第四話 意識と遭遇
「なんでさっきからずっと、私の頭を撫でるのさ」
彼女がそう呟くのも無理はない。私がてゐの頭を撫で始めてから既に、かなりの時間が経過している。冷えた体を暖めようと煎れたお茶ももう、冷え切ったのかいつの間にやら湯気も立たなくなっていた。
ここはてゐの部屋。その中で私はてゐの横に座り、彼女の頭を撫で続けている。それでもてゐは嫌がったり逃げたりすることもなく、ただただ私に撫でられているだけだ。
永遠亭に戻ってから姿を見なくなったと、探してみればてゐは自分の部屋に戻っていた。それも正座をして、私がてゐの部屋に行くことを待っていたかのように。私がてゐの部屋に入った時には、どこか張り詰めたような、ぴりぴりとした空気が部屋には充満していた。
この部屋にくればいつも思うのだが、てゐの部屋は簡素という言葉がよく似合う。特に飾られた場所もなく。かといって物がない訳でもなく。生活するには十分な部屋であり、決して、見て面白い部屋ではない。
だが、私はこの部屋が好きだ。何故かと聞かれれば反応に困るが、それは私の中ですら、答えが漠然としているからだろう。
強いていうならば、雰囲気だろうか。部屋に、そして彼女に流れる雰囲気。それはあまりに優しくて、儚いように私は思う。
…小さな花瓶に生けられた、一輪の花。その花は小さくも健気に花びらを伸ばし、小さいながらも精一杯に存在を伝えようとしている。
この寒い時期に咲く花は滅多にない。そう簡単に手に入れられる物ではないのだ。それを探すのは、それ相応に苦労したに違いない。ただ、その花はその努力を塵とも見せずに、柔らかな空気を紡いでいた。
てゐ自身もそれを誇示することもなく、その花もただ、机の上に飾ってあるだけ。見えない苦労、というと過ぎた言葉なのかもしれないが、そのさり気ない一輪が、部屋の雰囲気をがらりと変える。もしかすれば、そんな所に気を配るてゐ本人が、雰囲気を作り出しているのかもしれない。
…それにしても、あの冗談が過ぎるてゐの部屋がこんな質素とは、誰しもが想像出来ないに違いない。これを知る人は幻想郷でも数える程しかいない訳だし、他の人が、外でのてゐの姿とこの部屋にいるてゐの姿が一致することは、まずないだろう。
「ねぇ、鈴仙…」
「どうしたの?」
「その…なんと言うかその…
やっぱりさ、嘘はつかない方がいいのかな?」
その一言に、私は頭を撫で続ける手を止める。
「…そう思うのは…どうして?」
「…だって、だってさ。私のせいで、鈴仙に怪我させたし。
私はともかく、他の人に怪我させてまで、嘘はつかない方が良いんじゃないか…って」
「……」
…返す言葉が、見つからない。
嘘をつくのは彼女の決意。だがそれは、素晴らしいように見えてその実、自らを犠牲にした重い枷に違いない。
その枷に縛られるのが自分だけなら、彼女は嘘の笑いを浮かべて受け流すのだろう。今までも、これからも。ずっと。
ただ今回は私が関わってしまったことで、彼女が笑えば済む話ではなくなってしまった。
“なんでもない”の一言で終わらすことが出来なくなってしまった。
そんな彼女に私はどんな態度を取ればいい?
