ジッパー #4
池袋。その西。厚手のコートを着込んだ壮年サラリーマンと、揃いのPコートを着たぼんやりとした顔つきの若者数人がスマホを片手に歩いていた。画面は見ていない。だが時折立ち止まり、画面を覗き込んではスワイプにタップ。つまり彼らは位置情報ゲームを行っていたのだ。
「そろそろ帰るか? 帰らないか?」
壮年のサラリーマンはぶっきらぼうに言った。若者たちはやはりぼんやりと、首を左右に振った。
サラリーマンの名は岩瀬十三。かつてはミドリカワファーマ本社の営業職だったが、五十路を迎えた頃に出世の梯子を外され閑職中の閑職であるミドリカワ・バイオ・プラントの社長職への栄転という名の左遷を受けた。
そこはまさに社員の墓場、ミドリカワファーマが生み出したゾンビを育成する会社だったのだ。今までの社員が皆左遷で入社したこともあり誰もゾンビに興味を持たなかったが、岩瀬はゾンビにテレビゲームをプレイさせることで劇的に経験値を積ませ、初期段階の育成マニュアル作成に成功した。そして今は位置情報ゲームを行うことで身体的刺激を積ませているという訳だ。
「俺はもう帰りたい。少し休ませてくれ」
製薬会社の営業職ということでかつてはだいぶ内臓にもダメージを負った岩瀬だが、左遷されて以降はゾンビの育成による評価に加え、ゾンビとの散歩で健康診断の数値も劇的に改善されていた。
「社長ぅ。お客さんですよぉ」
「杉田……。客が来てるならだらしなくするな」
「いいんですよォ、あんな客」
岩瀬以外の唯一の人間職員、杉田。まだ二十代半ばと若いが左遷された不憫な女性だ。だが岩瀬にもわからなくもない。程よく弛んだテンション、相手を不快にさせないギリギリのラインを攻めるタメ口。これは杉田の天性の愛嬌だが、ミドリカワ本社のようにとにかくカッチリとしたことを求められる老舗とは相性が悪い。だがキープはしたかったのだろう。幸いにも岩瀬は杉田の明るさに救われ、ゾンビたちも気軽に杉田を姉さん、姉さんと慕っている。
「誰が来ている?」
「奈良のあいつ」
「……あいつか」
岩瀬は顔をしかめ、応接室に向かった。意識してはいなかったが、ドアノブを握ると手の甲に大きく血管が浮かび上がった。興奮しているのだ。
「どうも、お待たせしました。岩瀬です」
「ええ、どうも。別に構いませんよ。待つと言っても私の時間は悠久」
豹のようにしなやかな筋肉を湛えた巨体、謹厳な劇作家といった風体、そして芝居のセリフのようなことを宣うのは、ミドリカワファーマの“奈良の庭”の主である恩田だった。
「あなたからすればウチのゾンビなんて虫ケラのようなものでしょう」
「私にもああいう時期はきっとあったのでしょう」
恩田。この男は“恩田”よりも、“アルファ”と呼ばれることの方が多い。むしろ恩田という名前よりもアルファの方が広く知られている。この男は少なくとも日本におけるゾンビの始祖だった。
岩瀬はそんな恩田のことが大嫌いだった。恩田はミドリカワファーマの生体兵器であるが、岩瀬は自分の教え子であるゾンビたちを暴力装置に育てる気はなく、自分の未来は自分で選ばせようと思っていた。甘すぎる理想主義であることは理解している。
「ところで、辞令です」
「何故あなたが?」
「……フッ。確かに私がミドリカワファーマの辞令を持ってくるのはおかしいですね。既に私はミドリカワファーマの人間ではありません。平たく言うなら私はクビです」
「クビ? あなたがミドリカワファーマの切り札ではないんですか?」
「勘の悪い方ですね。代わりの切り札が見つかってお払い箱という訳ですよ。次の切り札はミドリカワ・バイオ・プラント。つまりミドリカワ・バイオ・プラントは増資され、奈良へ移転します」
「では、私も奈良へ?」
