キョンシーvsゾンビvsヴァンパイア 池袋炒飯戦記 #7
東:テレンス・ファー
南:岩瀬十三
西:夏目樒
北:鳥蛇刃威砥
煽情的な赤絨毯が厚く敷き詰められたVIPルーム。温かな緑の手打ち卓。東一局、親はテレンス。
池袋の覇権をかけた最終決戦の火ぶたが切って落とされた。
「ずいぶんと寡黙だな、キョンシーの若頭」
「……」
ご機嫌に王冠を被ったバイトは、青く染めた髪を大袈裟に揺らして挑発的にボディランゲージをとった。この下品な笑みに……姫たちは騙されてしまうのだろうか? それとも普段は姫にはもっと紳士に、仕事には真摯に向き合うのか? 一方のテレンスは何も答えず淡々と牌を眺めていた。
テレンスの仕える大親分ロー・フォンは、粗暴で乱暴だがウソはつかない。短気で部下には軽度の暴言や暴力を与えるが、暴走して外部の人間にそういった危害は加えない。
フォン大親分の怒りはエンジン、テレンスはブレーキとハンドルとアクセル。二人の中ではそう役割分担されている。だからテレンスにとってフォン大親分は殴られようと罵られようと、最高の上司だった。
だがバイトは違う。迂遠的な言葉で敵を挑発し、見下し、ウソをつく。こういう人間の下では働きたくないものだ。
「黙ってどうした? おい、このおかっぱ頭のキョンシーはカカシか?」
「カカシはお前だろう」
テレンスが牌を捨て、山から牌を引いた。長い前髪の奥の目は一切動揺がない。どうやら勝負事の時の彼は普段以上に寡黙になるようだ。ならば自分の出番とシキミが口撃を開始した。
「なんだと?」
「だって脳ミソないんでしょ? ドロシーちゃんと一緒にオズを旅して、魔女から脳ミソを貰って来れば? そしてそのままカンザスに帰れ。お前には池袋じゃなくて田舎がお似合いだ。それともドラえもんかな? 青い髪と真っ白な顔色で、遠目には病気のドラえもんだよ」
「今は好きなだけ言っておけよ。経験上、お前みたいな女はベッドではカチコチになる。ブリキの人形もオズを旅して心を貰ってこい。そしたら俺がいかに魅力的かちょっとはハートで理解出来るだろう」
にたにたと笑うヴァンパイアのプレジデント。……。状況は良くない。岩瀬、シキミも打牌音を鳴らす。今はまだ様子見でいい。とにかくこれ以上バイトに調子に乗らせないことだ。テレンスが激高し、この場をぶち壊してしまえばバイトは自白を拒否し、すべては闇の中に消える。そしてバイトに順番が回る。
「ツモ。平和。……ふっふっふ、平和だ、池袋も平和になるよ! 今すぐになぁ! ハァーッハッハッハ!」
吸血鬼の王子は哄笑し、牌を返した。そこには確かに、平和の役が完成していたのであった。それでもテレンス、岩瀬、共に不動。シキミは怪訝に眉を動かし、タバコに火をつけて肘をつき、口元を隠した。
「どうだい、姫ェ……。統計学上あり得ることかな!?」
統計学上あり得ないことはないが、この状況はあり得ない。あまりにも場が整いすぎている。バイトの根城であるホストクラブ、バイトが提案した麻雀対決、いきなりツモで平和、そして役に合わせた挑発。すべてがかみ合いすぎている。しかもあえて点数の低い平和は、その気になればもっと大きな役も出せるが、今はあえて平和とかけた挑発の口上ありきだろう。
そしてとどめにこのセリフ。事実上のイカサマ宣言だった。
それ故に、キョンシーの若頭、元百戦錬磨のエリートサラリーマン、ナツメ商会史上最高の秀才は、これをイカサマと断定し、どう暴くかというシークエンスに入った。まだトリックはわからない。だからより危険なのだ。
点数の低い平和とはいえ、一巡目からアガる常識外のイカサマ。このままバイトが親になれば、三人ともイカサマの底なし沼に沈められるだろう。続く岩瀬、シキミが親の間に、バイトのイカサマを止めるしかない。時間はもう限られているのだ。……出来るか? ここまで地の利を得た相手に。
親が岩瀬に移る。残されたチャンスは、二局のみ。
