ジッパー #2
もう見慣れた目白通り、そして大泉ジャンクション。そして関越道を北へ北へと走り、シキミはあまりの走り心地の良さを逆に具合悪く思った。この車は自分用に調整し過ぎ、キクコや明智では動かすのに苦労することだろう。そんなことを考えるのは自分の死が迫っているか、自己犠牲や他者の尊重のもとにエゴを捨てたものだ。シキミは自分が前者であると自覚し、プライドすら持っている。自分は完璧。見た目も頭脳も運動神経もパーフェクト。死ねば世界の損失。……損失なのだ。そうやって奮い立たせた。
サービスエリアでは名産品の錦鯉を眺め、白く曇るようになった寒い空気。空はどんよりとし、日本海側のこの時期特有の空模様だ。
「ささだもんもカボエルも、開発当時のビジュアルは今のものと全然違うんですね」
ホットココアを飲みながらキクコがスマホを見せた。そこに表示されているカボエルは高い頭身、密に描き込まれた装飾品や瞳、そして細い線画で複雑な水彩画での塗りだった。現在のカボエルは三頭身、簡易化されたディティール、太い線に簡単に塗られ、大きくデフォルメされていた。シキミの知るカボエルはデフォルメだが、デフォルメに親しみ過ぎてオリジナルが偽物に見えてしまう。そしてそれはささだもんをはじめとするジッパーの商品のキャラクター全般に言えることだった。
「圧倒的に二次創作の方が親しみやすいからな。二次創作が主流となり、キャラクターの権利がファンに発生してオリジナルがそれを放棄することで存在の所在がファンのものになる。むしろこれはジッパー側が仕掛けたことだろう。自分のものに改造してくれという、商品の陳腐化だ。商品の陳腐化は珍しいことではない。企業戦略だ」
「完璧じゃないことが強みですか」
「だが君は完璧でいたいのだろう? そういう人間は少ない。自分を完璧と豪語出来る人間は希少だ」
「嫌味ですか?」
「私が嫌味を言う程ユーモアがあると思うか? 褒めているんだよ」
「明智さんが言ってなかったら絶対嫌味ですね」
はぁ、と紫煙、白煙、ため息をついたシキミは石のようなしかめっ面の明智を眺めた。
「明智さん。明智さんがどこまで名乗ったかわかりませんが、明智日日日と伝えただけでジッパーの社長は多忙なのに優先して即日のアポを受けたんですよね?」
「そうだ」
「それってつまり、ジッパーの社長は明智さんがミカエルの化身だと知っているということでは? 怪異側の人間ですか、どこまでも理詰めで、理詰めの極みである理系の人間が」
〇
新潟県ロシア村跡地。ここに本社を構える株式会社ジッパーのCEO、大江秋水。本格的な冬が到来し始めた新潟においても七分丈の無地のTシャツ、アップバングの七三分け、オシャレなヒゲ。いかにもいけ好かない成金IT社長といった風体の男は、六本木に繰り出すこともなくこの人よりクマの多いような山の中で暮らしていた。
だがオンラインさえあれば世界中の誰とでも話せるし、ネットショッピングも過疎地故に多少の遅れはあるが不満はない。
「聞こえていますか?」
「ええ、聞こえています。お疲れ様です、社長」
オンライン会議の相手は、宝石店を擬人化したように無駄にゴージャスなジュエリーのアクセサリーを纏った高貴な貴婦人だった。顔立ちや肌つやからは想像も出来ないが、彼女の表情は明らかに老獪。美しい女性だったが、宝石による自己主張や美への執着、底知れぬ危険な艶を漂わせていた。
彼女こそ、日本最大の製薬企業ミドリカワファーマの社長である緑川明生。数百年に及ぶ同族経営の現在の頂点だった。
「ミカエルの化身が来ることになりました」
ジッパーとミドリカワファーマでは企業規模が蟻と巨人程の差だが、明生は滑稽に猫を撫で、大江は肘をついて頬杖にしていた。二人の間には信頼関係もあるが、虚勢の張り合いも確かに存在した。互いに利用しあわなければならないのだ。
「明智日日日ね。あの男はもう無力。ミカエルの化身は口の固さと孤独への耐性が異常だからこそ価値と怖さがあったわ。だから何をするかわからない。でも今の明智はナツメ商会の娘にべらべら喋り、彼女が死ぬことを恐れている。ただの不老よ」
「ただの不老ですか」
「ええ、ただの不老。そんなの珍しくないでしょ?」
「そうっすね。じゃあ特別な対応はしません。夏目樒と日出菊子、二人のセーブデータを作りたいそうなので、作らせますがセーブデータの改竄もしませんし、ただ優先して依頼を受けるだけにしておきます」
「ええ。明智も放っておきなさい。ミカエルの化身ではなく、人間として扱えばいいわ。今のあいつらにコトを構える気力なんてないんだから」
「了解っす」
パソコンへの通知。受付から来客のチャットが飛んできた。大江はラフに緑川に挨拶してノートPCを畳み、キックボードで社内を移動して受付に向かった。
いるのは神経質を暗喩する細いフレームのメガネとスーツのプライドの高そうな女、ふりふりのお嬢様風の女子、葬式よりつまらなさそうなトレンチコートのおっさんというけったいな三人組だ。
「こんちは。CEOの大江秋水です。まぁ来訪内容は聞いてますんでね、早速やっちゃいます? セーブデータ作成」