“嘘をつくな”とは言えない。彼女の嘘に助けられているのも、それを庇ったのも、他の誰でもないこの、私。
でも、他の人が傷つくことでてゐの枷が重くなることも事実だろう。それは彼女にとって、想定されていない事のはずだから。“他人が傷ついたのは自分の責任”と彼女が結論付けた時点で、それは新たな枷となる。
「……ごめんね。
そんなこと聞いても、鈴仙には関係ないよね」
てゐは言葉を返せないでいる私に痺れを切らしたのか、まさしく脱兎の勢いで私の手を振り解き、部屋を飛び出した。
“追わねば”と体はすぐに反応し立ち上がる。だが前に進むことは理性が許さなかった。
…てゐに追いついた時に、なんと声をかけるのか。それを考えておかねば先程と何も変わらない。ただてゐを傷つけてしまうだけだ。それだったらむしろ、追わない方が彼女の為になるのではないだろうか。
だが、それだとてゐが全てを背負い込んで全てが終わってしまう。今回だけ偶然に私という不確定要素が紛れ込んだだけで、次からはまた石を投げられるのは彼女一人になってしまう。今までと何も変わらない形に、収まってしまう。
…そもそも、てゐは一人で背負い込むことを本当に望んでいるのだろうか。自らが嘘をつくことを望み、そして不相応な仕打ちをされることを、彼女は本心から望んでいるのだろうか。自分が追いつめられたとしても、それで他人が幸せになるのなら、それを望むのだろうか。
…てゐなら、望む気がする。これには確証がある訳ではないし、根拠も、理論ですら、ない。
だけれども、今まで永い永い時を過ごしてきた仲である。顔を見なくとも、言を交わさずとも、何となく、わかる。…何となくも、時には根拠になるのだろうか。
…追おう。“何となく”を根拠にして。彼女が私のわかる場所からいなくなるその前に。
嘘をつくかつかないかは、少し投げやりの気もするが、彼女自身が決めること。私には彼女の嘘と即座に冗談を見極める力もない。それにもし、嘘が悪いことだと彼女が認識したのならば、それに従えばいい。私はどちらとも、間違いだとは思わない。
それよりも、まずは私がすべきこと。それがやっと、見つかった。
逃げ場とは、本人が作れる場所ではない。正確に言えば、本人が作った逃げ場は逃げ場ではなく、他よりも幾許か安全で、融通が利く場所である。それすらなくなった時、人は本当に八方塞がりになる。諦めざるを得ない。
だから私が、てゐの逃げ場になればいい。幻想郷がてゐを否定したとしても、私は認める。有り得ないだろうけど、姫様や、師匠までもが否定したって、私が守る。そうすれば、てゐに逃げ場がなくなることは絶対にないはずだから。
てゐを追うことを決意してから、永遠亭の中は粗方探した。だが、どこにもてゐの姿は無い。隠れるのは彼女の十八番だが、それにしても、見つからない。物置、押入、廊下の死角。“いつもの”場所を探したが、どうしてもてゐは見あたらなかった。
となれば、外に出たと考えるのが普通だろう。…いや、もう日も完全に落ちた真っ暗闇。この刻、そして部屋の中にいても凍てつくようなこの気温で、外に出るだろうか。もし外に出たのなら、探そうにもまずは見つからないだろう。…何せ、竹林は私よりもてゐの方が詳しいのだから。
それでも、可能性の一つとして玄関を探る。靴の有無。それで彼女が外にいるか中にいるかわかるはず。
だが、憶測は簡単に裏切られるもの。てゐの靴箱は開け広げられたままで、玄関の戸は鍵が開けられ、僅かに開いている。てゐが外に出たのは、間違いない事実となった。
“どうせ見つからない”
私の中で目には見えぬ悪魔が囁くが、そんなことは関係ない。その程度の戯れ言に惑わされていては、私がてゐの逃げ場となると決めた意味がなくなってしまう。てゐはまだ、私に頼って良いことを知らないから。不甲斐ない私が、てゐにそう言ってあげることが出来なかったから。
だから、行かなければならない。私が待っていたのでは、てゐが自ら帰ってきた時にはもう、手遅れ。全てのものが、彼女の逃げ場になることはもう永遠にないだろう。
靴を履き、戸を開ける。
外は想像も絶する程の猛吹雪だった。竹林だというのに。風も、雪も、容赦なく屋敷に吹き込み、私を押し戻す。
…負けてはいけない。彼女もこの吹雪の中、逃げ場を探して旅立った。だから、私が逃げ場になる為に行かなければ。
吹き込む風に負けぬように勢いよく外に踏み出し、力一杯に戸を閉める。僅かな時間だったのに、敷居に降り積もった雪で戸は閉まり辛かった。
明かりとなる物が何一つなく、足下を見渡すのが精一杯の明るさ。油断すれば転びそうになる程の強風。視界は一面雪だらけ、目下は積雪の山。そして何より感覚、もとい意識をも奪わんとする、気温。
