フックマン #3
「アスタラビスタ、ベイビー」
フックマン四散!
「イピカイエ、クソッタレ」
フックマン爆散!
「きりがないですね」
暗い森の中、キクコはひたすらに怪殴丸のトリガーを引き続けていた。そのたびに銃は超常の白炎を吹き、鉤爪の怪人は為す術もなく消滅していった。
一つ気付いたことは、フックマンにはとりとめて強大な力……少年漫画風に言えば戦闘能力を持っていないことだった。だがそれはエイコが語った、一瞬にしてガラスを摺りガラスに変えたという速度と精密動作性と噛み合わない。ここまでにキクコと明智が倒したフックマンはあくまでも人間の範疇に収まる身体能力で、二人を殺すという使命はあるがどこか迷いのある足取りで向かってきていたのだ。そんな相手ならば怪殴丸で殺害するのは造作もないことだ。
「反応はあといくつある?」
「どんどん増えている……。というより、おそらくフックマンの人数に上限はないのだと思います。この夜が明けるまで、この場所でイチャつくカップルは必ず殺す。その現象が姿を持たせた使徒がフックマンであり、今までに殺してきたフックマンは……なんというか、呪いのコアではないのだと思います」
「人が死のうが天使が死のうが、それを創造した神は死なない。そういうことか」
明智の中に仮説はある。そしておそらくこの仮説が実証されれば、今後こういったご当地の呪いは効率的に素因数分解され、最小の力で制御が可能になるだろう。
「タイムリミットは近いぞ」
スマホを見ると日付を既に跨いでいる。夜明けになれば今年のフックマン退治は未遂に終わる。そして気休めを言わないのであれば、来年の今頃には既にシキミは死んでいる可能性も高い。加えてスマホの電池が切れれば明智は天使長ミカエルの化身としてどころか、一人の人間としても甚だ無力になり下がる。スマホ依存症は深刻だ。
「シキミさんの向かった村の位置はわかるんですよね? 合流しましょう」
「そうだな。だがどうやって? この森の中を歩くのか? フックマンが無数に潜む森を」
「それしかないですよ」
「いや、手段はある。このフックマンのテリトリーでは、フックマンの出現以外にもう一つ不可解な現象が起きるのだ。さぁ、考えてみてくれ」
明智はキクコに課題を出した。この女性は……。考えることを放棄している。三人で行動していてもシキミか明智が判断したことに従えばいいと思っているし、自分は怪殴丸のトリガーを引いていればいいと考えている。シキミは呪いを解けなければあと一年の命だ。その後に残されたキクコは、シキミがいなくなった後はどう行動するつもりだ? 明智はキクコと永劫バディを組む気はない。だからこそ自分で考えることが必要なのだ。
「わかりません」
「だから考えてみようと言っているのだ。ヒントを出そう。フックマンの犠牲となるものは?」
「車の中でイチャつくカップル……ですか?」
実に簡単な問いだが、自分で考えねばならないとわかった途端にキクコは石橋を叩いて渡るようにおっかなびっくりで消極的に言葉を紡ぐようになった。
「正解だ。だが、こんな人気のない場所、交通量の少ない場所で、今日に限りカップルはイチャつく。それがおかしいのだ。今日、ここにカップルは引き寄せられ、劣情を抑えられなくなる。今夜フックマンが誰か殺したかわからないが、まだこの近辺にはイチャつくカップルの車がいるということだ。それに相乗りさせてもらおう」
「でも……」
「そうだな。そんないい場面に私たちが現れても、当事者たちは言うことを聞かないだろう。むしろ無粋なヒッチハイカーとして排除される。ならばどうすればいいと思う?」
「恋人が互いへ抱く愛情以上の何かをぶつける……とか?」
「そうだ。即ち恐怖。私たちがフックマン及びフックガールとしてカップルの車を襲い、シキミさんのいる村まで運転させる。これしかないだろう」
〇
「おい……。どういうことだよ」
カギヤなる人物への経文風車で解決するような怪異なら、こんなに苦労はしなかっただろう。フックマンが怪殴丸で退治出来ないということも想定内ではあった。
明智と行動するうち、シキミは会話の節々から彼の壮大なる仮説の断片を掴みつつあった。それが正しいのであれば、確かに経文風車と怪殴丸でフックマンと言う怪異を根絶することは不可能だろう。
そしてシキミはカギヤの墓にライトを当て、スマホのナツメ商会アーカイブと照らし合わせた。肝が冷えるような事実が記されていた。
最初のフックマン……つまりカギヤが変装したフックマンが犯行を起こした当日と、カギヤの命日が一致している。つまりカギヤは最初のフックマンとなった日に死んでいるのだ。死因はわからない。だが、彼のフックマンとしての活動はたった一日。そしてシキミは、キクコが考え抜いてようやくたどり着いた答えを既に導いている。
この晩に限って、交通量の少ない場所でカップルがイチャつくことは不可解だ。
現実的に考えれば、カギヤはこの日に特定の誰かがイチャつくことを知っており、明確なターゲットとして襲撃した……。それ以外にあり得ない。