「あららぁ、ミドリカワファーマの役員コースから落ちこぼれたおじさんが相手かぁ! バブル期は麻雀で楽しんだんだろう!?」
「……俺は氷河期生まれだ。バブルは知らん」
「カワイソウに……。一番辛い世代だ。それでも頑張ってミドリカワファーマに就職したのに、最後の最後に左遷なんてあんまりだなぁ? なぁ……。ゾンビって何が目的なんだ? 俺たちの敵なのか?」
「俺は肯定も否定もしない。会社の損になることは決して言わない」
「見上げた……なんていうと思ったか? 見下げた忠誠心だよ。飼い主に捨てられたのにさぁ! で? 結局何も言わないってことは、ウソもつけないということだ。会社の得になることはいくらでも言う。サラリーマンってそういう生き物だろう? ならウソを見抜くのは簡単だァ!」
既にバイトは勝利を確信している。そう、既にバイトの勝利は確定しているのだ。バイトは手牌を起こしてもいない。自分の手牌を見てもいないのだ! 何故なら見なくても把握しているのだから……。そしてこのままツモれば、また何かの役が揃うのだろう。
岩瀬は石のように黙り、長考。時間稼ぎのためにまたシキミの出番らしい。
「お前のウソを見抜くのも簡単だよ。ああ、でもお前、顔の整形手術はしてないんだね? 顔がいいのは認めてやる。それは生まれつきだろうね」
「そぉうさ、このイケメンは天性! あぁあ、もうちょっと早く生まれていればなぁ! ルーヴルの『モナリザ』の位置には、ダ・ヴィンチの最高傑作として『バイト』の絵が飾られていたことだろう!」
「あまりにもツラの皮が厚すぎてメスも注射器も通らないから整形が出来ないんでしょう?」
「そういうお前の胸に実ったデカい果実も本物だよな? 俺は見慣れてるし触り慣れてるから服の上からでも見ればわかるんだ。ああぁ、でもお前を抱くのはノーサンキュー。後ろの姫の方が可愛いし、俺も誰でもいいわけじゃないからさ」
「ファック野郎」
ダメだ、舌に装填した弾がしけってきている。バイトに親が回ったイカサマ無限地獄へのタイムリミットが近づき、安い挑発にもいい返しが思いつかないしキクコを挑発合戦に巻き込みたくない。シキミ本人に自覚はないが、岩瀬に見抜かれたようにシキミはこういった罵倒合戦や心理戦に関しては好戦的な割に強くはないのだ。シキミが感情に任せて短絡的な言葉で締めてしまった時点で、このラウンドもバイトに一本だ。
「ファック!」
叩きつけるように牌を捨て、シキミはアメリカ仕込みの罵声をあげた。……シキミはすぐに心の中で「しまった!」と発した。
バイトはテレンスがキョンシーの若頭であること、岩瀬がミドリカワファーマから左遷されてゾンビの管理をしていることを調べ上げていた。バイトがもし……。シキミがコロンビア大学を除籍されたことも調査済みで、それをネタに挑発したらシキミは人間としての矜持を捨ててすべてをぶち壊すヒトのかたちをした怒りの概念と化していただろう。そして当然バイトに返り討ちにされる。それでも、その挑発を受けたら我慢することは出来ない。
「ツモ、平和」
まだバイトは手牌を見てもいない。まるで王子様の手を待っていた牌を引くように迷いなくツモり、まるでジグソーパズルのようにツモった牌を並べ、一気に返すと先程と全く同じ役……。平和だ。
「あぁらまた平和! なんて平和なんだろうか。だって争いが起きていない。そうだろう。突出した強者がいれば、争いは起きない。安心しろ。池袋はちゃぁんと平和にしてやるからさ」
シキミ、テレンス、岩瀬、絶句。
もう手が付けられない。シキミにとって麻雀は数式であり、上手い下手の概念が存在する以上、運ではなく腕と頭脳が物を言う。だが、その数字の理に不正に介入するものが存在する以上、数字は数字ではなく、当然数式でも統計学でもなくなる。賢く数学を得意とするからこそより絶望的に感じた。
「……」
