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Daughters of Guns  作者: 三篠森・N
SEASON2 EP3 ヨコハマ・ミステリー・ステーション
35/36

ヨコハマ・ミステリー・ステーション #4

「いよいよわたしは本当にウルトラセブンですよ。ポインター号に乗って、メガネをかけてて、そして最強でカプセル怪獣まで」


 死を覚悟しただけに、唐突に命拾いした彼女の精神は極めて弛緩し、そしていつも通りタフぶったジョークを吐いた。


「カプセル怪獣。セブンがピンチの時には助けてくれる怪獣か」


「ええ、そして普段は持ち運びしやすいカプセルの中に入っている。波山も一時的に卵に戻っています。クールタイムが必要なのかな?」


 シキミは波山の雛を再び覆った鶏卵を摘まみ、眺めてみた。不思議な熱こそあるものの、震え……鼓動のような類のものも感じない。卵殻の中に戻ったというよりも、生まれる前に再び逆行したような状態だった。


「とはいえ、ここから出る方法は見つかっていない」


 明智は努めて水を差すような口調で言った。今、シキミは妖怪の雛を従えた高揚と、高所から落ちても死ななくなったことに興奮しているだろう。だが溺れれば死ぬし暑くても寒くても死に、異空間への隔離が長引けば餓死もする。今のシキミは自分が死なないと思っているが、十分に死ぬのだ。


「そして、残念極まりないがキクコさんのスマホの電池が切れた」


 キクコははじめての横浜……少なくとも若返ってからはじめての横浜に興奮し、あちこちでカメラを向けていた。そもそもキクコは明智に負けず劣らずスマホへの依存度が高い。今、キクコは情報というライフラインを断たれ精神的餓死に近づいているだろう。今年の春に記憶が再開した彼女はある意味でデジタルネイティブであり、水や食料と同じくらいにスマホの価値は重い。使用時間では明智に劣れど生活への癒着は明智以上だ。


「こちら側で合流することは難しいでしょうね」


「何か……。考えねばならない。ミームを殺すしかないのだ」


「殺す……」


 ミームはいつ死ぬ? というよりも死んだミームとはなんだ?


「前提として、この世に殺せぬものはいない。この世に永遠はなく、終わりがある以上必ずすべてが死ぬ。すべての終末に訪れる死を、人為的に早めることを殺す、というのだ」


「明智さんも死ぬんですか?」


「もちろんだ。私もいつかは死ぬ。ミカエルの化身と言えど例外はない。それに私はさして信心深くもない。私もいつか死ぬし、ミカエルもいつか死ぬ。私は簡単に殺せるが、ミカエルを殺す方法はまだ誰にもわからない。この差だ」


「ずいぶんとあっさりしていますね。そんなのでミカエルの化身が務まるんですか?」


「……」


「なんですか、その間」


「君は、亡くなった鎌倉氏をどう思う?」


「大切な人ですし、尊敬していますよ。それに甘い、都合がいいと言われても、わたしは紬さんを煉獄から蘇らせる方法はあると思っています」


「よし。ではショッキングなことを話すしかないな」


 電話の向こうから明智のため息が聞こえた。湿らせなおした唇、汗の湿度まで感じ取れそうだ。激高か仏頂面しかなかった男が今、何かを告白するために過度な緊張のさなかにいるのだ。


「世界で一番売れた本は何だと思う? その本からミカエルは生まれ、そのミカエルから私は力を与えられた」


「聖書でしょう? 聖書に書かれたミカエルは地上で何か仕事をしていたけれど、世界中の各地で化身と呼ばれる人間を選定し、地上での職務を全権委任した。そして日本におけるミカエルの化身は明智さん。同じ構造で、カマエルの化身が紬さん。これであっているでしょう?」


「違う」


「ハァ?」


「天使と化身の仕組みは正解だ。だが、世界で一番売れた本は聖書ではない。ノートブックだ」


「ノートからミカエルやカマエルが生まれたと?」


「“私のミカエル”はそうだ」


「私の、って?」


「私のミカエルは、最初に聖書に書かれたミカエルへの信仰が口伝、記述によって人々の目や耳に入り、脳と意識を経由し、誇張や曲解を加えられてまた口伝と記述によって拡散したミカエルだ」