少し歩いただけなのに、もう永遠亭が見えない。方角で大体わかるが、もう少し進めばもしかしたら、道がわからず真っ直ぐには帰れないかもしれない。
明かりがないなか目を凝らして、てゐを見つける為の手掛かりも探した。だが、冬の竹林に残るものと言えば足跡くらいのもので、それはもうすぐ後ろにあるはずの私の物ですら、降雪によりどこにあるかすらわからない。
永遠亭の時とは違い、竹林において探す当てもなく、見つかる気配もなく。ただ闇雲に、手探りで、前に進む。
手足の感覚は最早無い。防寒はしているはずなのに。この寒さ相手では、手袋も何も意味を成さないようだった。段々と地面に膝を着く回数は増え、逆に辺りを見渡す回数は減った。
このままじゃ駄目だ、と思い直す。頬を思い切り叩いてから立ち上がり、辺りを見渡したのはもう、何度目のことだろう。しかし毎回見えるのは、皮肉なことに雪ばかりだ。
足を上げることすら困難だなんて、生まれて初めての経験する。視界もぼやけているが、舞う雪を見過ぎてのものか精神的なものか、それすらもわからない。
それどころか、自分のいる場所すら、怪しいものである。間違いなく、来た道はもう自分ですらわからない。
そんな中、不思議な光景とはあるものである。果たして光景が不思議なのか私かおかしくなったのかはもう定かではないが、少なくとも私の目には、少し先に雪の積もっていない場所が映っている。
雪は、ちゃんと降っている。強さも変わらず、飽きることもなく。それなのに、その場所だけは雪が無いのだ。いわゆる、これが幻覚だろうか。
不思議なもので、通常ならそんな怪しい場所には近付かない。あんな場所は往々にして罠であるし、近付くにしても、不測の事態に備えてそれなりの準備をしてから、というのが日頃の私のはず。それなのに、こんな時に限ってふらふらと寄っていってしまうんだから、全く困ったものだ。
「おう、嘘つき兎の付き添い兎じゃないか…ってこっちも死にかけだな」
雪がある場所とない場所の境目辺り。そこまできてやっと、雪がない理由が理解出来た。
「……妹…紅?」
剥き出しになった地べたに胡座をかいて座るのは、姫様や師匠と同じ蓬莱人である、藤原妹紅だった。
妹紅の周囲に雪がないのは、雪が雪であることを許されない程の高温が彼女から発せられているからだろう。…幾度か、姫様との決闘の時に彼女から炎が上がるところを見たことがある。…蓬莱人とは誰に限らず、つくづくわからないことばかりだ。
ただ、降りしきる雪と同色の髪を腰辺りまで伸ばしている妹紅はさながら雪に埋もれているように感じて、少しばかり皮肉っぽくも思う。
「まぁそんな所に突っ立ってないで、入りなよ。そこは寒いだろ?」
寒さはとっくの昔に忘れた。震えこそ止まらないが。しかも、私と目の前に座る妹紅とはあまり親しい関係ではない。顔見知り、という程度だろうか。そんな人に入れと言われても、いささか入り難い。
…それなのに、体は妹紅の提案を勝手に受諾し、意識せぬまま体は前に進む。そして半ば倒れ込むようにして、雪のない円形へと身を投じた。
妹紅の周りはまさに、春だった。外はまだ冬なのに、ここだけ春が先に来たような。まるで、暖かな陽光が気侭に射す日向にいるような、そんな感じ。…気を抜けば、このまま寝てしまいそうだ。
「あーあーこっちも凍傷なりかけ。なんでこうなってまで外をほっつき歩くかなぁ」
妹紅は私の手腕を見るなりそう呟いた。そしてさり気なく、自分の横を指さす。その先には、積もった落ち葉の上に横たわるてゐの姿があった。だが、位置が悪く私の所からはてゐの表情までは確認出来ない。
「てゐ…」
声をかけたくても、近寄りたくても、私の体が動いてはくれない。この気象の中の移動は、予想以上に身体に負担をかけたらしい。立ち上がろうにも、立ち上がれない、苛々する状態が続く。
「安心しろ、こいつはちゃんと生きてるから。
こいつもお前もだが、体温が下がり過ぎたんだ。体温さえ戻れば、体も言うことを聞くようになる」
“てゐは生きている。”
そう聞かされただけで、私の中で安堵感が広がっていくのがわかる。あの環境の中にいたのだ。下手をすれば死んでいたってなんらおかしくはない。
「…てゐは、あなたが見つけてくれたの?」
「そうだな。最も私は里目指して歩いていただけだが。
歩く内に倒れているこいつを見つけたもんだから、こうやってるんだ。これでも一応、里の自警団の一員だからな」
私は体を起こし、妹紅に向かい合うように座る。少しは体が暖まり動けるようになったということもあるが、会って早々に横たわったままというのも相手に悪いし、そもそもそれは話を聞く体勢ではない。
「それは…、ありがとう」
「ところでこの兎、どうしてこんな所に倒れてたんだ?