「あなたは選べます。ゲームを使ってゾンビの初期設定をすれば、コミュニケーションが可能な域まで育成可能ということがわかった。あなたが続けたいなら奈良へ。もういいなら本社に戻れますよ。退職金をたんまりもらってリタイアもOK。緑川夫人はあなたを評価しています」
奈良の庭は恩田の縄張りだったと聞く。地下に広がる空間に一九七〇年代の街並みを再現し、そこでその時代の人間を任意で演じる人間を受け入れて一九七〇年代を疑似的に召喚する異空間。そこであの日出菊子が発見されたというが、詳細は岩瀬の知る由もない。だがミドリカワ・バイオ・プラントが奈良へ移転、そして恩田が解雇ということは、恩田の縄張りがそのまま自分たちに宛がわれるということなのだろう。つまり、ゾンビの兵器化のマニュアルも整ってしまったということだ。恩田という最強の個より、個としては恩田に劣っても群を作れるなら、街一つを与えねばならない恩田への厚遇はコスパが悪いという判断だ。
「そういえばあなたの最高傑作ゾンビの相生くん。どのくらい成長しましたか?」
「ワード、エクセル、パワーポイント、ビジネスメールは本社でも通用するくらいに鍛えました。ゲームの次はAI。カボエルというキャラクターに適宜聞きながら、杉田の手伝いをしています」
「……悔しいですね、岩瀬十三」
皮肉なのか本当の憐れみかはわからなかったが、おそらく憐れみだろう。今の恩田は、下手に岩瀬を刺激すれば倍返しでやり返されるとわかっている。そうだ。ミドリカワグループ内での地位は完全に逆転し、恩田はグループ内に居場所すらない。
「残念です。嫌味ではないですが、私が育てたゾンビはあなたみたいなゾンビにしたくなかった。しかし、いざゾンビ兵士としての量産ラインに乗るとなると、ワンアンドオンリー故に自由を許されていたあなたのようなゾンビが理想にも見えてくる」
「皮肉にも量産ラインを作ってしまったのはあなたですよ、岩瀬十三」
「恩田さんは今後どこへ?」
「お嫁さんでも探しますかね」
〇
「正気か?」
「正気です」
「殴れば正気に戻るか?」
「だから正気ですってば」
池袋。その西。甘いジャスミンティーとタバコの煙が黄金比で混ざり、快不快ではなく生活感という情報になる部屋。じゃらじゃらと鳴る麻雀牌。そこにシキミ、キクコ、明智の三人はいた。東南西北にシキミ、明智、岩瀬、そして池袋抗争にて支配権の奪取に成功したキョンシーコミュニティの若頭テレンス・ファーが座り、その背後にはガスマスクキョンシーのロー・フォン大親分、キクコはシキミの後ろから牌を除いていた。
「わたしは死んでみることにしました」
「俺がいけないのか? キョンシーの俺が一度死んでるから」
「違います。最も合理的な判断です」
「明智さんはもう聞いているんだよな? どういう理屈だ? 明智さんが説明してくれ。シキミさん本人は少しバグっているぞ。冷静に咀嚼し、受け入れたから明智さんはそうやっていられるんだよな?」
若頭は苛立って牌を打ち付け、タバコをふかした。
「ハッキリ言って私としてもシキミさんの案しかないように感じた。シキミさん。話してやってくれ」
「はい。いろいろあって呪われたわたしは、『27クラブ』の呪いで二十七歳で死ぬことになっています。それは知っていますよね。でもこの呪いのアプリを見てください」
・この呪いにかかると27歳で必ず死ぬ。
・死ぬのは27歳の初日かもしれないし、最終日かもしれない。
・「27の封印」をすべて解除することで呪いは解かれる。
・「27の封印」のクリア進捗はスマホアプリで確認出来る。
・「27の封印」は5×5の25マス、独立した1つのマス×2で構成される。
・クリアしたマスに隣接するマスはクリア条件が開示される。
・そのためどことも隣接していない独立マスのクリア条件は絶対にわからない。
