ご機嫌な万華鏡 #1
原宿でご機嫌にお店を散策して、白いレースがショーウィンドウに踊る。
金髪にタトゥーの外国人も、制服でやってきた高校生も、原宿以外で見かけることの出来ない傾奇者も、道行く人々のハンディファンは熱風を送り、誰もが赤い顔をしている。彼女もそうだった。夏の原宿はものすごい熱気だった。
ファッション、出会い、推し活、甘味、冒険。蜜のような甘さに引かれ、若者はこの街にやってくる。そして往々にして、原宿に来れば何かが変わる、原宿に自分の良さを引き出してもらいたいと、下手に出て縋るものは、何も出来ずに打ちのめされて帰っていく。逆に原宿に対して、一種上から目線でいるようなもの……例えば容姿やコミュニケーション能力に長け、普段からクラスでちやほやされて自分に自信を持つ人間は、ここでさらにレベルアップして帰っていく。さながら原宿はシンデレラに魔法をかける魔女。誰でも選ばれるわけではないが、選ばれたものは、クラスやサークルの主人公になれる。
彼女はどちらでもなかった。誰とも馴れ合わないが、特に人嫌いではない。誰とも馴れ合えないが、悲壮感も孤独感もない。とにかく彼女はマイペース。でも誰に迷惑をかけるでもなく、彼女は淡々と自分の好きなことをした。今はファッションと甘味だ。ふりふりのお嬢様のようなかっこうは暑い東京では堪えるが、それでも彼女はおしゃれする自分が好きだった。クレープの写真を撮り、どのSNSにも投稿しないが、ベッドに入ってから寝る前に眺めるのが好きだった。それでも、まだ見習いだが仕事は出来る。コミュニケーションはとれる。常識もある。
要は、余暇には自分の時間を大事に過ごすのが大好きだったのだ。そして希薄な自我を強引に埋めるべく、彼女はゴスめいた服を着て原宿を歩いていた。
「ごめんなさい。わたし、子供も孫もいるみたいなんです」
声をかけてくる殿方には事実を話してお断りする。殿方たちは彼女を面倒くさい不思議ちゃんか、もしくは違法な何かを吸ったか飲んだかしたと判断する。それは彼女の美貌によって得られるリターンよりも重いリスクだ。特に今は夏。もっと簡単に相手は見つかるだろう。
仕事帰りに気まぐれに原宿を歩いていた彼女は、また気まぐれに帰宅する気になり、山手線で池袋まで行き、西武池袋線に乗り換えて椎名町駅で降りた。この町の建物は、元が白だったと思しき灰色やクリーム色ばかり。少し歩いて昭和の時代に伝説的マンガ家たちが集ったトキワ荘の近くに居を構える大きな家の鍵を開けた。
「ただいま帰りました」
扉の横のモザイクガラスからは色とりどりのプリズムが玄関に投影され、もはやインテリア同然となった黒電話。リビングは大きく開かれ、庭から差し込む木漏れ日が籐の椅子と輸入物のアンティーク家具を照らしていた。
彼女は冷蔵庫を開けて無糖炭酸水を取り出し、コンビニで買ったスイーツの写真を撮った後に美味しくいただいた。
「キイエエエ!!!」
上の階から若い女性の金切り声が聞こえてきた。だが、彼女は特に気にしていなかった。ロックアイスを入れた大きなグラスに炭酸水を注ぎ、駄菓子と一緒にお盆に乗せて声の源に向かったのだ。
「入りますよ」
「……」
答えはなかったが、ケダモノが唸るような低い声が聞こえてきた。彼女はそれを肯定と察し、ドアノブを開けた。
「どうしたんですか、シキミさん」
「こいつ絶対インチキしてるよ、キクコさん!」
大型テレビに映る “YOU LOSE”の文字。九畳の部屋に設置されたゲーミングチェアに座る孫娘は、既に癇癪を起して気力、体力ともに激しく消耗し、六六六ラウンド戦ったボクサーじみた疲労と怒りを燻ぶらせていた。そっとキクコ……癇癪を起した孫娘の夏目樒(26歳)より数年若い見た目の祖母は、床を転がるコントローラーを拾い上げて孫に渡した。随分と長いことプレイしていたのか、それともテンションの上昇と連動して体温も上がったのか、コントローラーにも過剰な熱がこもっていた。
「もう一回挑戦してみたら?」
「こいつ絶対チートしてる! こいつはチーター確定! わたしが負ける訳ない!!」
「ほらほら、落ち着いて。炭酸水と塩ラムネです」
「ふぅー……。こいつ何? Vtuber? チートを暴いた上でブッ倒して恥かかせてやらないと! これは正義の行いだ! 悪党は民の前で断罪、処刑しなければならない!」