「クソッタレ。何か隠しているな、あの村長」
だとすれば、この村自体がフックマンの共犯者であり、カギヤは実行犯に過ぎない。だが既にこの村はフックマンが手に負えなくなっており、厄介に思っている。一九七七年には共犯者だったカギヤフックマンとこの村は、四十五年経った現在は怪異フックマンと共犯どころか共存も出来ていないのだ。いや、共犯ではあるかもしれない。意図的に情報が隠されている。
シキミは背広の上から腰に触れた。ちゃんとある。銀のナイフだ。武器としての強度はイマイチな銀だが、怪異に対しては特効となる。
「エイコさん、いますか?」
シキミはタバコを咥えたままこんこん、と車のガラスをノックし、彼女が話すたびに口先の赤い蛍じみた光が指揮棒のようにくりくりと揺れた。
この墓地での情報、村長への聞き込み、村の様子。すべてを明智とキクコに共有したシキミは少し心拍数を上げた。恐れているのか怒っているのかは自分でもわからない。
「そこにいてください。もう少し、わたしは聞き込みをします」
〇
明智は落ちていた手ごろな木の枝を拾い、パキパキと余分な枝を折った。
「キクコさん、お願いします」
ぼうっとキクコがやや後ろから明智の背中を照らすと、逆光によって歪な影は確かに鉤爪の怪人のシルエットをとっていた。キクコと明智が退治したフックマンの容姿とは異なるものだが、「フックマンは鉤爪の怪人である」ということしか知らないものは、明智をフックマンと誤認するだろう。
「これでよいか。では、車を探そう。……少々、長い話になるが聞いてくれ。今の私たちの状況に合致している」
「はい」
「私は呪いの正体について考えていた。……例えば、フックマンとは何なのかと。そうだな……。我々がはじめて共に行動した時に関わったキョンシーは道士の技術、ゾンビはサイエンス、吸血鬼は生まれつきにそういう生物であり、出生の謎は明らかになっている。彼らは物理的肉体を持ち、概念ではなく物質としてそこに存在していた。だから怪殴丸で撃てば、先程のフックマンのように霧消せずに肉体が弾けて死ぬ。当然君もだ」
「そのフックマンには正体があるということですか?」
「わたしの仮説に過ぎないが……。こういった呪いの正体は、“伝承”だ」
「伝承?」
「そうだな。例を出そう。口裂け女だ。口裂け女ははじめは口が裂けた女としての都市伝説だっただろう。だがその情報が伝播するうち、情報の曲解や誇張といった尾ひれがつく。そして現在は時速一〇〇キロで走る、べっこう飴を与えると見逃してくれる、ポマードと三回唱えると逃げるといった情報が追加されていった。インターネットの普及によりそれは速度を増した」
「うぅん」
「わからぬのも仕方がない。私自身も整理はつかぬ。だが、この情報の拡散と肥大化を三つの段階に分けてみよう。最近では聞かなくなったものだが……。古い時代のインターネットでは、台風の日にコロッケを食べるというものがあった」
「何故コロッケを?」
「確かに意味はわからぬな。だがそこから始まった。インターネット掲示板に、台風だからコロッケを食べることにした、という人物が現れた。その情報は一時的にブームとなった。これが第一段階、“ブーム”。やがてそれはお約束となり、台風のニュースをのたびにコロッケに言及するものが増えた。これが第二段階の“ミーム”だ。この台風とコロッケは廃れたが、真偽は不明だが最初にこの情報を発信したものは自分だと主張する者が何人も現れるなど、最初の情報とはかけ離れたところで情報の拡散と肥大が続いている。例えが続いて恐縮だが、Wikipediaが編集者に自制を求めず、個々の主観による情報を書き足し続けていった結果、真偽様々に多種な情報を湛えた存在。それが呪い」
「それとフックマンは関係があるのですか?」
「あると良いのだが……。口裂け女はブーム、ミームを経て、伝承として確立された。ナツメ商会アーカイブにも登録されているだろう。フックマンも同じでは? 最初にカギヤなる人物がフックマンとなった。カギヤの犯行は一晩きりだが、そのキャッチーな姿、そしてシキミさんの睨むとおりに村の介入……。そういった事象によりその情報には尾ひれがつき、フックマンの情報は肥大化した。だがブーム、ミームを超え、四十五年間も毎年犯行を繰り返している時点で既に伝承と化している。……その過程で、フックマンを模して本当に人を殺したものもいるかもしれないな。事実、私はこうやって“フックマン”となったことで、今まさに、フックマンには木の鉤爪を持ったトレンチコートの男、という情報が追加されたわけだ」
「えぇと……」
「フックマンを素因数分解し、どういった情報がフックマンを構成しているかの謎を解く必要があるな」
村だ。明智は確信する。村が何かを隠している。村が意図的に隠ぺいした情報により、フックマンはただの殺人事件ではなく強大な呪いとしてこの土地に君臨している。
「……頼んだぞ、シキミさん」




