27クラブ #2
翌日。
シキミ、キクコ、明智の三人は、お昼の少し前に余裕を持ってポインター号に乗り込み、日光東照宮へと向かった。ユニスポには謎の心霊スポット“平家落人村”は栃木県の日光と鬼怒川の間の山の中としか記されておらず、それ以外の位置情報は存在しない。その間の山道を闇雲に探すしかないが、元よりポインター号は燃費が劣悪な車であり、レストモッドしていくらか改善されたが長時間の探索には耐えられない。
それでも東京から近いということもあり、まず三人は観光目的で日光東照宮へと向かった。
徐々に風景から消えていく高層の建物、やがて平野、そして山林。
車内では音楽。ニルヴァーナ、ジミ・ヘンドリックス・エクスペリエンス、ドアーズ。シキミの音楽の好みは雑食性で、登録された曲がランダムでステレオから放たれ、車と乗っているものの鼓膜、心を揺らし、シキミは声帯を震わせて歌う。最近はキクコのチョイスであるJUDY AND MARYやPRINCESS PRINCESS、SHOW-YAなど少し古めのガールズバンドも流れるようになってきた。ポインター号の中に、キクコも自分の主であるという意識が浸透していくように。
「ランダムにしては出来過ぎな順番ですね」
「外国の曲が続くことがか?」
「明智さんはあまり音楽を聴かないんですか?」
「聴くがアルバムやアーティスト単位で聴くことはほとんどない。ご存知の通りに、私はゲームやアニメ、ドラマ、映画が好きだ。オタクというやつだな。そのタイアップやBGM、そういったものを摘まんで聴いている。だがそれは純粋な音楽への嗜好ではなく、連動する場面や作品があってこそという付加要素があって成り立つ音楽体験だ」
「いつからそうなったんです?」
「ミカエルの化身になってからだ。その前のことはあまり覚えていない」
「じゃあ知らないのも無理ないですね。ニルヴァーナのカート・コバーン、ジミ・ヘンドリクス、ドアーズのジム・モリソン。みんな二十七歳で死んでいるんですよ。ロックをやって伝説になった人間は二十七歳で夭折した人が多い」
「そして、二十七歳で死ぬことが一つのステータスとなった訳か」
「そういうことです。二十七歳で死んで伝説になったロッカーは“27クラブに入った”と言われますね」
「死ぬにしては若すぎる歳だ。君ももうすぐ二十七歳だろう?」
「あと半年あります。あと半年以内にわたしがロックの伝説になってしまったら、怪異皆保険はキクコさんとお二人でどうぞ」
「冗談でも言うな。君は一日でも長く生き、鎌倉氏を助け出すという大きな目標があるんだろう? もっとタフになれ。そして残される人間の身にもなれ」
「どんなシリアスな場面でも、冗談の一つも言えないような人間はタフではないですよ」
「開き直ったやけっぱちとタフは別の話だ。ここは考えの相違だな。自分の考えを強要する気は私にはない。だが私はこうだと配慮してもらえると有難い」
「……」
このシリアスすぎる明智のことが、シキミは嫌いではなかった。むしろシリアスで真面目過ぎる明智は決してウソをつかないし、説教にも義と正しさがある。ともすれば高位の天使の化身じみた融通の利かないお役所仕事にも映るが、彼の持つ不器用な機微も知っていれば愛嬌だ。例えば残される人間の身にもなれ、という言葉には、キクコが悲しむ、と同時に明智自身も悲しいという人間らしさが宿っている。
それからも奇妙な偶然はしばらく続いた。
エイミー・ワインハウス、ローリングストーンズ、またニルヴァーナ。ニルヴァーナの曲が全曲登録されているにしても27クラブのメンバーの曲だけが続き、ポインター号は栃木県へと入った。
日光に近づくと標高が上がったからか、全体的に薄い霧が張り、気温もぐっと下がった。シキミは明智のトレンチコートを羨ましく思った。同時に、こんな場所で車中泊をすれば二十七歳を迎える前に死ぬだろうとも恐怖した。