「インプット、加工、アウトプットで別のものになる。フックマンと同じ現象ですね……。フックマンと同じ!? 天使も……?」


「そういうことだな。様々な人間がミカエルを天使長、最強の天使、最も尊い天使などと情報を追加……ノートブックで聖書の二次創作を作ったことで、私のミカエルは力を増した。このように情報が変質と拡散することで力を持ち、受肉する状態を私は情報降霊理論と呼んでいる。本当に神に仕えるミカエルがいるかどうかはわからない。だが、私が仕えるミカエルはこの情報降霊理論によって生まれた人工の天使だ」


「じゃあ、紬さんのカマエルもそういうことですか? ……つまり、紬さんは本当は特別な人間ではない」


「希望を捨てるにはまだ早い。情報降霊理論はバカにならぬ。考えてもみろ。実際鎌倉氏は四〇〇年生きた。怪殴丸に殺されなければまだ生きただろう。だが、賢い君ならわかるはずだ。約四〇〇年前の世界に、何が起きたのかを」


「日本へのキリスト教の伝来。わたしは、紬さんのことをキリスト教伝来以来最初に日本でカマエルの化身に任命され、それ以降続けて来ていたのだと思っていた」


 動揺。紬は俗っぽさもあったが、神秘的で聖人じみていた。それにはやはり十四歳の見た目で挙動、行動、言動が大人であったこと、そして前提としてカマエルの職務を全権委任された化身であったことが大きかった。だが、そのカマエルも人工物。超自然の存在ではなく、人が想像力で作り出してしまったものだったのだ。そうわかってしまうと、彼女が蘇るという甘い希望がめきめきと音を立てて一気に潰えていった。実際に彼女は四〇〇年も生き、その写真といった証拠もそろっている。だが、紬の人格の神聖さは保たれたまま、カマエルの存在が急激に陳腐に思えてしまったのだ。


「……活版印刷。四〇〇年前のヨーロッパでは、それがありましたね。活版印刷によって聖書が一般家庭にも普及し、明智さんたちの流派は急激に拡散した」


「そういうことだ。だが、鎌倉氏は自分の仕えるカマエルが情報降霊理論によって生み出されたということを知らぬ。自分の仕える天使が情報降霊理論で生まれた人工物であると知らされるのは、我々の流派ではミカエルの化身のみだ。皮肉だろう? どの天使よりも尊い天使長ミカエルの化身は、唯一自分が超自然の代行者ではないと知っているのだ。ふっ……知らぬが仏だな」


「この場面でそのジョーク、本当に信心はないんですね」


「だからミカエルの化身は入れ替わりが激しいのだ。ミカエルの化身になれたことを喜ぶような敬虔なものから現実の前に精神を病む。だが私はそうではない。ただし、情報降霊理論によるミカエルは確かに存在する。カマエルもだ。そして、我々のミカエルやカマエルはフックマンや#ヨコハマ・ミステリー・ステーションのようなミームと構造は同質のものだ。だがミカエルやカマエルは殺すことが極めて困難な状態……つまり神話だ。情報量が多すぎ、豊臣秀吉でもミカエルやカマエルを殺すことは出来なかった。出生こそ陳腐かもしれないが、それなりの力は期待してほしい。だが、それが化身の正体だ。自分が神や天使の生まれ変わりや本人、指名を洗えられた代理人を思い込むものが最初に化身となった。ジャンヌ・ダルクがいい例だ」


「でも、今はそんなに敬虔な信者はどこの宗教にもいないし、敬虔だからこそ神に近づくことを恐れるのでは?」


「君は自認ミームを知っているか?」


「LGBTの方々の性的自認はミームじゃないですし……。わからないですね」


「世間的に人気の作品……主にアニメのキャラクターと自分が似ている、或いは同じだとSNSで発信する文化だ。そうだな……オタク界隈で今少しは流行っている作品がある。よくあるバトルものだが、そこにロゼというキャラクターが存在する」


