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第六話 現実と立腹

「しかし、それにしても驚いたわよ。いきなり倒れるなんて」


 私は目の前で布団に横になるてゐに向かって、そう話しかけた。

 てゐは苦しいのか、僅かに首を動かすだけで、それ以上の反応を示すことはない。…それも当然のことだろう。熱がある上に、倒れてしまう程体調が悪いのだ。私の戯れ言なんかに構っている余裕など、ないに違いない。


 てゐが廊下に倒れているのを見つけてからすぐに、私はてゐを師匠の部屋へと運んだ。

 私も薬師見習いとして、診察の真似事くらいなら、出来ない訳ではない。ただ今日は師匠が部屋にいることも予めわかっていた為に、全てを差し置いててゐを師匠の部屋へと運び、そのままに現在へ至る。

 それにしても、師匠の反応は驚くほどに速かった。てゐを担いだ私が部屋に入るや否や、てゐを布団に寝かせつけ熱やら意識やらを確認し、虚ろな様子のてゐに粉薬を半ば強引に飲ませていたことを覚えている。

 最も、その時の私は気が動転していたのだろう。師匠の手伝いなど何も出来なかったし、そもそも師匠が何をしていたのかすら、うろ覚えである。…こんなことだから、私の薬学や医学の知識も底が知れているものだ。


 ふと、視線を感じたような気がして、てゐから顔を上げた。

 てゐが寝ている布団を挟んで向かい合うように姫様が座っているが、姫様は不安そうに俯いているだけだ。その様子から考えるに、姫様が視線を送ってきた訳ではないだろう。

 ならば、この部屋に残されたのは師匠しかいない。師匠はてゐの頭もとから少し離れた場所に座っていたが、それをちらと見やると、こちらと同じように師匠も視線を返してくる。

 …何か、言いたいことでもあるのだろうか。確かに、てゐが倒れる前からどこか様子がおかしかった師匠ではあるが、それにしても、この状況で私に何を言おうとしているのだろう。

 しかし、視線を送ってきた割には師匠が口を開くことはなく、ただ静かに立ち上がるだけだった。そしてこちらまで歩み寄ったかと思えば、てゐの枕元に膝をつける。


「てゐ、私たち粥を作ってくるから。ちょっと待っててなさいね」


 そう語る師匠の声はどこまでも優しく、柔らかく。そしてどこか儚げだった。そんな暖かいはずの言葉なのに、どこまでも悲しげに聞こえてくるのは、私だけなのだろうか。


「姫、優曇華も、ご飯作るのを少しばかり手伝って頂戴」


 師匠はそう一言だけ言い残すと、襖を開けたまま、部屋を出て行った。この気温が低い中襖を開け広げたままというのは、私たちに“ついてこい”と暗示しているのだろうか。

 私はてゐに一声かけてから、台所へと向かう。気配からどうやら姫様も、私の後ろをついてきているようだった。



 病人食と言えば、やはり粥が定番だろう。消化云々もそうだが、何よりも柔らかく、食べやすいことが上げられる。

 私が月から地上に降り、初めて粥を食べた時は、あの米独特の匂いに苦しめられたものだが。

 慣れれば大したことはないのだが、粥は米の臭いが強く出る。師匠は米を研ぎに研いで臭いを落としてくれたが、それでも、不慣れな内は辛いものがあった。最も、今ではその臭いにも慣れ、最近では、粥はむしろあの匂いがあってこそだ、と思うようになっているが。

 そもそもてゐは地上の生まれである為に、粥は食べ慣れたものらしい。それに伴って色々と嗜好が細かいのだが、今日はなるべくてゐが好むように、作ろう。

 そう思いながら台所へ入ると、鍋やらを準備している師匠の姿が目に映る。鍋の大きさからして、一人前を作る大きさではない。

 あの鍋は、永遠亭にある中でも特に大きいもののはず。ということは、全員の昼食分をまとめて作るつもりなのだろう。確かに、時刻も真昼を過ぎた頃であるし、遅めの昼食には丁度良い。

 師匠が米を研ぐのを横目に、私は台所の端に置かれている壷から梅干しを取り出す。菜箸でつつきながら、よく梅酢に漬かっている物を四、五個程皿に取り出すと、まな板の上にそれを空けた。このまま食べても良いのだが、食べやすいように叩く為だ。

