闇落ち
「セイ、シモンが逃げたで」
週明けに結月薫からの電話。
中村家に、行ってきたという。
事故死の一家に関して、(車の目撃情報があった為)聴取。
そこでシモンの家出を聞かされたという。
持ち出したのは黄色いバイクだけ。
金も着替えも持っては居ない。
短いメモ書きを残し、消えた。
(シモンは死にました。
悪しきモノを引き連れて
地獄へ昇っていくでしょう。
さようなら
良き人)
「やはり転落事故に関わっていたと、そういうコト?」
「同じことを父親と母親に、聞かれた。……知っていてトボけてるんかと思ったけど」
「黄色いバイクは? この前は見なかったよね。写真が飾ってあっただけで」
「バイクはな、事故死した一家が、押しかけてきた時から、隣のマンション裏の駐車場に停めてあったらしい。中村さんマンションのオーナー、やねんて。
この前行ったとき、俺等が来るから、車もマンションの駐車場に停めてたんや」
「成る程。黒ワゴン車のせいで停めるスペースが無くなったんだね」
「それもあるけど、物欲しそうにあのバイクを触ったらしい。それを爺さんが嫌がったんや」
「事故死した一家と、色々揉め事があったの?」
「地獄でした、言うて、奥さんは泣いてた」
(奈良の工場に就職し、寮に引っ越しする予定が、寮で小火があって入れず、今夜は泊まるとこもない)
突然尋ねて来た事情は、あくる日には火事のせいで工場が閉鎖、いくあてが無い、に変わった。
ホテルに泊まる金も無い。
他の仕事を探すにしても、現住所が無ければハローワークに行けない。
仮に、此処を現住所とさせて欲しい。
一時的に。
早々に仕事を探し、出てゆきますから。
どうか、助けて下さい。
中村克彦は泣きながら土下座した。
「それで、一家で居着いちゃったの?」
「そうやで。想像もしていなかったコトだけに、どう断ればいいのか……思考停止になって承諾してしまったんや。なにより気の毒で、ええ人なんやな」
中村克彦は(申し訳ない)(恩人や)と、大げさに、また泣いた。
「奥さんは居候一家に、毎日ご飯作って食べさせていたの?」
「中村克彦はな、嫁の美佐子を家政婦と思って、使ってくれと言うた」
美佐子はヘルパーの経験があるという。
実家が大衆食堂であったので料理も得意だと。
美佐子は(旦那様、奥様、どうぞ使って下さい)と肩を震わせ泣きながら頭を下げた。
「嫁と子供が可哀想やったと。ほんで仕事さえ決まれば出て行くと思ってたからな。
リビングで3人、寝かせたんやて」
美佐子は、その日から<女中>になった。
(奥様、私がいたします)
慣れた手つきで家事をこなした。
「シモンの母親は、音大出の勤めにでたことない専業主婦や。それがいきなり『女中』がついてパニックやったって」
「シモンは?……居候と関わったの?」
「シモンは子供のふりしてた」
初見で小学生、と思われた。
その誤解をあえて解かなかった。
小学6年の不登校を演じた。
ユメカ(4才)の相手をしてやったりもした。
幼い女児は、「お兄ちゃん」と懐いた。
「爺さんは?……文句の一つも言わなかったの?」
「ボケ老人扱いされて、それが屈辱で顔を合わさなかった」
中村克彦は、老人の認知能力をすぐに見抜き、
(ボケてはるね。大変やね。頭はしっかりしてないのに、歩き回れる、メシは食べる。一番厄介や。なんならワタシがずっと見張りますよ)
親切ぶって惨い言葉を投げつけたのだ。
「死んだ人なんだけど、かなり嫌な奴だな」
「悪党やで。そのまま、いすわったんやからな。仕事も探さんと」
「ずーっと居候でいるつもりだったの?」
「住民票を、ここに移そうかなと、言い始めたんや」
「なんで?……他人でしょ。家に泊めるって1週間くらいが限度じゃ無いの?」
「悪党やからな、じわじわ脅してきたんや」
「暴力とか?……なんで警察よばない?」
「そもそもの出会いの、子供が車に当たった件を、『ふつうやったら、ひき逃げ、ですよ』と、脅してきたんや」
ユメカは、ずっと右足の膝に包帯を巻いていた。
それで膝を曲げることが出来なかった。
だが克彦は
(ユメカの足、あんなになってしもて。一生膝が曲がらないかもしれん。普通やったら、どんだけの慰謝料やろ)
とも、言った。
「いつの怪我か分からないよね?……本当に車に当たったかどうか……怪我してるのかどうかも怪しい」
「克彦が、強請目的で子供の足を傷つけた可能性があるで。その場合証拠は無い。逆にいえば車が当たったのでは無いと、証明する手立てが無いやんか。受傷から日が経ってるからな」
克彦は何処へ行くでも無く、リビングに居座りテレビを見ていた。
美佐子は、中村の妻について回った。
スーパーの買い物に、ユメカを連れて付いていき
(奥様、私がやります。ご自由にしていてください)
と、皆の食事を作った
「当たり前のように、棲みついたと、言うてたわ。もちろん食費を出すでもない。
しやけど克彦は酒もタバコもやらない。
『申し訳ない有り難い』と食事の度に深々と頭を下げる。
窓辺で寝ている老犬とかわらん位、おとなしく、リビングに居るだけ。
だからな、余計に出て行けと、言いそびれてしまった」
一度携帯電話が止められる、払う金が無いというので出してやった。
全く金が無いと分かった。
「子供おるからな、追い出すのはこちらが悪者のようで……ずるずると二週間居着き、
挙げ句の果てに、(住民票を移したい)と」
親戚面して本気で棲みつくつもりかと、ぞっとした。
「その時にシモンがな、『お爺ちゃんの家へ行ったら?』と言い出した」
台風の後だと、いう。
和歌山の家かと、中村夫婦は思った。
実際空屋だった。ほったらかしのまま、爺さんと老犬と単車だけを連れてきたのだ。
ここに居着かれるより、まだましかもしれないと考えた。
ところがシモンが克彦に見せた家は、表札は<中村>だが、
実家では無かった。見覚えも無い家だ。
(針山インターから近いんだよ。ここより田舎だけど。行って見て来れば?