「はい」


「SNS上では自分はロゼと同じだ、ロゼの傷は自分の傷、自分の傷はロゼの傷と自分と重ねるものが散見される。ロゼというキャラは、悪の出生を持っているが今はそれを忘れている。そして母親は過去に主人公と敵対していた悪魔のような人物で、ロゼは母と確執がある。ロゼは美人で、普段はおっとりとした天才肌だが実はうちに熱いものを秘め、大きな隠し事を持ち、本気を出すと作中最強キャラだ。多くのものが自分とロゼを重ねる。悪の出生は逆境、母親との確執は家庭環境、美人は言わずもがな、おっとりした天才肌が実は熱血はギャップにも思えるが、往々にして人はそういう天才と思われたい。本気を出すと強いというのも、自分は本気を出していないだけ。つまり、自分の人生や人格を既に用意されている姿、物語、プロフィールで発信し、自分を認知してもらいたいという文化だ。これが情報降霊理論による中期段階、受肉だ。受肉者は自認者、使徒自認者と呼ばれ、この時点ではじめて情報降霊理論は物理的干渉力を持つ」


「神の啓示を受けたものと、好きなキャラと自分の類似を見出す文化が同じってことですか。現代における聖書がアニメに置き換わってるんですね」


「だが、そういうものだ。人は誰かに認知され、承認されることを目的に生きていると言っても過言ではない。私にはそういった人間たちを責めることも軽んじることも出来ぬ。私だってミカエルの化身というアイデンティティがなければただのつまらぬ男だ。そして、化身とは最初の受肉者が名乗り、そのポジションが継承されたものだ。神仏の類は四〇〇年前に化身に託して消えたのではない。活版印刷の普及により神仏のロジックにほころびが目立つようになったため、化身に託して消えたということになっているだけだ」


「これって相当やばい企業秘密じゃないですか? ……わたしが紬さんに密告したら?」


「この期に及んでまだ鎌倉氏が蘇ると前提するそのジョーク、実にタフだ。だからこそ君だ。だからこそ話した。君ならこれを話せばミームを殺す方法を考えつくはずだと信じている。さぁ、考えてくれ。#ヨコハマ・ミステリー・ステーションは、生死の概念がない建物が受肉している。だから情報を殺すしかない」


 ……。胸を探っても、煙草の数はもう残り少ない。キクコがスマホの電池切れで精神的餓死ならシキミはニコチンでそうなる。目の前のスチームパンクな配管を眺め、そしてスマホで#ヨコハマ・ミステリー・ステーションを再度検索した。


「……もし、わたしが波山に助けられずに死んでいたらどうなっていたと思います?」


「君が拡散する#ヨコハマ・ミステリー・ステーションはそこでお終いだな」


「それって#ヨコハマ・ミステリー・ステーションにとって不都合ですよね。だって、#ヨコハマ・ミステリー・ステーションは横浜駅での怪奇現象の証言を求め、その真偽に関わらずセンセーショナルなものを好む。そのセンセーショナルが#ヨコハマ・ミステリー・ステーションという情報降霊を強化するもので、実際にここで体が縮んだり、異人さんの姿に見えるガラスがあったり、一人だけ通過する天井、ドアを開けたら落下なんて実にセンセーショナルだ。#ヨコハマ・ミステリー・ステーションからしたら格好のエサな訳ですけど、ここでわたしが死んだらその情報は拡散されない」


「溜めた貯金を使う前に死ぬようなものだな」


「つまり、#ヨコハマ・ミステリー・ステーションにわたしを殺す気はない。出来るだけ“面白い体験”をさせ、そして発信させるために」


「ふむ……。悪くはない仮説だ。だが、ついさっきまでの状況はどう説明する? 君の波山が孵化しなければ、君は死んでいた」


「これは完全に偶然でしょうね。もし、#ヨコハマ・ミステリー・ステーションに命を与えるような効果があるのなら、わざわざ波山を孵化させずに一旦死んだわたしを蘇らせればよかった。その方が噂はセンセーショナルですよ。横浜駅のなぞのばしょでは、死んでも生き返るなんて最高にセンセーショナルです。何か仕掛けがあるのかもしれない」


