ヨコハマ・ミステリー・ステーション #3
シキミはスマホで#ヨコハマ・ミステリー・ステーションを検索してみた。確かに赤い靴の女の子、窓から見えた怪獣、首無し騎手に青い目の幽霊と大喜利じみている。その大半がそういった怪奇現象を面白半分に投稿したもので、睨まれた、というような記載はあっても追いかけられた、ケガをした、誰かが死んだという結末に至ったものはない。害のない怪奇であるか、ディティールを誰かに深掘りされると答えられない深度のネタなのだろう。そして日付が新しくなるにつれてよりディティールは浅くなり、むしろ奇抜性……簡単に言えばネタと認識されるものが増えていた。死んだはずのジョン・レノンが横浜駅構内でストリートミュージシャンをやっていたとか、横浜駅に明治時代のSLが止まったという類だ。つまり#ヨコハマ・ミステリー・ステーションは怪奇現象のタグから完全に大喜利のタグになってしまった……。そして、ユニスポも三面記事でペリー艦隊vs力士軍団などというインチキ記事でこの#ヨコハマ・ミステリー・ステーションを補強してしまっている。既に一過性のミームではないように思えた。
「ひどい状態になっていますね、このタグ」
「そもそも古い時代、つまりSNSが発達する前から存在する都市伝説の時点で、横浜は面白がられているのだ」
「つまり、どういうことです?」
「横浜都市伝説の定番である外国人墓地の青い目の幽霊だが、君は薄暗い夜の墓地で、ピンポイントで人間の目なんていう小さな部位の色がわかるか? 明るい場所で生きている人間の目の色だって近くで凝視しなければわからない。ましては幽霊は色や姿もブレ、近くで凝視出来るならその都市伝説の発信者はその霊を恐れていなかったということだ」
「都市伝説は真偽やディティールよりも、発信して拡散されていく過程がコアとなっているということか」
「SNSのいいねやリツイート稼ぎに近い概念だな。いや、#ヨコハマ・ミステリー・ステーションは既にそういったものと直結されている。そして、情報量が呪いを補強するのならば既に殺すことは出来ない大きさと強さだ」
「じゃあ逃げるしかない訳ですけど……」
シキミのスマホの一番右上、表示されている四桁の文字がすっと切り替わった。即ち時計である。冬のことであったから、そろそろ横浜は薄紅に染まってしばらくすれば極彩色の夜景に輝き始めることだろう。
「明智さん、キクコさん。お二人のスマホで現時刻は?」
「午後四時半ぴったりだな」
キクコも同じように答えた。シキミのスマホも同様、ぴったり四時半。この時刻自体に違和感はない。このなぞのばしょに入り込んだ時刻、入り込んでからの時間を加算すればおかしくはない。そして、体が縮んでいるということは……。
「グッド。わたしの腕時計は少し進んでいます。つまり、これは腕時計のパーツが縮小したことで一周の速度が速まっているということです。つまり、わたしは縮んだ。じゃあキクコさんの腕時計は?」
二人はすっと腕を揃えてみた。確かにキクコの腕時計も四時半よりも進んでいる。だが時刻はシキミのものときっちり同じだった。ここまでシキミとキクコはまったく同じ時間をここで過ごし、同じ距離を移動している。ここは揃えることが可能だが、このなぞのばしょからどれだけ強く出たいと思っているか、恐怖や嫌悪に思っているかを統一することは出来ない。つまり、この空間で縮小に作用するのは時間か移動距離であるのだ。
「腕時計とスマホ時計の差異が一つの目安になりそうですね。後はこれです」
「煙草?」
「一本ごとに草の密度なんかの差はあるでしょうけど、この場所は無風。わたしとキクコさんが同時に火を点け、そして吸わなければ、大きな誤差はなく同じ時間で燃え尽きる。これでわたしとキクコさんの体の縮小拡大の差がおおまかに測れるはずです」
「でも、限られた資源ですね」
「ええ、ニコチンが切れるとわたしはパーになってしまいますからね」
シキミは努めてタフなジョークを言ってみた。結局のところ、腕時計の針も煙草も目的ではなく手段に過ぎない。この場はどれくらい危険か、どこに進むと危険なのか。いわば炭鉱のカナリアだった。そして、炭鉱のカナリアが死のうともこのなぞのばしょから出なければならない。
「まずはあのマホガニーのドアを目指しましょう。明智さんはどうします?」
「そのドアをくぐった先が本当にウィンチェスター・ミステリー・ハウスと同じく、べらぼうで奇天烈な場所に繋がるのであれば私はもう伴走は出来ぬ。スマホでの通話が繋がり続けることを信じ、私は根本的にこの怪異を解決出来ないか行動してみよう。心細いかもしれないが、そこは二人で支え合ってくれ」
