熊のような男
「カオル、あのオートバイがどうかした?」
車に乗り込んで、すぐ聞いた。
「ちょっとな……どっかで見たような気がしたんや。今は思い出せん」
「そっか」
「セイ、この道、まっすぐ言ってみよか。遠くに見える、あの工場みたいな倉庫みたいな建物が気になる」
「うん。……あれカラスだね」
建物の付近に、カラスが舞っていた。
近づけば<養豚所>と判った。
ぶいぶい、豚が鳴いている。
辺りに豚の餌が散っていて
それをカラスが啄んでいた。
小屋は板張りで、隙間から豚が見える。
横に2階建てのプレハブの建物。
前に軽トラが2台停まっていた。
「セイ、決まりやで。犬は屠殺銃で殺されていたんやな。犬殺しは此処におるで。ちょいと締め上げて吐かせたる」
薫は勇み足で、プレハブへ向かう。
殺気立ってる。
「待って、カオル、聞いて。犬を殺したのは悪い人では無いかも」
「なんで?」
犬に脳腫瘍があったことを伝えた。
屠殺銃で眉間を撃つ。一瞬で絶命、苦痛が少ない。
つまり先の短い病の犬を、安楽死させた可能性がある。
「そおか。よし分かった。どんな奴か顔拝んでからやな」
インターフォンを押すと
暫くしてドアが半分開いた。
大きな男が、そこに居た。
グレーの作業服の上下。
かなり汚れている。首にタオルを巻いている。
背が高くふくよかな体つき。
髪は黒々と多い。
日に焼けた肌に体毛も多い。
丸い目が太い眉の下から、驚いたように来客を見ている。
丸い頬。
先が丸い高い鼻。
形の良いふっくらした唇。
<熊さん>みたいだと、聖は思った。
熊のぬいぐるみを連想させる雰囲気。
優しそうで可愛らしい大男に
薫の殺気も一瞬で消えていた。
「突然、すんません」
薫は身分証を見せた。
「おまわりさん?……なに? 中村の爺さんの件?」
言いながらドアを全開し、中に招き入れる動作。
中に入ると
正面に横長のデスク。上にパソコン、プリンターにファックス。
大きなテーブルに椅子が6脚。
テーブル半分に書類が整然と積まれている。
すっきりした事務所、だった。
「まあ、座って」
男は2つの席を指差した。
そして、隣の部屋に消え、
すぐに、緑茶のペットボトルを2つ持って来た。
大きな手に<人殺しの徴>は無い。
「鈴森、と申します」
名刺を出す。
有限会社鈴森商店 代表取締役 鈴森甲太郎。
とある。
聖も成り行きで名刺を渡す。
「お巡りさんと、剥製屋さんが。また、なんで来はった……?」
遠慮がちに聞く。
薫は中村から依頼された、一部始終を説明した。
「中村さんが……本当に? どうなってるんやろ。なんで、そんな、ややこしい事を剥製屋さんに……」
鈴森は酷く驚いたようで、
ブツブツ独り言を続ける。
「質問しても宜しいか?」
薫は、
犬に屠殺銃で撃たれた形跡がある。
養豚業ならば所有しているのでは無いかと、
ストレートに聞いた。
「はい、モコを撃ったのは私です。
……じいさんに頼まれて安楽死させたんです」
鈴森は携帯を手に
何やら画像を探し出した。
「コレ、爺さんです。ここにモコと。時々来てましてん……タバコ吸いに。家では嫁が吸わせてくれないと、言うてました」
数枚の画像を見せる。
言葉通り、中村と面立ちの似た爺さんがモコを抱いて、
(今、薫が座っている)椅子に座っていた。
「あんたは、爺さんと、友達やったん?」
薫はメモを取らずに質問した。
「モコと散歩に、ここまで来て。豚を長いこと見てはった。半年前、同居してすぐから」
従業員も良く知っている、と付け足した。
「老人が認知症だったと、ご存じでしたか?」
聖は聞いた。
ひどく重要な気がしたから。