日光東照宮の周辺は閑散としていたが、しめやかに拝観者が苔むした階段を昇る。キクコは日傘ではなく雨傘を持ち、シキミと明智は折り畳みを携えて山の奥にそびえる絢爛な社へと昇って行った。
「明智さんは鳥居をくぐっていいんですか?」
「問題ない。私はミカエルの化身だが、職務の代行者であり彼の教義や理念、信念、生活のすべてを模倣、或いは厳守することは義務ではない。あくまでも代行職である人間の明智だ。見ろ、牛串の屋台があるぞ」
霧の湿り気で足元はぬかるみ、今にも降りだしそうな空模様と、濡れて無音でこすれ合う草花。急な昇り階段を二十代の若者、若返った体の老人、天使の化身は問題なく昇っていくが、シキミは万が一キクコの表面積の広い可愛いお洋服が汚れてしまったらどうしようなどと考えていた。明智は常にキクコの後ろを歩き、彼女を支えられる位置を意識していた。意外とダンディだ。きっと化身になる前はもう少し、仕事以外で付き合っても楽しい男だったのだろう。
「素晴らしい」
陽明門に辿り着いた明智は、その極彩色と精緻な造りを見て感慨深げに呟き、腕を組んで頷いた。どこか滑稽だが、彼なりに感動を同行者二人に伝えたかったのだろう。神社の中ではほとんど言葉を交わすことはなかったが、撮影可能な場所では明智はシャッターを切っていた。自分を入れて撮影してくれだとか、一緒に映ろうとは言えないのか言わないのかはわからないが、明智とはそういう男だ。
「日光東照宮は神格化された徳川家康……東照大権現を祀る神社ですけど、東照大権現の化身もいるのですか?」
眠り猫の写真撮り終え、キクコが尋ねた。
「いないだろうな。私が知る限り、神格された動物や人間に化身は存在しない」
「じゃあやっぱりミカエルやカマエルは人間よりも高位な存在……。皮肉ではなく、そういう存在なのですね」
「……そう思うか? 私はそうは思わない。人間の方がよっぽど偉大な存在だ」
「えぇと、それは?」
「いつか私の言葉を思い出し、よく考えてみると良い。これも皮肉ではない。私の立場ではおおっぴらに言えないだけだ」
「いつかわかることなんですか?」
「それがわからぬ人間はいない。君は既にそれを知るヒントを得ている」
「ヒント?」
「君のそのお洋服、最近車に登録された音楽。そういったものだ」
「何かを好きになる、ということですか?」
「それも人間の素晴らしいところだ。だが私の言う偉大さはまた別のところにある。牛串を食べよう」
〇
日光のガソリンスタンドで最後の給油をしたとき、もうじき暮れる橙色の太陽が、木々の影を地面にいくつも重ねていた。
助手席のキクコが毛布にくるまり、明智が後部座席でスマホと向かい合い、その光が亡霊のようにぬぼう、と車内に浮かび上がり、暗くなる山道と比例してより強く光った。
天気は急にからりと乾き、唇が裂けるような乾燥で樹木の葉が不穏にかしゃかしゃと鳴った。
「探索は闇雲にやるしかありませんが、もうこれ以上の探索は危険、とわたしが判断した時に、日光、宇都宮、鬼怒川の三か所のうち一番近いところに宿をとります」
「わかりました」
ポインター号を相棒にしてから約半年が経ったが、出発から日光東照宮までの二時間余りの道のりがすべて27クラブ加入者の曲だったという現象は偶然には思えなかった。何か……。奇妙だ。おそれるように、シキミはジュディマリのベストアルバムを流した。
「……」
しばしの間、無言。最初にカーナビで確認した鬼怒川へを向かってハンドルを切り、山道を走る。太陽は完全に沈んで鎖を説かれた猟犬のように暗闇が周囲を走り回り、その足跡が山を包んだ。それでも一気に晴れ渡り、澄み切り月明りだけで遥か山の向こうまでよく見えた。これぞ旅の醍醐味とでも呼ぶべき、普段の生活にはない風景と空気。だが死んだような不穏な静寂が、どこか充満していた。何もない静寂なのではなく、そこにいる何かが息を殺してポインター号を観察いるような感覚……。霊感でもなんでもなく、キクコは見られているような気がした。気弱な少女は奇妙な胸騒ぎを覚え、同じ懸念を抱えて逃げるように走るシキミ、スマホに夢中の明智に無言のうちに何かを求めた。