勝手口の鍵が壊れてるんだ。そこから中に入れるよ)
「シモンはバイクで時々針山インターに行っていたらしい。
オートバイ愛好家の聖地やからな。
そんで、たまたま、その空屋を知ってたんやな。
なんでもいいから今居候一家を追い出す方法として、空屋が思い浮かんだのかと、親は息子の嘘に口を挟まなかった」
シモンは(台風の雨)で、土砂崩れがおきているのも、知っていたのか?
克彦は、この提案に食いついた。
そしてシモンの罠に掛かった。
あれは事故だと、両親はシモンを疑っていなかった。
一家の死で、一挙に問題が解決した。
後味が悪すぎて、一刻も早く忘れ去りたいと、ただ願っていた。
それが、突然シモンが家出。
短い置き手紙の<死>の文字が恐ろしい。
次に刑事が……事故は作為の跡があり、黄色い小型の単車が絡んでいると。
「シモンは死ぬ気やと母親が泣いてな。
指名手配でも何でもして探して欲しいと。
けど現在の状況ではシモンの犯罪やという証拠が無い。
しやから自殺の可能性が高い家出人として、捜索願いを出して貰った」
シモンは天使のように優しい子。
親を助けるために犯した罪。
あの子は自分を罰する覚悟にちがいない。
人一倍<悪しき者>を憎む性分だった。
可愛そうに、どれだけ己を憎み苦しんでいただろう。
その夜、
マユに事の成り行きを報告した。
「ご両親はシモン君が自殺すると心配してるのね……セイはどう思う?」
長い沈黙の後、マユは暗い眼差しで聞く。
「死ぬ気だよ。爺さんも犬も死んだ。気がかりが消えて決行の時を知ったんだよ」
<人殺し>だけど可哀想だと聖は思う。
家族を救うために自らの手を血で汚した。
賢いとはいえ世間知らずの頭では、他に解決手段を見いだせなかったのか、と。
「シモン君が『いい子』だと?……ねえ、被害者が、もし道路の異変に気付き車を手前でとめていたとしたら? どうなってた?」
「えっ?……そうか。そういう可能性もあったんだ。車を停めて、徒歩で目的の家に行ったのかな」
「そうね。それから? シモンの話が本当なら裏口から家の中に入るのかしら?」
「入るだろうね。それが目的で来てるんだから」
「で、此処に住もうと決めるの? 空屋だけど全く事情の知れない他人の家。いつ本当の持ち主が尋ねてくるか分からないわね」
「うん。シモンは、そうなった時の不都合を計算出来てなかったのか」
「そうかしら。シモンの目的は、居候一家の皆殺しだったと思うよ。人里離れた場所に誘き出して殺そうと考えた。そして殺害場所を思案。ちょうどいい家があったと思い出す。バイクで走り回る範囲にね。何度か見ているから空屋だと知っている。裏口から中に入って休憩場所に使っていたかも知れない。被害者は車上生活者だった。空屋に不法侵入して一家心中しても不自然では無い。シモンはその家に『中村』の表札を上げ、写真に撮った。……台風で土砂崩れは計画外よ。偶然、簡単に殺せる条件が出現したのだわ」
「シモンは、自分の手で皆殺しにするつもりだったと?」
「空屋にある包丁で刺し殺すつもりだったかも。想像してみて。恐ろしい光景でしょ。被害者は子供だと信じているから無防備。あっさり殺されるわね」
「……でも、」
聖は、シモンが包丁で3人を次々殺していく様が、どうしても想像できない。
「シモンは看板とコーンを動かしただけ。運悪く車は落ちてしまったと、イメージしてるんでしょ。違うと思うわ。シモンは確実に、計画的に、一家皆殺しを企てた。しかも完全犯罪狙っている。家族の為とはいえ、やりすぎよ。相手が悪党でも、冷酷すぎる裁きだわ。善良にみえても芯は邪悪で残酷なのかも。罪の償いで自殺? 絶対、ないわよ」
「絶対、ないの?……でも置き手紙に」
(シモンは死にました。
悪しきモノを引き連れて
地獄へ昇っていくでしょう。
さようなら)
「死ぬって、書いて、そして出ていったんだ。犯行がバレてもないのに、出て行ったんだよ」
「死ぬ、じゃないでしょ。死にました、でしょ。今までのシモンは死んだという意味じゃないかしら?……今は違うモノになった、ってコト」