……自分ではもうダメだと思った。シキミには、自分は常に誰よりも賢く、美しく、正しいというバイトとそう変わらない自惚れた前提が存在する。だが、シキミは大学の除籍や紬の死と言った挫折を経験している。大学の除籍は不条理でしかなく、自分が辛い目に遭っている時はいわれなき理不尽と不条理だと思い込み、他人のせいにして省みなかった。だが紬の死は違う。自分は完璧……ではないし、常に正しいわけではないと知った。すべて自分がやればいいわけではない。それを紬が教えてくれたのだ。はじめて、人を頼りにするということの大切さと尊さを教えてくれた紬……。そして今はキクコがいる。
「すみません、わたし降ります」
「あぁ?」
「キクコさん、代わりに頼みます」
どうせバディを組んでいるのだからイチかバチか、ではない。キクコの持つ謎に賭けたい思いは当然ある。だがそれだけではない。何もなくても、バディだからというだけでキクコに賭けられただろう。キクコには自分の弱さを知ってほしかった。そして補ってほしかった。
東:テレンス・ファー
南:岩瀬十三
西:夏目樒→日出菊子
北:鳥蛇刃威砥
「失礼します」
一触即発の鉄火場に放り込まれ、緊張で直線的にカチカチと動き、椅子に座ってもまだ角ばったままのキクコ。彼女が立方体の手牌を起こすさまはまるでマインクラフトだった。きっとなにもわかってはいないのだろう。麻雀のことなど何もわからないし、シキミがどれだけキクコを……この場でどれ程頼りに思ったかなどキクコにはわからない。だが、無垢だからこそ、運は味方をするのだろう。こざかしい自分と違って。
決して逃げではない。これはキクコの無垢というこの場で誰も持たない武器にかけた、根拠もあるし博打でもある一手だ。
「……」
「こっちの姫はちょっと好みだなぁ。で……。ここで俺がアガれば俺が親なわけだが、つまりどういうことかわかるよな? ンフフフ。好きな願いか……。まずはこの姫で今日の疲れを癒……。姫?」
キクコの手元に揃った牌を見て、シキミはどう振舞うか真剣に考えた。どういうポーズがいいだろうか。様々な映画やマンガ、ドラマを見てきたシキミであるから、こういうシチュエーションはたくさん見てきた。……やがてテンションがオーバーヒートし、シキミは立ち上がってタバコを吸い、天井を見上げながらため息をつくという極めて気障な動作をとった。何も出来ない恍惚の頂点にいた。その目は血走り、こめかみを汗が伝っていた。
「もうアガっている……」
「ん? 天和?」
「天和!?」
岩瀬、テレンスの顔色も変わる。この二人がこの後のことをどう考えていたはわからない。麻雀のルールも知らない女の子に最重要の一局に任せるなど、ナツメ商会は勝負を捨てたとみなしたかもしれない。
だが! 無垢なるものは狡猾なるものに食い物にされるが、狡猾なるものにとっても無垢とは最大の天敵であるのだ。
「天和だとォーッ!!!???」
「イピカイエ、クソッタレ。九蓮宝燈だ」
シキミはそっとキクコに手を添え、牌を返した。ずらりと並んだ萬子の数字札……。人生すべての運を使い果たし、死に至るとされる究極の役満、九蓮宝燈。またの名を、“天衣無縫”! 怪殴丸で死を司る死神であり、誰よりも無垢。そして秘めたる謎。あまりにもキクコのプロフィール……謎も含め、彼女を物語る一手だった。
ヴァンパイアのプリンスはあまりの衝撃に身を乗り出して尖った犬歯を剥き出し、目を剥いてキクコの手牌を穴が空く程眺め、制御出来ずに呪われた唾液が卓に落ちた。
百戦錬磨のテレンス、岩瀬はあくまでも平静を保ち、何も言わず、大きなリアクションもとらず、それでいてあっけにもとられずそれぞれの勢力の代表者として森厳と席に座っていた。
「三十二倍返しだな。勝負あったとみてよろしいか」
明智が電話の時報のように抑揚に欠ける声で言った。