「なんだ?」
シキミが速度を落とし、目を細めて木陰の向こうに目を凝らした。シキミは決して怖いもの知らずではない。恐怖の対象が目の前にいてもやせ我慢し、怖くないふりをするだけだ。そんな彼女は不意を突かれたが如く、高い声を出して反応したのだった。
「何か光りましたよね?」
「何かって?」
「わからないから何かです」
シキミの声にははっきりと恐怖が滲み、今にも不安が破裂してしまいそうだった。ぱち、ぱちぱち。シキミにしか見えない角度で、青白い……ゲームで言えば一ピクセル程の弱い弱い光が一瞬だけ弾けた。その小ささ、弾けた時間は、おおよそ人間が認識出来る単位で最少のものであったに相違ない。
車を停め、シキミとキクコはそれぞれに周囲を見渡した。二人を刺激しないように、或いは自分は平静であるとアピールするように、明智がぱちぱちとスマホをタップする音だけが、間抜けに、そして虚しく響いていた。
「離れましょう、シキミさん。明日に持ち越しましょう。三つの拠点候補で一番近いのはどこですか?」
「確認します。……あれ?」
あれ、というにも絶望的だった。
カーナビは完全に狂っていた。カーナビ上では現在地はユニバーサルスタジオジャパンの中にあり、実際に車は止まっているはずなのに自車を示す記号は毒蜘蛛に噛まれたかのように落ち着きなく動く……踊り狂うか、断末魔の悶絶かのように方向と位置を定めなかった。
たんたんたんたん、と、明智がスマホをタップする音が、運転席と助手席の二人の鼓動と同じく加速していった。
「グエ……」
「明智さん!?」
「なんだここは……。電波が……狂っている」
「ええ、そうです」
明智は今までに見たことが程狼狽している。だが、明智はカーナビの異常を電波の異常と言語化してくれた。明智が言うのならば、女性陣二人が危惧する怪異や呪いの類ではないと担保してくれたよう気がしたのだ。
「見ろ! 電波障害のせいで私の試合放棄とみなされ、私が負けてしまった! セーブシチュエーションすらつかない程リードしていたというのに!」
明智が見せたスマホには、確かに野球ゲームで明智が回線切断を行い、試合放棄による判定負けが表示されていた。
「明智さんなりのジョークと受け取っておきます。さぁ、どうしますか」
どうしますか。
これはもう電波の問題ではない。カーナビもスマホも、ポインター号を包囲した怪異が急に牙を剥いたことにより正気を失ったのだ。
シキミは明らかに自分に向けて放たれ小さな光を見た。キクコは自分が観察されているような薄気味悪い視線を感じた。明智のスマホは狂った。カーナビも機能を失った。
いつからだ……?
いつから自分たちは怪異の喉の中にいたのだ……? ……出ることは出来るのか?
幸いなのは、まだ怪異が姿を現さず、物理的な攻撃が行われていないことだ。
なけなしの勇気を振り絞り、シキミはもう一度周囲を見た。もう何も見えない。あまりにも暗く無個性な山道は、自分がどこからきてどこへ向かっているのかすらわからなくさせる。今、来た道をそのままなぞって帰るとしても、同じ風景と暗闇でそれを同じ道と認識可能かすら定かでない。それでもやるしかないのだ。
「……ふふっ……。今日は二十二時から観たい番組があったんです。いつもは観ない番組なんですがね、家の録画は裏番組の関係で予約出来なくて……。リアルタイムで観るしかないから……」
シリアスな状況でもジョークを言うのがタフ。そうして自分を鼓舞しようとしたシキミの声音は、憐憫すら誘う程動揺と恐怖の色がくっきりと浮かんでいた。