・5つ以上の封印解除or4マス以上で構成される列のビンゴで任意のマスを「クリアした」ことに出来るブレイク権が獲得できる。
・ブレイク権の所有上限は5つ。
・ブレイク権はクリア条件のわからない独立マスにも使える。
・ブレイク権を使用すると27歳時の寿命が73日縮む。5回すべて使ってクリアできなかった場合、73×5=365となり、27歳になった瞬間に死ぬ。
・ブレイク権を使い果たそうと、「27の封印」をすべて解除したらこの呪いで死ぬことは絶対にない。
・呪いを解除した場合でも、他の理由で死ぬケースはある。呪いを解除しても銃で撃たれれば死ぬ。
・この呪いにかかると27歳で必ず死ぬ。
「二度書かれていることがありますよね? “この呪いにかかると27歳で必ず死ぬ”。そして今のわたしはまだ二十六歳です。つまり、死なないということです」
「……そうなのか?」
「そして明智さんによると、教義において自死は現在では罪が軽くなり、煉獄行きで済むとのことです。そしてわたしが、二十六歳だけど生命活動を維持出来ない状態に陥り魂が煉獄に行っても、二十六歳なら生き返ることが出来るんですよ。何故なら呪いは二十七歳でわたしを殺さないといけないから、二十六歳のうちは呪いのおかげで死なない。むしろ、二十六歳のうちに仮死状態となり、二十七歳の一年を死んだまま過ごせば二十八歳で復活し、呪いを回避出来る。そして煉獄にいる紬さんを救い出せるかもしれない」
「なるほど完璧だな。完璧に酒かドラッグでラリっている人間のセリフの典型例だ。その理屈がおかしい理由その一。“死”の概念が曖昧。例えば五体をバラバラに引き裂かれて頭を破壊すれば俺たちキョンシーもゾンビも死ぬ。だが繋いでも蘇ることはない。腕のいい道士がいれば俺たちキョンシーならワンチャンスあるが、人間でそんなことをやろうとしたらブラック・ジャックが必要だ。じゃあどう死ぬ? その二。シキミさんからそのクソ呪いのことは聞いている。人を嘲り、からかい、茶化す性格の悪い呪いだ。じゃあそもそもその呪いが全部ウソである可能性は? 二十七歳で死ぬ、と脅すこと自体がドッキリなんだ。その場合、仮に死ぬことに成功してもそのままストレートに死ぬ。二十六歳だろうと二十七歳だろうと死んだままだ」
シキミは顔を伏せ、左手の人差し指を伸ばして左右に振った後、捨てる牌を選んで摘まんだ。
「呪いが有効だったらもうこれしか間に合わないんですよ」
「……それでも俺と岩瀬さんにそれを話したのは、やはりチャンスがあると思ったからだろう? 死んでもゾンビ、或いはキョンシーとして生き返ることが可能なのではないかと。そのためのセーブデータか?」
「違いますよ。……違います」
他に仲間と言える人間がいないからだ。
「俺たちキョンシーの話をしてやろう。俺の今の名前はテレンスだが、俺は自分がいつからテレンスだったのか知らない。この肉体が生きている頃からテレンスだったのか、キョンシーとして蘇生された時にテレンスという人格が生まれたのか。だが……。わかったよ。実際詰んでいる。『27クラブ』の呪いが有効で、何もしなければ二十七歳で死ぬ。無理矢理な言い方をすれば負けて死ぬ訳だ。呪い無効で二十六歳のうちに死んでしまえば戦って死んだことになる。どちらにせよ死は残酷で、醜悪で、惨たらしく悍ましいものだが、死ぬことが決まっているなら納得する方を選ぶしかない。ならば今やってみるしかないのか……。呪いを出し抜く手段を見つけてハイになっているのもわかる。だが方法はあるのか?」
「怪殴丸を使おうと思います」
「……ヤバすぎないか?」
「怪殴丸は殺意不足の人間が使おうとすると、生命力か寿命を代わりに徴収していきます。今のわたしが使えば……。多分無傷で死にます。……他の手段はダメですよぉ! せっかく生き返るのにこの美貌が台無しになったら意味がない」
