代役
「風が強いわね。大丈夫?」
母がシモンに。
「神流さんだ。良き人だよ」
父が聖を指差した。
聖はシモンの<人殺しの手>に吸い寄せられたように
気がつけば吊り橋の上に
親子3人と一緒に居た。
シモンは聖を見上げて微笑んだ。
「モコを蘇らせてくれるんだ ……悪い人は誰か、分かるんだ」
澄んだ声、だった。
身体の大きさは12才か13才。
小学6年か中学1年の体格だ。
しかし年齢不詳
もっと幼いのか、小柄で幼く見えるのか量れない。
肌は透けるように白い。
瞳は黒い。
とても。漆黒とでもいうのだろうか。
(人殺しの徴の無い)右手は赤ん坊の手のように無垢だ。
窪みも皺も、僅かな傷も無い。
産まれてから自分の頬以外触れたことのないような
綺麗すぎる手。
「では、今日はこれで。宜しくお願いします」
父親が、もう一度深々と頭を下げ、去って行った。
父と母がシモンを風から庇うように
寄り添って……。
「見間違えかと、そりゃあ思ったよ。けど、近くでしっかり見たからさあ」
「ワン」
シロにでも話さずにいられない。
マユとは夜にならないと言葉を交わせない。
カオルに「電話欲しい」とラインしたが、既読にならない。
「しっかり見た。あの子は3人殺してる。
1つは小さい手だった。
あと2つはね、
女性か若い男か分からない華奢な手と
成人の男の手」
「クワン?」
「そう。お祖父さんの手は、無かった
あの子は、お祖父さんは殺していない、ってコト
何が何だか分からない。
人殺しの少年を見つけたからって、俺1人じゃ何もできない。
今俺がすべきは、老犬の解体だな」
「ワン、ワン」
シロは作業室から出たいと吠える。
薬品の臭いが嫌で、解体工程には付き合ってくれないのだ。
「かわいそうに。痛かったろうな」
シロが去った静かな作業室で、しばし老犬の死骸を抱きしめる。
尻尾に触る。ふさふさした短い尻尾。
その次に、頭を撫でていると……瘤に触れた。
「ん?……キリで刺される前に殴られたのか?」
獣医ならばレントゲンで確認だろうが
剥製屋なので頭の皮を剥いでみる。
瘤は腫瘍、だった。
そして眉間の傷口はキリではないと判った。
眉間の奧に細いボルトが刺さっていた。
「スタンナー(とさつ銃)、……かな?」
ケモノを瞬殺する道具だ。
ブタ、牛、猪……。
素人には用は無い。
プロが使う銃だ。
その夜、聖は饒舌だった。
1人で背負うにはショックすぎる今日の出来事を
全部マユに聞いて欲しかった。
(薫は、明晩行けると、知らせてきた)
「シモン君は3人も殺していると、セイは知ってしまった。スルーできないよね」
マユは、<老犬と老人殺し>より、シモンに興味を示した。
「かといって何もできない」
「それは分からない。まずは、その一家から、犠牲者の情報を集めなきゃね」
シモンが誰を殺したのか、
一家の履歴から探れないか。
犠牲者が身近な人物なら、<不自然な死>のエピソードが聞き出せるかも。
「そっか。あの子は3人も殺しといて法で罰せられていないとしたら……事故か自殺に偽装したのか?」
初めて恐ろしい、と思った。
<人殺しの徴>に驚きすぎて、
あの子が恐ろしい人殺しだと、実感がなかったのだ。
……少年の並みでは無い美しさに惑わされたのか。
「事故か自殺に偽装はあり得るでしょ。或いは殺人事件であっても疑われなかった、かも」
「未解決殺人事件のなかにシモンがやったのが有るかも知れないのか」
「明日カオルさん来るんでしょ? 3人も人を殺めている少年を、見逃しはしないでしょう」
「そうだよな」
「連続殺人犯かも。この先も犯行を続けるかも知れないでしょ」
「あの子は……一体どんな理由で3人を殺したんだろう」
両親に愛され、何不自由なく育った、お坊ちゃんに見えた。
綺麗な容姿に生まれついて、多くの人に可愛がられただろう。
殺意も、殺意に至る憎悪も、あの子のイメージにはそぐわない。
「誰を殺したか分からないのに、理由なんて、今は想像もできないでしょ」
「……うん」
「中村一家の訪問目的は、お祖父さんと犬の死の解明、でしょ。色んな事件に関わってきたセイに期待している。つまりセイが完成した剥製を届けに行くときに、警察官の友人と一緒でも不審には思わない」
「多分。……ああ、そうか。老人と犬の生前の話、中村家のヒストリーのなかに、怪しいエピソードがでてくるかも知れないんだ」
「そうよ。剥製の囮で本当に『犬殺し』を捕まえたら、セイはその一家から信頼を得られる。一層色々な話を聞きやすくなるでしょうね」
マユは犬殺し、とだけ言った。
犬殺し、イコール爺さん殺しだとは考えていないのか?