姉妹同然のバディで肉親とはいえ、さすがに手を繋ぐのは気恥ずかしかったので、キクコはシキミの肩に手を置き、煙草を指に挟んで腕時計を見ながら孫娘が決断的に扉に向かって向かうのに追随した。シキミの歩行速度がいつもより遅い。表面上は恐れていないように振舞いながら、やはりこの場所で平常心は保てないのだ。
「……意外に普通に扉に着きましたけど」
目の前にはマホガニー材の扉。真鍮のドアノブは妖し気な光沢を持ち、豪奢な装飾が施されていた。シキミとキクコから見てその扉は大きなものであったが、小人が人間の扉を見るような、人間が巨人の扉を見るようなものではなく、大きな屋敷のドアである、というように一般的な常識の範疇に収まる大きさだった。
「時計の針を見てみましょう」
じめり、とスマホを握るシキミの手に嫌な汗がにじんだ。……。きっかりだ。スマホが六十秒を記録する間に腕時計も一周した。つまり体の大きさは元に戻っているのだ。だからこそ恐怖が深まる部分もある。
この空間を管理或いは支配する存在は、迷い込んだものの体を縮めて弄んでいたのだ。これは27クラブの呪いと同じく、呪ったものの肉体に大きなダメージは与えなくとも、精神的な混乱をもたらす嘲弄に似ている。唾棄すべき性悪か、ネズミを半殺しにする猫のような無邪気な悪意だ。
「扉を開けますよ」
扉の先は今までにいたような漆器が空間になったような真っ黒ではなく、洋館のような造りだった。床はフローリング、壁沿いには上のフロアへとつながる階段が続いていた。壁や家具はパステルカラーに塗られ、古い時代の田舎のアメリカの家のようだった。レースのカーテンの外からは横浜が覗けた。
「なんだクソッタレ!」
しかし窓に映ったシキミは黒髪黒目の日本人ではなく、金髪碧眼の異人さんの姿だった。それでも髪型と服装は同じ、そして驚いて放った咄嗟の罵詈雑言は、窓に映る異人シキミの唇は翻訳して投影していた。驚いて飛びのいたシキミだが、恐る恐るもう一度窓を覗き込んだ。確かに異人シキミになっている。
「銃、娘、犬」
窓の中の異人シキミの唇は確かにGun、Daughter、Dogと発音していた。声は聞こえなかったが、この窓は映した人間の姿と言葉を最新のSNSのアプリじみてリアルタイムで異人さんに変えてしまうのだ。そして目の色もわかる。確かに碧だ。外国人墓地の青い目の幽霊……。その正体はこの窓と同じような物体を覗き込んだものが発信した情報なのかもしれない。
シキミと窓の異人シキミ、向かい合わせのメガネは違う姿を互いに、無限に近く映しあっていた。
「普通のゴーストよりたちが悪い」
「シキミさん。どちらへ向かいますか?」
シキミが窓と格闘している間も、キクコはシキミの肩に手を置いたまま周囲を見渡していた。キクコがこのようにシキミに対して積極的に提案することは難しい。彼女はこの空間を恐れ、一刻も早い脱出を望んでいるのだろう。選択肢は四つあった。階段を昇るか、窓の先にある空色の扉を開けるか、イチかバチかで今入ってきたマホガニーの扉を戻るか、窓をブチ破るかだ。
「階段を昇ってみます? どうせ手がかりなんかないし、外で明智さんがどうにかしてくれるのを待つしかないし」
「……」
キクコは少し不貞腐れたように黙り込んだ。この空間に陥ってからのキクコは少し様子が変だ。怪奇に遭遇しても穏やかでどこか能天気だったいつもキクコではなかった。……。少し考えてシキミは気付いた。怪殴丸だ。明智がこの#ヨコハマ・ミステリー・ステーションを殺害することは出来ないと明言して以降、キクコは焦り、恐れている。それだけ怪殴丸に重度の依存があり、何が起きようとも最終的には怪殴丸で殺害してしまえば片がつくと考えていたキクコは、かの呪いの銃でも打破出来ない苦境によってかつてない程に動揺しているのだ。
「ゆっくり行きましょう」
まずは時計を確かめる。この洋室に辿り着いた時に腕時計の時刻はスマホの時計を参照して正しい時刻に戻している。現在はスマホと同じ時刻を示し、この洋室では体の縮小はないようだった。淡い桃色に塗られた階段を昇った。シキミは動揺する祖母を支えるべく手すりをしっかりと掴んだが、手すりは木の筋やひび割れが直接的に感じ取れる程に年季が入っていた。
「……キクコさん?」
