パトラッシュ
アリスが消滅した。
<化け犬>の寿命が尽きたのか?
元々は剥製、長時間直射日光に晒されれば内部の接着剤、プラスチックが劣化し、壊れても仕方ない。
しかし、生身の犬は砕け散ったりしない。
剥製でも生身の犬でも、残骸を残さず消滅は、有り得ない。
悠斗は<信じて貰えない>怪奇現象に遭遇してしまったのだ。
(何て言おう?)
聖は薫と鈴森の表情を盗み見た。
二人とも、まだ黙っている。
(そんな有り得ない)とか(夢見てたんでしょ)とか、言うであろう奇天烈な話なのに。
「よっぽど可愛かったんですなあ。ワンちゃんが突然死んで、ショックのあまり前後の記憶が飛んでしまったんですな」
沈黙を破ったのは鈴森だった。
「記憶が、消えたんですか?」
悠斗は感傷的で無い顔で聞き返した。
意外な解説に理性を取り戻している。
「成る程な。辛すぎる出来事は忘れてしまうように、そんなふうに人間の脳みそは出来てるらしい、からな」
薫が同意する。
「そっか。悠斗さんはアリスを火葬し、灰と骨を山に撒いた。そこの記憶が無くなったんだ」
聖も鈴森の説に乗っかった。
(犬が砕け散った)超自然現象など無かったことに、してしまおう。
「そう、ですよね……粉々に砕けて、煙になって消えるなんて有り得ませんよね、」
悠斗は子イヌを愛おしそうに撫でる。
「まあ、跡形も無く砕け散るやなんてゲームん中みたいでロマンがあって、ええけどな。なあユウト、この子はアリスのプレゼントやで。そう思おう。ロマンがあるやろ?」
薫は早口で(言いくるめるみたいに)言い、
「さあ、喰うで。飲むで。その前に一服したいけど……赤ちゃんが居るからタバコは外やな」
タバコに火を付け、ドアを開けた。
すると、シロが飛び込んできた。
興奮した様子で、悠斗に飛びつく。
そして子イヌを舐めまわす。
「シロも喜んでる。悠斗はアリスの為にこの山に来たようなもんやけど、アリスが死んでも、おるやんな。この仔と、おるやんな」
どこへも行くなと、薫は言いたいのだ。
悠斗はアリスと暮らしたくて、ホストを辞め、車中泊の日々。
見かねた鈴子が動物霊園に、この山に誘ったのだった。
「セイさん、この仔を寝かせる段ボール箱かなんか、ありますか?」
悠斗は子イヌしか目に入っていない様子。
それから……。
聖は牛乳を温め、薫と鈴森は段ボール箱の寝床を拵え、
寝かしつけるのはシロに任せ、
男4人、酒宴の席に落ち着いた。
「カオル、どこで拾ったの?」
「酒屋の前やで。自動販売機の前に置き去りや」
「私が思うには、犬をよお知らん奴が、子イヌをくれるというので貰いに行った。ところが親犬を見て、その大きさに驚き、吠え声の大きさにもショックを受けた。食費その他にどんだけ費用がかかるか、毎日最低2回散歩に行けるのか……帰り道に、到底飼えないと気付いて、厄介やと。ほんで山に捨てたんでしょうな」
鈴森は見てきたように言う。
「あの仔は大きくなるんですか?」
悠斗が聞く。
……そっか。分かってなかったんだ。
聖は一目見て(丸っこい胴体、太い首、太短い足)秋田犬の子だと見当は付いていた。
「悠斗さん、大きくなりますよ。秋田犬ですよ。シロよりも大きくなる」
「秋田犬、ですか」
悠斗は嬉しそうだ。
鈴森は、獣医を紹介すると言った。
薫が、まず犬の名前を決めよう、と言い出した。
薫:七公
鈴森:獅子丸
聖:讙
悠斗:パトラッシュ
それぞれが、候補名を挙げ(絶対コレと)譲らない。
悠斗が「ナナコウ、って忠犬ハチのパクリでしょ?」
薫は鈴森に「昭和の変身モノ、まんまやんか。」
とケチを付ける。
鈴森も
「セイさんのんは中国の妖怪ちゃいますか。ここは日本の大和国ですやん」
とダメ出し。
聖も
「パトラッシュはどうかと。名前呼ぶ度に悲しくなってくる」
感じたままを口にした。
すると鈴森が
「悲しくなる?……なんでまた?……パトラッシュって誰ですねん?」
この男は有名すぎる物語を知らないのか?
「ええーっつ。『熊さん』はパトラッシュ、しらんの?」
薫が大げに驚いてみせる。
鈴森は「えっ?……そんな有名? 知らんの私だけ?」
不安げに皆の顔を見る。
「アニメに出てくる大きな犬の名前ですよ。再放送を子供の時に見たんです。どんなストーリかと言えば、……ネロという少年がお爺さんと2人で暮らしていたんです、とても貧しかった」
悠斗は語った。
ネロとパトラッシュの出会いから
細部に至るまで丁寧に……
雪の中で少年と老犬が絶命するまでを語り尽くした。
ソフトな声で再現度は高く、聞いているとアニメのシーンが浮かんできた。
聖は悠斗の<強い犬への愛>は、これが原点かもしれないと、ふと思った。
「なんて可哀想な……お子様に見せるには残酷すぎるんちゃうやろか」
鈴森は本当に初めて知った感じだった。
「鈴森さん、自分はシシ丸、分からないです」
「昭和ヒーローチャンネルで見ましてん」
「そうなんですか……気になりますね」
悠斗は聖に言った。
「見たいですか?……今、見ますか」
それから<怪傑獅子丸>鑑賞会になり
他の懐かしい変身シリーズも見たくなり
懐かしいゲームがしたくなり
それぞれが寝落ちするまで食べて飲んで遊んだ……。
聖はアリスの消滅に、全く心痛まなかったというワケでは無いが、
<化け犬>のままずっと生きていける筈が無い。
とうに寿命は尽きているのだ。いつ消えても不思議で無いと。
その時が来るのを恐れるとすれば悠斗のダメージだけだった。
子イヌの出現で悠斗は救われた。
アリスは先を予見して安心して散ったと、そう思いたかった。
剥製犬を仮の住処としていた<悪しきモノ>が、他へ……
<人殺し忠犬>より好都合な依り代に乗り換えたのではないかと
マユに言われるまで、考えもしなかった。