 シキミは足下の床を蹴ってみた。床の造りはフローリング、靴越しに蹴った感触では詳細はわからない。頭上を眺め、自分が落ちたドアを目測で測ったところ、ぴったり二十三メートルあった。不意に落ちれば死ぬ高さだ。だが、この場では#ヨコハマ・ミステリー・ステーションはシキミを殺さないなんらかの策を講じていたに違いないのだ。


「よし、じゃあもう一度落ちてみるか」


「なんだと?」


「もう一回落ちてみます」


「今の君は波山を手に入れたことで死生観にややノイズが走っているようだな。命をかけて検証する程の価値はない」


「大丈夫です。わたしはアメリカの大学に通っていた頃、高所から落ちても大丈夫な方法を習得しています。覚悟して落ちれば二十三メートルは大丈夫です」


「コロンビア大学の何学部だ? 何学部でその技術を学んだんだ、言ってみろ」


「入試をクリアしたら教えてもらえますよ。よし」


 突如の命拾い、突然知った世界の真理によりやはりシキミは平常心を失っていた。酔漢じみたおかしなめつきで鶏卵を握り、紬の遺品の『ウルトラセブン』のブルーレイで観た主人公の仕草を真似て投げてみたのだ。


「波山、頼んだぞ」


「Cheeep!」


 明智ならばにわかには信じられなかっただろうが、シキミの声に応えて波山は再び孵化した。未成熟な翼をはばたかせて着地し、シキミが腕を床に這わすとそれを駆け昇り、肩の上で待機した。明智でなくても普通は信じられない。シキミの家業であるナツメ商会に残されたアーカイブにも波山の情報はなく、今の光景を見れば歴代ナツメ商会職員全員が腰を抜かすだろう。だが、今のシキミはやはりどこかおかしかった。


「あそこまでわたしを運べる?」


 あそこと指さしたのは上方二十三メートルのドアだった。もう一度落ちてみるという実験でもあるし、波山の力を借り、もし彼……或いは彼女には、高所からの落下スピードを緩める以外に高所への移動が可能かの実験でもあった。


「Cheeep……」


 波山は力いっぱいシキミの肩に爪を食いこませ、背広の繊維に皺が寄った。そして全力で羽ばたいたものの、すぐ横のシキミの耳は音だけで風を感じず、体が上昇する感覚もなかった。超常の存在……情報降霊とは別種の怪異ではあるが、先程は所謂火事場力で常時発揮出来るものではないのだろう。もしくはクールタイム不足の可能性もある。いずれにしても、次の非常時に備えるしかない。


「戻れ」


「Che……」


 波山が翼を畳んで前傾姿勢に体を丸めると、再び鶏の妖怪は卵へと逆行して動きを止めた。肩から転落しそうになったカプセル怪獣を再び懐にしまい、シキミは壁を眺めた。

 自分は何メートルの高さから落ちれば死ぬ? この空間では死なないという前提がやはり間違っているのか?

 例えば、この空間で衣食住を確立させ、暮らすことが出来るようになったとする。そうすれば数か月後にはシキミは二十七歳となり、それから一年以内に死ぬ。死ぬ呪いである27クラブと、死なせない呪いである#ヨコハマ・ミステリー・ステーションが拮抗した場合、どちらが優先される?


「シキミさん、少し落ち着いたか?」


「ええ。でも、この空間で死んだ人間がいないっていうのはやっぱり不思議に感じます。わたしは波山がいたから助かったけど、わたし以外……例えばキクコさんなら今ので死んでいたんですよ? 怪談的には死んだ、っていうのは一番センセーショナルな気が」


 明智の脳内にバチバチと電撃が走り目を見開いた。殺すことを夢見ていたのに叶わぬ敵が目の前に現れ、そして自分の手にナイフがあることに気付いたのだ。

 わかった。このミームは殺せる。

 受話器を耳から離し、SNSを開こうとした時、ミカエルの化身はさらにもう一つ、ミームの殺害方法に至った。スマホに装着していた明智の推しキャラであるささだもん……。その公式海賊版ストラップだ。