「それより、それカンだ。シキミさんが捨てても俺は拾うぞ」
「ありがたいことですよ」
「……決行はいつする?」
「今夜です」
〇
6 HOUR LATER……
……。
シキミは荒涼としたポストアポカリプスの世界にいた。世界の色は寒色ばかり、鮮血さえもドス黒い。
水たまりに映る自分を見ると、死に装束として選んだ仕事用のスーツと化粧のままだった。髪のセットが少し崩れているのは、死んだ瞬間に倒れたからだろう。
「懐かしいか? このファック野郎」
そして手には、今わの際に握っていた怪殴丸。何の反応も感じられない。この異様な色彩と空気の空間……おそらく煉獄には殺意が満ち、所有者から徴収せずとも空気中からの摂取で満足しているのだろう。
「まるで『北斗の拳』……。何があったんだ?」
煉獄はキリスト教の教義に描かれる世界。そのはずだ。だがここは摩天楼の痕跡が残り、それらはすべて崩れ、原形をとどめている建物はなかった。コンクリートの断面からは鉄筋が露出し、空には病んだ太陽のような光源が浮かんでいた。天候のように黒いノイズが無音で上空を流れていた。
「Girl, are you dead too?」
「Maybe」
「God bless you」
物陰で毛布にくるまっていた老婆に答え、シキミは怪殴丸を握ったまま歩いてみた。だが途方もない。地球は広さがわかっているが、煉獄の広さを図ったものなどいないのだ。紬を探す術など……。
「ダウジングか」
ダウジング。怪殴丸の持つ特異な能力。生命や霊魂など、特定の波長を探し当てる能力があるのだ。キクコはこの能力を楽々と使いこなしていたが、どうだろうか?
「紬さんを探せ」
やり方はわからないのでとりあえず言語として命令した。そのままその場で一回転すると、特定の方向に怪殴丸が反応を示した。とりあえずはその先へと歩く。
砂漠、崩れたビル街。そういった場所を歩き続けても、少しも疲れず空腹も覚えなかった。そしてキクコは煉獄では人を苛まければ自分が苛まれると言っていたが、先程の老婆は襲い掛かってこなかったし、彼女以外に人間も動物も見ていなかった。
やがてシキミは壊れた遊園地にやってきた。刀か何かで斬られたように斜めに残る観覧車、レールの途切れたジェットコースター、眼球をくりぬかれたピエロの看板。海賊船もポールが外れ、メリーゴーランドの白馬は首を折られている。
「紬さんがいるの?」
怪殴丸のサーチが強くなった。同時に不穏な人の気配も感じる。しっかりと怪殴丸をグリップし、息を殺して物陰に隠れながら呪いの銃の示す先へと向かった。
……。
ヒーローショー等のイベントを行うであろうアンフィシアター状のステージの上に、一つの小さな人影があった。
身長一四〇センチと少し、触るだけで折れそうな華奢な華奢な体。それでも溢れ出るオーラ……。シキミはぐっと下唇を噛み、耐えた。あの後ろ姿は間違いなく紬だ。
「そこのやつ、出てこい」
かつては鈴を転がすように軽やかで優しかった声は、同じ声帯からは想像も出来ない程ドスを聞かせた暴力的な音声を発した。
「紬さん。わたしです。シキミです」
「ああ、お前か」
「助けに来ました。紬さん。会いたかったです」
涙を堪え、階段を駆け下りようとした時だった。紬が振り向いた。
信じがたいことだが、あの品のいい紬はヤギの頭骨を仮面のように被っていた。そしてそれを脱ぎ捨てると、耳まで裂けるような口紅と歌舞伎役者じみた隈取で恐ろしい姿になったカマエルの化身はぎゅわっと目を見開き、怒鳴った!
「アタイを紬と呼ぶなダボがァ!」
「……え?」
「アタイはもう鎌倉紬ではない……。罪を重ねて罪を清算する罪に囚われしもの……。煉獄の主ツムギルティだ!」