 梅酢でふやけた皮を破り、種を取り出す。果肉は梅酢をよく吸っており、余りにも柔らかだ。種を取り出すごとに、辺りには独特の匂いが漂い、思わず唾液が湧き出してしまう。この匂いや酸味も初めは駄目だったが、ここ最近では全くと言って良い程気にならなくなった。

 そんな中、顔をしかめる人が私の真横に一人程。まぁ、この匂いが嫌いな人なんて永遠亭には一人しかいない為に、予測はついていたのだが。


「…姫様。……そんなに梅干しが嫌いなんですか…?」


 姫様は手で鼻を覆い隠すようにしていたが、隠されていない場所からはひしひしと、その想いが発せられていた。特に、眉間は酷い。皺が大分寄っている。


「なんでそんな酸っぱい物が食べられるのか、私にはさっぱりわからないわ。

私は玉子焼きが良いの。それも、あま〜いやつが」


 そう語る姫様はやけに幸せそうで、あたかも玉子焼きを頬張っているかのような表情を浮かべている。至極ご満悦のようだが、鼻元を隠すことだけは怠っていない。本当に、梅干しが嫌いなのだろう。

 しかし、卵を使ったおかずは良いかもしれない。栄養分は多いし、あまり癖もないし。でも、てゐは甘いのよりも塩気がある方が好きだから、醤油を主に使うことにしよう。



「……姫、優曇華」


 今までずっと口を噤んできた師匠が、鍋をかき混ぜる手を止めて、私たちの名を呼んだ。

 やっぱり何か話があったのだと、私は包丁をまな板の隅に置いて、師匠の方に体を向ける。

 師匠が次の一言を繋ぐまでの間、何とも言えない空気が辺りを覆った。音を立てることすら許されない程の緊張感、というのが一番近いだろうか。それでも、零細を見れば、違う。

 一言で言い表すならば“戸惑い”だろうか。無論、戸惑っているのは師匠である。本当に、言おうか言わまいか迷っているのだろう。思い出してみれば、師匠の部屋でてゐの看病をしていた時から、それが垣間見えていた気もする。いや、もしかしたら、もっと前から…。

 逆に平然と構えているのは姫様だ。いつものようなだらけた様子は見られないが、それでも、姿勢一つ乱すことなく師匠を注視している。

 …そもそもこの空気、作り出しているのは姫様なのかもしれない。堅く、全てを弾くような雰囲気が、今の師匠から出ているとは考え辛い。あくまでも予測だが、二人の雰囲気が噛み合っていないからこその、この空気なのではないのかとも、思う。


「永琳。恐れずに言ってごらんなさい」


 促しているのかそれとも、痺れを切らしたのか。姫様の発した一言は、どちらとも受け取ることが出来る。

 師匠がそれらのどちらの意味で捉えたのかは定かではないが、姫様の語りかけに答えるように、師匠は僅かに頷いた。


「……てゐは、不治の病に冒されているわ」


「…は?」


 思わず出てしまった、間の抜けた声。不治の病だなんて、あまりに話が唐突過ぎる。


「不治…ってことは、てゐの病気はもう治らないんですか!?」


 不治と聞いても、良い印象ではない。種類にもよるだろうが、負の意味合いには違いがない。

 師匠の言葉を聞いてから、自分が焦ってきているのがわかる。それを抑える術は一つたりとも思いつかず、気付けば語尾は師匠がたじろぐ程の大声となっていた。


「え、えぇ…

それも、てゐの病気はもう大分進行してて、もうあまり長くは……」


 長く…ない?

 言葉からして、そうなるに違いない。

 てゐはもう、あまり生きられないと。私の頭が正常ならば、師匠はたった今、そう言った。 てゐが長く生きられない。生きられない。近い内に、死ぬ。それを考える端から、頭が真っ白になる。

 師匠の言葉が、頭に入ってくるようで、それでいて、筒抜けになっているようで。真っ白な頭には、意味が何も理解出来ていなくて。

 意味が、わからない。師匠が言う言葉が、理解出来ない。てゐが死ぬなんて、…わからない。

 病気が進行してるって、何? 長くはないって、何? なに? 何なの?