 〇




「キクコさん、キクコさん」


「ッァッ!!!!!!」


 キクコは肩をさすって起こしてくれた孫娘に対し、悪鬼羅刹やケダモノのような表情を向け、細身の体からは想像も出来ない馬鹿力で彼女を押し倒し、眉間に拳銃……怪殴丸を向けた。ぼたりぼたりと、孫娘のメガネに血が落ちて、醜悪な怪物になった自分の姿が隠れていった。


「わたしです。シキミです」


「……」


「キクコさん! しっかりして!」


「……おかしくなっていた。今、わたしはおかしかったですよね?」


 キクコがぺたりと座り込んだ床は、がやがやとした夜の横浜駅だった。週末深夜の関東屈指のターミナルは、銃を振り回す女の子をよくあるものと判断し、無関心に通り過ぎた。その本人と、その孫娘と、明日という日を共に迎えられそうな友人がどれだけ傷ついたかにも関心がない。SNSにアップすることもないだろう。


「気にしないでください」


 シキミはぐいっと血を拭い、立ち上がってキクコに手を差し伸べた。そして明智が愛用のトレンチコートを脱ぎ、キクコに優しく羽織らせた。彼の頼もしさを暗喩するようにぶかぶかの大きさだった。


「すまない、キクコさん。君の服が……大事な服が汚れてしまったから、私のコートを着ると良い」


「汚れていた?」


「何も覚えていないのか?」


 キクコに去来したのはまずはぞっとした感覚だった。何か恐ろしいことが起きた。その詳細を思い出す前に言語化出来ない悪寒と不快感が走り、彼女は口に手を当てた。……べっとりと、血が指先に纏わりついた。顔を触れば口の周り、鼻、そして目の周りにも同じ生臭さの液体の感覚があった。


「これは……わたしの血なんですか?」


「そうです。キクコさん。落ち着いて。まず、今すぐ怪殴丸を手放してください。……手放して」


 ……。シキミが何を言っているのかわからなかったが、利き手には当たり前のように怪殴丸が握られていた。肌はそれを握っているとも離しているとも伝えない。確実に皮膚と金属という物質の隔たりがあるのに、温度も硬さも感じないのだ。キクコは極めて簡単なコマンドを下した。指を開く。そして当たり前に、怪殴丸は地面に落ちた。それでも離れたという感覚を実感することがなかった。


「しばらくは私が預かる。今は危険すぎる」


 明智は万年筆を器用にトリガーに引っ掛けて怪殴丸を持ち上げ、悪魔じみた目で万感の憎悪を込めて呪いの銃を凝視した。今のシキミには、明智の目つきが明智の意志なのか怪殴丸に呪われたのかもわからない。

 だがハッキリと言える。この銃の封印を解いたことは間違いだった。


「どうやら、キクコさんが怪殴丸へ代償を支払ったようです。パッと見た限りでは血涙、鼻血、口からの出血もありましたが血の色からして消化器ではなく口腔内のものです。おそらく歯茎でしょうね。歯が抜けたかは今は調べられません」


「歯が抜ける……? わたし、今までなんの代償も払わず怪殴丸を使えてきたんですよ?」


「ええ、でもわたしが怪殴丸を使った時は歯が抜けましたし、紬さんは一回使っただけで死にました」


 明智が幾重にも重ねた布で呪いの銃を覆い、隔離するのをキクコは先程までとはまた違うおかしなめつきで見ていた。彼女の怪殴丸への重度の依存は実際重大問題だった。怪殴丸を無制限使用出来るのだから、最終的には何でも殺せる怪殴丸で殺せばいい。何故キクコが怪殴丸を使えるのか、そもそも怪殴丸そのものの仕組みもわからず。