ふと振り返るとキクコは消えていた。肩を掴んでいたはずの祖母は消え、振り返るとそこにあったのは下のフロアに繋がる階段ではなく、赤い絨毯だった。キクコからすれば天井に直結する階段……#ヨコハマ・ミステリー・ステーションのモデルとなったアメリカのウィンチェスター・ミステリー・ハウスと同じ造りだったのだろう。
「え?」
顔を上げると曲線的な木組みのインテリア、白い陶磁器。大きな祭壇には異常に長い線香が焚かれ、円形のテーブルの上にはまだ湯気の上がる烏龍茶があった。今度は中華風の部屋だった。だがそれは問題ではない。
「……」
椅子は何者かが腰掛けているように、少し卓から離れていた。今日は仕事のつもりで来ていない。そのため、普段の悪霊退治で使う岩塩の弾丸を撃ち出す違法出力エアガンも銀のナイフも持ち合わせていないのだ。この部屋には長い線香や熱々の烏龍茶など、何かがいた形跡がある。今のシキミにはそういった怪異や人間に対し特別な対抗手段がない。とりあえずシキミはハンカチで熱さを紛らわせながら急須を手に取った。何かが出てくればこの急須のお茶をかけるしかない。それでもこのフロアからは速く立ち去るべきだろう。何もないかもしれない。この空間を支配する存在は、精神的動揺を与えて弄ぶことを楽しんでいる。だが、危険な気配を感じれば立ち去るに限る。
キクコとはぐれてしまったことでシキミの中から慎重さは消えた。守るべきで、守ってくれた存在はいなくなってしまった。ここからは外の明智が解決してくれることを願いつつ、まずは刹那的に危険な場所を避けつつ移動し続けるしかなかった。シキミは足早に、何者かがいた形跡があるのに無人の中華フロアを横切り、次の扉を開けた。
「うわ?」
言葉にならない声を発し、シキミは急激にスクロールされえる風景を見た。黒鉄の蒸気船機関部じみた、パイプと蒸気のスチームパンクな風景。鎖国時の日本が恐れたであろう風景をシキミは落下していった。だいぶ長い時間落下している。走馬灯めいて主観時間が鈍化し、シキミは死を覚悟した。死ぬのだ。
その時だった。シキミの上着の胸ポケットが膨れ上がり、ぱきぱきとその膨らみに亀裂が入った。じんわりとした強い熱が全身に滲み、シキミの落下速度は急激に低下した。まるで透明なエレベーターでゆっくりと降下するように、シキミはスチームパンクの世界を眺め、目下の地面が近づいてくるのを感じた。この速度なら死ぬことはない。
「Cheeep!」
シキミの肩で甲高い声。そこに手を伸ばすと、黄色く小さなヒヨコがシキミの肩を掴み、荒い呼吸を整えていた。足下にはファイアパターンの卵殻が散らばっていた。
信じられないが、シキミの肩を掴んだヒヨコが羽ばたいたおかげで、彼女は無事に着地で来ていたのだ。
「明智さん、聞こえていますか?」
「ああ」
「信じられないですけど、明智さんが吸血鬼のアジトから盗んだ卵から本当にヒヨコが産まれました……。そしてそのヒヨコに肩を掴まれて、そのヒヨコが羽ばたいたら高所から落下しても助かりました」
今のシキミは何も装うことが出来なかった。完璧な才媛でも、クールな皮肉屋でもなく、電報じみた簡単な言葉の列挙だった。死んだと思っていたのに生きていた。ずっと持っていた卵から産まれたヒヨコに助けられた……。むしろこの一連の出来事を経験して、茫然としない方が不自然だった。
「やはりな。私の睨んだ通り、あの卵は波山のものだ」
「波山?」
「炎を操るニワトリの妖怪で、数多いニワトリの妖怪の中でも最上位にある。波山の鶏卵で作ったチャーハンならばキョンシーを殺害することも可能だったということだし、親が温めなくても孵る」
数か月前。池袋で勃発したキョンシー、ゾンビ、吸血鬼の抗争において、吸血鬼はキョンシーが苦手とする糯米、雌鶏の血などで作った暗殺チャーハンを流通させることで池袋中華街のキョンシーコミュニティを攻撃し、甚大な被害を与えた。
吸血鬼のアジトの調査で明智がシキミに持たせたのが、このファイアパターンの卵だった。明智は短気で先走りがちなシキミに、常にこの卵を懐に入れておいてそれを割らないように立ち回ってちょうどいいと説いたが、バカ正直にその卵を温め続けたことでシキミは本当に命を拾ったのだ。
ぴこん、とスマホに通知があった。27クラブの封印解除の通知だった。
「新しい命を迎える」。この条件のクリアが表示されていた。
「紛らわしいこと言いやがって」
何もシキミ自身が子供を産む必要をはなかったのだ。そのようにしか感じられない表記で動揺させ、弄ぶ。やはり#ヨコハマ・ミステリー・ステーションも27クラブも、性格的には悪辣なジョークを好むのだ。
「でも、この子がいればもう落下死することはない」