 あんなにも、元気に、昨日まで、いや、今日の朝ですら、元気だったのに。

 それが、てゐが倒れたから、もう長くないって、病気が進行してるって。

 倒れたから、看病して、すぐに治るかはわからないけど。そんな、てゐが重い病気だなんて。知りもしなかったし、予想にもしていなかった。

 確かに、てゐは無理してるけど。最近は無理ばっかりだったけど。

 ……だって、昨日までは、さっきまでは、いつも通り。それなのに、そんなことに気付く訳が、ない。



 ……………少し、おかしい。



 この幻想郷で、医者はは誰なんだ。私が知りうる限り、目の前にいるじゃないか。

 てゐが長くないのは。不治の病にかかって、取り返しがつかなくなったのは。こいつがてゐの病気を見抜けなかったからじゃないのか。

 そもそも、何でも薬を作れるはずなのに、匙を投げるのは、何故だ。何故努力もせずに、てゐが死ぬことに決めつけているのだ。

 仮に今手遅れだったとしても。もっと、もっと早い段階で病気に気付けていたなら。てゐを救う方法はあったんじゃないのか。

 こいつが、注意力を、怠ったから。病気を見抜けなかったからこそ、てゐは、取り返しがつかなくなったんじゃ、ないのか。ならば、全ての責任は目の前のこいつにあるのではないか。 おかしい。おかしい。何かが、絶対に。平然とこんなことを言ってのけられることも、なんにしても。

 てゐが死ぬことも、見抜けなかったことも、匙を投げることも。

 ……理解が、出来ない。

 こんなことがあって良いはずがない。許されるべきことじゃない。

 ならば、私はどうするべきなのだ。


 頭の中の奥底で、何かが切れる、ごくごく小さい音が、響いた。

「師匠は、何の薬でも作れるんじゃないんですか」


「それは…そうだけれども」


「なら、何故!?」


「……どんな薬でも、死ぬことの決まった者を救うことは出来ないのよ」


「なら、なんで死ぬことが決まるまでに手を施さなかったんですか!」


 師匠があからさまに返答に詰まる。困った顔を浮かべられてもこちらはどうしようもない。悪いのはこいつだ。


「お医者様である師匠がちゃんと診ていなかったから、こんなになるまで気付かなかったんじゃないですか」


「……」


「それなら!

てゐは師匠が殺したも同然じゃないですか!」


「……ごめんなさい…」


 ……!

 …今更謝られたって、てゐの病気が治る訳じゃない。元気になる訳じゃない。


「…どうせ、師匠は死なないんだから、生きるとか死ぬとか、興味が」


 鮮烈な衝撃音と共に、私の視界がぶれる。そして切るような痛みが、左頬にほとばしった。

 頭が揺れ、自然と膝が折れる。冷たい床に手をついて、目の前に立つ二人を見上げた時、無意識に呻き声が自分から漏れるのがわかった。


 私の傍に立つ姫は鼻息も荒く、私をはたいた手を未だに振り上げたままの姿勢で止まっている。そんな姫は私と師匠の間に立ち、師匠を隠すかのようだ。それでも、姫様の脇から微かに、向こうの様子が見える。


 ……師匠は泣いていた。悲しそうな表情はさっきから変わっていないけれど、顎から滴る水滴は確かに、師匠の双瞳から続いている。

 原因なんて、わかっている。私が言ってはいけないことを言ってしまったんだ。姫に手を上げられたことも理解出来るし……全ては、浅はかだった私が、悪い。


 やりきれない空気が流れる中、私はその場から逃げ出した。自分が作り出した罪を受け止めることが出来なくて。あまりに自己勝手に、師匠を、もといみんなを傷つけたことが許せなくて。

 謝って済む問題じゃない。許してなんか、もらえない。

 私は、最低だ。人のことすら気遣うことが出来ない、最低な奴だ。気の高ぶりを人にぶつけるなんて。最悪だ。


 苛ついたのなら、自分を責めれば良かった。暴言なんて、唇を噛めば吐かなくて済んだ。八つ当たりしたいなら、自分を切り刻めば良かった。


 もう、永遠亭にはいられない。そもそも、死んで償うべきなのかもしれない。それでも、簡単に自分で命を終わらせることは難しい。それなりの準備が必要だ。それならばまず、ここを出てから準備をすればいい。


 長い廊下を走り、息も絶え絶えに玄関へとたどり着く。靴ですら、私なぞが履くのは烏滸がましく感じ、裸足のまま玄関の戸を開ける。


 しかし、目の前の様子は予測とは大きく異なっていた。私の記憶では、そこには閑散とした竹林が広がっているはず。それなのに視界に飛び込んできた物は、小さな部屋と廊下だった。