それに、あんたもなんでこんな時に、こんな所に?」
「……」
私はあまり妹紅と親しい訳ではない。満月の時に姫様と弾幕勝負を繰り広げる蓬莱人であることくらいしか、私にはわからない。
そんな妹紅にてゐのことを話して良いものか、私では判断しかねる。個人的にはあまり、てゐの嘘について言いふらしたくはない。彼女が隠すのならば、私が言えた義理ではないからだ。だが、妹紅がこうしててゐを看てくれていたことを考えれば、全てを教えずに蚊帳の外というのも悪い気がする。
「まぁあんたが言いたくないんなら別にいいんだが」
妹紅は無言のままの私にそう言うと、そのまま言葉を続ける。
「この嘘つき兎に付き合うあんたも大変だろうな。私も、何度か嘘をつかれたもんだ」
「…すみません」
「いや、お前が謝ることじゃないよ。
それに、私はこいつが嘘をついてくれたことに感謝すらしているんだ」
てゐの嘘に感謝…? それは、てゐの言う嘘の意味が分かっているということだろうか。それとも、何か別の意味があるのだろうか? そもそも、てゐがつくのは嘘と冗談の二種類である。それは私にすら判別出来ないのに、まさか妹紅がそれを理解し、判断することはないだろう。
意味がわからない私は、無意識の内に小首を傾げていた。
「意味がわからないか? まぁ、嘘に感謝と言っても、わかりにくいよな。
…あれは、私が自警団に入ったばかりの頃だ。自警団といっても規模が小さいから、一人一人が幻想郷全体を知り、案内などをしなくてはならなかった。
そんな中、この迷いの竹林への案内の依頼は絶えることはなかったんだ。ここには永遠亭という幻想郷唯一の医療が受けられる場所だからな。急患が出ればいつであろうと、ここに通わないといけない。
そんな時、この兎に会うことが出来たら、空を飛ぶよりも早く永遠亭に着くことが出来たんだ。本当に驚くほど早く、な」
「確かにてゐは竹林のことを誰よりもよく知っていますが…。それは別に、嘘にはならないのでは?」
「あぁ…そりゃそうだな。今の話だと兎に案内されただけの話になってしまうからな。
私が初めてこの兎の嘘に引っかかったのは、ぶらぶらと竹林を歩いている時だった」
身振り手振りを交えながら、妹紅は話を続ける。どうやら妹紅はよほどの話好きらしい。私が特に相槌をせずとも、一人で勝手に盛り上がり、話し続けている。
そのために私は聞き役に徹する訳だが、話を聞くにどうやら、てゐは一人歩く妹紅をなんだかんだで言いくるめ、竹林の奥へと誘うのだそうだ。そして、誰も知らないような奥地へと妹紅が足を踏み入れた時、妹紅の視界から忽然と、てゐは姿を隠すらしい。
「…姿を隠されても、こっちからしてみたら空を飛んで竹林を抜ければ良いだけの話だから特には困らないんだがな。それでも、いきなり消えるんだから。最初は焦ったもんさ」
…妹紅は何が言いたいのだろうか。さっきから言っていることが妙に的を得ないし、私も何と返答してよいものやら、迷う。
「でもな、私がこの兎を探すことを諦めて竹林の上空に飛び出てわかったことは、元々私がいた場所は竹林の際ということだったんだ。あと数歩歩けば竹林の外に出られるんじゃないかって思うくらいにな。
おまけにそれは、私が元いた場所から正反対の場所だったんだ。飛んでも時間がそれなりにかかるその距離を、飛ぶよりも遥かに短い時間で突っ切ってしまった」
「……そんなことが、何度もあったんですか?」
「そうだな。少なくとも片手では数えられないくらいはあったな。迷わせるこいつもこいつだが、毎回酔狂に騙される私も私だけれど。
お陰で、竹林には随分詳しくなった。今ではどこから竹林に入ろうとも永遠亭にたどりつけるし、輝夜との決闘の場所も、この兎に連れて行かれた場所の一つだ」
「…てゐが、あなたが竹林に詳しくなるように、嘘をついて連れ回して、案内していた、ということですか?」
少し言い方に棘があったかなと、全てを言い終わってから少しばかり後悔する。だが、これは私の素直な気持ちだ。