傲慢にして無礼な男だ。自分の有能さを疑わず、そして礼儀というものを不純物として扱っている。それを欠くから無礼、厚くするから人格者なのではなく、大江にとっては不要なものでしかないのだ。むしろ厚くする時程、相手を礼儀の概念に縛られた過去の遺物、堅物と断じている時だろう。確かに大仰な挨拶はタイパが悪い。
というように、シキミは大江の尊大な態度の理由を理解出来ていた。似た者同士だ。
大江は受付にキックボードを預け、受付嬢の裏の扉を開けて手招きした。
「明智と申します。まずは優先して受けていただいたことを感謝します。こちらの夏目樒さん、日出菊子さんのセーブデータを作っていただきたい」
「了解です。特別なことは特にありませんよ。このまま説明しても?」
「はい」
ぶぅんと冷却ファンの回る音、カタカタとキーボードを打つ音だけが鳴る無機質な空間かと思いきや、しゃかしゃかとヘッドホンから音漏れさせて作業をする社員もいた。一般の客は通さない空間でありながら特別に何かを隠すこともなかった。
「基本的にはAIによる質問に答えてもらうだけです。エピソードを尋ねる質問では記憶のバックアップを、心理学に基づいた質問では人格のバックアップを取ります。どういった質問でウソをつくかの傾向もわかりますね。だからウソをついてくれてもOK。エピソードのバックアップではそれが反映されるだけなので、記憶を捻じ曲げたければお好きにどうぞ。時間は結構かかります。三時間はいただきましょう。その間、ソフトドリンクは飲み放題。ああ、それと。我が社はあくまでも新潟県のPR企業。お菓子や名産品もたっぷりありますよ。そして回答内容を会社の人間が見ることは基本的にないです」
「基本的には?」
「例えばお二人がどこかで犯罪に手を染めたら資料として捜査機関に提出する。それが唯一の例外ですかね。その程度です。プライバシーの保護の観点から内容は見ず、すべてAIが処理してセーブデータを作ります」
不気味、気に食わない。そういった印象をシキミは抱いた。それが同族嫌悪であることもわかっているが、同族だからこそ自分の方が優れていると証明しなければならない。だが今はそんな余裕はない。
「そういえばお名前を窺っていませんでしたね」
「先程名乗りましたが」
「明智さんが二人同時にご紹介なさったのでね」
「わたしが夏目樒。あっちのふりふりが日出菊子」
苛立ちながらシキミは答えた。向こうも同族嫌悪でシキミを挑発している。それこそ無意味でタイパもコスパも悪いことだが、今ここで生じるロスなどカウントにも入らない弱敵ということなのだろう。
「夏目さんはおタバコは?」
「普段は吸います」
「じゃあ喫煙のお部屋にどうぞ」
今生の別れのようにギリギリまでキクコはシキミを見つめ、そして二人は個室に入った。壁も家具も無地で真っ白、殺風景。まるで新型兵器の実験場に設けられた一般家庭のサンプルじみていた。パソコン、テレビ、ステレオが設置され、回答はテレビ鑑賞や音楽鑑賞をしながらでもよいようだった。回答方法もAIとの会話……ささだもんやカボエルとの会話形式、それでもプライバシーが気になる人間はキーボードを介したチャットを選択可能だった。
「こんにちは。お名前を聞かせてください」
「夏目樒」
「今おいくつですか?」
「二十六」
「お仕事は?」
「家電修理と怪奇退治」
「そうなんだ。好きな食べ物は?」
ぶっきらぼうな回答に対応してか、チャットの口調が変わった。普段はカボエルとこういった会話をしているのに、今話しているカボエルは嫌に不気味に感じた。そしてソフトドリンクを飲み、煎餅をかじりながらシキミはAIとの会話を続けていった。
「これを聞くのは本当は気が引けるんだけど……。一番辛かった思い出って何? 答えたくなかったら答えなくていいよ」
「……」
やはりそれを聞くのか。当たり前ではある。最大の不幸でさえも持ち越さねば、セーブデータとは言えないのだ。
「大学を……除籍になったこと。わたしはコロンビア大学に行った。嬉しかったよ。日本にいた同級生の誰よりも優秀だった。で、何故かわたしは突然不正をしたから除籍って言われたんだ。心当たりは一切ない。どこでどんな不正をしたのか教えてほしいと言っても教えてもらえず、問答無用で追放。そして今はこうやって家電修理と怪奇退治」
「そうなんだ。聞いてて辛すぎて、息が詰まったよ」
詰まらないだろ、AIなんだから……。だが、そうやってAIに反発する気持ちと同時に絆されていくのを感じた。ここで答えなければ自分のセーブデータを作れない。
そしてそれが自分を複製し、ハードさえあれば事実上の不老不死であることにさえ気付いていなかった。
「キクコさんはどうしてるのかな?」
記憶がこの半年程しかないキクコ。彼女のバックアップはどう作る? 祖母としてのキクコの記憶はシキミの方が持っているくらいだ。
そして、煉獄の記憶。本人がいない今だから縋りたい気持ちもあった。キクコが煉獄と現世を行き来する方法を知っており、思い出せば紬を助け出すことも可能かもしれないのだ。そしてふと気が付いた。今のシキミにとって一番辛い記憶は、もう大学除籍ではなく紬の死だったのだと。