「川で溺れて死んだ認知症の老人……愛犬を探して川へ行った。で、犬は殺されていた。ねえ、最初に犬を盗んで、その犬を使い、老人を溺れさせたと、疑ってるのよね」
「不可能だと思うの?」
「そうじゃないわ。でもね、相当の準備が必要ね。そして老人の行動を把握していないと難しいでしょ」
「……川まで誘導した方法が謎だな」
「認知症だったのよ。犬を使って罠を張っても無意味かも。何を思いどんな行動にでるか予測不能」
シンプルな罠を想像してみる。
犯人は盗んだ犬を川の中州に放置。
それを知った爺さんが川に入り
流され溺れ死んだ。
「随分手が込んでるでしょ。計画的よね。可能かしら?
誰にも見られずに出来るかしら?
何より、認知症の老人を殺したい事情がね、思い浮かばないわ」
「確かに、そう言われればそうかも。嫌がらせなら犬を殺すだけで充分だ」
「犬殺しが捕まれば事実も分かるわ。だからね、今のセイに出来るのは、早急に剥製を仕上げる、それだけよ。」
「早急にか……生きてるように見せる仕掛けが、プラン通りにスムーズにいけばね……ああ、でも梅雨だし……乾燥時間の短縮が難しい。最短で1ヶ月かな」
「1ヶ月? そんなに」
マユが驚き、がっかりした顔。
「毛皮剥がして骨格作成、毛並みも整えて……ぴったりの目玉が在庫にあればいいけど無ければ注文しなきゃいけないし」
聖は今更ながら、剥製製作の手順を……言い訳みたいに説明していた。
「そりゃ、そうよね。簡単にはできないわよね」
マユはため息をつく。
そして犬のアニメを見たいと言った。
<犬と爺さん殺し>に<3人殺した少年>。
どっちも話の続きは一ヶ月先と、諦めたみたいに、話題を変えた。
次の日
結月薫は陽が落ちる前に来た。
大きな唐揚げ10個と餃子4人前と酒を携えて。
あらましは電話で話し済み。
「セイを信じてる。セイが3人殺してると断言するんや。
そいつは子供のサイコパスやも知れん」
薫はハイテンションだ。
「爺さんと犬を殺した奴を見つけて欲しいと、言うたんやろ。つまりセイが完成した剥製を届けに行くときに、警察官の俺と一緒でもええんや」
マユと同じ事を言う。
「ほんで剥製はいつ出来る?」
瞳キラキラで聞いてきた。
聖は剥製工程を先に説明し、最短1ヶ月と答えた。
「1ヶ月も先なんか」
薫は露骨に不満顔。
予想はしていたけど。
「なあんや。1ヶ月も待つのか」
と、缶ビールをガブ飲み。
「あーあ、一週間くらいと思ってたのに。がっかりやなあ。あーあー」
遠足が延期になった、あの時(小学5年)と同じ顔つきで
駄々をこね出した。
「あ、そうだ。犬の頭にボルトが入ってた。見る?」
<犬殺し事件>の謎解きに誘導してみる。
「ボルト?」
薫が一瞬で刑事の顔に戻った。
「コレ、とさつ銃でやられたんじゃない?」
犬の頭と抜いたボルトを見せる。
「しやな。特殊な銃や。……銃を辿ってみよか」
薫はボルトの写真を撮った。
犬の頭の写真も……そして、突然「コイツ似てるやんか」と嬉しそうに言った。
「セイ、アリスや。この犬はアリスそっくりや」
骨格は日本犬で毛が長い茶色い犬。
大ざっぱに見れば、似たような犬かも知れない。
聖は細部の僅かな違いも把握しているので
まるで別物にしか見えないが。
「セイ、一月も待たんで、ええやんか」
薫が、ハイテンション状態に戻った。
……どうして?
「剥製でなくても、ええやんか。代役で勤まるで」
……へっ?
「カオル、まさか、アリスを……」