 不審に思うが、今は一刻も早く外に出たい。死のうとまで考えるのなら、別に自殺しようと他殺されようと、はたまた事故に巻き込まれようと、差はない。この不審な部屋と廊下が如何なる罠であったとしても、私にはもう、関係がない。

 一歩、玄関から足を踏み出し、小さな部屋へと入る。だが、特に体に変化は見られない。それに、怪しい気配や妖気すら感じることは出来なかった。

 念のために後ろを振り返ってみると、そこには永遠亭の見慣れた玄関と、廊下が続いている。どうやら、元の場所へと帰ることも可能らしい。

 …しかし、それにしてもこの部屋はどこか見たことがある。それどころか、私にとって毎日のように見る、見慣れた場所であることも、わかった。

 ここは、永遠亭の裏口。洗濯用品が置いてある、狭いの物置のような部屋である。目の前に広がるその部屋は私の記憶と寸分違わず、やや乱雑に置かれた桶や洗濯板が目をつつく。


 …永遠……か。


 出入り口である玄関と裏口を繋げる。たったそれだけのことで永遠が作り出せるのか。廊下を波長により引き延ばした私とどこか似たような能力だが、根本的に、性質が違う。永遠の循環であるこの状態は、何を足掻いたところで逃げ道はない。

 姫様は、私が出て行くことを予期したのだろうか。その対策として、この永遠を作り出したのだろうか。

 …どちらにせよ、出ることが出来ないならば私は永遠亭に残るしかない。それならば、無闇に歩き続けるよりも、居慣れた自室に閉じこもる方が気分も落ち着くだろう。少なくとも、師匠や姫様の元へ戻ることは、私には出来ない。


 部屋へ帰る途中、台所の傍を通る。中からは忙しそうな音が聞こえる上に、皿がぶつかる音が響いている。それから考えるに、調理も総仕上げといったところだろう。


 閉まっている台所への戸の前で、ふと立ち止まる。


 “今なら、謝れば許してもらえるだろうか”


 そんな考えが浮かんではくるが、とてもではないが実行する勇気はない。悪いのは、私。それを甘んじて受け入れなければ。

 …そういえば、私は前にも主を裏切り、月から逃げて来たのだ。……もう私なんて、何をどうしようとも、救いようがない。


 台所の前から離れ、再び部屋に向けて歩き出す。皿のぶつかる音が遠のき、代わりに切るような静寂と刺すような冷たさが私を襲う。だが、それすらが私に相応しい気もして、ならない。

 部屋にたどり着いた時には既に、手足の先には感覚がなかった。そんな、動かすだけで軋むような手先を無理に動かし、襖を開ける。

 そこには、いつも通りの私の部屋があった。特に物がある訳ではないが、ちらほらと装飾品が見える、少しばかり小さい部屋。

 …そんな装飾品なんて、私には勿体ない。否、私にはそれを有する資格すらない。


 全てのものから目を逸らすように、私は部屋の隅に座る。そして膝を抱えるように、鬱ぎ込む。そのどこかしらの圧迫感に何故か安心する自分がいた。

 これからどうしたらよいか、悩む。どうしたら、どうしたら、と、ひたすらに考える。でも、頭は動いていない。いくら考えたところで意見が二転三転し、あたふたとなるだけだ。それでもなお、頭はこれからどうすればよいかを考えている。

 しかし、考えはまとまらないくせに苛々だけは積もってくる。自分に対しての憎悪が、こみ上げてくる。

 私は無意識の内に、姫様にはたかれた頬を触っていた。その箇所は少し熱を持っており、どうやら内側は歯を引っかけたのか、えぐれているようだ。

 頬を触っていた左の拳を、思い切り握りしめて、横腹に勢いよくぶつける。手加減もせずに殴った為か予測以上に腹部にめり込み、強烈な吐き気に襲われるが、それを何とか堪えながら、私は再び鬱ぎ込む。

 …こうやって自分を痛めつければ、この頬と同じように痣をつければ、罪を償うことになるのだろうか。自分を戒めることに、なるのだろうか。

 もしそうなるのならば、痛みもそこまで辛いものではない。むしろ、罪人である自分には、あって当然のものだと、そう思えてくる。


 それからは、考え、苛つき、そして殴り。これの、延々とした繰り返しだった。


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