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おめでとう、ありがとう

作者: 物書きの端くれ

 『私はいま、事件の現場に来ています』

 私はそう題された書籍を手に取り呟いていた。平日の正午が過ぎた現在、書店には私以外の客の姿はまばらで仕事着のままだからか、店員の視線が気になった。

 12時を少しオーバーしつつもお昼休憩に入った私は、昼食をとらず職場を出てすぐ近くの書店に入ったのだった。

 すでにあの人から献本は貰っていた。でもそれじゃ、意味がない……。

 私は積まれた本の中から一冊手に取ると、レジで会計を済ませた。そのまま職場に戻る。


「珍しいね、小川ちゃんが昼休憩に外に出るなんて」 事務所の自分の席に着いた瞬間だった。何人かと雑談をしていた先輩からそう声を掛けられたのは。

「──えっ? ええ、まあ。ちょっと用事があったものですから……」

「ふ~ん、男?」

「ち、違いますよ」 まったく、何でも男関係に繋げたがるのがこの先輩の悪い癖だ。反吐が出そうになる。

「なんだ、つまらない」 先輩は興味を無くしたのか、他の社員たちと別の話題に移っていった。

 あの人からデビューをしたと聞いたのは約三ヶ月前のことだ。珍しく電話を掛けてくるものだから驚いた。私が知る常のあの人よりもテンションが高く、喜々とした声をしていた。そりゃ、そうだろうが。なんせ、長年の夢が叶ったのだから。


 4年前に最後に電話をした内容がゲオで借りてたDVDが見当たらない、という内容だったからあの人も申し訳なさそうだったな、と思い出す。最後に一緒に観た映画だった。結局は私が間違えて持っていたのだが……。


 それで献本が届いたのが一ヶ月前で、今日が発売日となる。果たして、他人の私に発売日前にも関わらず、献本など送ってもいいのだろうか? いや、良くないだろう。何十冊もあるから大丈夫、なんてほざいていたが、そういう問題じゃない。まったく相変わらず、そういう所が抜けている。


 本当変わらない、な……。あの人のそういう所が好きで、そういう所が嫌いだった。



 私は持ってきていた弁当を開く。デスクに常備しているのりたまを白米にふりかける。おかずはいつも冷凍食品だ、今日は唐揚げにした。

 あの人から貰った献本はもう読んだ。さっき買った書籍となんら変わらぬデザインのハードカバーで、内容もあの人が書き続けてきたミステリーものだった。多少、修正された箇所はあるかもしれないが、ほぼほぼ同じだろう。


「ね、ちゃんと食べてるの?」 あの人との電話の最中、私は思わずそう尋ねていた。

「食べてるよ。作ってもらってるから」

「──そう。なら良かった」 そうだ、あの人には婚約している相手がいてちゃんと世話してもらっているんだった。

「仲良くやってるんだね。これで向こうの親御さんにも安心してもらえるね」

「うん、ありがとう。仲いいよ。これでようやくお金が入れられるよ、恩返しもできる。でもまあ、大変なのはこれからかな。デビューして満足して消えてった奴なんていくらでもいる。そうはならないようにしないと……」 あの人が電話の向こうで強く決意しているのが感じられた。私が知らない間に人としても物書きとしても成長していたみたいだった。


「もしかして、もう書き始めてるとか?」

「え、うん。一応、書いてはいるよ。2作目のことでしょ? まだプロットの段階に等しいくらいだけど……」

「偉いじゃん。まるで作家みた……、ああ、作家になったんだった。おめでとう」 あの人が少し電話の向こうで笑ったのが聞こえた。

「ありがとう、まだ発売前だけどね。でも、そっちも元気そうで良かった。2作目も形になったら献本、送るよ」

「だから、それ、大丈夫なの? 編集社とかにばれたらヤバイんじゃないの」

「そっかなあ? でも、これぐらいしか出来ないから……。恩返しってわけじゃないけど、お世話になった人たちにはせめて、物語で返していきたい」 

 あの人が真剣な眼差しをしている様子を思い浮かべる。なんだよ、カッコいいこと言いやがって。

「──わかった」 私はそう答えるのが精いっぱいだった。



 読んでから、感想の電話をしようかと思ったこともあったが、結局私からはかけられなかった。

 どうしよう、発売祝いの電話をした方がいいだろうか? そんなことを考えている間にお昼休憩の時間は終わりを迎えていた。私は悩みながら、仕事に戻る。仕事をしていると、そんな悩みもいつのまにか薄れていった。