「どういう意味?……俺、わからない。シモンは何になったの?」
「何に……簡単に言葉には出来ないわね。でもいつ<今までのシモンが死んだ>のか、分かるでしょう?……アリス、よ」
「アリス、……あれは終わったんだ。消えたんだよ。昨日話したかったんだけど」
昨夜、徹夜仕事でマユに会えなかった。
「悠斗さんの腕の中で消滅したんだ。……化け犬らしい最期」
「……それは知ってる。セイ、シモンはアリスに触ったんでしょ? その後にアリスは古い剥製が崩壊するように砕け散った。そうよね?」
「うん……そうだけど。……あ!」
聖は(あ、あーああ)と奇声を発した。
脳裏に初めてシモンを見た光景が蘇る。
吊り橋の上
見た事も無い綺麗な少年。
アリスが、じゃれついていた。
何故か側に鈴子の守護霊。
不思議な光景に抱いた不安。
あの時、なぜ胸がざわついたのか?
自分は重く受け止めるべきだった。
「アリスを仮の住処としていた魔物が、他へ……。
<人殺し忠犬>より好都合な依り代に乗り換えたかも知れないでしょ?
天使のように綺麗な少年。実は病気で大きくなれない青年。既に3人殺している。
使えそうじゃない?
この山は<使えない>人間達ばかり。仕方なく剥製犬と一体化したままでいたんでしょ」
「そうだ。ホントにその通り。俺のミスだ。アリスを他所の人に触らせるなんて、とんでもなく危険だったのに」
「シモンが家を出たのは自殺のためじゃない。もっと恐ろしい目的を感じるわ」
「マユ、俺どうしたらいい?」
「今は何も出来ない。警察が一刻も早くシモンを確保できるよう、祈るしか無いわね」
「そっか。黄色いバイクが防犯カメラに写っている。シモンは取り調べを受ける。犯罪が立証できれば、身柄を拘束できるんだ」
聖は案外早く捕まるのではと、楽観的になってきた。
見た目は12才前後。
大人のように、1人で何処へでも行けはしない。
黄色のモンキーも相当レア。
きっと、すぐに見付かる。
しかし、三日後の夜、ニュース速報に、
聖は青ざめた。
飛び降り自殺を装い見物人に危険物投下。
6人が危険物に当たり病院に運ばれ1人重体
犯人逃走中。
「なんだこれ? 一体、どんな事件なんだ?」
「セイ、奈良県S市だって。近いわね」
マユは、動画を見れば、と。
ニュース動画には、事件現場に居合わせた一般人が撮った動画も出ていた。
場所はS市駅前7階建マンション。
午後6時頃、マンショの屋上に飛び降りを臭わせる若い女が出現。
女は屋上の柵を超えて立っていた。
(飛び降りか)
(ちょっと、やめときや)
(警察や。警察呼ばな)
ざわめきと、マンション下に人だかりが出来る様子。
そして、見物人は携帯電話で、このアクシデントを撮り始める。
屋上の女は何度か今にも飛び降りそうなリアクション。
見物人は増えていく。
パトカーのサイレン。
直後に女は何かを(握り力を込めて)投下。
細長く……羽根がついて……ダーツの矢に見えた。
「ひどい……下から見上げてたのよ。ひらっとした羽根しか見えない。まさか危険なモノとは、とっさに分からない」
マユの言う通りだ。
今にも飛び降りそうな女が突然、色とりどりの羽根を投げた。
それが、まさかダーツの矢とは、想像もしまい。
女は両手に握った矢を素早く数回投下した。
矢の数本は、上を見ていた見物人の目に直撃。
喉を直撃。
現場は騒然。悲鳴とともに見物人は逃げた。
駆けつけた警察官が初めに目にしたのは、首や目から流血し叫び回る被害者の姿。
屋上の女は騒ぎの間に消えていた。
「皆が撮った画像があるから、すぐに特定できると思ってるのかな」
聖は犯人の画像を拡大した。
袖とスカート部分が膨らんだデザインの黒いレースのドレス。
黒の網タイツ。
黒のハイヒール
金髪ボブ
黒い耳が付いた金のカチューシャ。
目は黒い紗の布で目隠ししている。
だから目元は見えない。
細い高い鼻と真っ赤な口紅の口元
華奢なあご。
なんかのコスプレみたいだ。
奇抜な服で
露出部分は少ないが
聖には、シモンだと分かった。