「本人が言うてたね。記憶が飛んでしまう、怖いって。朝ご飯食べていたと思たら、外は暗い。1日何をしていたのか記憶が無い。ここで私と話している、楽しい記憶も消えるのかと思うと、とっても悲しいと」
そして、<モコ>の安楽死を、何度も何度も頼まれたという。
「スルーしてましてん。モコはまだ食欲はあったから。しやけどいよいよ弱って。
……あの日帰り道、晩に家の前を通ったら、庭に爺さんがおって、おいでおいでと呼ばれた」
車を降りると、塀越しに、<モコ>を手渡された。
老人は
(もう待ちきれない。どうぞ楽にしてやって)
頭を下げて家に入ってしまった。
「取りあえず、モコと事務所に戻りました」
犬を預けた記憶も消えると、思った。
自宅はマンションで犬を連れて帰れない。
仕方なく、その夜は事務所で泊まった。
「案の定、あくる日、爺さんが『犬が居なくなった、盗まれた』と言うてきた」
鈴森は、モコを見せ、昨夜の出来事を話した。
「爺さんはモコを連れて帰ると思たんやけどね……」
(アンタが往生させて呉れたら、思い残すこと無い。
盗まれてなかって、良かった。
安心した)
同じ言葉を何度も繰り返し
美味そうにタバコを吸って
上機嫌で、出て言った。
「従業員と話してる間に、出て行きましたんや。どっち向いて歩いて行ったか見てないんです」
その事を後悔していると、詫びるように頭を下げる。
「成る程……爺さんは思い残しが無くなって自ら川に飛び込んだと、そう思たはる?」
薫は鈴森に聞いた。
「自分で自分の始末を付ける決断はしたと思います。そういう人やった。
けど、とにかく忘れてしまうから。死に場所を探して歩いてる途中に、目的を忘れてしまったかもしれん」
川に飛び込む寸前に、記憶が消えるかも知れない。
それでも不安定な場所に立っていたなら、本人の意志に関係なく川へ落ちただろう。
「自殺の意志があった認知症の老人……事故か自殺か、やね。他者は介入していないな」
老人は殺されたのではないと、薫は判断したようだ。
「で、一昨日犬の死骸をゴミ置き場に置きはったん?」
薫は、これもメモを取らずに聞いた。
「はい。もう先延ばしにできない、と3日前の夜に、スタンナー(とさつ銃)で撃ちました。くるくる回って、吐いて、吠えて……可哀想で、とても見てられへん」
涙ぐむのを見られたくないように、顔を横に向ける。
聖は鈴森という男に尊敬に近い好感を持った。
異常行動の出ている脳腫瘍の犬を、数日手元に置いて面倒見るなんて
そうそう出来ることではない。
自分の犬でも無いのに。
<楽に死なせてやる>のも辛い仕事だったろうに。
「マンションのゴミ置き場に置いとけば、中村さんが、すぐに気付くと考えたんやね」
「はい。持って行くのはね、ちょっと違うかなと。目に付く場所に置きました。家の前は、早朝は案外車が通るからね。犬が病気で、爺さんが私に安楽死頼んでるのも、家族は知ってはるやろうから。置いとけば、分かるやろうと」
「え?……家族は爺さんとアンタが仲良しなん、知ってたん?」
薫が、ちょっと怖い顔で聞く。
……中村から鈴森の話は全く出なかったが?
「あ……私は爺さんしか、話をした事は無いです。けど家の前で爺さんに呼び止められたコトは何度かあった。……当然(2人が親しいと)知ってると。なんで犬殺しの犯人探しかと……わざわざ剥製かと」
鈴森が不思議がるのも尤もだと、
言いたげな目で
薫は聖を見た
中村は鈴森の存在を知らなかったのか?
知っていて、犬と父親を殺した犯人と目星を付けたのか?
大きな誤解があるのでは。
「鈴森さん、今のお話、中村さんに話してくれませんか。それで、お互いすっきり、しましょう」
薫は、今すぐにと、立ち上がった。