イカサマを仕込んでいた以上、常時バイトが有利なはずであったがその前提は崩れた。バイトのイカサマはなんらかの技術によるものだろうが、それさえも覆す説明不可の超常の力がキクコに作用している。バイトはイカサマで麻雀本来の数式を覆してシキミを撃退したが、キクコの聖なる力……或いは呪いはその理すらも超越していた。
……言葉には出さなかったが、全員が戦慄していた。一度は死んだ身であるテレンスさえも死は恐れる。だがキクコに働いた幸運は死よりもある意味で理不尽で不条理だ。
「……イカサマ。こんなのイカサマだ!」
「どうだろうね? じゃあ証拠を出せよ。出せないんならイカサマじゃあないね」
「ぐるあ……」
バイトの唸りは言い負かされた悔しさではなかった。闘争本能剥き出しのケダモノ同然、最後に残った自制心が、暴力という最後の手段からギリギリで彼を人の域に留めていた。バイトの敵はもはや自分。ここで感情に任せてシキミとキクコを殺してはならない。
「正直わたしも驚いてるし、仕組みもわからないんだ。次はどうだろうね? 次はどうだろうか……。次もキクコさんが親だけど、お前はイカサマをしても構わないよ。だってさぁ……。九蓮宝燈だよ? 巻き添えでわたしまで死の運命に見舞われちゃ困るもん。次はないよ。……多分ね」
キクコ、親続行。配牌が終わる。落ち着きなく右往左往、そして上下にも動くバイトの瞳は、残像が残って渦巻き模様にさえ見えた。キューバの葉巻をくわえ、部下に火をつけさせようにもバイトの手と口が震えるあまりになかなか火がつかない。
既にバイトの手元にはイカサマの準備が整っているのだろう。だが、あとはツモるだけ、という流れがあまりにも遠い……。
「アスタ・ラ・ビスタ、ベイビー」
そしてキクコはもうアガっていた。
「二連続で天和の九蓮宝燈だとォーッ!?」
牌を返すと先程と全く同じ手牌の並び。
恐怖と驚愕と興奮のあまり、誰もが何も覚えていなかった。
……。辛うじて岩瀬とテレンスが、いち早く平常心を取り戻し、今はキクコが味方でよかったと安堵するのみだった。言葉には出さなかったが、全員が戦慄していた。一度は死んだ身であるテレンスさえも死は恐れる。この強運は死よりも強い力を持っていると錯覚する程だった。おそらくキクコはどうすれば麻雀に勝てるかということも理解していない。つまり、姿も名前もわからぬ超常という第三者が、彼女の意志に関係なく彼女を勝たせたのだ。岩瀬も明智も絶句する他なく、キクコについては何も言及出来なかった。
バイトは葉巻を口から落とし、自らの手首の内側に押し付けて痛みで正気を取り戻した。
「ギャバーッ!?」
そしてキクコの手牌を見て統計学あり得ないことではないが、事実上あり得ない二連続の“天衣無縫”に再度正気を失い、爬行じみた姿で卓から逃げ出した。歩くことにも不自由しそうなロングコートが棚引き、後ろからは液体か火の玉か、形のないものが逃げて行くように見えた。実際、ヴァンパイアのプリンス、池袋のプレジデントというバイトが作った虚像はもうバイトの恐慌によって影も形もなくなっていた。
「逃すか」
テレンスが構えをとるとポルターガイストがバイトの襟を掴んで一気に引き寄せ、壁に背中を叩きつけてキョンシーの若頭が腕を吸血鬼の首領の背後に突っ張り、額がぶつかる程に顔を近づけて威嚇した。バイトからは、死人であるテレンスの鼻の頭や眉間、こめかみで、怒りによって激しく脈を打つ血管さえも見えたことだろう。激しい吐息が、バイトの王冠を曇らせていた。
「さぁ……キクコさん。あなたの勝利だ。願いを言うといい」
……願い、祈りは、キクコに必要なものなのか? キクコはどうして自分が勝ったかも、何故周りがこんなに騒がしいのかも、そもそも麻雀のルールも、自分に働いた不可解な現象も理解していない。
だからこそか。彼女が自分で掴んだ勝利でも幸運でもなく、彼女もまた極端な運命に翻弄されているに過ぎない。彼女はそれを制御出来てはいないのだ。
「この店を調べ、証拠を掴みましょう。明智さんが裁きを下す根拠になる証拠を」
「……ありがとう」




