シモンの手
「惨いことを……」
犬の亡骸を目の当たりにして
聖は平静ではいられなかった。
殺した奴への怒りが湧いてくる。
老人が殺されたかもしれない、というのは
憶測の範囲であるが、
犬殺しは紛れもない事実。
「警察には?……調べてくれないんですか?」
発見場所付近の防犯カメラとか
犬の身体に犯人の痕跡は無いかとか
「刑事告発、ですか。動物虐待だと弁護士を頼んで?……時間がかかりすぎます。
警察が犬一匹のためにどこまで捜査してくれるでしょう。
私は神流さんの力に賭けたいんです。
殺した筈の犬が窓に居るのを犯人に見せてやりたい。
親父を殺したのも知ってるぞと、脅してやりたいんです」
中村は興奮を抑えるように何度も深呼吸。
くせの無い柔和な顔立ちは
怒りに歪むこともない。
メンタルの強い男なのだろう。
妻の方も、緊張した面持ちではあるが、<昭和顔>で人を和ませる雰囲気。
夫が語るのに口を挟まず、ただ時折頷いて、聖に何度も頭を下げていた。
「わかりました。お引き受けします」
生きてるかのように……体内にゼリー袋を仕込んではどうか?
撫でてやれば、ゆっくり動くのでは。
聖の頭の中で、仕事は始まっていた。
<モコ>を抱いたと同時に。
縁あって自分の元に来た老犬に情が湧いたのだ。
聖は、外で少年が待っていることだし
犬の画像は家に帰ってからパソコンのアドレスにと
窓が映ってる画像も必要と、今必要なやりとりで話を終わらせた。
中村夫婦は深く頭を下げ、腰を上げた。
聖は見送るつもりでドアを開けた。
何気に外を見ると……吊り橋の上に思いも寄らぬ光景が。
橋の中央でしゃがんでいるのは<シモン>に違いない。
フード付きの白いトレーナーと黒のゆったりしたパンツ。
その子に茶色い犬がじゃれついている。
……アリスだ。
普通の犬じゃ無いのが客と居るだけでも、心ざわめくのに
何故か、側にアイツが……。
金髪で白いスーツの……鈴子の守護霊だ。
(聖にしか姿は見えず声も聞こえない)
暇で遊んでるの?
(鈴子に守護が必要と思えないし)
聖が不安な面持ちで見ている中
少年は両親の気配を感じて
立ち上がった。
聖は少年だけを、見た。
綺麗だと、驚いた。
並みの美しさでは無い。
両親はクセの無い外見ではあるが
いたって平凡。
だが、どうして息子は異常に美しいのか・
そこだけが天から真っ直ぐに光が降りているように
遠目でも西洋絵画の絵のようだ。
さては暇な化け犬と守護霊は
この少年のただならぬオーラに、寄ってきたのか。
「シモン、帰りますよ」
母が声を掛けた。
同時にアリスは聖を見、さっと逃げ去った。
鈴子の守護霊も、消え去った。
シモンは両親に微笑んで
軽い動作で左手を挙げた。
了解、の身振り。
聖は見た事も無い綺麗な少年の出現に
驚き、その全身から目が離せないで居た。
だから……。
シモンの左手が
手のひらが3枚ヒラヒラしているのを
はっきりと、見た。