確かに私は、てゐがどんな嘘をついて妹紅を騙したのかは知らない。彼女はそれについては語らなかったし、口の回るてゐのことだ。出任せに人を騙すくらい、どうということもないのだろう。
ただ、それらから推測するに妹紅がてゐに竹林を案内されたとするのかどうかは、今一つ根拠に乏しい。妹紅からしてみれば新たな竹林の発見なのかもしれないが、てゐからしてみれば本当に妹紅を迷わせようとしていただけなのかもしれない。真相は、今は心地良さそうな表情で寝転がる、てゐのみぞ知る。
「…相手から突きつけられた意見は、自分によって如何様にも変わる。自分が突きつけた意見は、突きつけた相手によって如何様にも変わる」
暫く私の顔を眺めていた妹紅は、おもむろに口を開き、そう言葉を漏らす。
「いや、これはある知人の受け売りなんだがな。
意味としては、相手がどんな意図を持って自分に何かをしようとも、自分の捉え方によって、相手の意図通りにはならない。逆に、自分が相手に何かの思惑があって何かをしたとしても、相手の捉え方によって、自分の意図通りにはならない、というものらしい」
何とも、返事に困る。
妹紅のいうことは半ば、常識とも言える。自分と相手の理解の仕方が違うことなんて、少し考えればわかること。それを改めて言葉にされても、返答が難しい。
「教えてくれた奴がいうにはな、この考え方を改めて意識することが大事らしい。
もしも自分の意図通りにならなければ相手の捉え方が違ったと思えば良いし、逆に相手が何をしてこようとも、自分の捉え方次第で楽しくも、嬉しくもなる。
つまり、嘘をつかれても捉え方次第で自らの糧に出来るってことだな。最も、この兎の嘘は最初から悪意が無いと思っていたが」
「……」
…正直、妹紅がそこまで考えているなんて知らなかった。住む場所が近しいからか話す機会も無い訳ではなかったが、もっと大雑把というか、言ってしまえば何も考えていないのではないかと思っていた。
しかし、私のその考えは大きく外れていた。他人の受け売りとは言っていたが、感じからして妹紅はこの意見を自分なりに噛み砕き、己の意見として成立させている。だからこそ妹紅はてゐに、負ではなく正の感情を持っていて、嘘を悪しとしないとしているのだろう。
…私には、その考え方が欠如していたのかもしれない。今まであやふやだった、てゐの嘘と冗談の定義や境目。それこそ、てゐが何か意図を持って行動すれば嘘であり、それがないときには冗談としていたが、その考えはあくまでてゐの中での話。
そのてゐの嘘と冗談を如何に噛み砕くかは、私の自由なのだ。ひいては、嘘か冗談かを決めるのは私自身ということ。
…ならば、てゐの起こすこと全てを嘘と捉えた方が良いのではないだろうか。その中で、冗談ならば笑い話、嘘ならば容認すれば、てゐが孤立することはなくなるだろう。…最も、これはてゐが私を認めたとした時の話だが。
「…さてさて、二人とも血色も良くなったことだし、吹雪も収まらないようだから、永遠亭まで送ろうかね。間接的といえども、里の人間がいつも世話になっているからね」
妹紅は地面に手をついて立ち上がると、手を空に突き上げて思い切り伸ばす。長い間座っていたのだろう、こちらにも音が聞こえてくるくらいに、関節が鳴っているのがわかる。
それを真似るように、私も背筋を伸ばす。それに応じて、血液が頭の先から足の先にまで行き渡るようで、心地が良い。
私が安らかに寝息を立てているてゐを担ぐと、妹紅は微かに笑みを浮かべながら積もりに積もった雪の中を歩き出す。それに従うように、私も歩みを進めた。
妹紅が歩いた跡は、雪一つ残っておらず、地肌が風に曝されている。ふと後ろを振り返れば、自分たちが歩いた所に道が出来て、さながら雪掻きをしたようにも見える。
雪はなくとも、吹く風は冷たい。そんな中、他愛もない話を交わしながら私たちは永遠亭を目指す。私の背中にいるてゐは、それでも大人しく担がれていて、目を覚ます様子は未だに感じられないままだった。