「思い出しました」


「何を? ……いえ、今はいいんです。帰りましょう」


「何も殺せなかったんです。さっきまでの場所では、何を殺せばいいのかわからなかった。スマホの電池が切れて、怖くて、でも何も殺せない。殺意と憎しみが」


 ばちん。キクコの中で一つ、重大な記憶が蘇った。

 今、自分を包む空気も原子も、生者の温もりもない世界のことを。


「……わたしは煉獄にいた。それを思い出しました」




 〇




 1 HOUR LATER……


「キクコさんは?」


「眠ってしまったようだ」


 帰り道、渋滞に掴まってしまったポインター号の中でキクコは眠りに落ちた。今日はあまりにも多くのことを体験し過ぎてしまったのだ。彼女は四六時中ぼんやりとしており、だからこそ恐怖を無意識にカットして認識していた。だが今日は常に共に在ったシキミ、明智と離れてしまったこと、スマホの電池切れによって恐怖のどん底に陥り、怪殴丸のみを頼って彼に呪われた。実際、怪殴丸に関係なくシキミと明智、そしてスマホ抜きでこれ程壊れてしまうのは人間的に相当の欠陥ではあったが、一切の記憶がないまま二十歳に若返った祖母にどう接してきたら正解だったのかなど誰にもわからない。


「煉獄って言ってましたね」


「そうだな」


 いつもの夜道なら瞬く間に通り過ぎる街燈。それが落とす影の角度は、今日はなかなか動かない。今までは全部順調だったように思えた三人は、今日で一気に停滞してしまった。結局、三人とも怪殴丸に支配されていたのだ。


「紬さんも煉獄に行ったんですよね?」


「そうだ」


「そうですか。……慎重に言葉を選べよ、明智ィ……。知っていたんですか? キクコさんが煉獄に落ちていたことを」


「ハッキリ言おう。知っていた」


「わかった。幸いにも車が動かないので、今すぐ降りろ。ぶん殴ってやる」


「よく聞け。私が君たちとはじめて接触を図った時は知らなかった。あの時は確かに、怪殴丸の無制限射撃や若返りという不可解な現象に関心はあったが、純粋に鎌倉氏の遺した仕事と友人が最優先だった。キクコさんが煉獄にいたことを知ったのはつい最近だ」


「誰から聞いた?」


「悪いが今は話すことは出来ない。申し訳ないついでだが、今後も私と行動を共にしてくれると有難い。そうすれば、どうやってキクコさんの過去を知れたのかも話すつもりだ」


「……思っていたよりドライな人ですね。わたしはあなたを相棒……三人目のバディだと思っていました。情報と協力のギブアンドテイクだなんて」


「わからぬか。……わからぬか? 私が君たちと接するのはもう損得勘定ではないとわかってくれぬか? 私の目的は既に君たちと同じだ。鎌倉氏をどうにかして現世に呼び戻し、キクコさんの記憶や年齢についても最も良い答えを見つける。それは同じだとどうかわかってほしい」


「何故話せないんです?」


「段階が必要だ」


「……信じるしかないんですよ」


「消去法でも妥協でも信じてもらえるなら十分だ」


「じゃあ、これは答えられますか? もし、今日と同じ方法を使ったら煉獄を壊せますか? 煉獄も情報降霊によって出来た場所だと仮定した場合です」


「我々では出来ぬ。理論上は可能だが、パワーが足りぬ」


 シキミと明智は今日、ミームを殺した。


「煉獄は既に怪談や都市伝説の域ではない。完全に神話となっている。私や君がウイルスを撃ち込んだところでまったく無意味だ」


 情報はミームとなり、伝承となり、神話となる。

 そして所謂“怖い話”も時代によって変化してきた。古い世代の怪談……例えば“耳なし芳一”は耳を取られるなど、負傷を伴うものや死んだものも語り継がれる。だが近代的な都市伝説では行方不明などとぼかされることが多く、死傷者の存在は曖昧になり、検証された際に言い逃れが可能な作り話と化している。ましてや、#ヨコハマ・ミステリー・ステーションのように面白半分の投稿が大半の大喜利じみたネットミームでは、耳目を集めるために明らかに虚言である架空の死者をでっちあげた時点で“不謹慎”、あるいは“嘘つき”、または“しらけ”という濁りが生じる。つまり空気を読まない、というウイルスだが、これはかなり弱い。