孫娘はスマホを操作し、ゲームのオンライン対戦相手のチャンネルを開いた。バーチャルYouTuber……アバターを持ち、声を吹き込む動画配信者が相手のようで、その相手はどうやら今倒したシキミを強敵として記憶せず、淡々と今の試合を振り返っていた。その画面では、配信者を讃えるコメントとシキミの敗北が全世界に配信されていた。
“YOU LOSE”
「キイエエエ!!! タナカァ! ヨシダァ!」
再戦後、再び癇癪を起こした孫娘は自分が負けるようなゲームを作ったスタッフが悪いと責めるように、ディレクターやプランナーの名前を調べて一人ずつ読み上げていった。
キクコはこんな孫娘にガッカリはしない。
シキミはスゴウデの霊媒師だ。尊敬している。しばらくして孫娘は炭酸水とラムネを同時に飲み、泡を吹きそうになった後にタバコを吸いにベランダに出た。既に夕日が差しており、過ごしやすい風とかなかなかなと鳴くヒグラシの声が心地よかった。近所のどこかが作っているのか、カレーのにおいが子供の帰りを待っていた。
「シキミさん。気分転換に次のお仕事に行きませんか?」
「はぁ……。そうですね、仕事に行きましょう」
「わたしが決めていいなら、次はこれなんてどうでしょう?」
キクコが鞄から差し出したのは、全宇宙が誇る全宇宙最高の頭脳の持ち主、大宇宙新聞東京編集局……通称ユニスポの最新号だった。
……
【緊急速報】人魚、火葬寸前で超絶回避!! 棺桶ひきずり夜の市街地を熱唱か!?
新潟県糸魚川市にて……夜な夜な聞こえる「謎の美声」が市民の眠りを妨げている問題は本誌既報の通り。さらに本紙が驚愕の新情報をキャッチ! 関係者の証言によれば、なんと打ち上げ人魚の仕業とのウワサが急浮上している!
この人魚、なんと“移動式の水入り棺桶”に身を沈めたまま、陸地で出会った王子様の車に棺桶を牽引させ、歌声を上げているというではないか! 完全に意味不明だが、地元では「こないだ火葬場に連れてかれそうになっていた」と話すスタッカー・ペントコスト氏(85)の証言もある。
だが火葬寸前に逃げ出したという噂もあり、火葬場関係者も「来たような気がする」と困惑気味。
なお、現時点で人魚の姿を目撃したものはゼロ。
果たしてこれは人魚の怪か、海底から蘇った古代海棲文明の警鐘か?
次号、「人魚は二人いた!」「歌声の正体はカラオケ装置だった?」など怒涛の続報に期待せよ!
……
「さすがは日付以外全部誤報のユニスポ。それじゃあ……わたしからナツメ商会には連絡しておくので、明日から出発しますよ、キクコさん」
Daughters of Guns
EP2 Mermaid from the Light
「どっちに座ります?」
「助手席にします」
改造に改造を重ねた1957年式クライスラー・インペリアルがシキミの愛車だ。そして同時に鎌倉紬の遺品でもある。この車に改造を施すことで、紬の好きだった『ウルトラセブン』で主人公の乗るポインター号という名に変わる。車の運転の出来ない彼女が何故こんな代物を持っていたのか、確かめる術はもう存在しない。だがシキミは存在しない、という事実を拒否していた。紬とまた話す方法をこの三か月探し続けてきた。そして、今までのように命ぜられるのではなく、自発的、積極的に化身との対話や怪奇現象解決を進めるうち、紬との再会が無理ではないという根拠は強くなっていった。むしろ、何もなかったその時間がその根拠を裏付けていったのである。
この三か月間でも祖母キクコの記憶は戻らなかったが、キクコはシキミ、シキミの父の松葉、母の芙蓉と四人で椎名町の家で暮らしていた。
この四人家族の中では、キクコはシキミに最も強い親近感を抱いていた。人生の再出発となる山中研究所での自我の萌芽の直接の理由はシキミであったし、死んだはずの母が記憶をなくして若返って戻ってきた、という事実は、ショウヨウとフヨウにとっては過ごした時間が長い分困惑を招いた。シキミにとっては幼少期に姿を消したきりの祖母であるから、適度な距離感が関係の再構築に良い効果を生んでいた。
精神的な年齢の差……。実際に二十六歳のシキミ、実際は七十七歳でも二十歳の見た目のキクコだが、精神的な年齢は肉体の年齢に則り、キクコがシキミを姉のように慕い、どこか微妙な距離感のある息子と義理の娘以上にシキミに何かを求めていた。そして紬の遺志を継いでか、人に懐かれるという初めての経験故かシキミはどこか不器用に、だが愛情深く姉や友人のように振舞い、二人の関係が構築されていった。それでも基本的には丁寧語で、お互いをシキミさん、キクコさんと呼ぶ。その辺りは生来の生真面目や人見知りのせいかもしれない。