 五時半に仕事を終え、職場をあとにする。最近、私は真っすぐには家に帰らず、近くのスーパーに寄るのが日課になっている。ちょうど値引きされた商品が並ぶのも大体その時間だというのもある。

 適当な惣菜を買い物かごに入れていく。余ったら、明日の弁当にでもすればいい。1日や2日、賞味期限が過ぎても私は気にしない人間だった。


 あれっ? ちょっと待て。そう言えば、賞味期限が何日か過ぎても気にしなくなったのは、あの人と暮らしていた頃からだった。最初は嫌な癖だと思っていた私だったが、食べても平気な自分を知ると、まったく気にしなくなっていった。今では、立派な節約方法だとすら思っている。

 何だろう? あの人に影響されているようで私は少し気に入らなくなる。チラッと総菜コーナ近くの飲み物コーナに目が行く。

 明日は遅番だ。だから出勤時間は二時間ばかり遅くなる。少しくらいなら許されるだろう。私は買い物かごに缶ハイボールを放り込んだ。


 会計を終えて、スーパーを出る。スーパーのすぐそばにはゲオが建っている。私はなぜか、ゲオに立ち寄った。

 あの人と最後に観た映画、『タイタニック』をレンタルする。何をしているのだろう? 何をするつもりなのだろう? 私は自分でもまったくわからなかった。


 家に着くと私は玄関先で「ただいまあ」と口にする。家の奥から父親の「おかえり」が返ってきた。

 あの人と暮らすのをやめた時、アパートを出たのは私の方だった。あの人に家賃を払っていける資金があるのか、明日の食事はどうするのか、この先を生きて行けるのか、様々な疑問が頭をよぎった。あの人は私の心配を察してか、「何とかするよ、ありがとう」と呟いたのだった。

 物語を書きながらも、バイトをしていたあの人は少しなら貯金があるということだった。アパートを出た私は実家に帰った。職場も変えた。


 居間に座ってテレビを観ていた父親の前に買って来た惣菜を広げ、「好きなの選んでよ」と言った。

「また、お前、惣菜ばっかり買って来て」 父親は渋い顔をしてそう言った。

「いいじゃん、昨日はちゃんと作ったんだから。母さん退院するまでもう少しなんだから、我慢してよね」

「そうだな、わかったよ」 父親はそう言って、唐揚げを手に取った。お昼の弁当にも唐揚げ入れたのに夕飯も唐揚げにするのか……。なんて思いつつ、買って来た私も私か、と思い直す。


 それから、私はシャワーを浴び、買って来た餃子とハイボールを手に自分の部屋に行く。

 母親がいないと、こんなにもバラバラなものか、と片隅で考えながらレンタルしてきた『タイタニック』を観賞する。若きディカプリオはカッコかわいいな、と思いながら餃子をつまみにハイボールを流し込んだ。

 観賞途中に私はあの人に電話をするのはやっぱりやめようと、思い至った。今、あの人の傍にいるのは私ではないのだから。それに発売日なのだから、何か二人でお祝いをしているかもしれない。

 あの人と一緒に暮らすのをやめていなかったら、隣にいたのは今でも私、だったのだろうか?


 ──やめよう……、考えるだけ無駄だ。それに、まるで、あの人が作家になった瞬間、そんなことを考えるなんて。虫が良すぎる。

 そんな人間だけにはなりたくない……。そう思った瞬間、今日お昼休憩に買った本までもこの部屋にあるのは場違いな気がしてきた。

 まるで、未練。


 私は『タイタニック』を一時停止すると買って来た本を手に部屋を出た。居間では父親のお笑い番組を観て豪快に笑う声が聞こえる。喫煙者である父親は家のあらゆる箇所にライターを置いている。その一つを拝借し、外に出る。

 実家で良かったな。アパートだと庭なんかないし……。私はそう思いながら買って来た本に火をつけた。ハードカバーだからか、最初はなかなか火がついてくれなかったが、燃えだすと勢いよく炎を上げる。


 ──燃えゆく本を眺めながら私はあの人にメールを打つ。

 発売日だね、おめでとう、と……。


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