「既に煉獄は起源解明状態だ」


 そして、二つ目の殺害方法が起源主張である。

 誰が言い始めたかわからないネットミームだったからこそ#ヨコハマ・ミステリー・ステーションには公共性があった。誰のものでもなく、参加している全員のものでもあったが、特定の誰かが自分が起源であると主張し始めた瞬間にミームは集団で演じるものではなく、起源主張の一個人の模倣になる。匿名性の高いネットミームにおいてこの起源主張ウイルスは効果テキメンだった。

 起源主張者の主張の真偽はどうでもいい。どうせ#ヨコハマ・ミステリー・ステーションに参加している人間も真偽などどうでもいい与太話をしているのだから、真実などどうでもよいのだ。肝心なのは、全員の立場や序列がほぼ並列化……差があるとすれば投稿内容の面白さだが、そこに起源主張者という権利の持ち主が現れるだけでミームは死ぬということだ。

 そして今日、明智は自らが起源主張し、見つかる限りの投稿に起源主張のコメントを入れた。

 それを教えてくれたのは、明智の推しキャラささだもんだった。ささだもんはボイスロイドとして動画投稿サイトで解説者、ゲーム実況者、歌手、雑学の語り手や特定国家や政党への攻撃役として電子受肉するが、新潟のPRのために最初に笹団子の精霊ささだもんをクリエイトした会社は一般的に無法と呼ばれる無秩序なささだもん使用に嫌気がさしたのか、或いはより開かれた使用の促進か、ささだもん使用に関するすべてのガイドラインと権利を放棄した。そのため、明智の持つストラップは既に公式が存在していない公式海賊版であり、今後ささだもん文化圏というミームも起源主張ウイルスによって死ぬこともない。

 だが、煉獄は聖書に記されている。作者が既に確定している状態で発展したものであり、そもそも煉獄が情報降霊かもわからないのだ。


「君は、ジッパーという組織を知っているか?」


「ジッパー?」


「新潟県の旧ロシア村跡地に社屋を構える会社だ。ささだもんのオリジナルの開発元であり、高度な生成AIの分野において世界トップクラスの技術を有している。さらにプログラミング道場も開き、この国の“情報”においては最も先進的だと私は思っている」


「今、何か関係があるんですか?」


「彼らはついに編み出したそうだ。『ドラゴンクエスト』の“ふっかつのじゅもん”のように、一度途切れても途切れる前の記憶を引き継ぐ技術を」


「セーブデータ世代なのでわかりませんなぁ。わたしのような人間には」


「つまり、シキミLv.1が冒険に出る。Lv.5まで上がったとしよう。そこでゲームを中断する時、“ふっかつのじゅもん”が現れる。ゲームを再開するときは、中断前の“ふっかつのじゅもん”を入力することで装備もレベルも進捗状況も引き継げる」


「それってつまり、シキミLv.1が存在した時点で、すべてのレベルとすべての装備のシキミが存在していることになりません? だって進捗を記録するものではなく、プログラムを起動させるための文字列が必要なんだから、パスワード次第では過程を飛ばしてLv.50のシキミから再開出来るわけです」


「信じられぬか?」


「ええ、もちろん」


「ならば、次はそれを確かめに行こう。この速い車で」


「キクコさんの記憶のバックアップを取るためにもね」


 もし、キクコの体が戻り、記憶も戻ったら……。

 二十歳のキクコは五十七年前と二〇二二年に二度存在したことになる。その二〇二二年の二十歳のキクコの記憶が失われてしまうのはとても悲しいことだ。そして、怪殴丸により今すぐにその記憶……いや、人格が書き換わる可能性もある。

 明智は後部座席で一人、悲壮な顔つきで窓の外を眺めていた。

 27クラブの呪いを解けなければシキミも死ぬ。キクコも別人になるかもしれない。甘美だったこの数か月を……。どうか自分も忘れず、自分の頭以外のどこかに記憶したかった。


「だが、しばらくは休むのだ」

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