「スマホの充電器は?」
「持ちました」
「お薬、化粧品、その他もろもろは?」
「OKです」
「じゃあ行きますか」
内装は別物に改装されたクラシックカーは、女二人ならば外部からの危険はともかく何泊でも車中泊出来る程広く、エアコン、スピーカー、シートの座り心地、ハンドルやレバーの固さに至るまですべてシキミ仕様にチューンされている。旅は実に快適で、まるでホテルが走っているようだ。
二人の乗るポインター号は目白通りへと出て、西武池袋線に沿ったりしながら大泉学園まで悠々たどり着き、関越自動車道へと乗り込んだ。車内では雑食趣味にロック、パンク、ゲームミュージックなどご機嫌な音楽がかかっていた。
「そろそろサービスエリアに止まりますか?」
「まだ大丈夫です」
「わたしがタバコを吸いたいんですよ。お腹も減ったし」
「ではお好きにどうぞ」
峠を登った先のサービスエリアでは、シキミの世代では実写映画、キクコの世代では孫が生まれる頃に息子夫婦が病院で読んでいた雑誌の定番だった剣客マンガのコラボ弁当、他にジビエのジャーキーを買った。峠の空気はしんと澄み、涼しい風と柔らかな日差し、見渡す限りの山林の緑と空の青が東京からの旅人を優しく癒した。
二人はここでゆっくりと休み、また北上を始めた。やがて山岳地帯を抜けて道は平坦に、そしてまっすぐになり、質の違う日本海側の太陽がポインター号を照らした
「海だ」
「そんなに珍しくもないでしょう?」
平静を心掛けていたようが、祖母の声は子供じみた興奮と熱を帯びているようだった。確かに、今のシキミとキクコにとって海はさほど驚く程のものでもない。千葉のはずれのビーチ、葉山の誰かの別荘、静岡の漁港など、この二か月で東日本のあちこちを旅して二人は簡単なゴースト退治を行ってきた。だが、日本列島の反対側の海は早々お目にかかれるものではない。どんよりとした寒色のアトモスフィア漂う日本海、遥か彼方に目を凝らすと、幽かに能登半島が見えた。
そして巨大な工場群とタンカーの港が見えるインターチェンジで、ポインター号は高速道路を降りた。
「チェックインで。喫煙シングルの夏目と、禁煙シングルの日出です」
駅前のビジネスホテルでキーを受け取り、エレベーターを降りて別れる際に、シキミはふと視線を感じた。
「何か?」
「次からは、喫煙ツインルームでもいいんですよ? お安いでしょうし」
「いいんです。喫煙者のマナーに反するし、どうせ経費で落ちるんですから」
「……」
「では、荷物を置いたら外で集合しましょう」
キクコの部屋は値段の割には広かった。ソファに荷物を置き、簡単にお化粧を直したキクコは、窓から外を覗いてもう日傘は不要と判断し、小さなハンドバッグだけを持って部屋を出た。フロント直結のスペースでは、相変わらずの目つきで孫娘がタバコをふかしていた。
「焼肉でいいですか?」
「ええ」
お昼も肉だったのになぁ。キクコは少食だが、シキミは大食いだ。ばりばり食べてがつがつ飲む。ビールを何杯も空け、ご機嫌になったシキミは領収書を切ってネオンサインの横町を眺めた。
「それじゃあ、いつものやつに行ってきます」
「わたしも行きます」
お酒で気が大きくなった孫娘は手ごろなカラオケスナックを選び、まさに道場破りと言った横柄な態度で扉を開けてお酒を注文した。そしてタバコを一本吸い、不敵な笑みでママに声をかけたのだ。
「今、このお店にいる中で一番歌の上手い人は誰ですか? お客さんでもいいし、ママでもいいですよ」
これが、出張でのルーティーンだった。
旅先でスナックかパブに行き、その場で一番歌の上手い人物を教えてもらう。そして、その人物と歌自慢の勝負をするのだ。今のところ、孫娘は無敗だった。
「ヒロシちゃん。このお嬢さんのお相手してあげて」
ヒロシちゃんなる地元の伊達男。先攻後攻をじゃんけんで決め、後攻を選んだ孫娘。普段の神経質からは想像も出来ない程朗らかで楽しそうに、マイクを握った。
……キクコは自分がどういう感情で、その姿を見ていたのかよくわからない。孫娘の魂が安らぐ瞬間が短くとも確かに存在するという安堵か、それとも新たな人生で姉と慕う人物の活躍が爽快なのか。いずれにせよ、シキミの活躍は見ていて気持ちのいいものだった。
「じゃあ後攻行きます。Mr.Childrenの『君がいた夏』を。……ミスターなのに子供たち、でも年齢をごまかして年金を不正受給しようって不届きバンドじゃないですよ」
楽しかった。こうして、糸魚川の夜は更けていった。今日も楽しい夜だった。