお小遣いじゃ当然だけど全然足りないし、かといい年齢的にバイトもできねえ。みっちゃんとデートしたくても、せいぜいモールでショップを見て回るのが精一杯で、プレゼントなんかとても無理だ。
「着いてきてくれたら謝礼って言うけどさ、ほんとに着いてくだけでいいんだな? 危険なことしなくておっけー?」
「もち、おっけーおっけー。それに金の出処はメグルだし、遠慮もしなくておっけーおっけー。いくらでも吹っかけちゃっていいよ」
「エッ……」
黄龍院メグル、そいつ知ってる。なんせヨシカズの兄貴的なやつだ。いや血の繋がりはあるけど兄弟ってわけじゃないらしい、実際、顔もそこまで似てない。兄弟なのはメグルとヨシカズの父親達だから2人は従兄弟だったかと思う。けど、メグルという男がどれだけヤバい人種かは、たぶんこの学校の人間は大抵が理解しているだろう。
とにかく喧嘩がめちゃくちゃ強い。見た目はひょろっちいのに、相手がステゴロだろうが刃物を持ってようが大勢で襲いかかられようが、ケロッとした顔でぶちのめしてしまう。強いなんてもんじゃない、ありゃバケモンだ。
ヨシカズのバカは目立つからよその学校のタチ悪いやつらに狙われたことがあるんだが、本人がどうにかする前にメグルが勝手にカタをつけていた。深夜の校庭に死体の山みたいに盛られた不良の塊は、1度見たら忘れられないと思う。
なんでそんな光景を他人のオレが知っているかというと、単にメグルが自分のSNSアカウントで動画をアップしてたから。れっきとした犯罪だが(明らかに正当防衛の域を超えてるし)、捕まらないのはあいつの実家──黄龍院ってとこがめちゃくちゃに「ヤバい」家柄だから。ヤクザ屋さん的なアレなのかは知らんけども。
話を戻す。その黄龍院メグルが関わってるってだけで行きたくなくなった。それに喧嘩が強くて性格が露水以上に悪そうってだけで(不良共をボコボコにした動画を晒してる時点で性格良いわけないだろ)、金を吹っかけるなんざとてもできそうにない。……倍にして返されそうだし。
「なァ露水さんよ。マジで、どうしても、ずぇーったいに行かなきゃダメか?」
「ダメでーす。まあ死にはしないっしょ、メグルとヨシカズのパパ達もイザとなったら応援に駆けつけてくれるって言うし」
「死にはしなくても大怪我はするのでは……?」
この女がある意味ヨシカズ・メグルよりヤバい厄ネタだということは分かっている。竜胆露水当人ではなくその裏にいる鬼みてえな男が、あの恐ろしい怪物が。ハクールっていったか、あの腫海公園で無数の化け物共を一瞬で皆殺しにしたやつが、常にこいつの傍に潜んでいるのだ。
常人の目には映らない、でもこの世界にたくさんいるバケモン達の中でも、とくに危なくて恐いもの。それが特別な鼻を持つオレには匂いという形で伝わってくる。──「あれ」は決して、この世に居てはいけないものだ、と。
「開始予定時刻は11時半。あんたの家に直接メグルを寄越す。逃げんなよ。あとはあいつの指示に従え、あたしはヨシカズと一緒に行動するから。じゃっ、あたしは今から帰って支度してくるからまたあとでね。協力よろしくな! ぶ・ちょ・う」
「エッそんな酷っ、問答無用かよぉ……」
とうとう断り文句すら言わせてもらえなかった。仮に嫌だと喚いたところであの男が迎えにくる以上、行くしかねえ。行くも地獄引くも地獄ってこのことかあ、とため息をつく。既に部活時間は終わっていた。